15獲物のない戦い

 屋敷内に入った俺達は、応接間に通された。大きな窓からは外の様子が眺められる、二十畳ほどの広間。おぞましいが素晴らしく繊細な彫刻が施された長いテーブルには、ろうそくが置かれ、壁の柱と相まって不安定な照明を作り上げていた。


 向かい合うのは、断罪者である俺とクレールとギニョルに対して、人間の姿に戻ったさっきのロンヅと、二人の悪魔。いずれも金糸の縫い取りをした特別なタキシード姿から、一流の家の当主なのだろう。


 それに、あのニュミエとこちらも二人の吸血鬼だ。


 俺はともかく、クレールとギニョルがむっつりとしているのは、散々に振り回されたからだろう。一体協力するつもりがあるのか、ないのか。ダークランドの勢力は今現在どうなっていて何が起こっているのか。


 同じ悪魔と吸血鬼、そして相当の家柄を持っているというのに。

 ダークランドの事態が、断罪者になった二人をカヤの外にして進んでいたのは、間違いない。


 最悪の雰囲気だ。苦手だが俺が取り持つか。


「……口を利いても、構わねえかな」


 赤い髪ながら、下がり目でにこやかな短髪の青年、人間姿のロンヅにたずねる。


「あ、どうぞどうぞ、お構いなく」


 なんだこの気さくさは。雑談で聞いたところによると、悪魔の長という重々しい職も、皆をとりまとめる面倒さでやりたがるものが少なく、お鉢が回ってきたという。


 ニュミエは相変わらず、余裕のある微笑だ。なんだかうさんくさい。年を取った吸血鬼なんてのは、本当に食えねえな。


 ロンヅが困ったような笑みを浮かべ、俺の隣の二人に呼びかける。


「ギニョル、ヘイトリッドのご当主も、態度を和らげてくれないか。ここの全員は、あの島を知っている。断罪者の恐ろしさもね」


 ということは、俺たちの力と役割くらいは知ってくれているのだろう。異種族でありながら、引き金の重さに差がないということも。


 ギニョルとクレールは、まだ少しふてくされている。仕方ないから、俺が口を開いた。


「じゃあずばり聞くが、御厨幕僚長を殺したのは誰で、どういうわけだ」


「GSUMとの取引よ。あの男はダルフィン家のイロルド・ビー・ボルン・フォン・ダルフィン。私のいとこで、うだつの上がらない可哀想な人だった」


 冷たい言葉に、クレールが椅子を蹴って立ち上がる。


「馬鹿な! イロルドさまは、それは確かに、ニュミエ様と比べれば劣ると言わざるをえないが、だからといって、キズアトのような、スワンプの姓を持つ者と組むなどとは」


「クレール、それは今までの常識なの。いえ、ダークランドでは今も生きているけれど、みな、アグロスには興味を持っているわ。GSUMに入った若い者達を通じて、島に心を寄せる者も居て、私達とは違うまとまりが生まれているのよ」


 なるほど。全体として、島や俺たちを支持しているとはいえ、対抗派閥ができるまでになっていたのか。


 ロンヅが、まいったなとでも言いたげに頭をかいた。


「いや、そうなんですよね。我が悪魔の中でも、ガダブ家、ドネルザッブ家、グジン家みたいな、うちに次ぐ家系がなびき始めてまして。それに、先日の悪魔の会合では、かの断絶したオーロ家の娘ゾズ。島ではマロホシと言いましたっけ、あの娘の論文の引用や理論の追認が成されました」


「お父様、それはまことですか。我々悪魔は……」


 ギニョルの言葉の先を、ロンヅがよどみなく語る。


「『操身魔法の研さんでもって、神の摂理を乗っ取り、歪め、操るべし』。ええ、生きてはいるのですが、マロホシの魔法は群を抜いていまして。アグロスから採取した研究サンプルも豊富ですし、多額の資金も流れ込み、鼻毛を抜かれる者が現れているのですよ」


 よく考えたら、あいつの操身魔法は極まっている。姿どころか魔力適正まで吸血鬼のものに成り代わることができるのだ。ギニョルが立ち上がって、机を叩いた。


「誇りはないのですか! 数万年と続いてきた、このダークランドの歴史や文化を守ろうという動きは!」


 ロンヅの笑顔が、苦笑との境をうろうろしているが、答えはよどみない。


「無論、悪魔の原則は揺るがないが、足元から少しずつほころびているのが分かるんだよ。マロホシは、今までの異端者とは違う。彼らは断片的で魅力のない研究をしただけだったが、マロホシの魔法は再現性や理論において異常に優れている。それは、君の理論を先に進めて見せたことからも明らかだ」


 記憶移植は元々ギニョルのアイデアだ。悪魔の会議で認められなかった実験を行うために、ギニョルは従軍してポート・ノゾミにやって来た。


 マロホシが本来の悪魔にとって、どれほど魅力的なことをしているのか。身をもって知っているギニョルには返す言葉がないらしい。


 ニュミエが困ったように微笑みながら、続ける。


「そもそも、あの二人がGSUMで行っている神の摂理への挑戦や、弱者の支配ということこそ、私達吸血鬼と悪魔が信じて来たことの本義に近いのよ。なにかを定め、守ることより、歪め、攻めることの方が、好ましいと考える者が多いわ」


「ニュミエ様。それは、そうですが、あの島では、いえ、出会ってしまったこのバンギアの種族と、アグロスの人間達がお互いを滅ぼさないためには、法が必要なのですよ」


 クレールの必死の言葉にも、ニュミエは笑みを崩さない。可愛らしいことを言う子供、くらいにしか思っていないのだろう。


 本当の所、クレールは地獄といえるほどの苦悩を経験した。親父の代からかしずかれ、爺やと呼んではばからなかったルトランドとその娘の死は、吸血鬼の矜持を憎悪で踏み越えたことが引き金だった。


 とはいえ。俺にはギニョルとクレールの、歯切れの悪さが良く分かる。


 このバンギアでは、悪魔も吸血鬼も、人間やエルフやゴブリンに対する捕食者としての姿が本来だったのだ。興味や欲望の赴くままに、攻め込み、刈り取るのを人間やエルフが必死に防ぎ、その天秤をドラゴンピープルが時折現れて調整する。


 要するに歴史に照らして、ダークランドにおける異端者は、マロホシとキズアトじゃない。ギニョルと、クレールの方なのだ。


 家柄のいいこいつらには、ショックなのだろう。


 うつむいて黙り込んだ二人のことを思いやれる程度には、俺も一緒にやって来た。

 援護射撃とばかりに立ち上がると、三人の悪魔と三人の吸血鬼は、珍獣でも見るような目をくれる。慣れたぜ。


「で、それなら、なんで俺達の助けが必要なんだ。キズアトとマロホシと一緒に、好きに攻めりゃいいじゃねえか。テーブルズもやめだ。断罪者なんて肩ひじ張る必要もねえ、長い寿命と高い能力で、俺みたいな下僕や奴隷を増やして好きに暮らせばいいだろうが」


「それは……」


 ニュミエが言葉に詰まる。ロンヅは隣に座った悪魔達と顔を見合わせた。


「悪魔よりも意地が悪いね。君たちを頼ると言ったのを覚えてないかい? 実は、マウントサースティが占拠されてしまった。アグロスの自衛軍に、二か月前からだよ」


「本当なのですか、お父様」


「ニュミエ様、由々しき事態ですよ、それは」


 ギニョルとクレールが血相を変える。ロンヅとニュミエから、微笑みが失われてしまった。


 深刻な事態らしいが。


「……あー、俺は知らないから、説明してもらえばありがたいんだが」


 俺の問いに、クレールがため息を吐いた。


「そうだったね。騎士、血の渇きの山、マウントサースティという山の頂には、このあたりの魔力を歪めて、妖雲を発生させている遺跡があるんだ」


 昼も夜もないこの辛気臭い霧の発生源が、その山ってことか。妙だと思ったが、また古代のバンギア人どうこうって話だろう。禍神といい、本当に技術力がおかしい。


「霧のおかげで、我ら悪魔も吸血鬼も、このダークランドでは活力が増すのじゃ。もっとも、それは多分に、言い伝えであろうがな」


 ギニョルの言うことは正しいのだろう。島に居る悪魔や吸血鬼の連中は、昼眠そうにはしてやがるが、生活や仕事、悪事の都合でいくらでも起きている。魔法を使って銃を撃つのも、特に問題はない。


 大体、昼と夜があるくらいで弱るなら、あのキズアトやらマロホシやらがもっと大人しくしているはずなのだ。クレールの操身魔法、ギニョルの蝕心魔法だってあまり制限はないし。


「いや、べつにいいだろ、雲が消えるくらい。山崩れでも起こって被害がめちゃくちゃ出るとかあるのか?」


 俺の問いに、ロンヅは苦々しく唇を噛んだ。苦労がますます現れるようだ。


「いや、そんなことはない。ただの山さ……でも、やっぱり効果はないのか。うん、けれど、だからって要求は飲むしかなかった。ダークランドの霧を、信じている者達は多い」


 この領内の様子を見ていると、ロンヅの言葉はうなずける。同席している貴族達は、悪魔も吸血鬼も動揺した様子で顔を見合わせていた。


 ニュミエが吐き捨てるように言う。


「キズアトとマロホシは、要求してきたの。霧を消されたくなければ、名のある者がその身を明かしてアグロスの軍勢の大将を討ち取れ、と」


「そんなことをしたら、将軍たちに、アグロス人に攻撃の口実を与えてしまう! まだ戦争がはじまりますよ、ニュミエ様!」


 クレールの指摘に痛い所を突かれた、というより、まさに今そうなっている。苦り切った表情のまま、ニュミエはいらだちをぶつける。


「……クレール、あなたは子供よ。この地には、文化と歴史があるの。数万年という、分厚い歴史がね。ライアルは、あなたの父は強かったけれど、ヘイトリッド家はたった二代の成り上り者の域を出ない。あなたは、真の家名の重さを知らない」


 クレールにとって最も重い封じ方だった。渋面で黙り込むのが気の毒になり、俺は援護した。


「聞き捨てならねえな、いくら続いてようと、狭いこだわりで破滅してきた奴らを、断罪者はさんざん見てきたぜ。それに、銃が入ってきた。歴史も文化もぶち抜けば終わりだ」


「知っているわよ! 私も、夫と息子を殺されたから!」


 座の空気が凍り付く。俺は頭を下げるしかなかった。


「……すまない」


 特大の地雷だった。ニュミエ、全くそんな様子は見えなかったが。

 ロンヅが取り持つ。


「ギニョル、君の言う通りだったんだ。GSUMは、取引に従った僕達のことを、すでに将軍というアグロス人に知らせている。スジグ家を滅ぼし、このダークランドの領地から、幾人もの僕たちの同族や下僕、奴隷をさらって売り払った、人間の域を超えた、あの邪悪な男にだ」


 将軍はGSUMとそこまで露骨に協力していたのか。占拠は二か月前らしいが、連中はフェイロンド達によって橋頭保が壊滅したときに実行したのだろう。


 恐らく海鳴のときとは、本気で戦わなかったのだ。断罪者が島の復興と治安維持に追われている最中、これ幸いとばかりに、着々と態勢を整えてきた。


 なんのかといえば、恐らくはバンギアの制圧だ。ギニョルが指摘する。


「将軍の、侠志の狙いが読めましたな。今、アグロスからやってきた二つの軍隊が大陸にある。将軍が掌握した自衛軍と、その武装解除に向かった自衛軍です」


「知っているわ。武装解除に来た軍隊の長を、私達吸血鬼の名のある家の者が殺してしまった。言い逃れのできない方法で。その事実を叫べば、恐らくあの将軍は二つの軍を掌握できる。おぞましいことに、あんな銃を振り回す人間達は、自分たちを正義だと思っているから」


 ニュミエが頭を抱えた。クレールの視線が痛ましい。


「……つまり、こういうことか。その後は山の遺跡が壊されて、ダークランドから霧が消えて、パニックになったところに、将軍の三千と、ここに来た中央即応集団が合わさった自衛軍が押し寄せる」


 そうなったら。仮に、自衛軍がここに住む吸血鬼や悪魔達を日ノ本の法の基準で裁くというなら。殺されない者など居るのだろうか。大虐殺が起こるぞ。


 一方で、俺はシェイムレスヒルの酒場で見た光景を思い出していた。


 人間やエルフからすれば、吸血鬼と悪魔が滅ぼすべき敵ということは否定のしようがない。


 ダークランドの浄化を喜ばない人間やエルフ、ゴブリンはバンギアに一人も存在しないだろう。島のドラゴンピープルは、天秤たり得ない。捕食される側の誰が、滅び去る捕食者を助けようとするだろうか。


「ギニョル、自衛軍は恐らく、この地を第二の日ノ本にする気だ。僕たちを駆逐して」


「侠志め、そこまで……! 父様、ニュミエ様も、マウントサースティを奪還しましょう。銃器は多少なり流れ込んでおるのでしょう。ポート・ノゾミも力を貸します。ここが落ちれば日ノ本は二つの国を使って、きっと島を取り戻しにかかる」


 ギニョルの言う通りだ。ポート・ノゾミが日ノ本からの承認を受けたとはいえ、実情は、ごねにごねて奪い取ったに等しい。


 山本首相は、奪還の犠牲が大きいから、嫌々妥協し、武装解除を引き受けたのだ。将軍達との挟み撃ちをすれば、わずかな被害で島を取り戻し、バンギアに傀儡国家までできる。実行しない理由がない。


 ギニョルの呼びかけに、ロンヅは苦々しく黙り込んだ。ニュミエも口をつぐんでいるが、やがて言った。


「募兵は不可能よ。ダークランドには政府も国も存在しない。ただそれぞれの家の領地と、領地の権威を認める会議があるだけ。しかも、足並みは揃っていない」


 今度はギニョルが言葉を失う番だ。エルフ達には長老会があり、森を大方掌握していたが、こいつらにはないというのか。


「そんなんで、よくこの地が治まって来たな」


 俺のつぶやきに、クレールが答えた。


「敵が居なかったからさ。僕たち吸血鬼にとっても、ギニョル達悪魔にとっても、戦いとは、獲物の抵抗を抑圧する手段でしかなかった。生き残るために、故郷を守るために戦うなんて、考えたこともなかったのさ。禍神のときも、領土の割譲が餌だ」


 あのとき人間に力を貸して共に戦ったのは、ダークランドの領土の拡張、つまり獲物のために過ぎない。


「ギニョル、僕達が知恵を借りたかったのは、そこだ。このまま手をこまねいていれば、明後日の侵攻で、全て無になる。いや、GSUMに犬のように内通し始めている家は分からないが」


「彼らも残酷に死ぬでしょう。騙されているわよ、きっと」


 指摘したニュミエが半ば自棄になっているが、恐らくその通りだ。マロホシもキズアトも、自分たちを追いやった故郷が崩壊するのを、笑いながらながめるつもりだろう。


 ギニョルとクレールは、なにも言えない様子だった。


 当然だろう。重んじてきた全てが、情けなくも処刑を待つばかりなのだから。


 一方で、下僕や奴隷に自分たちを崇めさせながら。自分たちを脅かす敵に対して、これほどの体たらくが、バンギアの捕食者として延々と君臨してきた、吸血鬼と悪魔の真の姿なのだ。


 重々しい会議に、結論は出なかった。



 

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