25撃沈


 くじら船を止める手立て。それは、坂下燈子を利用することだった。


 如月は燈子を愛し、その腕を信用して作戦の全容を話していた。無論爆弾の構造もだ。クレールはそこから、如月が俺達に語っていない情報を引き出した。


 2.8トンのプラスチック爆弾は、基本的には時限式の起爆装置か、魔道具による電流の回路で動作する。


 ただ、その両方に不具合が生じた場合に備えて、衝撃により手動で信管を作動させる装置もまた、組み込まれているのだ。


 それを使えば、ポート・ノゾミよりかなり離れた場所から、船の爆弾を起爆させることができる。


 問題は、それが自爆前提の装置であることだ。


 決して誤作動を起こさないよう、人の頭大の丸く頑丈な鉄の箱に入ったそれは、スレッジハンマーで叩き潰すか、大口径の銃で撃って破壊することで起動する。


 必然的に、破壊した奴は2.8トンの爆風で吹き飛ぶ、というわけだ。


 クレールの計画は、リナリアにそれを地下から甲板まで運ばせ、対物ライフルの最大有効射程範囲である2000メートルぎりぎりから狙撃し、起爆することだ。


 そんな説明を聞き終えるまでに、クレールと俺達を乗せたスレインとドラゴンピープルがノイキンドゥの岸壁に到着した。


 如月が眠ってから時間にして一分ほどか。


 夜明けが近づいている。東の空が、かなり白んできた。


 背後のノイキンドゥでは、まだ散発的に銃声がしている。M2重機関銃やてき弾銃の音、それに爆音もしないから、大方制圧できているのだろう。ギニョルにガドゥにユエ、残った断罪者も無事だと信じる。


 とはいえ、今すぐ戦闘を終結させて逃げるわけにもいかない。避難など無理だ。如月たちの計画通りに、事が進んでしまっている。


 それを覆せるのかどうか、この七日間の全てが、こいつの狙撃にかかっている。

 クレールは黙ったまま、対物ライフル、バレットM82に、12.7ミリが入ったマガジンをセットし、ボルトを引いて銃弾を装填した。


 シャツが汚れるのも構わず、岸壁に腹ばいになる。バレル下の二脚をコンクリートに固定すると、くじら船めがけて射線を調整する。


 対物ライフル、バレットM82の全長は120センチ。クレールの身長より顔一つ短い程度だ。赤い瞳でスコープを覗きながら、杖を構えるフリスベルに言った。


「フリスベル、どこまでなら、風を止められる」


「1000メートルが限度です。湿度は低く、波も穏やかですけれど、そこから先の風ははっきりとは……」


 現象魔法で狙撃に邪魔な風を止める。ちなみに、鎌鼬を起こすとかの普通の現象魔法は1000メートルも届かないのだが、直線状を無風にする程度ならば、なんとかなるらしい。


「本当にあんな場所を狙撃するのか。それがしには、点にしか見えんぞ。ここまで爆風が届くというのも、まゆつばだ」


 スレインが長い首を伸ばして、火の息を吐き出した。


「心配しなくても、あと2300メートル。まだ遠いよ」


 俺にも点にしか見えない。300メートル縮まったとて、どれほどのものなのだろうか。あんな場所の、起爆装置ひとつ、本当に狙えるというのか。


「2400メートルちょっとが、アグロスの世界記録だったっけ」


「短いね。3450メートルさ。メリゴンの北にある国の兵士が、実戦で成功させた。この銃じゃないけれど」


 化け物だな。それと比べれば、2000メートルの射撃は簡単なのだろうか。

 いや、そんなはずもない。大体、銃の有効射程範囲ぎりぎりの狙撃事体、無謀極まりないことなのだ。


 スレインとフリスベルは、クレールを爆風から守るとして。


 俺はあっちの援護に行った方がいいのだろうか。眠っている如月と、亡くなったルトランドだって、船からは急きょ運んだが、まだ協力者のドラゴンピープルが抱えている。


「騎士、答えてくれないか」


「何だ」


 空気が張り詰めるのを感じる。朝焼けが徐々に濃くなる中、クレールは俺を振り向かずに続ける。


「僕は今から、下僕にした人間を、目的のために犠牲にしようとしている。あのキズアトと同じように。それが吸血鬼なんだ」


「……続けろよ」


「彼女に起爆装置を持ち出してもらえなければ、犠牲はさらに増える。だからこれは断罪者として必要な事さ。でも、彼女は死ぬんだ。吸血鬼に苦しめられた彼女を、吸血鬼がまた殺すことになる。自らの約束も破って」


 唇を噛みしめる音が響いてきそうだった。力いっぱい対物ライフルを握る手が、さらに白くなっている。


「僕は吸血鬼であることに誇りを持ってきた。キズアトの奴など自分とは別の存在だと思ってきた。父様のように、下僕はみんな、幸福にできると思ってきたんだ」


 そうできなかったことが、何よりもクレール自身を責めさいなんでいる。フリスベルが痛ましげに杖を握る。スレインは目を細めた。


「騎士、聞いて、いるかい」


 声が震え始める。それでも、狙撃の姿勢は全く乱れない。骨のきしみ、筋肉のわずかな動き、呼吸の端まで丁寧に整えながら、クレールはこう口にした。


「流煌さんのことを、キズアトと同じ吸血鬼として、謝りたいんだ。だからもし、もしお前が、僕の命でもいいと言うなら、この狙撃の後、僕をそのナイフで」


「よせよ」


 細い肩に手を置く。クレールが俺を見上げた。


「俺を罰に使うんじゃねえ。流煌のことはお前と関係ない」


 届いているだろうか。


 不安に焦燥、自分への憤り。少女と見紛うクレールの美しい顔は、自らの感情に蹂躙されている。

 108歳。人間なら何歳なのだろう。紛争まで、何不自由なく暮らしていたクレールは、目の前で尊敬する父を失い、それからあらゆることと必死に戦ってきた。こいつは、この小さな肩にどれほどの重みを背負っているのだろう。


「でも僕は、僕は彼女を」


「クレールさん」


「クレール」


 フリスベルが背中を抱き、スレインが頬を寄せる。

 対物ライフルを構えるクレールを中心に、三人と一匹が固まった。

 俺達四人で、撃つみたいだ。特撮とかでこんな技がなかったか。


「みんな……」


「クレール、断罪者は七人いるんだ。お前の引き金は、俺の引き金だよ」


「そうですよ! クレールさんだけが、背負わなくっていいんですから」


「ギニョルの策も、我らのものだ」


 魔力の読めるハイエルフや悪魔の娼婦たちから、たまに使い魔のクレームが入る。内偵のためとはいえ、ホープストリートのホテルを見張るのはやめろと。俺に言われても仕方がないのだが、断罪者はいっしょくたにされるのだ。


「よくねらえよ。それに、まだリナリアがくたばると決まったわけじゃない。2000メートルぎりぎりまで、脱出を待つんだろう」


 ここまでは来られないが、救命ボートに乗り込んで、鉄板の下に潜り込むくらいの時間はある。無事に済む可能性は限りなく低いだろうが。


「そうだったな……出て来た」


 俺には分からないが、クレールには見えるのだ。


「距離が近い。もうすぐ2000メートルに達する。リナリアが甲板に装置を置いた。狙いやすいよ」


 自分の命が失われるというのに、冷静だ。クレールの命令を、ただ忠実に実行しようというのだろう。

 フリスベルがクレールを離れ、杖に魔力を集中させる。ささやくように呪文を唱える。


「イ・ムース・エイル・カルム」


 細い糸状の魔力が、対物ライフルの銃口から伸びていく。1000メートルを確保する無風の道だ。


 クレールが再び射撃姿勢に入る。いよいよだな。


「……頼みがあるんだ。爆破の後、彼女を探させてくれないか」


 本当なら許されることじゃない。ノイキンドゥにもポート・ノゾミにも、衝撃波の被害は出るかも知れない。だが、誰もそれを否定する者は居ない。


「では、私にお乗りください」


 後ろから声をかけてくれたのは、クレールを乗せていたドラゴンピープル。スレインと居並ぶようにして、翼を閉じて爆風に耐える姿勢を取る。


 夜明けが近づく。朝焼けが、朝日へと移っていく。クレールはいよいよ瞳孔を引き絞り、視線の先にターゲットを捉える。


「救命ボートを確認した。狙撃するぞ、準備はいいか」


「ああ、やれよ」


 とはいってみたが、フリスベルと違って、俺はスレインたちの防御に隠れるだけだ。少しはクレールの気がまぎれたらいいのだが。


 翼の隙間から、向こう側をうかがう。海面には日の出の輝きが少しずつ迫ってくる。もう時間がない。くじら船、爆弾を満載したその船首が、はっきりと見えた気がした。


 次の瞬間、対物ライフルが吠えた。


 クレールの身体が反動で一瞬浮きかける。

 そちらに気を取られたかと思うと、轟音と共に、朝日がもう一つ増えた。


 狙撃が命中。くじら船がプラスチック爆弾ごと、炸裂したのだ。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る