18白い森を赤く染めて
断罪者をやってると、色々な目に遭う。悪人共は、およそ容赦って概念がない。
マーケット・ノゾミで桐嶋に撃たれてからというもの、ディレにも撃たれたし、流煌にも撃たれた。
フェイロンドには吸血苔と処刑樹を植え付けられ、鈍器で親指を砕かれた。
それぞれに恐ろしい連中だったが、その中で最も危険なのは――。
「いやー、まさか君が来てくれるとはね、非国民の丹沢騎士」
おもちゃでも見つけた赤ん坊のようなほほ笑みと共に、しゅか、と子気味いい音で腰のバトルナイフを抜く。
黒く染まった重厚な刃が、近づいて来る。
ぶつ、という音と共に目の下の頬に先端が差し込まれた。痛みが走り、うめきながら食いしばった歯に、流れ出した血が入ってくる。
ひきつったまぶたの間に、眼鏡の奥の瞳を歪めた、将軍のいやな笑顔が映った。
「あれれ? だめだよ、ちょっとだけ口を開けて。でないと、上向きに目をえぐるよ。ほら、どうせすぐには殺さない。断罪者として、反撃の機会をうかがうなら、目を失っちゃだめだよね」
だろうな。俺は痛みをこらえながら、少しだけ唇を開く。
瞬間、黒光りするバトルナイフがひゅっと動いた。
「ぅあぐああぁぁぁっ!」
口の中を何かが横切ったかと思うと、破裂するような激痛が襲う。情けなくも悲鳴を上げる。口の中の血が尋常じゃない量に増えた。
一体なにがあったか。叫んでみて分かる。こいつ、俺の口にナイフを突っ込んで、唇の端を切り開きやがった。文字通り口が裂けて、広がっているのが分かった。
「あっはははは! 顔って神経が集中して痛いだろ。でも、お前達断罪者に邪魔された僕は、この何倍も悔しかった。分かるだろう、見てるんだろう、ギニョル」
髪をつかんで引きずり起こした俺の上体。ポケットに居たねずみにむかって、血に塗れたナイフの先端を突き付ける将軍。
ねずみの目が紫色に光る。使い魔の通信がつながったのだ。
『よすのじゃ、侠志。騎士は、断罪者じゃが、わしやそなたの兄とは関係がない。そなたが戦う理由とは』
「うるさいッ!」
ギニョルの意味深な言葉の意味は、将軍の振り抜いたナイフのストックで消された。骨を砕くかと思うほどに強烈な一撃。俺の反応を見るまもなく、さらに振りかぶる。
「我々は、誰よりも先んじて、日ノ本のために蛮族どもと戦ってきたんだ! それがお前達のせいで、崖の上の王国は乗っ取れず、橋頭保まで失って、日ノ本には敵視されて、挙句に、GSUMの走狗だ! ダークランドの怪物どもを滅ぼして、英雄にでもならなければ、報われないじゃないか!」
出血まみれの俺の顔を、何度も打ち叩く将軍。悲鳴に近いギニョルの声が頭を貫く。
『やめてくれ! 断罪者をいくら痛ぶろうとも、そなたは兄には勝てぬ! わしが欲しいなら差し出して構わぬ、じゃから、この地に戦乱の種はまくのはよせ。そなたは人間であろうが』
「黙れ。必ず君から、全てを奪ってやるんだ! 大切な断罪者を一人ずつ殺して、この地の悪魔や吸血鬼も皆殺しだ! 一人になった君は、僕に深くかしずくんだ。二度とあんなやつのことなど思い出さないようにな!」
やられ過ぎて痛みすら薄くなっている。何本の歯と骨が折れたか、分かりやしない。頭を揺さぶられたせいで、意識がぼんやりする。
将軍が俺の上体を投げ出した。霧か霞がかかったような視界の中、立ち上がった将軍のブーツの先ばかり見える。
「悪魔と吸血鬼は、全ての生き物の敵だ。ここに居るハプサアラが証明するよ。さあ、こいつの血で、ダークランドを清めるための前祝いをしようじゃないか」
鈍い聴覚が、拳銃のスライドする音を拾う。
狩り用のブーツが俺の目の前に迫ってくる。ハプサアラが銃に弾薬を装填したのだ。将軍は、ハプサアラを試すつもりだ。
平気で俺を、ギニョルの部下の下僕半を殺せたならば、ダークランドに復讐するという意志は、本物ということだろうか。
『ハプサアラ、殺すならわしでいい。だからよせ! この地は落ちる、そなたも日ノ本へ帰れる! 騎士は、そなたを理解できるやも知れぬ』
銃声。死んじまったかと思ったが、どうやら俺の意識は生きている。
長く一緒に戦ってきた、使い魔のねずみが、とうとう小さな体を弾丸の前に吹っ飛ばした。
「分かったような口を利いて……! ロンヅの娘のくせに、私に優しくしたからって、悪魔は悪魔じゃない」
言ってる場合じゃない。ハプサアラが俺の頭に銃口を当てる。
俺を殺せば断罪法違反だ。死にたくないこともあるが、ハプサアラが完全に悪魔と化していないかどうかは確かめなければ。
「やめ、ろ、戻れなくなるぞ、本当に、悪魔の仲間入りだ」
ほんの少しだけ、銃口が震えた気がした。が、そこまでだ。押し付けられた冷たい鉄の穴は、再びしっかりと固定する。
「……さよなら、断罪者さん。ここに来る前に会いたかった」
甲高い音が弾ける。せっかくできた子供の顔も見られぬまま、俺の意識は失われた。
かに思えたが。俺は再び地面に投げ出されていた。
痛覚が塊みたいになってはいるが、恐らく頭を吹っ飛ばされたわけではない。
9ミリ拳銃が転がっている。ハプサアラが撃ち抜かれた手のひらを抑えて、呆然と座り込んでいる。
狙撃されたのだ。ギニョルが使い魔で見ているということは、もう一人の断罪者、クレールの奴が来ていてもおかしくないということだ。
ぎりぎりのぎりぎりまで、粘りやがって。将軍達が泡を食って姿勢を低くし、回避に移るのを見届けて、俺は体を反転させる。
背中のM97をつかむと、もう一人、俺に89式を向けていた兵士の顔面目掛けて、トリガーを引いた。
獰猛なうなりと共に、距離1メートルで殺到する散弾。顔のない即死体が崩れるのと同時に、俺は姿勢を変えて逃げていく将軍めがけてスライドを引く。
取れる。そう思った瞬間。
「だめっ!」
止めようがなかった。立ち上がったハプサアラが銃口の前に出る。将軍のどてっぱらを狙うはずの散弾は、かばったハプサアラの腰と左腕を打ち砕き、吹き飛ばしてしまった。
「殊勝な心掛けだな!」
俺に9ミリ拳銃を向ける将軍。だがさらに、俺の背中からM1ガーランドの銃声が響く。将軍の銃も弾かれた。
頭は陰になって狙えなかったか。
将軍をかばいつつ、兵士達が後退していく。広場から森へ移ったせいか、クレールの狙撃は木々の幹を傷つけるばかりで、効果がない。
ただ、ハプサアラを木の影に引き込む俺を、銃撃する合間だけは、与えない。将軍達は大人しく引き下がっているらしい。
アドレナリンってのか。顔の痛みが警戒心に溶けている。俺もクレールの狙撃の合間を縫い、けんせいの射撃を繰り返す。
十メートル、二十メートルと、将軍達の姿が遠ざかっていく。離れるほどに、俺達の合間に横たわる木々、つまり遮蔽物の数が増えていく。
二百メートルほど離れた。かすかに連中の姿が見える程度だが、木々が射線を阻んでいる。まともに撃ち合える距離ではない。
「ない、と……私、は」
「喋るんじゃねえ。大丈夫だ、致命傷は避けてる」
それだけが幸いだった。あまり医療の設備は整っていないが、こいつも下僕なら怪我の治りなどは増強されているはずだ。
木々の合間を縫って、音もなく赤と黒のマントが翻る。M1ガーランドの長い銃身を肩にかけ、クレールが追いついてきた。
「騎士、無事か……ひどい、こんな」
「俺よりハプサアラをみてやってくれ。将軍のやつをかばって、ショットガンを浴びた。12ゲージの鉛玉が一つや二つじゃなく入ってる」
「お嬢さん、君は馬鹿なことをした」
「吸血鬼、放っておいて! こんな場所、本当は一秒だって居たくない、全部、燃えてしまえばいい……」
魔力が頭上を取り巻くと、ヒステリックな叫びが、柔らかく溶けていく。黒髪が白い頬にしだれかかっている。クレールが蝕心魔法で眠らせたのだ。
「騎士、すぐに戻ろう。このお嬢さんから、情報を得なければ」
俺の怪我は気にするほどでもないか。まあ手当てすりゃなんとかなるレベルだ。
「将軍の奴、もうこの場所に何か仕掛けてるらしいぜ」
「警戒をしっかりしよう。逃げたと見せて、僕達を狙撃するかも知れない。ギニョルとロンヅの使い魔があちこち探ってる。恐らく、半径一キロ程度は大丈夫だと思うけど」
だがたとえば、崖の上の王国で出会った、狙撃兵のコウモリほどの奴なら、この林でも俺達全員の頭をぶち抜くのも容易いだろう。
油断はできない。俺はクレールと二人、眠りこけたハプサアラを支えてゆっくりとその場を後にした。
猟犬のイニスが心配そうに、俺達の前を歩いては、血を流して気絶した主人を振り返っていた。
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