20純然たる悪魔

 マロホシは、少し遠い位置にいるのだろうか。声を張っているから、車の中まで音が聞こえる。


「初めまして、瀬名勝機さん。あなたの病院を使わせてもらっているマロホシと申しますわ。ドマの使い心地はいかがです」


 この言い方からすると、やはりドマは瀬名に違いない。マロホシはこうなることを分かって、記憶移植を施したのだ。


「あんた、同じ悪魔じゃないのか」


「種族上はそうですね。家柄も私よりいいのでしたっけ。でも能力は、私とは比べ物にならないほど低い。そういう者は、最大限役立てられるべきでしょう?」


「……悪魔だな、あんた」


「その通りですわ。バンギアでもアグロスでも、悪しき魔と呼ばれるくらいですもの」


 妙な実感のある声だ。なるほど、マロホシほど純粋な悪魔はいない。俺にやったことに加えて、確認できる限りで四十件以上の断罪法違反、あげく自らの好奇心のために、同族でさえ騙して実験台にしている。まさにエゴの塊だ。


「ところで、奥さんと娘さん、私の言った通り元気になさってますね」


「信じられないが、縁故のある人間を殺して食わせれば安定する。この悪魔の知識と記憶では、これ以上の方法は分からないんだ。俺を封じて、二人を成り損ないにするまでは、できていたというのに」


 俺が疑問に思った部分だ。ドマが瀬名になったというなら、なぜ二人を成り損ないにする必要があったのだろう。

 答えは簡単で、ドマは瀬名の記憶に人格が消されることを覚悟した。せめてもの復讐に、瀬名の愛した二人の家族をなり損ないにしてしまったのだ。


「あなたの中で甦ったという、ドマの仕業ですわね。こちらの計画では、ドマの体をしたあなたを、GSUMに迎えることになっていたのに。余計なことをしてくれた。なり損ないと一緒でないと、私達への協力はできないのでしたね」


「……本当は協力自体を断りたい。だがあんたらは、殺した奴らの倍くらいは人を助けているんだろう。二人を生かしてくれるなら、島で働いてやる。悪魔の基準じゃ大したこともないんだろうが、もう人を殺し過ぎた身だ」


「まあそう悲観なさらないで。あなたは優れています。小さな魚が大きな魚に食べられるのは必然です。それにこちらには、あなたが断ったときの準備もあるのですよ」


 銃を構える音がした。やはり下僕がいやがるらしい。

 使い魔で見守るギニョルが、声を潜める。


「下僕ばかり、五人ほどおるぞ。工場側を零時として、一時から二時方向に二人。十時から十一時方向に三人じゃ。距離は二十から三十メートル。二人はフォークリフトの影、三人はコンテナを盾にしておる」


 警戒ばっちりか。相手の位置は大体予測通りだ。となると、打ち合わせ通りにいけるだろう。後はぎりぎりまで情報を探ればいい。


 マロホシの声が、威圧的に響く。


「ドマの記憶にあるでしょう。日ノ本の映画にも出てくるようだから、あなたも知っているかも知れませんね。この銃はイングラムMAC10です。弾倉に32発の9ミリルガー弾を詰め込み、フルオートなら二秒足らずで全て発射します。もちろん、ひとつ残らず銀製の弾頭ですよ。三呂大橋では、とても痛かったでしょう?」


 銀の弾丸が32発×5で160発。それだけ撃てば、M10の狙いや集弾率が悪かろうと、悪魔ドマの体をした瀬名は、ひとたまりもない。成り損ないであり、銀の弾丸が効果を上げる陽美と更紗もまた、同じだ。


「あんたに従うしかないってわけか」


「ええ。私達悪魔が欲するものは、必ず手に入ることになっているのです」


 ギニョルが黙って唇を噛んだ。長い寿命と高い魔法の能力、他種族も同族も全て自分の好奇心を満たす手段と割り切る態度、それが悪魔であり、ギニョルもその悪魔なのだ。


「何をすればいいんだ」


「三呂市の東区にある、鵜羽うば高校をご存知ですね? 更紗さんが国語教師をなさり、陽美さんが通っていらっしゃる学校ですよ」


「それが、どうした」


「その高校で、ちょうど今から三十分後、午前十時十分の二時限目から、陽美さんの通ってらっしゃった一年一組と、更紗さんが担任をなさっていた一年二組が校庭で体育の授業を行います。明るい更紗先生と、少し悪ぶった陽美さんを、強く覚えている生徒さんがたくさんいらっしゃるでしょう」


 まさか。ぼごん、と前方で音が響いた。興奮した更紗と陽美が、暴れているのだろう。


「よせ更紗、陽美! 大人しくしててくれ、すぐに食わせてやる……」


「そういうことです。社交的だったお二人には、六十人くらい、よく見知った当たりが居るでしょう。それだけ食べればいくら不安定な成り損ないでも、確実に数年は生き長らえます。その間に、研究を進めて元に戻しましょう」


 クレールが拳を床に叩きつけた。犬歯を剥きだし、怒りの表情を隠せていない。梨亜に至っては、あまりの残虐さに青ざめている。


 俺も黙って唇を噛んだ。間違いなく本物の悪魔だ、マロホシは。


「……更紗は、自分の生徒を愛していたんだ。陽美も、友達を大事にしていた。同級生の中には、私が小さいころから知っている子も居るだろう。いや、知っている知らないじゃない。なによりその子たちは、なにもしていないじゃないか」


「そうでしょうね。でも食べなければお腹が減って死んでしまいますよ。銀の弾丸で撃たれても死にます。そういうときは食べればいいし、死を免れようとするのが当たり前ですよね。それが、健全な生き物というものですから」


 その六十人が、一体何をしたっていうんだ。マロホシには、そんな論法一切通じないことは分かっている。だが、だがそんなこと、許されるわけがない。


 その虐殺で、瀬名は戻れなくなるだろう。更紗と陽美が成り損ないを脱したとしても、犯した罪には耐えられないに違いない。


 そこまでが、この悪魔マロホシの狙いなのだ。


 ぼご、と車の外装を叩く音がした。


「悪魔めッ! 悪魔、あく、ま……っ!」


 からん、という乾いた音。瀬名が銃を落としてしまった。何も見なくたって、崩れ落ちる瀬名の姿が浮かんでくる。


 少女のように無邪気な哄笑が、車の中まで響き渡る。


「あっははははは! あなたもですよ。我がGSUMの同士、瀬名勝機。ようこそ悪魔の世界へ。歓迎いたしますわ」


 人の形を取りながら、ここまで残酷になれるのか。


 真の怪物は、マロホシだ。成り損ないにされてしまい、友人や縁のある人間を食らってしまった更紗や陽美などよりも。


 梨亜が一筋、涙をこぼした。ギニョルは耐えるように押し黙っている。


 ここが、潮時じゃないのか。俺は顔を上げ、運転席のギニョルを見つめた。


 目を伏せて唇を一文字に結んでいたが、絞り出すように一言、口を動かす。


「……今じゃ」


 いくつもの銃声が、四方から一斉に響いた。


 潜ませていた紅村達、特殊急襲部隊による狙撃だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る