73断罪の剣
がれきが空中を離れた。巨大な塊だ。数十メートルはあるか。氷ならドラゴンピープルたちが溶かせるが。この勢いで落下するものは止められない。
せっかくみんなが助けに来たのに。生き残った断罪者たちも居るのに。
「しっかり見ていろ騎士。弱者どもが、きちんと死ぬ様をな!」
操られたギニョルが体を締め上げる。開けられた穴から、はらわたでも出そうだ。激痛で視界はくもるが、途切れはしない。
コンクリートの外壁は銃撃の中で遮蔽物として使える。その塊は巨大な質量弾だ。
不意に、身体の傷口が熱くなった。痛みで分かりにくいが、俺の左頬、キズアトから死角になる方に、かさこそと何かが這う。
『ない、と。ここは、お前に、たくす。キズアトと、戦うことだけ、かんがえろ』
ごきぶりの使い魔。使ってるのはギニョルしか考えられん。相変わらずつかんだ手を締めあげているが、これだけでも動かしてくるのか。
『いくぞ、剣を、使え』
剣。そうだ、腰にあったクレールのレイピアは取られていない。トレードマークのショットガンは奪われたが、クレールから託されたレイピアはまだある。
熱くなった傷口はふさがっている。キズアトは嬉しそうに、落下するがれきばかり、見守っている。俺はレイピアの柄に手をかけた。
落下するがれきに魔力が走る。無数の人間を圧殺する巨大な塊が、一瞬にして粉状に散った。
「馬鹿な、なんだ……おい、どうしたゾズ!」
キズアトが周囲を見上げた。力がゆるんだ。今だ。
体を起こす。剣を横に凪ぐ。切っ先に確かな手ごたえ。
飛びのいたキズアトのシャツが鮮血に染まった。
無言でこちらを見つめるキズアト。やばい、魔力が集中する。やけくそで目の前に刃をかざす。視線をレイピアで遮る。
ぱしいん、雷が走るような音。ギニョルをも掌握する蝕心魔法の魔力が散った。レイピアの刃が拡散させたのだ。
なぜ。いや、どうでもいい。踏み込み胸元を突く。
子気味良い金属音。もう少しの所でとどめられている。キズアトの短剣だ。
背中を刺されて分からなかったが、形は奇妙だ。片手持ちの柄から、三本の刃が放射状に出ている。まるで剣の扇のようだ。真ん中の刃に俺の血がついている。あれで刺してたのか。
「貴様が、なぜ、紅の剣を持っている……! それは貴家にのみ受け継がれるものだ。薄汚いヒトが手を触れていいものではない」
きりきりと競り合いながら、視線を合わせようとするキズアト。俺は答えず回り込みにかかる。
視線が通れば蝕心魔法がかかる。集中をそぎ、とにかく動いてやる。
フェンシングの経験はないが。格闘訓練は積んだ。
一歩退いて揺さぶり、再び突く。
キシシ、と刃がこすれる。また右、左に斬り付ける。キズアトの手元が乱れる。二撃目が肩をかすった。
「どうした、俺はクレールに勝ったことがないぜ!」
踏み出して突く。払われれば斬る。攻めている。キズアトの表情に焦りが生まれた。
キズアト。剣では明らかにクレールより弱い。沼の者の悲しさ。剣を使って領地を奪い合う、紅の戦いの修行を一切していないのだ。紛争に伴う格闘がせいぜいだろう。
操り、支配し、奪う。相当殺したが、その数と力が釣り合っていない。
レイピアを短剣の刃に絡めるように回す。切っ先で指先を斬る。
「うぐっ……! ゾズ!」
短剣を落とし、飛びのくキズアト。だが壁際だ。
壁がうごめく。四方から斧の刃が飛び出した。スレインの牙よりでかい。俺くらいスライスチーズのように斬れるだろう。
退かなくていい。キズアトにマロホシが居るなら、俺にはギニョルがついてる。
レイピアが胸を貫いた。キズアトの口から血があふれる。
俺の体に傷はない。斧刃は、俺の体に触れる寸前に崩れ去っている。
「こんな、弱者の、下僕、はんの、刃が、こ、の私に……!」
刃をつかんだ手が血に染まる。俺はキズアトの驚愕を見すえた。
「俺だけじゃねえ。そいつは、断罪者全員の剣だ」
死んでいったフリスベルとクレールも含めて、七人全員で振るったのだ。
「下等、な、ニン、げん……!」
悪鬼の視線で俺を射抜くキズアト。死の苦痛の中、蝕心魔法を使うとは。
「うぐっ」
刃を握る右手の感覚がなくなる。手を離させようとしている。突き刺した刃で心臓を引き裂かなければ、倒し切れない。恐らくマロホシが再生させる。
「ゾズ、頼む! こいつを、こいつを殺してくれ!」
崩れた斧刃が無数の針になる。俺の左半身を襲ってくる。
だが床の肉壁もまた、同じ針になった。二つの刃が衝突する。
「うぐぁっ……!」
ギニョルがかなりの数を防いでくれた。だが、俺の胸と腹と、脚に刺さった。
骨を通ったか。どんな臓器をやった。気が遠くなってくる。傷をかばいたい心を踏みつぶし、俺は刃をつかむ手を支えた。
「なめんな、よ……!」
これはクレールの剣。
いや、牙だ。
俺たち断罪者の、戦い続けてぼろぼろになった老犬の最後の牙だ。
獲物の心の臓に突き立てた牙。俺一人の苦痛や恐怖で離してたまるか。
「おれ、一人が、お前を断罪したいんじゃ、ねえぞ……」
「く、そ、なぜだ。なぜ、離さん」
魔力が目から流れ込んでくる。必死のキズアトの蝕心魔法。おそらく何百ものあらゆる種族を操り、狂わせ、ねじ曲げて命を奪ってきた魔法。
だが断罪者は、屈しない。
法と正義は、こんな魔法で曲がらない。
「キズアト、こいつが、俺たちの……断罪だ!」
一瞬だけ感覚が戻る。レイピアがうなり、胴体を離れる。
心臓を薙ぎ払い、引き抜いた。
シャツが裂け、真っ赤な血が飛び出る。
キズアトが恐怖にゆがみ、崩れていく。
「あ、あぁ……」
魔力が散る。開いた目が光を失っていく。心臓を引き裂いた。もはや意識の集中など、蝕心魔法など不可能だ。
シャツを真っ赤に染め、遺骸があおむけに倒れた。
見開いた目と苦痛に染まった唇。死の恐怖にとらえられた様には、憐れみさえも感じられる。
吸血鬼、ミーナス・スワンプこと、キズアト。
GSUMを率い、俺を含めた多くの者から、あまりに多くを奪ってきた。
それほどの巨悪というには、小さな男だった。
「うっ」
俺もまた、膝から力が抜けていく。足元の血だまりは見たこともない量だ。張り裂けるような動悸がする。寒くなってきた。
フリスベル。クレール。そして、このがれきに溶けてしまったギニョル。
獲物を討ち果たした老犬は、静かに死にゆくのみだ。
「ユ、エ……」
うまく子供は生まれるだろうか。ユエ本人は無事でいるのか。
俺の居ないあと、幸せに生きられるだろうか。
キズアトは死んだ。俺にもまた、断罪者でなく、ただの人としての心が蘇えったが、それもまた、まどろみの中に消えていくようだ。
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