15眼前の悪夢
選挙は大人にとって最大の祭りだという。
候補者は普段から持っているあらゆるつてを頼り、道行く人に一人でも多く顔を覚えてもらうため、街頭に立つ。
選挙カーは大音量で名前を叫び続け、無味乾燥な写真と名簿の片隅から選ばれる可能性に賭けて走り回る。
なるほど、歴史や文化的な意味を除けば、だいの大人が精力を傾けて街中で騒ぎ立てることなんていうのは、選挙のほかには祭り程度だろう。
バンギアとアグロスが交わる以前、俺が住んでいたポート・ノゾミは、それほど騒がせられなかった気がする。というのも、人工島は候補者にとってそれほど魅力的ではない。
隣のアイランド・サンロは商業施設の誘致などで人口二万人を超えていたが、ポート・ノゾミの元の人口はたった一万人足らず。
単純に有権者数の問題だ。三呂の人口約百五十万のうち一万人足らずしか住んでいない場所に、限られた選挙日程を割いて足を運ぶなんて、非効率に過ぎる。
候補者が来ないということは、必然ポート・ノゾミが三呂や国、県に占める扱いは軽くなる。
そんな状況を思えば、日ノ本から独立した今は幸福なのかも知れない。
昼前のポート・キャンプ。停車したハイエースの屋根から、俺は辺りを見渡した。
第三期埋め立てによって作られた広大な人工島は、元三呂空港の敷地であり、かなりの広さにわたる空き地だった。バンギアとまじりあった今は、そこに付け込んだ新たな島の住人たちが適当な建材でテントやらバラックやら樹木の家を作り上げて勝手に住み着いている。
そんな者達があらゆる角度から会場を取り囲んでいる様は、滑稽を通り越して異常だった。一体何万人がこの討論会の群衆なのだろう。
ドラゴンピープルにしがみついて、会場をのぞきこんでいる数人のゴブリン。
家に使っていた樹木を現象魔法で成長させ、葉っぱの上に腰かけてこちらを見つめるエルフの集団。
いかにも自分はいい家柄だと言いたげに、高級な日傘を下僕に差させてその下にたたずむ吸血鬼と悪魔。
さらに混沌が分かりやすいのは、アグロス側のテレビ局や新聞記者らしいスーツ姿の人間たちまで混じっていることだ。独立を果たしたこのポート・ノゾミは日ノ本にとって歴史上初めての陸路でつながった外国。関心が高まるのも分かる。
島が初めて経験する選挙に、ボルテージは嫌が応でも上がっている。
盛況なのは結構だが、もしここに候補者をどうこうしようなんて奴が居た場合、果たして守り切れるのだろうか。
「お疲れ、騎士くん」
「うおっ!?」
ひやりとした感触に思わず身をよじる。ユエが頬に押し付けてきたのはペットボトル入りの冷えたスポーツ飲料。三呂に買い物に行ける今は、手の届く価格になった。それでも、500ミリリットルが300イェンするが。
「ぼーっとしすぎだよ。いくら選挙期間に騒いだ奴らが軽かったからって」
「すまん、大きい演説会はこれで最後だったな」
「そうそう。まさかと思ったけど、ザベルさんがこんなに行くなんてね」
ユエは俺の隣に座ると演台をながめた。
抜けるような青空の下、ポート・キャンプに作られた仮設の演台。地上一メートルほどの木製で幅は五メートル、長さは二十メートル近い。設営には半日かかった。
候補者と数人の付き添いがそれぞれの席に着き、演説の順番を待っている。
左から頬に傷のある吸血鬼の男、キズアトことミーナス・スワンプ。付き添いは着飾った女達、まだ残っているハーレムズだ。
こめかみから角の突き出た女悪魔、マロホシことゾズ・オーロ。付き添いは病院で働く看護師や医師、いずれも操身魔法でやられた男性ばかり。
そしてスーツ姿も似合う褐色の肌のダークエルフは、俺の師匠で前述の二人を脅かすほどの候補者にのし上がったザベル。付き添いは妻である祐樹先輩と、店で育てている子供たち。メリゴンの大統領家族ばりに、きちんとめかし込んでいる。
シクル・クナイブが海鳴のときを仕掛けた事件で、ザベルは島の住人をまとめて怪物たちと戦った。そのときのこともあり、食堂の仕事では直接かかわりのなかった住人も好意的な感情を持っていたらしい。
残り三人は、男のゴブリンと女の吸血鬼、そして縁台の背後に立つドラゴンピープル。それぞれ会社の従業員、傘下の店のオーナーたち、若いドラゴンピープルを連れている。
これが現在出馬中の候補者。ザベルはこの中で事前の予想二位につけている。一位のキズアトにこそ引き離されているが、僅差とはいえマロホシを抜いているのだ。
ちなみに本来十人だった候補者だが、来ていない四人は断罪法違反や急きょ編さんした選挙法の違反で候補者の資格をはく奪された。
ザベルに対する暗殺未遂のほかに、わいろや武器の購入、ホープレス・ストリートのチンピラまがいの奴らに演説を妨害させるなど、せこい罪を犯したのだ。
油断は禁物だが、ユエが軽かったと言ったのは、間違いない。
キズアト達に媚びを売るために出馬したらしいが、さらにゴマを擦ろうと余計なことをやった結果だった。
「あの三人、まだしっぽを出してないの?」
「みたいだな。ギニョルも必死に探してくれてるんだけどな」
他方で、ここまで残ったゴブリンと女吸血鬼とドラゴンピープルは、なかなか証拠をつかませない。
ザベルの陣営に対する嫌がらせは断罪できた数件だけではなかったのだ。ビラを配る子供たちが連れ去られそうになったり、店が麻薬の取引に使われているという噂が流れたり、夜中に大きな岩が店の周りに落ちてきたり。陰湿でまわりくどい妨害が解決していない。
ゴブリンは会社の奴らを、女吸血鬼はホテルの人脈を、ドラゴンピープルは傘下の若い奴らを使っているらしいというところまでは、つかめているのだが。
「クレール君と、フリスベルと、ガドゥと、スレインか……」
ショッピングモールの客層について討論を繰り広げる候補者を見つめ、ぼんやりとユエがつぶやく。
俺は黙ったまま内心でうなずく。
あの四人が居てくれさえしたら。
クレールなしじゃ記憶を辿れないし、フリスベルが居なければ魔法の種類も分からず、ガドゥが居なけりゃどんな魔道具が使われたかもはっきりしない。
スレインかドーリグが居れば、そもそもあんな青白いドラゴンピープルが同種の若者を丸め込むことはなかっただろう。
「手が足りねえよな。捜査ができれば、あの中から三人引きずり下ろせるんだが」
そうすれば、残りの候補者は三人。選挙は単なる信任投票になる。馬鹿げた選挙を煽ってやらせたのはキズアトだから、不正まみれの選挙を進めたことを糾弾して形勢逆転だってありうる。
そんな事態は起こりそうにない。討論会はつつがなく進んでいく。
「ないものねだりなんだよね。なんかドンパチで済んでたころが懐かしい気がする」
ユエはホルスターに手を入れ、近頃は射撃場以外で抜いていないSAAのストックをなぞる。
死の女神ばりの正確で迅速なファニングショットがあっても、標的と大義名分が見つからなければ持ち腐れだ。
この数週間、断罪者は要人の警護と、今までと比べて大したことのない犯罪の摘発という、アグロスの警察と変わらないことをやっている。
全員そろっていた頃は、今日明日にもキズアトとマロホシに挑むかという所まで迫っていたはずなのだが。
「……まあ、せいぜいしっかり見てようぜ。GSUMがザベルを見逃すがずはないからな」
連中は本当に邪魔だと思ったら、絶対に相手を放っておかない。泡沫候補とまでささやかれていたのが、今やハイエルフやローエルフだけでなく島全体の支持まで集め始めているザベルの存在は目障りなはずなのだ。
そして、この討論会の後は、四日後の投票を控えるだけ。
公衆の面前でザベルの殺害をさらしものにする最大で最後の機会だ。キズアトとマロホシのいずれも、ここを逃すはずはない。
討論会はつつがなく進んだ。途中でギニョルも合流し、群衆の中にはザルアの率いる元崖の上の王国の騎士達や、ワジグルの率いるハイエルフも紛れ込んで目を光らせるようになった。
開始時点より暗殺はやりにくくなっているはずなのだが。
ユエが腕時計を見つめた。
「もう終わっちゃいそうだね、騎士くん」
「昼までだからな」
陽はだいぶ高くなった。キズアト達は本当にここで決着をつけるつもりなのだろうか。
予想できる第一の方法は、群衆の間から小さな銃でひそかに射撃することだ。会場は野外だし、人が多すぎて公会のようにいちいち凶器のチェックは難しい。いくらザベルでも、フリスベルが持っていたベスト・ポケットのような小さな銃で狙われては、ひとたまりもない。
第二は魔法によるものだが、これはザベル自身がダークエルフで魔力を読めるから不審な気配があれば気が付く。感知範囲や精度に個人差はあるが、人を殺すほどの現象魔法のきざしは簡単に分かるという。
こちらの対策だが、一番目は群衆に紛れ込んだ騎士団やエルフ達、ギニョルほか味方の悪魔の使い魔が要所を見張っている。人が多いということは、相手の刺客もこちらの使い魔や紛れ込んだ監視に気づきにくいということだ。小さくとも銃を出すそぶりでもあれば即座に妨害、確保ができる。
魔法だって、ザベルより感知に長けたエルフ達が入り込んでいるから、盤石と考えていい。
大穴は、たとえばマロホシが感知できない蝕心魔法によって壇上の誰かか、聴衆の最前列に紛れて機会をうかがっているくらいだろう。
しかしこの手段も、仮に成功したとして俺たちの断罪を受ける。銃弾や剣でぼろ屑になって死ぬだろう。部下を仕込んで協力させ、この場を逃げおおせたとしても、衆人環視下での罪で、せっかく取り付けた島の住人の支持をどぶに捨てることになる。
ここまで選挙だ法律だと合法的な面をひっさげてやってきて、たかがザベルのためにそんな真似をする馬鹿でもないだろう。
となると、手詰まりってことになるのか。あの二人が。
「手を出さないって、ことなのかね」
「そんなはずはない。ザベルの立候補も、ここまでの人気も、あ奴らにとって計算外のはずじゃ」
断罪者としては、ギニョルの見方を崩してはいけないのだろう。
だがユエが首をひねる。
「じゃあまだ方法があるってこと。狙撃っていっても、こっちの島のビルは全部調べたし建物の中は閉鎖してあるよ。北のポート・ノゾミの方は、ここが狙撃できる一番近いところで三キロくらい離れてるし」
その通りなのだ。精一杯狙ったとしても、クレールほどの狙撃手が対物ライフルでも使ってやっと命中させられるかどうかというところだ。
迫撃砲なんかを使えば会場の攻撃も可能だろうが、キズアトとマロホシを巻き込んで殺していては意味がない。どれだけ消したい相手でも、自分たちを犠牲にするようなことは絶対にない。
俺は立ち上がり、もう一度見渡した。種族ごった煮の雑多な群衆。人の津波の中にテントやドラゴンピープルの巨体がところどころ突き出している。ただそれだけの光景がどこまでも続いている。
そう思ったら、プロペラのついた小さな塊がところどころに浮かんでいるのに気づいた。
「なんか飛んでるな」
「ああ、それはドローンじゃな。アグロスのテレビや新聞が飛ばしておる。撮影用だそうじゃ。全てチェックして人を害する能力がないことは証明済みじゃ」
「ドローン飛ばすって警護資料にあったよ。しっかりしてよ騎士くん……」
ユエに呆れられるのはつらい。なるほど、確認できる限りで二十台ほどが頭上を漂っている。あれでの空撮は日ノ本に限らずアグロスだと常識らしい。軍用のものもあるようだが、そんなものは目立つうえそもそも入ってこない。気にしないでいいだろう。
「おい、あれ、本当にドローンなのか」
俺から見て南東の方角、演台からは正面右に少しずれた位置に浮いている黒いドローン。よく見えないが形が違う。プロペラがないし、翼みたいなものがついている。
指をさすとユエが血相を変えた。
「騎士くん、演台に走って! あれは遠くで飛んでるドラゴンピープルだよ! 千メートルよりもっと向こう!」
それ以上聞く必要はない。狙撃用スコープでもなければまともに演台が見られない位置で浮遊するなど、狙撃犯以外のなんだというのか。
「……海上の見張りと使い魔がつながらぬ。ほんの数分前にやられたな!」
俺とユエが群衆の中に飛び降りるのと、演台の警護にギニョルが呼び掛けるのは同時だった。
『狙撃手確認、演台正面から一時方向!』
群衆をかき分けながら演台に走る俺たちの前で、ザルアとワジグルの部下が演台に上がった。
「一体何事だ! お前達テーブルズの部下だな、選挙の妨害をする気か!」
ドラゴンピープルがいきりたって三人の騎士を抑え込む。スレインより体格に劣るとはいえ、剣も銃も取り出すいとまもない。
狙撃をアシストする気か。まだ群衆にも候補者にも事態は伝わっていない。こいつの言った通り、現テーブルズの者達が選挙妨害をしたようにも見える。
一斉にヤジが起こる。群衆の叫びは怒涛となってあちこち埋め尽くしていく。まずいぞ、互いの声がかき消される。
ザベルは子供たちと祐樹先輩をかばい、演台から降ろそうとしている。俺はなんとかユエと共に台上に駆け上がった。
「狙撃犯が居るんだ! 警護に来たんだよ!」
叫んでも、M97のスライドを引いても、台上は騒然とするばかり。ドラゴンピープルがあからさまに俺を見下す。立ちはだかって進めない。手を出すわけにはいかないし、撃った所でただの銃は効かない。
よく見ればザベル以外の候補者と取り巻きは、恐怖しているふりをしながらどこか落ち着いた雰囲気がある。
ドラゴンピープル以外も恐慌状態を装って壇上に現れたハイエルフや人間を妨害しているらしい。
こいつら、全員ぐるか。
ザベルは子供たちと妻を優先している。本人は狙撃犯に背を向けている状態だ。
思った瞬間、俺を見下ろすドラゴンピープルの目から瞳が消える。
いや、片目が吹き飛んだ。頭を撃ち抜かれている。目玉から頭部を大口径の弾丸でやられた。いくらドラゴンピープルでも即死。
なぜだ。なぜ味方を。
巨体がぐらりとよろめき、演台上に大きく倒れる。全員の注目が死に果てた巨躯に集中する。
誰もが凍り付いたように死体を見つめる中、キズアトとマロホシだけが口元に薄ら笑いを浮かべる。――これは囮だ。
俺はショットガンを放り出すと、ドラゴンピープルの死体を踏んづけ走る。ユエも続く。目標はザベルただ一人。
一歩、二歩目で跳ぶ。飛びついて姿勢を低くさせれば。
指先が届く、勢いで倒せばいい。ユエも居る。きっと間に合う。
はるか遠方で何かが轟く音。
ザベルの左肩と胸が炸裂する。
何も知らぬ証拠を消すことで、全員の注意を引き付ける。
生まれたわずかな一瞬の隙でターゲットの狙撃を遂行する。
あまりに鋭く邪悪な策が、俺の師の命を眼前でむしりとっていった。
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