14認識違い

 馬のいななきが聞こえた。車輪の動きが止まり、馬車の扉が外から開けられる。


 姿を見せたのは、燕尾服を着た男の吸血鬼と、下僕らしきハイエルフが二人だ。


「失礼いたします。クレール様はこちらで降車していただきとうございます」


 丁寧だが、有無を言わせない雰囲気だ。吸血鬼はレイピアを帯び、下僕たちは肩に吊り下げたホルスターに、リボルバーを仕込んでいる。どうも銀の弾丸らしい。


 クレールの口調は冷静だが、組んだ腕を握りしめる手が、いつも以上に白い。剣を抜けば一瞬で相手の首が飛ぶほどの怒りが渦巻いている。


「名を名乗れ。僕をヘイトリッド家の当主と知ってのことか」


「……ご容赦ください。ニュミエ様より、仰せつかりました。私の頭をお読みいただいて構いません」


 吸血鬼が蝕心魔法で操られるのは最大の屈辱らしい。それをためらいなく言い切られて、クレールは黙り込んだが、しばらくしてため息を吐いた。


「ギニョル、騎士、僕は降りるよ。ニュミエ様と、ロンヅ様には何か考えがあるらしいな」


「そうであろうな。お父様のやることが予測できた試しなど、わしにはない」


 ギニョルの歯切れが悪い。以前、三呂でマロホシやなり損ないを追っていたときみたいだ。


「しっかりしろよ。お嬢さん。あんたもクレールも、俺も断罪者だ。不正発砲や殺傷行為は断罪法違反、ダークランドは断罪法を認めてる」


 アキノ王を監獄につなぎ、結果として崖の上の王国を崩壊させたのは、俺たちに対する殺人未遂の断罪法違反だった。


 ダークランドは断罪法の存在を承認している。当主たちが断罪者の身を侵害すれば、同じ道理が適用されても、法的な意味では問題がない。


「騎士の言う通りだ。僕たちを力づくで黙らせるというなら、家の一つや二つ根絶やしになるくらいでは、済まないと思ってもらいたいね」


 何人斬るつもりだろう。クレールの赤い瞳を浴びた下僕たちが、不安げに吸血鬼を見つめる。吸血鬼の男の頬に、脂汗が流れた。


 推定、三百歳少し。堂々たる大人の男の吸血鬼は、身を固くして馬車を降りるクレールを迎えた。


「……ご案内いたします。クレール様、こちらへどうぞ」


「二人とも、後でね」


 クレールが吸血鬼達と去ると、馬車は再び進み始めた。

 すぐに会場なのだろう。銃は取り上げられている。クレールを引き離したのは、三人の中で唯一剣を使えるからだ。荒事もあるということか。


 ロンヅとかいうのと渡り合い、真実を聞き出すには、相当の覚悟が要る。


「ギニョル、またなのか」


 俺の厳しい視線に、唇を噛む。真っ赤なおくれ毛が、美しい横顔に揺れるのは魅力的だが、今欲しいのは、断罪者の長としての毅然とした態度なのだ。


「ロンヅは多分、俺やクレールより、お前を試すつもりだろう。ここまできて、親父に逆らえないなんて、言える立場じゃねえことは」


「分かっておるわ!」


 怒声が、俺の言葉を断ち切った。初めて見る、感情的になったギニョルだ。


 二百八十、いくつだったか。人間でいえば何歳だろう。


 こいつはこいつなりに、精一杯に気を張っている。断罪者の立ち上げと、テーブルズの結成について、ずいぶんと奔走して骨を折ったらしい。


 俺の知らない苦労や事情もあるだろう。


「……すまねえ。追い詰め過ぎた。駒として、俺やクレールが居るってことだよ」


「覚え置く。そなたらには特に世話になる」


 ふと弱弱しい微笑みを見せるギニョル。俺より背が高く、明らかに大人の女って雰囲気だが、どうもセクハラどころじゃない感情が沸きそうで困る。


 そういや、アグロスの人間と悪魔でも、子供ができるんだったか。

 俺は、不埒な考えを必死に打ち消した。


「おい、よせよ。ユエには子供ができるんだ。それに上司となんて」


「この馬鹿者。誰がそこまで言うておるか。おぬしら二人は、まあ相応に良い男であろうが、わしの好みでもないわ」


 久しぶりに、げんこつをもらって頭を抑えた。だがいつも通りだ。これで大丈夫だろうか。


 しかし、好みじゃねえか。女性からそう言われるのは初めてかも知れない。

 改めて聞くと、わりとショックだな。それなりにモテる方だと思ってたのだが。


 馬車の窓が、ぼんやりと明るくなってきた。人のざわめきが聞こえる。会場が近づいているのだろう。馬鹿なことを言ってる場合じゃない。


 広い中庭には、石畳が敷かれており、車輪の音が変わった。馬はいななくことなくスピードを落とし、馬車はゆったりと停車した。


 外から扉が開けられる。暗くて様子がよく分からない。先に降りようとしたギニョルを制して、俺が一歩を踏み出したまさにその時だった。


「っ、なにをしやが、うぅ……っ」


 四方八方から、黒い輪のようなものが押し付けられ、あっという間に石畳に抑え込まれた。

 手、足、胴体が抑えつけられ、辛うじて顔を上げると、赤紫色の妖雲の中に、怪しい灯りが浮かび上がる。歪んだ日光と、おぼろげな灯りに照らされて、周囲の様子が分かってきた。


 馬車は真っ赤な水の流れる噴水の前に停まっている。四階建てで、レンガ積みの壁に黒いつたが張った屋敷は、ロンヅとギニョルの家、つまりゴドウィ領の領主の館だろう。


 さすまたのようなもので、俺を抑えつけているのは、黒い革鎧を身につけ、口元を同じ色の布で覆ったハイエルフやダークエルフ、バンギアの人間だ。隣の檻には、酒場を襲ったのと同じ、手足の代わりに虫や蛙の手足をつけられたゴブリン達が暴れている。


「まあ、珍しいはぐれ。下僕半なのね」


「言葉をしゃべっていますよ」


「どれほどの実験に耐えるのだろうか」


「我々吸血鬼も殺していると聞きます。血はどういう味がするのか」

 

「いい魔力の歪みだ。断絶したオーロ家の小娘、やはり天才というものか……」


 口々に勝手な言葉を振らせてくるのは、ざっと数十人は居る、悪魔や吸血鬼たちだった。どいつも毛艶のいいカクテルドレスやタキシードで着飾り、ドクロやこうもり、ねずみ、蛾、むかで、うじむしなどを象ったおぞましいブローチを身に付けている。黒い芝生の上にはテーブル、その上に黒のテーブルクロスが飾られ、ダークランドの料理やグラス入りの酒が並んでいる。


 今まさに、ダークランド式、立食パーティの最中。俺は歓迎されないどころか、主人に逆らった奇妙なはぐれとして、捕縛されてしまったらしい。


「おい、こりゃどういうことだ! ロンヅはどこに」


 ひた、と頬に冷たい感触。半円状の刃をした、十センチぐらいのナイフが頬に付けられる。こいつは、拷問に特化したハルパーと呼ばれる刃の一種だ。円の内側に刃がついていて、囲んで引き切る様にして切り取りたい部分を切り取る。


 つまり大マジだ。氷の様な表情をしたハイエルフの奴隷が、俺に囁きかけた。


「主の許しなくわめくな。舌を切り取られたいか」


 こいつは、交渉の余地が一切ない。しゃべれなくなったら、ことだ。黙ってうなずくしかなかった。


 群衆とテーブルは馬車と俺を囲むように配置されている。俺たちから見て群衆の一番奥、屋敷の近くで、紫色の魔力が渦巻いている。


 操身魔法だろう。悪魔達は人間と似た姿以外に、操身魔法を駆使した怪物としての本来の姿を作り上げるのだ。ギニョルは瘴気を吐く山羊顔の悪魔姿となることがある。


 繭がほどけるように、魔力が拡散していく。後に現れたものに、俺は目を見張った。濃いもやのような瘴気が、頭上を埋め尽くす中心に、それは立ち上がる。


『よく帰った、我が娘よ』


 最初はドラゴンピープルかと思った。それほどにでかいのだ。曲がりくねった角は、一メートル。それを除いても四メートル近い。


 テーブルの料理など、ひとつかみで平らげそうだ。


 黒々とした毛並みをした、立派な雄山羊。しかもその隣にはコブラのような蛇の顔が並んでいる。群衆が割れたせいで分かったが、あれは尾だ。この悪魔の尾は、何匹もの毒蛇になって分かれている。さらに、こうもりの翼まで持つ、巨大な姿。


 疫病の化身でも呼び出しそうな、おぞましい姿のこいつが――。


『どうした。出てきなさい、手を取られる年でもないだろう』


 ずしん、とひづめで石畳を鳴らして、群衆の作った道を進んでくる。這いつくばった俺には、その大きさはもはや恐怖だ。


 どくろの杖を突き、馬車を見下ろす山羊の瞳。


 ロンヅ・オド・ゴドウィ。ギニョルの父親にして、ゴドウィ領の領主。ダークランドの悪魔に名だたる大悪魔だ。


「お父様、これはなんの真似です」


 馬車から出て来たギニョルは、悪魔の姿を取らなかった。真っ赤な髪に紫のローブ、こめかみの二本の角。俺たちに馴染みのある方の姿で、巨大な悪魔と対峙している。


 ロンヅは頭を抑えて、宙を見た。


『ああ、これはしまった。お前の下僕を勝手に拘束してはならなかったな。親子とはいえ、主従に割り込むことはならない』


 俺の拘束が無言で離れる。相当強く抑えつけてやがったな。


 立ち上がると余計分かるが、囲んでやがる悪魔や吸血鬼の目は、珍獣を眺める動物園の客そのものだった。居心地が悪い。


『賭けはお前の勝ちだ。命令とはいえ、平然と悪魔を撃つ下僕など、絶えてなかった。アグロスの変化が大きいことは、分かっていただけただろうか。我が娘の協力を仰ぐことに、反対する方がおられるだろうか!』


 ロンヅが杖をかかげてそう言うと、群衆は賛同の拍手を送った。

 なるほど、俺が悪魔を撃つ様を、使い魔を通じてこの群衆は見ていたわけだ。悪魔や吸血鬼たちに、島での変化を叩き込むってのが、このロンヅの考えだからな。


 だが多くの悪魔や吸血鬼たちにとって、俺ははぐれの下僕半だ。給仕や警護以外では、こんなパーティの場に出られる身分ではない。それもあって、拘束されたのを、主人のギニョルに配慮して解放したってアピールが必要なわけだ。


 クレールを引き離したのは、俺の拘束を邪魔しないためだろう。あいつなら、ここまで露骨に俺をただの下僕扱いされて、黙っているとは思えない。その場合、話がややこしくなるだけだ。


 しかし、本当に別の生き物のようにしか認識されないのか。まあ予想はついていたが。とにかく、話がまとまりそうでよかった。


 拍手と喝さいの中、俺は俺を拘束してきた下僕たちと去ろうとしたが、ギニョルが言った。


「待て、騎士。お父様、よろしいでしょうか」


『なんだ』


「ここに居る男は、丹沢騎士という、れっきとした名を持った人間です。そして、日ノ本から独立したポート・ノゾミの法秩序を守る断罪者でもある。我らの基準で言えば、領土の間の調停官を任された悪魔や吸血鬼のようなものだ」


『続けてくれたまえ』


「同じ断罪者の上司として、私がその身をあづかってはおりますが、彼は彼として自ら考え、行動する権限と能力を持っています。有無を言わさず拘束し、足蹴にしたことの非は、後日、必ず償還いただきますので」


 怒りのこもった視線に、ロンヅはしばらく押し黙っていた。ただの人間の女にも見える今のギニョルが、巨体のロンヅから言葉を奪う光景は、見ていて胸の空く思いだが。


 立ち止まっている俺たちに、群衆が不審がっている。今は、ちょっと冷静になるべきときか。俺はそっとロンヅのすねに生えた黒い毛を引っ張った。


「親父さん、親父さん」


『なんだ』


 ぎろ、と頭の上からにらみすえられ、震えが来そうだ。


「一旦締めてくれ、あんたの娘の勇気は嬉しいが、多分こいつら聞かないんだろう」


「騎士、お前」


 ギニョルが初めて、しまった、という表情をした。熱くなり過ぎたのに気づいたか。ロンヅは俺を見降ろしていたが、再び杖を振り上げた。


『ではしばしご歓談を願おう。私は悪魔の長ロンヅ・オド・ゴドウィの名をもって、我らの危機について、利用すべきもの達を言い包めて見せようではないか』


 盛大な拍手と歓声が沸き上がる。

 俺が胸をなでおろしていると、ロンヅの毛むくじゃらの手が乱暴に頭をなでた。


『娘はいい部下に恵まれたな』


 ぼそっと言ってから、翼をはためかせて飛び立つ。屋敷の方へ向かう。


 俺とギニョルは、今度こそ下僕たちの案内に従い、悪魔や吸血鬼の間を縫って屋敷の中へと入った。

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