72空のゆりかごで


 ノイキンドゥは元々、三呂学院大学という私立大学のビルだった。中堅の大学の建物らしく、無味乾燥なデザインだ。無難な壁紙、つるつるした床、ローコストの天井、などといった。


 基本的には、俺たちの居る場所も、それが変形したはずなのだが。


 革靴の足元がぐにゃりと柔らかい。湿気を帯びて、新鮮な内蔵のような赤っぽい色だ。まるで原料の建材そのものが何か肉感のあるべつのものに変わってしまったような。


 俺とキズアトが居るのも部屋というか、広間のような場所になっている。端から端まで二十メートルほどだろうか。頭上も十メートルくらい。


 外からの日光が入ってくる。というか青空が見える。ギニョルを抱えた俺とキズアトの中間から奥側に、二つの目玉のような楕円形の透明なものがあるのだ。


 ここが何かの生き物の頭で、目玉を通じて外が見えている、といえば、的確だろうか。おまけに妙な浮いている感じがする。何度も乗ったヘリか、スレインやドラゴンピープルに乗せてもらったときの感覚が近い。


『さて、騎士』


 キズアトが俺の目を見る。やばい。魔力が走る瞬間、顔をそらした。


「うぐっ……!」


 蝕心魔法が、俺でなく抱えたギニョルにかかった。ほぼ裸の体が紫の体毛で覆われ、大きな手が俺を押さえつける。


 山羊顔の悪魔の姿だ。瞳は真っ赤で言語が通じると思えない。ギニョルを操って、悪魔としての姿に変えさせたのだ。


『お前を殺すのは断罪者でもっとも簡単だ。さっきは、クレールにしてられたが、奴はもう死んだ』


 コートをはがされた。ギニョルは片腕でショットガンをつかんで投げた。不気味な床を転がった銃は、ずぶずぶと吸い込まれてしまった。ガンベルトも引きちぎり、ショットシェルも同じように投げられる。


 だがそこまでだった。キズアトからはギニョルの視界が見えてないのか。腰にしたクレールのレイピアははがされていない。


『……だが、お前は払っていない。計画を狂わされ、この島が私の手にできなかったことの代償を、愛おしい彼女たちが、ゾズが死んだ代償をなあ!』


 ギニョルの手が俺の首にかかる。毛むくじゃらの、巨大な悪魔の手。頸動脈どころか、首の骨ごと千切られそうだ。悪魔は操身魔法で怪物に変わる。ドラゴンピープルほどじゃないとはいえ、人間程度の俺一人殺すには十分だ。


『ああ……ゾズ。この上ないほど、完璧な女性だったというのに。星と月を求めた完全な強者だったのに。弱い者を利用できないくせに、力を持った貴様らのせいで、私を守らなければならなかったではないか!』


 首から手が離れた。かと思うと拳が飛んでくる。岩石が高速でたたきつけられるかのようだ。たちまち歯が折られ、血が噴き出た。目の上も腫れた。骨折か、視界も閉ざされちまった。


『だが、死なせないぞ。殺しておいた方がいいのだろうが、なあ』


 ギニョルの手から魔力が走る。俺の顔を取り巻くと、傷がふさがっていく。回復の操身魔法、俺には効かないはずじゃなかったのか。


『なにを驚いている。そのギニョルもまた、腹立たしくもゾズと同じ領域に至った者だ。下僕半の体くらい、自由にできる魔法が使える。お前を、ユエと同じ寿命で死ねる体には、決してしてやらんがな』


 マロホシがかけた操身魔法をも、ねじ曲げたということか。確かにギニョルはその領域まで到達していた。


 だがなぜ治したんだ。バンギアでは一般的な拷問だという、死にかけるまでの暴力と、回復魔法で治療するというのをやる気だろうか。


『ギニョル、そいつに目の外を見せろ』


 俺は首根っこをつかまれた。ギニョルは不気味な床をぐにぐにと歩き、奥に見えていた透明な目のようなところに俺を押し付けた。


「なんだ、飛んでるのか、ここ……」


 島が見下ろせる。戦闘の終わったノイキンドゥ、消火と火の手がせめぎ合っている、マーケットノゾミ。橋でつながるポートキャンプまで。


 一体上空のどのあたりだろうか。ヘリやドラゴンピープルの背に乗って移動するときより、はるかに高度がある。


 ずぶり。胸元に異物感。血が喉からこみあげてくる。胃か、肺か。冷たいものがおれの胴体をえぐっている。


『上空、一千二百メートルほどか。そろそろだなあ、いや、心配しなくてもこれでは死なないぞ。心臓はやっていないはずだからな! ゾズの解剖に何度か立ち会って場所を知ってる!』


 喜びの声と共に刃物が何度も背中を貫く。痛いという叫びを歯が砕けるほど押し殺す。


 こいつの好きにだけは、泣いてやらねえ。まだ俺を殺すつもりがないんだ。

 気が遠くなってきた。痛みも鈍くなっている。失血のせいだろう。


 素人が刃物で殺す事件でよくある。怒りのままめちゃくちゃに胴体を突き刺しても、結局致命部位をやれないのだ。被害者が動けなくなったのを、死んだと勘違いして逃げる。被害者は血が抜けきって死ぬまでの間、意識があるまま放置されて苦しみ抜くのだ。


 俺はまさにその被害者。くそ、指一本動かせなくなってきた。視界がぼやけてくる。


『おっと、失血死か。血の抜け方は人間と同じだな』


 魔力が体を取り巻く。痛みが消えた。こぼれたもの以外、血の感触も。意識がはっきりとしてきた。血液さえも作ったのか。フリスベルを超える回復の操身魔法の精度だ。


『ノイキンドゥのあった場所を見てみろ』


 キズアトに言われるまま、戻った視界で外を見下ろす。言われた通り、ノイキンドゥの下のビルが、真ん中からへし折れて上部がなくなっていた。


『今飛んでいるのは、ノイキンドゥの半分だ。ゾズが私のために変化させ動かしてくれている。お前達が最悪の事態を引き起こしたとき、自分を犠牲にして私を助けるように、魔法をかけた。私でなく、彼女が逃げた方が月と星に近づけたかも知れないのに!』


 また背中を刺された。胸から刃が突き出る。怒り、キズアトは今まで見せたことのないほどの怒りを露わにしている。


『分かるか! 決して、他人のためには動かなかったはずの彼女が、私のために身をささげた。自らに魔法をかけさせて自らを消したのだ! だから、物質を別の生物にするほどの魔法が使えた。一度負けたギニョルにも勝った!』


 ぐりぐりと体の中を金属が動く。舌を噛みそうな激痛に耐えつつ、からくりが分かった。


 徹頭徹尾、自分自身の目的の為だけに、力を振るってきたマロホシ。誰を苦しめ、誰を操っても、自分だけは決して危険にさらさせなかったあいつが、キズアトに蝕心魔法をかけさせ、キズアトのために自分を死なせるように仕向けたのだ。


 ノイキンドゥを半生物に変え、キズアト自身の肉体も、吸血鬼として再構成した。理論も系統も不可知の、奇跡に等しい魔法の所業だが、マロホシが自分の死を賭ければ不可能ではなかったということか。


 ずしゅ、と刃が体から抜けた。ギニョルに封じられた俺の隣に、キズアトが顔を寄せてくる。青白い頬が俺の返り血に濡れている。


 こいつこそが、吸血鬼。アグロスがバンギアを知る以前、血も涙もない悪党をののしって呼んだ意味での。クレールと同じ種族なんかじゃない。欲と怒りに狂った化け物。


『いいか、弱者を助ける愚劣なゴミ。お前に島が終わるのを見せてやる。さあやれ、ゾズ!』


 声と共に、がこん、とフロアが揺れた。


 何だと思ったら、目の窓の下に灰色の塊が現れる。塊は落下していく。その先は、マーケットノゾミに向かって。


 どおん、という鈍い音。粉塵が巻き上がった。


『ふん、広場を外したな。ここは上空千メートル。がれきの塊を落とすだけで大被害だ。何百死んだかな』


 島の住人達が。俺の友人が命を張って被害を防いだはずの者たちが。


 なりそこないをようやく倒し、キズアトの問いかけを振り切って希望を見出した者たちだったのに。


『さあ、第二射だ。ゾズ、次は良く狙ってくれ!』


 スレイン、ガドゥ、ユエ。来てくれた者たちの居る広場。


「や、やめろ!」


 俺の悲鳴を楽しむように、さらに巨大ながれき片が形成されていく。

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