19狙撃手、坂下燈子

 如月がいきなり上半身に力を込めた。ひっくり返った俺の手から、兵士がショットガンを蹴飛ばした。


 如月は無言のまま、同じように俺の腹を蹴る。サッカーボールを蹴るかのように、乱雑に何度も、何度も。


 血みどろになった俺が、せき込むのも苦しくなったあたりで、兵士が両腕を取って引きずり上げた。


 どういうつかまれかたをされているのか、両ひじの関節がみしみしと鳴る。

 製図机に腰をかけながら、如月が右腕の傷に手当てを受けている。


「形勢逆転だな。後十分もすれば、爆風でノイキンドゥが洗濯できるまで近づく」


 船底にある2.8トンのプラスチック爆弾が、十分に効果を発揮する距離か。

 もう一人の兵士が、89式の銃床で俺を殴り、腹を膝で蹴り上げた。思わず体が傾くと、今度は力の抜けた腹にボディブロウを入れられる。


 つばと胃液が込み上げ、反射的に涙も出てくる。撃たれたり、枝を植え付けられたり、今まで色々と痛めつけられたが、シンプルに殴られるのも効果的なものだ。


 言ってる場合じゃない。兵士が髪の毛をつかみあげ、俺の顔を如月へ向ける。

 麻酔でも打たれたのか、ゆうゆうとした調子で、吹っ飛んだ手に包帯を巻かれている如月。そのまま悠然と俺に話しかける。


「苦しいか。両手を踏み砕いておいてもいいが、逃げ出せる希望を残しておいた方が、より悔しくなるだろう。お前のような半端者が、国に尽くして死ねるのだ。感謝しろ丹沢騎士」


 勝ち誇ってやがる。これから死ぬってのに。こいつらに、死は名誉だが。


 バラバラと大きなローターの音が聞こえる。兵士の一人が左舷側の窓を確認して如月に伝える。


「坂下燈子、帰投しました」


 その声に合わせるように、プロペラの音が近づく。如月の視線を追うと、甲板上にロープが垂らされ、迷彩服の何者かが降下してくる。


 一分と経たず、そいつは部屋へと入ってきた。


 狙撃用のゴーグルと、ヘルメットをかぶった、背の高い兵士だった。自衛軍の迷彩服にジャケット、如月と同じで白地に赤丸の日ノ本国旗を示す鉢巻をしている。


 背中には、89式とは違った形のライフルを背負っている。いわゆる対物ライフルバレットM82だろう。大口径の弾丸を撃った際に出る、熱風を逃すために、銃口先端が膨らんでいるのが特徴的だ。

 あれは確か本体だけで13キロくらいの重さがあったのだが、よくもまあ、背負って行動できたものだ。


「おお戻ったか、燈子」


 如月が顔をほころばせる。燈子と呼ばれた兵士が、ヘルメットを取り、ゴーグルを外した。


 豊かな黒い髪が広がり、うなじから首筋にかかる。少し広い唇に、通った鼻筋、涼しげな目元だが、瞳には生気がない。


 こいつが、坂下燈子か。父親が悲惨な死に方をした記憶を、頭に植え付けられたという。そう思ってみれば、じめじめして眠そうな様子も納得できる気がする。


 燈子と呼ばれた女兵士は、あいさつの代わりに如月の首にしがみついた。


「御無事でなによりです。大河様……」


 吐息が触れるほどの距離で、熱っぽく囁く燈子。大河というのは、日ノ本大河、報国ノ防人での、如月の名前か。


 如月は満足そうに、残った左手で燈子の髪を優しく撫でた。


「お前こそ、よく帰ってきた。大願は果たしたのだな」


 燈子が手首のなくなった如月の右腕を取り、悲しげに顔を伏せる。


「……いいんだ。この手は我が国に捧げた。これから私の命も、お前の命も捧げることになるのだろう。それより首尾はどうだ」


 燈子は如月から身体を離すと、一礼してから報告した。


「はい。断罪者はゴブリンと悪魔と、その男を残して全滅させました。船の進路を邪魔するものはありません。吸血鬼はライフルで二つに割って、竜人は頭を撃ち抜き、森の人は首を飛ばしました」


 俺達を狙撃した後、そこまでやりやがったのか。クレールだけじゃない、こっちへ向かったスレインとフリスベルまで。


「素晴らしいな! 甲板にある、執事の死体は確認したか。部下が撃ち抜いてしまったのだよ。汚辱刑を返せなくてすまない」


 喉を撃たれたルトランドのことか。もう死んじまってるのか。

 感慨があるのだろうか、燈子はしばらく黙り込んでいたが、また話し始めた。


「……父の敵討ちの件では、既に十分すぎるほどの尽力を頂きました。この後、私のこの身を捧げ、あなた様と共にあの吸血鬼共の巣窟を滅ぼせることは、望外の喜びです」


 目標を奪った件を許す、か。如月が涙をこらえる。


「よく言った。本当に、今が平和であれば、お前を妻にしたいところだ」


「ありがたき幸せにございます……あなたに愛していただいて三年。もう、忌まわしい記憶と恐ろしい夜も忘れられるようですわ」


 三十半ばで、どう見ても二十歳前後の燈子を恋人にするか。しかも、父親の死の記憶を植え付けられ、迷い苦しんでいる状態の。


 なかなかやるじゃないか。

 熱くなる二人を祝福するように、くじら船の汽笛が鳴る。


「ああ、もうすぐだ。もうすぐ全てが終わる。私とお前は、日ノ本の栄誉のために、歓喜の爆発の中で一つになるのだ」


 陶酔しながら、吹っ飛んだ手首を黒髪の中に突っ込む如月。激しくまさぐるうちに汗ばんで張り付いた髪の毛が剥がれ、燈子の真っ白な首筋が露わになる。


 その中に、二つの赤い、点。

 ちょうど人の口の幅くらいの――。


「ええ、その通りです。あなた一人だけになるのだから」


 微笑みを顔に張り付けたまま、燈子の手が滑らかに動いた。如月の腰から抜いたのは、9ミリ拳銃、P220だ。


 その体が、ゆらりと後ろを向く。コンマ一秒にも満たないうちに、俺を抱えた兵士の額に一つずつの穴が開き、日ノ本の鉢巻が本物の血で染まる。


「きさ」


 言いかけた最後の一人の兵士の声を、海の方から聞こえた銃声がかき消す。


 ターン、という乾き切った岩が弾けるような発射音。クレールのM1ガーランドに間違いがない。


 外から来た銃弾に、こめかみを貫かれた兵士は、倒れ伏して二度と動かなかった。


 燈子が呆然とする如月の肩を押すと、糸の切れた人形のように、たくましい身体が製図机に倒れた。


 目の前に自分の銃を突き付けられ、如月は一言口に出すのが精一杯らしい。


「な、な、ぜだ。燈子、こんな」


 吸血鬼と同じ真っ赤な瞳に、如月の像を写しながら、燈子は冷たいため息を吐く。


「次その人間の名前で呼べば、我が誇りに賭けて、お前の脳しょうをこの机にまき散らしてやる。しかる後、我が主に命令を破ったかどで処刑されるとしよう」


 もう分かった。この坂下燈子は、人間ではない。


 靴の裏にへばりついたガムを見るような目。どこか既視感のある態度で、下僕は容赦なく続ける。


「いいか人間。私は偉大なる吸血鬼、クレール・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッド様より、リナリアという名を授かった。坂下燈子は居ない。お前ではなく、わが主により、苦痛の記憶から解放されたのだ。覚えておけ」


 如月は信じられないようだった。しかし、俺にも分かる。吸血鬼に奪われたものは二度と戻ってこないのだ。


「こんな、こん、な……」


 そこから先は言葉にならない。89式を捨てた如月は、完全に戦意を失っていた。

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