21夜空と海を越えて
真っ黒な海の上に、細くなった月が浮かんでいる。時間にして恐らく数十分前。燈子の対物ライフルによる狙撃の中、クレールが俺を送り出した直後だ。
俺はどうやら、クレールの視界を共有しているらしい。まあ、記憶を見せられているのだから当然か。
あのとき、確かクレールは、たった一発の狙撃で方角と距離を当てた。七時の方向、1100メートルと言っていたはずだ。
果たして、暗闇でも見える吸血鬼の目は、丘の上に一瞬上がった煙と火花を見逃さない。M1ライフルのボルトを開け、クリップでまとめた7.62×51ミリNATO弾を滑らかに装填する。カシャリ、とボルトの戻る子気味いい音が響いた。
「反撃するなら姿勢を固定するが」
振り向いたドラゴンピープルに、装填済みのM1ライフルを背中に戻しながら答える。
「僕の銃では遠い。せめて今の半分の距離まで近づかなければ。とにかく高度を上げてくれ」
「了解した」
足元のドラゴンピープルが力強く羽ばたく。たちまちのうちに、海面が遠くなり、肌寒い空気がクレールの小さな体を突き刺す。ポート・ノゾミ周辺は日ノ本より少々陽気がいいくらいなんだが、結構風も出ているせいだろう。俺達が飛んでいた高度からは、200メートルほど上がっただろうか。
クレールの見つめた島の方角で、続けざまに白煙が上がるが、弾丸は一人と一匹のどちらもとらえることはなかった。
「急に恐ろしい気配が消えたな、命中する気がしない」
勿論油断はならんが、と振り向いたドラゴンピープルが付け加える。クレールは島の方角を見つめながら説明した。
「距離約1300メートルまで離れた。相手からすれば、仰角もだいぶ上がって狙いにくい。それに上空は下と風向や風速が違う。観測手にも、数十秒は弾丸の動きを計算しきれないだろう」
本来スナイパーは弾丸の空気抵抗や途中の風の影響を加味して、複雑な計算を行い、狙撃をこなす。いくら有効射程の長い対物ライフルでも、約一キロという長距離で大きく条件が変わると、いくらか計算が狂うのだ。その修正ができるまでは、簡単には命中しない。射撃戦では高所を取った者が有利になるのも基本だ。
クレールは狙撃手らしい的確な対応をしたといえる。
しばらく射撃が止まる。リロードか、位置の調整をしているのか。しかし命中すればほぼ即死なのだ。俺からすれば、クレールが勝ち、燈子が負けて下僕になるという結果は知れていたが、手に汗握る戦いとはこのことだ。
「斜め後方、距離500を切るまで、ジグザグに前身。動きは読まれないよう、停止やターンを加えてくれ」
「了解だ」
ドラゴンピープルが翼を羽ばたかせる。クレールの命令通り、鋭い動きで夜空を切り裂いていく。
クレールが感じる風向きは、刻々と変化しているようだった。空を飛べる種族でもなければ分からないのだが、ポート・ノゾミ近海は穏やかに見えて、上空は結構気流の動きが激しいらしい。
一発、二発と、弾丸が飛来したが、やはり命中はしない。計算の修正に戸惑っているのだろう。高度を上げる、ただそれだけの対策がここまで有効だったとは。クレールのM1ライフルの極大射程、500メートルにもう少し。
そのときだった。島の方から、明らかに異なる銃声がして、十数発もの曳光弾の軌道が二人をめがけて襲い掛かった。
「うぐっ……!」
びし、ばし、二度三度と岩をえぐるような音がして、ドラゴンピープルがうめき声を上げる。
俺にはとっさに整理できなかったが、クレールの頭は事態を理解していた。
対物ライフルではない、M2重機関銃による闇雲な連射だ。近づいたことで、目視による対物ライフル以外での射撃が可能になったのだ。
ドラゴンピープルにとっては、泣き所にも等しい鱗の無い胴体。そこへ対物ライフルと同じ大口径の弾丸を叩きこまれては、スレインとて重傷を負った。
クレールの判断は早い。M1ガーランドを握りしめると、ドラゴンピープルに叫んだ。
「垂直降下だ! 銃弾を振り切れ、水面近くで反転してくれ!」
言うが早いか、ドラゴンピープルが翼をたたみ、巨大な隼のごとく水面に向かう。翼をやられなかったのが幸いだ。
景色が繋がった布のように流れていく。吹き上がる空気が、マントの赤い裏地をなぶり、空中へと吹き上げる。
垂直になったドラゴンピープルの背中に体を預け、クレールが歯を食いしばる。何をするのかと思ったが、恐ろしい考えは伝わっていた。
ドラゴンピープルの尖った鱗に、シャツの背中を押し付けると、両肩と腹に力を入れた。
ずぶ、と嫌な感覚がして、痛みが全身を駆け巡る。それでもクレールは苦痛を殺して、M1ガーランドを両手で握る。背中を鱗に刺したことで、落下中でも両手でライフルが持てる。すなわち狙撃ができるのだ。
クレールの目には見えている。魔力でも感じている。丘の上の二人の兵士。身を隠したスナイパー本人に対して、無防備なのはM2をぶっ放してきた観測手の兵士。その距離は、降下によって極大射程の500メートルを割った。
時速百キロをゆうに超える落下の最中、クレールはM1ガーランドを構えると、銃床を右肩に押し当て、トリガーを引き絞った。
クリップでまとめられた小銃弾が、セミオート機構に従って次々と発射される。強い反動が、振動となって背中の傷をえぐるが、それも殺して射撃姿勢を保持し続ける。
風の中に金属音が混じる。弾切れになって自動排出されたクリップの音だ。
海面まで十メートル付近になったところで、ドラゴンピープルは上体を上向け、一気に羽ばたいてそれまでの勢いを殺した。翼の揚力を叩き付けられた海面が、べこんとへこんで波を撒き散らす。
舞い散るしぶきの最中、クレールは引き千切ったマントの裾を、M1ガーランドの銃口に巻き付けた。
なにをするのかと思ったら、一気に体を横に捻り、今度は鱗から自分の体を引き抜いた。
「退避しろ、5分後島に回収に来い!」
返事は聞かず、海中へと飛び込んだ。
傷口に響いた痛みも、俺はクレールの記憶と共に味わったわけだが、何といったらいいだろうか。割れた瓶で背中に鍵裂きの傷をつけ、そこに塩でもすりこんでみたら分かるかも知れない、とにかく痛烈の一言に尽きる。
だがクレールは怯まない。銃口にマントの切れ端を巻いたのは、銃口からの海水の侵入を防ぐためだった。
意外なことに、銃は結構水に強い。先込め式の火縄銃ならいざ知らず、弾薬も薬莢によって密閉されており、多少水につけたくらいでは発射に支障はほとんどない。もちろん、銃口への水の侵入は防いだほうがいいが、クレールは自分のマントを巻くことで、それをクリアしている。
狙いは、上陸して島で戦うことだった。長射程の武器と観測手を備えたスナイパーに対して、空中はあまりにも無防備すぎる。だから落下中の奇襲、そして上陸しての戦いの二段構えの作戦をとったのだ。
クレールはM1を背負い、予備のクリップも身に着け、着衣のままで力強く水をかき続けた。体が冷え、針で突き刺すような痛みが全身を覆っているが、意にも介さない。この忍耐力もスナイパー向きなのかもしれない。
島の浜まで数十メートル、いよいよ浅瀬に足を突こうかという段階で、突然目の前の海が跳ね上がった。
銃弾は島の森からだった。ドラゴンピープルの羽ばたきで、着水をうまく偽装していたが、接近が見破られてしまったのだ。
クレールの判断は早い。息を吸い込むと、一気に海中へと潜った。いつの間に身に着けたのかと思うほど見事な手際で、暗い水底に姿を隠すと、沖の方から方向を変えて、岩場へとたどり着いた。
這いあがるクレールだが、その眼前で再び岩が弾ける。破壊の規模は、対物ライフルのものとは違う。自衛軍御用達の89式小銃だろう。距離が近づいたために、弾数が多く、リロードもスムーズな方に変更したのだ。
狙撃地点から岩場まで、二百メートル弱ほど。とうとう坂下燈子とクレールは、地上戦で対峙することとなった。
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