71赤い瞳のマロホシ



 ガドゥが改良、生産した魔錠は、魔力の操作そのものを断つ。吸血鬼も悪魔もエルフも、バンギアの人間も、この錠前によって魔法を扱う力を失うのだ。


 無論、マロホシも例外ではない。いかに改良されたとて、魔法の本質は魔力の操作にある。悪魔としての基本の操身魔法、魔力まで別種そのものとなる操身魔法、さらに肉体をも捨てる新たな魔法。


 すべて、使うことはできない。これで、マロホシは何もできなくなった。


 断罪者はとうとう、元凶の一人にその牙を突き立てたのだ。


「その魔錠は一生取れない。お前の刑期は終身だからな」


 マロホシは放心したように俺を見上げる。両世界で最初に新たな魔法の領域にたどりついた天才でありながら、悪事のせいでその魔法を二度と使えないのだ。


 哀れとは思わないがな。それだけのことをやってきた上に、島にこの混乱を引き起こした元凶の片割れだ。死刑がなかったのを喜ぶべきだ。天才が能力を発揮できない一生というのは、死を超える地獄かもしれないが。


 ギニョルの一部が俺の隣に現れた。ノイキンドゥのこの辺り一帯を掌握しているのだろう。杖を光らせて魔力を探知している。


『よくやったな、騎士。あとは、キズアトじゃな』


 俺の投げた銀のナイフで半身を失い、マロホシによって生きながらえさせられたキズアト。今は吸血鬼でさえもない。戻れば灰化が進んで死んじまうからな。


「あいつ、今なんの種族なんだろうな。おい、誰に変化させたんだ」


 ガドゥがたずねても、マロホシは答えない。階下に連れて行って、ヤタガゥンあたりに蝕心魔法をかけてもらう必要があるか。


『答えずともよい。この建物は、わしがほぼ掌握した。残っておる生き物は、まとめて床や壁に取り込んで、外に出しておる』


 その言葉通りだった。窓から見下ろすと、一階玄関の周りの壁から、次々に人が放り出されていく。悪魔、吸血鬼、下僕であろうそのほかの種族。数人足らずだがまだ残っていたんだな。


 広場は島の住人と断罪助手たちが掌握している。遠目にも分かる、最後まで逃げ隠れていたGSUMの幹部連中が、次々拘束されていく。島をめちゃくちゃにした後、あいつらと協力して組織を興すつもりだったんだろうが、こうなってしまえば、いよいよGSUM再建は不可能だ。


「あいつ、いないみたいだな」


 ガドゥの言う通り、キズアトの姿はないようだ。が、あの体では魔法から逃れられまい。建物そのものを掌握している以上、隠し部屋の類に隠れていても無駄なのだ。隠し玉のチヌークヘリも墜落した以上、飛んで逃げることもかなわない。


 クレールが死ぬ原因を作った奴を、直接断罪できないのは残念だが。


 静かなため息が聞こえた。魔錠をはめられたマロホシが、ぽつりとつぶやく。


「……騎士くん、ごめんなさいね」


「なんだって?」


「あなたのことも欲しかったんだけど。私はやっぱり、あの人のものになるの。いいわよ、ミーナス!」


 そういった瞬間、マロホシが俺の懐に飛び込んできた。


 相討ちかと思ったが、今のこいつは魔法も使えず、武器も持っていない。そもそも右腕は上がらず、左手は指が千切れ飛んでいるのだ。きゃしゃな女の体、俺一人倒すこともできない。


「惜しかったわね、なんであのときギニョルに譲ったのかしら」


 眼鏡の奥で俺を見つめる黒い瞳。悪魔の中で、いやバンギアではほとんど例のない黒い髪。きゃしゃな体、とても何百人という犠牲者の体をいじくりまわしてきたとは思えないほど。


「騎士!」


『撃つなガドゥ、小銃弾では騎士を巻き込むぞ!』


 ギニョルが壁面を操る。コンクリートでできた腕がマロホシを引きはがしにかかる。


「さよなら、騎士くん。ギニョルとユエが、ちょっとうらやましかったわ」


 俺の胸元に顔を入れた。何がしたいと思ったら、口にくわえたのは銀のナイフの柄だ。俺が懐に持っていたやつ。


 黒い瞳が魔力で輝く。両目とも赤く染まった。これは蝕心魔法。


 流煌に仕込まれていたのと同じ、一定条件で一定の行動を強制的に行わせるもの。


 魔錠のついた左手を上げる。切り落とす気か。


「やめろ!」


 抑えようとしたが、先にギニョルの腕がマロホシをつかんで引きはがした。

 俺から離れていくマロホシ。口元から煙がほとばしる。銀の輝きに左手を当てた。


 するり、と刃が抜ける。魔錠のついた手が灰となって吹き散った。


 マロホシがギニョルを見つめた。その瞳は紅い。


『蝕心魔法、まさか』


「さようなら、ギニョル。一足先に待っているわね」


 魔力が高まる。俺とガドゥ、ギニョルも銃を構えて撃った。


 マロホシの全身が赤く染まる。心臓もやった。発動前に完全に殺した。


 はずだったが。


 並んでいたギニョルたちが次々と溶け落ちた。ノイキンドゥのビル全体が震え始めた。


「な、なんなんだ、どうなってんだギニョル」


 ガドゥがギニョルの一部の肩に触れる。直後、そのギニョルもどろりと崩れた。


 そいつだけじゃない。建物を使って作っていたものが全て溶け落ちた。


 天井から大きなしずくが落ちてきた。かたどられるのは、赤い髪に山羊の角、ギニョルだ。受け止める。


『うっ……騎士、すまん』


 さらさらとした赤い髪の匂い、透き通った柔らかい肌。マロホシより大きな腰の骨。これは作り物じゃない。


「これは、肉体、なんだな。マロホシの魔法は解除して奪ったんじゃねえのか」


『……再び、奪われてしまったのじゃ』


 馬鹿な。銃弾はマロホシを貫いた。モノになる前に、肉体の段階で殺したはずだ。魔法の発動は不可能なのに。


 いや。最後の瞬間、あいつは蝕心魔法で操られていた。流煌と同じ、条件が来るまで潜伏するタイプのやつだ。あいつは自分の意思で魔法を使ったんじゃない。


「あ、な、なんだ、うおおおっ!?」


 ガドゥが足元の床に引きずり込まれた。壁面から外へと放り出される。ここは十五階、ゴブリンは飛べないのに。


 階段が形を失っていく。窓が壁と一体化する。がれきとひび割れが融合していく。


 この階の周囲がことごとく形を変えている。今や俺とギニョルだけが、渦を巻く建物の変化の中心に閉ざされている。


 わけのわからないまま、一瞬体が宙に浮く。足元は床に突いたままだが、その床ごと、地上を離れたような――。


『さて、これで我々の計画は、打ち止めだ』


 男の声だった。最悪の聞き覚え、ここ数時間でさらに印象が悪くなった、吸血鬼の男の声。


 でろでろと内壁の一部が変形する。


 吸血鬼が現れた。頬の傷もなく、下半身も備えた、完全な姿のキズアトだった。


 

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