20記憶に沈んで

 形勢は再び逆転した。


 大体の筋書きは分かる。クレールの奴は、俺達を狙ってきた坂下燈子との狙撃対決を制し、その後生涯で初めてのチャームを使い、晴れて下僕童貞を卒業したのだ。そうして、坂下燈子改め、狙撃と戦闘の訓練を受けた強靭な下僕、リナリアを得た。結果からいうと、この状況で、如月たちを欺ける戦力を得たことは、最良だった。


 果たして、リナリアが燈子の体でした報告は嘘だったのだろう。


 ぴし、ぱきぱき、という音が船の周囲に響いている。

 もしやと思った次の瞬間、船の周囲に魔力の光が輝く。


「なんだ……」


 見回す如月。俺は兵士の死体をまたいで、左舷側の窓から海を見下ろす。


 くじら船の周囲が、凍り付いていた。ブロズウェルと共に、バルゴ・ブルヌスと戦ったときを思い出すほど、見事に海が静止している。


「騎士さん、無事ですか!」


 羽ばたきとともに、スレインの真っ赤な巨体と、マントをはおったフリスベルが頭上から姿を現した。


 やはり無事だった。それどころか、ギニョルの計画通り、くじら船に辿り着いて、現象魔法で見事に動きを止めてくれた。


「フリスベル、スレイン。撃たれたんじゃなかったんだな」


 見たところ、二人とも特に負傷はなさそうだ。対物ライフルが当たったら、一撃でおだぶつだから当然といえば当然なのだが。


「そう言う騎士さんこそ、酷い怪我じゃないですか! すぐに治します。スレインさん、甲板にお願いします」


「危険はないのか」


 スレインの問いには、燈子改め、リナリアが答える。


「大丈夫ですわ。坂下燈子の知る兵士たちは、全員戦闘不能になっております」


 甲板や船首近くで戦った奴ら、操舵室を守っていた兵士、地下からここまで応援に来たとおぼしき連中。如月を除いてことごとく死んだ。


 フリスベルもスレインも、リナリアのことは知らない。だが、二人ともバンギア人、吸血鬼と下僕については知っている。とくにフリスベルは魔力によって察したのだろう。しばらくリナリアを眺めて、こくりとうなずいた。


「……分かりました。甲板に下りましょう」


「そうだ、先にルトランドを見てやってくれないか。俺がここまで来るのに、無茶をして喉をやられた」


「あの吸血鬼さんですね、すぐ行きます」


 話をしている場合じゃなかった。甲板に下りたスレインの背から飛び降りると、フリスベルはルトランドに治癒の操身魔法をかけている。


 魔法を使っているということは、間に合ったということだろう。ライフル弾だったので、うまいこと貫通して、魔力を阻害していないのかも知れない。一時はどうなるかと思った。しかし俺が吸血鬼の心配をするとは。一緒に戦った奴とは無関心じゃいられないらしい。


「良かった。ご主人様も喜びますわ」


 リナリアが心から安堵した様子で、ため息をもらす。その様はもう完全にクレールの保護者だった。

 如月はそんなリナリアを見て、がっくりとうなだれて動かない。つい先ほどまで、共に栄誉ある死出の旅路を目指していた恋人が、よりにもよって吸血鬼のものとなってしまったショックだ。


 流煌のこともあり、少し気の毒にも思える。だが、四件もの爆破事件に、成功すれば何百人死ぬか分からない、ノイキンドゥへの爆弾テロ。こいつは俺の断罪者としての活動の中で、最も被害の甚大な事件を引き起こしたやつだ。同情の余地はない。腕を吹っ飛ばしたくらいじゃ気が済まん。


 無視して、リナリアに声をかけてみた。


「なあ、あんた本当にクレールの下僕なのか」


「そうですわ。丹沢騎士様」


 現れたときとは天と地の差がある、にこやかな表情のリナリア。チャームを受けた下僕は、主人の好みに恥じぬ魅力を得るというが、さすがだ。


 クレールの奴、俺達の必要な知識は記憶に入れたのだろう。魔法の行使はできないが、卓越した狙撃の腕は頼りになりそうだ。


 しげしげと眺めていると、リナリアはジャケットの胸元を両腕で抑えた。


「なんだよ」


「いえ、ご主人様が、あなたは騎士などという名前なのに、女性に性的な嫌がらせを行うとおっしゃっていたものですから」


「なに吹き込んでんだあいつ。何もしねえよ」


「私の魅力を否定するのは、我が主の力を否定するのと同じこと……」


「いや、めんどくせえな。そこの奴がショック受ける程度には、お前十分魅力的だからな」


 意気消沈する如月を指さすと、リナリアは不満げに手を降ろした。痩せてると思ったが、意外と胸があったな。


 しかし、下僕か。ギニョルは断罪活動に使い魔を協力させているが、クレールはどうするんだろう。今は一時的な協力関係だが、この先もこいつが断罪活動の味方になるのか。


 まだ二、三質問を重ねたかったが、羽ばたきの音で中断される。


「ああ、ご主人様。いらっしゃられたのですね! 私はご命令を遂行いたしました!」


 如月を担ぎ上げると、階段を駆け下りるリナリア。なかなかに鍛えてやがる。俺はため息をついて、その後に続いた。顔は相変わらずボコボコだ。


 甲板では、銃創に包帯を巻かれたルトランドの手を、クレールが握っていた。近くにはドラゴンピープルもたたずんでいる。翼をやられることもなく、燈子の狙撃をかいくぐったらしい。さすがと言っていい。


「良かった。お前が無茶をしないか、心配だったんだ……」


「坊ちゃま。私ごときにそのようなお気遣い、痛み入ります」


 そうは言うものの、ルトランドもクレールの手をしっかりと握り返し、涙をこらえている。108歳と、700ちょっとか。こうしてみると実の孫と祖父に見えてくるから不思議だ。


「ルトランド様、お初にお目にかかります。私はクレール様の下僕、リナリアと申しますわ」


「……よろしく、リナリア。共に坊ちゃまを支える者として、な」


 目を細め、眉間にしわを寄せた微妙な表情で、ルトランドが応える。


 坂下燈子改め、クレールの下僕、リナリア。ルトランドにとっては、吸血鬼の掟に反してまで、自ら行った汚辱刑の帰結であり、娘と義理の息子を奪った仇。その存在をどう受け止めたものか。俺でも、きっと反応に困っただろう。


 だがかつての主人、ライアルのために、吸血鬼の掟まで曲げた男だ。手を離すと、クレールに鋭い目を向ける。


「この女は、坂下燈子ですね。坊ちゃま、チャームをお使いになったのですか」


 生半可な答えでは、再び剣を取って立ち上がるいきおいだ。

 クレールは正面から視線を正面から受け止め、答えた。


「彼女は強かった。悪夢を抱えてなお、狙撃手として堂々と僕に挑んだ。勝利はしたが、苦しみを、そのままにできなかったんだ」


 見たところ負傷はないが、三呂空港で飛行機からやったように、狙撃の腕は折り紙付きだ。しかも精神的な動揺を見事に抑えることができる。今までスナイパーといえる相手の断罪はあまりなかったが、苦戦したのだろう。


 吸血鬼は戦いを好む。クレールはかしこまるリナリアの肩を叩いた。


「お前の植え付けた汚辱刑の記憶から解放するには、坂下燈子を殺害するか下僕にするしかなかった。ルトランド、お前の娘の仇は死んだ。ここにいるのは僕の下僕、リナリアだ。どうかそれで、納めてくれないか」


 クレールが頭を下げる。リナリアは口元を覆い、いたわしげな目でクレールを眺める。下僕というものを、よく思っていないであろうフリスベルやスレインでさえ、黙って帰結を見守っている。


 俺も同じだ。同じ吸血鬼たるキズアトによって、流煌を最悪の形で失ってなお、クレールの行為は責められない。

 実の父親が惨殺される記憶が、夜毎悪夢となり続ける。命を奪うことなく、そこから解放するなんて、吸血鬼以外にはできないに違いない。


 しばらくの沈黙の後、ルトランドがため息をついた。


「……なんと慈悲深い。ライアルさまを思い出すようです。彼も、恨みと嫉妬で勝手に決闘をしかけた私と戦った後、執事として見出されました。分かりました、お認め致しましょう。我らの屋敷の一員として、かのリナリアを」


「ふざけるんじゃない!」


 如月だった。相当に興奮しているのか、包帯に血のにじむ左腕を、甲板に叩き付けて、クレールを指さしてがなり立てる。


「貴様の言う通り、彼女は強かった! 悪夢を克服して、国家のために身を捧げると私に誓った! この2年、私は何度も愛し合い、この耳で、何度も聞いたんだ。その彼女が下僕と成り下がることを認めるはずがない!」


 血走った目に涙が浮かぶ。破滅しかなかろうとも、如月が如月なりに、坂下燈子を愛していたことが分かる。

 かすれかけた声で、如月はクレールに向かって叫んだ。


「あの汚らわしいキズアトと同じように、無理矢理ものにしたのだろう! 子供のくせに立派な吸血鬼だ! やはりお前達は血も涙もない、知性ある者全ての仇だ! 全員この世から根絶やしにせねばならん! 私が死んでも、必ず同士が成し遂げるだろう! 我ら報国ノ防人、日ノ本の敵は必ず討ち亡ぼすのだ!」


 吸血鬼は人間より上位の能力と寿命を持ち、人間から大切なものを奪う仇。俺もとらわれることのある考え。クレールがうつむいて、唇を噛んだ。らしくないが、確かに傷つけたのだろう。


「黙れ、我が主を愚弄するな!」


 リナリアが背中から対物ライフルを外して構えた。この距離で撃てば体が千切れ飛び即死。


 だが如月は、覚悟した様子で、黙ってリナリアを、燈子の方を見つめる。

 燈子たることが、わずかに蘇ったのか。リナリアは引き金に手を掛けながらも引けない。


 重苦しい沈黙の中、クレールが口を開いた。


「よせ、リナリア」


「クレール様、しかしこの男は」


 リナリアの言葉通り、軽蔑を隠さない如月に対して、クレールは語りかける。


「……如月といったな。お前には残酷かも知れないが、事実を、僕の記憶を見せてやろう。騎士、お前も見てはくれないか、僕と僕の行動が本当に正しかったか。違うというなら、その銀のナイフを使ってほしい」


 懐から取り出した銀の刃。ルトランドの前で、クレールを鼓舞した厳格さの証左。


 ヘイトリッドの血脈に連なり、吸血鬼であることを誇りに思うこいつが、よもや吸血鬼たることに自信を持てないとも思えない。


 あるいは、キズアトに流煌を奪われた俺への配慮だろうか。手を貸してやらねばならないか。


「いいぜ、やれよ」


「ありがとう。リナリア、いいかい? 君にとって、大切なことを、この二人に見せるが」


 優しい声は、娘か妹をいつくしむ父親のものに近い。吸血鬼にとって、下僕を得るとは家族を増やすことに近いのだろうか。


 対物ライフルを背負い直すと、リナリアはうなずいた。


「ご主人様のなさることに、逆らうなど滅相もございませんわ……」


 その従順さが怒りを煽ったのだろう。如月は吐き捨てるように言った。


「ふん。貴様らの得意なパターンだ。たいせつなものを奪った人間を、さらに傷つけて楽しむのだろう」


 もはや取り合うこともなく、クレールは赤い瞳に魔力を集中させる。


「記憶をお前達に移す。坂下燈子は、とても強かった」


 灰色の魔力が視界を覆う。俺の意識が沈んでいった。


 

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