16可能性を追いかけて
吸血鬼による統合幕僚長の殺害。その向こうにあるのは、戦争どころか吸血鬼と悪魔をこの世から葬り去る陰謀だった。
だから、それを潰せば危険は去る。バンギアに敵対の意志はなく、真実を確かめられてよかったのだと思わなければならない。
問題は、陰謀を、どうすることもできないということだ。
昼を過ぎちまった。会議が終わって、俺とクレールが通されたのは来客用の部屋だった。
ユエの部屋が、たいがいだったのに比べると、ギニョルの部屋はシンプルだ。
さっきの応接間のように広いが、床は清潔。天蓋付きのベッドに、豪華な縁飾りのついた大きな窓、口から死体を吐く人間が掘られたドレッサーなども、まあ悪魔らしいといえば、らしい。
頼み込まれて衣装替えを済ませたギニョルは、ベッドに腰かけて俺達を見下ろしていた。真っ赤な髪にはブラシが入り、丁寧に結い上げられ、黒のリボンが揺れる。ドレスは同じ黒だが、コルセットで胴体を締めているせいか、見事なプロポーションがさらに際立っている。ヒールに、レースつきのストッキングも、貞淑さと妖艶さを併せ持っていた。
いつものスーツ姿や、断罪者のコートもギニョルらしいが、貴族の令嬢然としたドレス姿だと、まさに悪魔の姫君といったふうだ。
ただひとつ、その顔に、ほほ笑みなどない。厳しい目で見つめているのは、部屋の鳥かごの中身だ。
鳥かごの烏が、紫色の目を光らせている。こいつはフリスベルがよこした使い魔で、俺たちを追ってつい今しがたこの館に着いた。
島の復興中の二か月、今後のことを考え、フリスベルはギニョルから一匹の烏を譲り受け、使い魔として仕込んでいたが、それが奏功した。携帯電話も通信衛星も存在しないこのバンギアで、互いに連絡を取ることができる。
「……では、もはや、自衛軍の合流は避けられそうにない、とな?」
『はい。私達の試みは無駄でした。ララさんも一枚噛んでいるらしくて、ギニョルさんたちが出発してすぐ、エルフロック銃士隊の方が、御厨さんの死体を暴いてしまいました』
ララのやつなら、やりかねない。恐らく、将軍かGSUMとつながっているのだろう。ダークランドとポート・ノゾミが日ノ本のものになった後、いちはやく動くためだ。隊長のハイエルフこそ、一時的に俺達に協力はしたのだが。
だめもとで、たずねてみる。
「残ったみんなは、動けないんだな」
『残念ながら。ユエさんとガドゥさんと、スレインさんは、戦闘能力が知られていますから。私も、馬車に軟禁はされているんです。幸い、私についてるエルフ達は、使い魔を疑ってはいないのですが』
エルフは通常、回復以外の操身魔法を使わない。森の常識をうまく突いた。
「合流はもう、間違いないのか。日ノ本から来た自衛軍は、将軍達に、仲間を殺されたんだろう」
クレールが言うのは、ゲーツタウンでの戦闘行為だ。あれは確かに、バンギアに残った自衛軍によって、日ノ本から来た自衛軍が被害を受けた。
『そう言ったのですが、御厨さんが死んだことを隠そうとしたことを、言い立てられてしまって。狩谷一佐と比留間一佐のお二人も、監禁されてしまいました』
それじゃあ、統制が取れない。小隊長クラスが各々で判断すれば、どうなるかは火を見るより明らかだ。
『そちらはどうですか、なにか良い情報はつかめましたか?』
明るさを保とうとするフリスベルに、ギニョルは頭を振ってリボンを揺らした。
「情けないことじゃが、事は単純じゃった。マウントサースティを奪われたわしらは、返還を条件に、殺害を実行させられたのじゃ。無論、返還の約束など守られない。将軍が合流すれば、ダークランドの霧が消され、パニックになったわしら悪魔や吸血鬼は、増強された自衛軍に屠られるじゃろう。わしらに己を守る術はない。そなたもローエルフならば、わしらの性質は分かるじゃろう」
考えうる限り最悪の情報だったが、フリスベルは気丈にも明るさを崩さない。
『では、GSUMが悪いのですね。自衛軍のほとんどは、私達の方に集中しているようですし、マウントサースティさえ取り返せば、まだ勝機はあるでしょう。将軍が全体を掌握するにしても、軍隊の武装と編成には時間がかかります。ギニョルさんたちさえ……』
そこまでで、音声が突然途切れた。
『フリスベルさん、なにをなさって……悪魔の魔法を使っているのか! おい、集まれ、このローエルフ、油断できんぞ! 杖を奪え!』
使い魔が男の声を運んできた。見つかったのか。
こちらからの答えを待たず、フリスベルが言い放った。
『通信を切ります。とにかく、こちらはこちらで、軍の合流と侵攻を遅らせてみますから、どうかよろしくお願いしますね』
ララの軍勢の恐ろしさは分かっているだろうに。フリスベルは通信を切ってしまった。鳥かごの中の烏は、かあと鳴くばかりだ。
俺もクレールも、ギニョルも一言もない。フリスベルがこれほどまで献身的に励んでいるのに。
部屋の扉がノックされる。
「ギニョル様、クレール様、会議のお招きです。他家の方々がお着きになりました」
ドアの外から、フリスベルと同じ、小鳥がさざめくような声。ローエルフの下僕だろうな。
昼からは、さらに大きな権威ある会議が催される。悪魔、吸血鬼共に、さらに多くの家の当主がやってくるそうだ。社交の用事がそれぞれにあり、集まるのは相当大変だったらしいが。故郷が滅ぶかどうかの瀬戸際に、ゆうちょうなこった。
だが、ゴドウィ家令嬢のギニョルと、ヘイトリッド家当主のクレールだ。家格としても、外を知る者としても、顔を出さないわけにいかない。
「行こう、ギニョル。僕達もできるだけのことをするんだ」
「それ以外あるまいな。騎士、もうそなたに命令はない。なにか、糸口を探ってはくれまいか」
丸投げだな。しかし、吸血鬼と悪魔の問題だけに、クレールとギニョルがうまく動けないのは痛いほど分かる。
ギニョルが袖口からどくろのワッペンを取り出して、俺に手渡した。
「それを胸ポケットにつけておけば、そなたを、このゴドウィ家が守る。たとえば、わしら以下の家の誰から、この地の民を守ろうとも、自由じゃぞ」
悪魔を束ねているゴドウィ家以下というなら、実質ダークランドの悪魔全てだ。
偉そうに奴隷を痛めつける悪魔や吸血鬼の腕を、ショットガンで吹っ飛ばしても許されるのか。
いや、できるだけ穏便にはしたいが、また酒場のような光景を見たら、断罪法をこじつけて殺傷権の行使をする自信がある。
「まずいんじゃないのか、それは」
「構わぬわ。家など、どうせここ数日で、消え去る秩序じゃ」
捨て鉢だな。俺はギニョルの肩を叩いた。
「投げるなって。俺は、もう一度シェイムレスヒルに行ってみる。あそこにいる連中は、主人と考えが違うかも知れないからな」
ハプサアラは俺の記憶を消されていないはずだ。訪ねてみるか。
「頼む、騎士。わしらは、マウントサースティを占拠した連中と、こちらの戦力について情報を集め、蜂起の説得を行ってみる。こやつも持っていけ」
久しぶりに見た、ねずみの使い魔も渡された。ユエの胸元とかに潜り込んで喜んでいた奴だ。このだらしないツラ、いつも通りだな。
「ギニョル様、クレール様、どうぞいらっしゃってください。お召し替えの時間がございます。間に合わなくなっては」
「今行く! すまない、騎士。無事に終わっても、僕達が変わることは避けられないだろうが、今は言わないでおくよ」
「家ってのは、お前の誇りでもあるんだろう。まだ負けじゃねえ、気張ってこいよ」
背中を叩くと、クレールはシャツの襟を整えて、背筋を伸ばした。108歳は吸血鬼の中では子供だが。地位のせいで腐った大人なんぞより、よほど頼りになるな。
二人を見送ると、俺も部屋を出た。
とりあえず、足と、武器を確保しなければ。ロンヅたちとの会議のときに、銃を預けたきりだ。
廊下を歩いていると、ダークエルフとハイエルフのメイドが、談笑しながら歩いてくる。会議のせいか気が緩んでるな。
「なあ、ちょっと」
二人は俺を無視したまま、何事か話している。
「おい、聞こえてるだろう。無視すんじゃねえよ」
言ったものの、無視して俺をすれ違っていく。そのまま角を曲がってしまった。
そういや、俺は珍獣扱いだった。
どうしようか迷っていると、角の向こうから足音が戻ってくる。
戸惑う俺の目の前に、二人は髪を振り乱して何度も頭を下げた。
「あ、あの、さ、さきほどは失礼いたしました。わ、私達は、その、ほんの二十年ほど前からお仕えしている新人でして」
「そ、そうなのです。ですから、あなた様が証の紋を賜っておられるとは、つゆほども知らず、失礼なことをばいたしました」
証の紋ってのは、ギニョルからもらったワッペンのことか。確かに俺のコートの胸ポケットに入っている。
悪いと思うが、気分がいいな。いかんいかん、俺は頭をかいた。
「まあ、そうかしこまらねえでくれ。銃を返してほしい。後、シェイムレスヒルまで足がいるんだが、用事とかであっちに行く馬車はないかな」
「すぐご用意いたします。ハプサアラの所に、獲物を送りますので、そちらでよければ手配いたします。玄関でお待ちいただけますか」
「それでいい。ありがとよ」
「は、はい。あ、あのわたしたちの行為は」
「何もしや、しねえよ。俺だってあんたたちの同類と言えばそうだしな」
心底胸をなでおろした様子で、去っていく二人のメイド。吸血鬼のチャームと違って、悪魔は体を作り替えるだけ。とはいえ、主人の悪魔に対して、服従心が叩き込まれているのだろう。
玄関に出ると、二十人ほどの従者が一斉に俺に向かって詰めかけてきた。それどころか、立食パーティに居た悪魔やら吸血鬼やらも俺めがけて近寄ってきた。
ここまで、ワッペンのせいらしく、何々家の当主の、姉の、弟の、父の、母の、孫の、従者の……と自己紹介やら何やら、まったくひっきりなしだ。
しかも、未亡人をどうだ、長女をどうだ、ハイエルフの奴隷をどうだ、などとなんか婚姻を狙ってる奴らまで居るらしい。
月の滴で作ったような、細面で白い肌の美形ばかりで、なんかだんだん感覚がおかしくなりそうだった。
とりあえず笑顔を作りながらやり過ごして、やってきた馬車に身を任せると、俺はショットガンを抱いて丸まった。
屋敷を取り巻く林を出ると、窓の外に畑と牧草地が広がっている。
そのずっと左手奥。妖雲がひと際濃い中心に、碗をひっくり返したような、岩山がある。明らかに目立つな。
小窓を空けて、御者に話しかけた。
「あの岩山が、マウントサースティか?」
「ええ。我々の秩序を支える地です。濃い魔力のために、この地の草木すら、生えません」
あの不毛の地を、占拠されているせいで、ダークランドは存亡の危機だ。
「……あんた、ここは長いのか?」
「曾祖父から、二千年ほどおりますよ」
羽帽子に外套姿のローエルフは、こともなげにそう言った。
「じゃあ、あそこが脅かされたことは」
「まさか! ご主人様方は、生まれながらの捕食者ですよ。被食者を被食者のまま、ダークランドに入れたことはありません。私の孫の代でもそんなことは起こらぬでしょう」
笑い飛ばして、馬に鞭を入れる御者。俺は礼を言って小窓を閉じた。
誰一人、目下の危機を認識していないのだろう。
事態は、改めて深刻らしい。
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