17気まぐれの成れの果て


 シェイムレスヒルへと続く森の出口で、俺は馬車を降りた。

 酒場に居た奴らは、記憶を消されている。ハプサアラ以外の奴隷や下僕は、俺の出自を知らないはずだ。そのままの方が、実情を探りやすい。


 屋敷や領地と比べると、相変わらず表情の生きているエルフや人間達。麦を刈ったり、羊を追ったり、干してある動物の皮から脂肪を削いだり。自分たちのための労働に励んでいる。


 まったく、穏やかな光景だが、ここに暮らすということは、地位のあるどんな悪魔、どんな吸血鬼からも、好きなときに、狙われるということだ。


 獲物としての自由か、被支配の下での屈服か。一度奴隷や下僕にされれば、この二つしか道がない。自らが手に入れた彼らのことを、真剣に考えている悪魔や吸血鬼がどれほど居るだろうか。


 考え込んでも仕方がない。俺は再び村の中を行き、森の入り口にあるハプサアラの小屋に着いた。

 丸太の棒を並べ立てたような簡素な小屋で、薪割りの台やら重ねた薪が並んでいる。門の前には杭が打ち込まれ、灰毛の猟犬、イニスが居るはずなのだが、綱ごと消えている。


「ああ……? 留守か」


 ドアを叩いてもうんともすんとも言わない。


 どうしたもんか、食い物でも買いに出ているのだろうか。あるいは、罠でも見に、森へ入っているのか。時間はそんなにないんだが。


 小屋の裏へ回ってみたが、薪割り台と、割られた薪が積んであるだけ。檻が三つあるが、どれも空だ。


 森の奥に進む小道があるが、迷っても面倒くさいし、どうするか。

 ぼんやりと道を見つめていると、丈の短い草の間に、見慣れない黒いものが見えた。変なキノコでもあるのかと思って、しゃがみ込む。


 黒というより灰色の塊。触ると、かさかさと崩れ、妙に温かい。


 なんとなく、臭いを嗅ぐと――。


「タバコ、か。あいつが吸うのか……いや」


 ハプサアラの部屋には、マッチやライターがなかった。それに、この灰は恐らく、アグロスの製品だ。俺の好きな銘柄とは違う、かなり濃く、甘い匂いがする。


「悪魔か吸血鬼が、本物の狩りに来たってのか」


 すなわち、アグロスの中世に居た貴族みたいに、兎やら鹿やら狐やら狼や山鳥を追っかける。いや、考えにくい。あいつらはその気分で人間やゴブリンやエルフを狩る。森番が見繕うのは、被食者に相応しい動物ではなく、人間に類する種族だ。


 となると、まだ温かいこのタバコを吸った奴は、ダークランドに住む被食者でも捕食者でもないってことになる。ハプサアラとイニスを連れて、そいつは何をしているのか。


 俺はショットガンを取り出した。バックショットが詰まっていることを確認すると、ケースから予備の弾薬も取り出し、腰のガンベルトにスラッグ弾と共に仕込む。


「ギニョル、使い魔つないどけよ。ちょいと、面白いことになるかも知れねえぜ」


 胸ポケットのねずみをなでると、答えはないが、紫色に目玉が光った。


俺は森へと歩みを進めた。


 アグロスでいう、シラカバみたいな樹木の多い森だ。樹幹は太くないうえに、葉は黄葉して落ち始めており、一見視界はいい。


 だが、似た木ばかりで、区別がつかず、道を外れれば迷うことは確かだ。


 歩きながら注意していると、道の上には、新しい靴跡が現れ始めた。底の形からして、バンギアで作れる単純なものじゃない。自衛軍の兵士に支給される軍靴のものだ。


 下僕や奴隷の中には、バンギアの人間、恐らく自衛軍の兵士も混じっている。だから、誰かの下僕や奴隷の可能性もあるのだが。


 小道に終わりが見えてきた。森が途切れているというか、広場のような場所があるらしい。俺は懐のねずみの頭をなでた。


「黙らせといてくれ。ちょっと取り込み中だ」


 使い魔の目が紫色に光るのを確認すると、俺は道をそれ、木々の間に紛れて腹ばいになって進んだ。


 乾いた落ち葉の上を少しずつ進んでいくと、会話が聞こえてくる。


 木々の下生えに身を隠しながら、様子をうかがう。


「では、手はず通り、妖雲の消滅後のことは任せましたよ」


 迷彩ズボンと迷彩ジャケット姿の眼鏡の男性が、にこやかに言った。

 周囲には四人の兵士が付き従っている。


 俺は眼をこすりかけて危うく制した。こいつは、俺の眼がイカれてなけりゃ、今はダークランドの境界付近に居るはずの、剣侠志二等陸士。


 つまり、この事態を引き起こした、“将軍”その人だ。


 何度か俺達断罪者を殺しかけてくれた、この涼しげなツラ、久しぶりに見た。


 こちらに、来ていたとは。御厨の死を暴き立てる方はどうするのかと思ったが、すでに御厨の死は暴かれ、中央即応集団は掌握したも同然だ。ララとの話も付いている以上、ダークランドでの工作の指揮を直接執っても不思議ではないか。


 さらに驚くべきことに、その将軍の呼びかけに、か細いが確かに女の声で答えた存在が居る。


「武器と訓練は、行き渡っております。ゴドウィの屋敷は制圧できましょう」


 ハプサアラだ。喋れないはずじゃなかったのか。

 いや、何て言った。ゴドウィの屋敷を制圧するだと。


 将軍はしゃがみこんで、慣れた様子で猟犬のイニスの喉をなでている。


「ギニョルは生かしておいてくださいね。まあ、もし始まれば、彼女の性格からして、断罪者と共に立ち向かって来るでしょう。兵力四千五百人の僕達に向かって」


 立ち上がると、森の向こう、恐らく、ゴドウィ家の領地をの方を見やる。


「また、目の前で信じられるもの全て壊して、今度こそものにして、僕はこの地の王となります。神国日ノ本の自衛軍の名において、あなたがた、全ての奴隷と下僕を、悪魔や吸血鬼から解放しましょう」


 将軍の歪んだ欲望。眼鏡の奥の瞳が、獣のように光っている。やはり、ギニョルには執着があるのだ。過去に何かあったのか。


 将軍が、ハプサアラを振り向く。


「ちなみに、あなたはロンヅをどうするおつもりですか?」


 俺からは、背中しか見えないハプサアラ。その小さな手が、スカートのホルスターに差された、9ミリ拳銃のストックを握る。か細いが、強い憎悪を込めた声。


「……両手足をもいで、銃の的にして、首をはねて燃やしてやる。お父さんとお母さんと、妹を、目の前で殺して実験に使ったこと、絶対に、忘れない」


 困ったように、人懐っこい微笑を浮かべる青年。あれほど穏やかな、ギニョルの父でも、悪魔は悪魔だったか。


 ハプサアラは、恐らく紛争初期にダークランドから出兵した連中に、一家丸ごと連れて来られたのだろう。そして、日ノ本からさらわれた多くの人間のように、家族を失い、悪魔の奴隷とされた。


「あははは、ロンヅは君に森番の仕事を与え、声を残して何不自由なく生きていけるようにしたのでしょう。報われませんねえ、シェイムレスヒルを作り出したのも、あのロンヅでしょう」


 かりそめながら、下僕や奴隷が自由を享受できる陽光の地。ギニョルの父が作った場所だったのか。しかも、家族は手にかけたとはいえ、ハプサアラを助けた。


 せせら笑う、声だけが答える。


「……どうせ、気まぐれ。悪魔も吸血鬼も、どっちもが、昨日まで大事にしていた下僕や奴隷に飽きて殺すのを、数えられないほど見てきた。あいつら、残らず、この世から消えればいい」


 言葉を差しはさむ余地のない、憎悪。

 ハプサアラは、森番として与えられた自由を隠れ蓑に、将軍たちと通じ、ロンヅやほかの悪魔、吸血鬼を含めたダークランドの捕食者達を根絶やしにしようとしている。


 ギニョルは見ぬけなかったのか。いや、イニスを撫で、ハプサアラと親しげに口を利いていた、あの様子。


 アグロスの全てを憎み、ハーフの子供たちを扇動して牙を剥いたイェリサを、幼馴染であったスレインが疑えなかったように。


 悪魔のくせに、法を求める俺達のお嬢さんが、父が生かした娘を疑うことなどできるはずがないのだ。


「存分におやりなさい。こういう邪魔者は、我々で排除しましょう」


 将軍が俺を見つめる。眼があったと思った瞬間、俺のこめかみに、不格好な金属の感触が押しつけられた。


 かちり、という金属音、こいつは、89式のセレクターを入れ替えた音だ。顔も上げられない。完全にやられた、兵士は将軍の周囲に居る奴らだけじゃなかった。


 M97は、背中に回してある。撃つためには立ち上がって手に持ち、引き金を引く必要がある。

 指先ひとつでも動かした瞬間に、5.56ミリが頭を貫通し、即死するであろうこの状況でだ。


 しげみが押しのけられ、しゃがみ込んだ将軍が、俺を見つめて唇を歪めた。


「おやおや、どんな出歯亀かと思えば、断罪者の丹沢騎士でしたか。早速、ギニョルの衣が一枚、剥げますね」


 何度目かになる、最悪の状況が、俺の眼前に訪れてしまった。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る