24突き進む悪意

 もはや、くじら船の前進は誰の目にも明らかだった。足元では氷が砕ける音がするし、周囲の景色もゆっくりと、だが確実に進んでいる。


 ルトランドの首にナイフを当てながら、如月が腕時計に目を落とす。


「現在時刻、午前三時二十一分。位置はノイキンドゥ西岸正面より、西北西3.2キロメートル。予定より八分遅れで、ノイキンドゥ接岸のコースに入った。時限装置は作動済み、約十分後、目標より百メートル内で起爆する」


 資料もないのに、すらすらと読み上げやがる。

 スレインが火の息を吐き出し、首を回してぎろりとにらんだ。


「はったりなら通じないぞ」


 珍しく威圧感を前面に出している。それは恐れの裏返しだが、人間なら身がすくむはずだ。やはりというか、如月は冷笑する。


「竜人よ。この状況ではったりを言って何になる。私は作戦を記憶しているだけだ。そこの下僕の記憶を見てみろ。坂下燈子も作戦の打ち合わせに居たのだからな」


 愛情の欠片も感じさせないような言い方だ。それは平気なのだろうが、集中した俺達の視線に、リナリアが黙って首を縦に振る。


 嘘ではない。ということは、固定された針路通りにこの船は前進。十分後にノイキンドゥの、ポート・ノゾミの西岸に接岸し、時限装置により、2.8トンのプラスチック爆弾で吹っ飛ぶことになる。


 2.8トン。警察署の前で爆発した量のざっと二百倍以上だ。


 くじら船の外壁があるぶん、多少は爆風は軽減されるのだろうが、気が遠くなる破壊規模に違いない。

 ノイキンドゥは完全に吹き飛ぶだろう。ビルもマンションも粉々に消し飛び、骨組みだけになるだろう。公園は燃え、ザベルの店も子供たちごと全壊。三呂大橋も破損するだろうか。いずれにしろ、百人や二百人の犠牲じゃすまない。


 戦慄する俺達に向かって、如月が唇を歪める。神州がどうとかいう題目が消えたような邪悪なツラで、高らかに叫ぶ。


「三流の悪役のようだが言わせてもらおう! この吸血鬼の命が惜しくば、全ての武器を捨て、あらゆる抵抗をやめて船を離れろ! ローエルフ、魔法も無駄だぞ。こんなときのために、信管の動作は、二度目の魔法に反応する魔道具で担保してあるからな」


 吸血鬼の男についていた魔道具。魔力を感知して回路を遮断するやつか。現象魔法で船を止めるのはもう不可能だ。


 フリスベルが唇を噛んで、杖をしまう。


 一方で、クレールがリナリアに目で何か伝えようとしている。恐らく、対物ライフルによる有効射程ぎりぎり、約2キロメートル地点からの狙撃だろう。


 それくらい離れれば、爆風を食らっても生き残れるかも知れない。この船を、ポート・ノゾミから2キロ以上離れた海域で爆沈させ、建物の被害や人的被害を軽減することも、まだ不可能ではない。


 そんなことは知っているとでも言いたげに、如月はクレールをにらんだ。


「ところで吸血鬼、狙撃は無駄だぞ。プラスチック爆弾が信管以外で作動しないのは分かっているだろう。それにたかが対物ライフル程度で、船底の倉庫を破壊できるとでも思っているのか。この船も沈められるはずがない」


 その通りだ。対物ライフルでこのくじら船の装甲を貫くことはできても、それだけじゃ停止させることも、沈没させることもできない。この質量の船体と比較すると、12.7ミリのNATO弾なんて、貫通しても針の穴程度の損傷だろう。


「さあ、諦めて逃げるがいい。ヘリも竜人も居るだろう。お前達だけなら、爆風から逃れられよう。汚辱の島を救おうなどと思うな。船は十分で接岸だ。今から戻ってノイキンドゥの仲間に事態を伝え、避難を始めたとして、一体いくらの人員が守れるのだろうな」


 使い魔は破壊されている。ギニョルと連絡する手段もない。それに、今ノイキンドゥには、自衛軍からの攻撃が行われている。とてもたくさんの人間を逃がせる状況ではない。


 これは、積んじまったんじゃないのか。


 ポート・ノゾミの近海にくじら船を近づけ、舵を壊され、針路が固定された段階で、勝負はついていたのだ。その段階で、すでに如月をはじめ、報国ノ防人の連中をどうしようとも、ノイキンドゥと周辺が吹っ飛ぶことは防ぎようがなかったのか。


 なんてこった。俺の命など省みずに、操舵室でなく倉庫の爆弾を狙うべきだった。


 俺の考えを共有しているかのように、スレインもクレールも、フリスベルも何も言わない。この状況を、打開する手立てがない。


 最悪、最悪の事態だが、断罪者である俺達四人だけでも、助かることを考えなければならないのか。


 冷や汗が額を伝う感触。ギニョルならどう命令するか、誰も言わないなら、俺の口から言ってやるべきだろう。スレインの奴が言い出しそうだが、爆風や弾丸だけでなく、責任まで任せるのは心苦しい。


 如月が目でうながしてくる。さっきからルトランドの喉元にナイフを当て、俺達一人ずつ舐めまわすように見つめている。


「どうした。早く決断しろ。もう一分経った、逃げても生き残れないかも知れん。我々の作戦はまだまだ終わらない。お前達だけでも死を逃れておくべきではないのか」


 軍事的な正論だ。それだけに、事態を引き起こした如月の口から出てくると耐えられないものがある。


 恐らくこいつは俺達に、クレールに勝ちたいのだろう。燈子を奪われたとしても、燈子が目指した作戦の通りにノイキンドゥが爆破されれば、その意志は完遂。歯噛みをするのはクレールの方だと考えているのだ。


 勝ち誇ったように俺達を見回す如月。だが夢中になるあまり、人質が吸血鬼であることを忘れていたのだ。


「御託は終わったか、女を取られた哀れな人間」


 底冷えのするようなルトランドの侮蔑。その瞳から魔力が走るのと、ナイフが胸元に入るのは同時だった。


「イ、ムース、ヨ、ウ……ドラウン!」


 血を吐きながら紡いだ呪文。抵抗の意志と激しい怒りを持っているはずの如月が、たちまちのうちに目を閉じる。


 文字通り、命と引き換えた蝕心魔法。クレールにもできるはずだったが、一瞬の間にルトランドを殺されることを危ぶんで、使用しなかったというのに。


「ルトランド! ばかな、こんな……」


 クレールが駆け寄り助け起こした。フリスベルが駆け寄ったが、俺からみてもすでに心臓に達している。命が終わりゆくものを、救う回復の魔法はない。


 最後の力で、ルトランドはクレールの手を握る。


「ぼっ、ちゃん。ご、決断、くだ、さい。この、事態、誰の犠牲も、なしでは、も、う……」


 それ以上口に出すことはできず、ルトランドは事切れてしまった。


 自らの命を絶ってまで、こいつが伝えたかったこと。犠牲失くしてはこの事態を止められない。俺達が爆弾に辿り着いて、一緒に爆沈する。人質であるルトランドが死んだ今、それを妨げる奴はいない。 


 俺、フリスベル、クレール、スレイン。全員が死ねば、断罪者は大幅に力を落とすだろう。しかし、ポート・ノゾミの数百人の人命と比べれば――。


 この踏ん切りを付けさせるために、ルトランドは身を犠牲にしたのだ。


 クレールが顔を伏せ、ルトランドの手を取る。気づかわしげに覗き込むリナリアに向かって、こう言った。


「僕は、君を裏切ることになる。苦しませないと言ったばかりなのに。命令を聞いてくれるかい?」


「なんなりと……ご主人様」


 指先をからませて、クレールを見つめるリナリア。眠りこけた如月が幸福に思えてしまう。


「君の、命が欲しいんだ」


 俺は息を呑んだ。フリスベルも、スレインも、黙って見詰めている。

 リナリアは戸惑った様子を見せなかった。ただ静かに、うなずくだけだ。


「喜んで、ご主人様」


 朝食の支度でも頼まれたかのように、穏やかな微笑み。


 爆弾と共に近づく悪意に対して、ルトランドがクレールに示した方法。

 それはこのうえなく残酷だった。ただ、俺達が犠牲になることとは、比べものにもならないほどに。

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