74断罪者に口づけ


 赤黒い肉に、灰色のコンクリートがまだら状に広がっていく。マロホシとギニョルの魔法が解けていくのだ。ここも、ただのがれきに戻るのだろう。


 ずずん、と揺れが起こった。俺は血だまりにうつぶせに倒れる。脚に力が入らない。痛いというより、眠いというのが正確だろうか。まどろみがぼんやりと包んでいく。


「どうなん、だ」


 辛うじて開く目で、キズアトが目と呼んだレンズのようなものを見つめた。

 現在位置は、島からそれているらしい。あの剣戟と、魔法と剣の刺し合いの間に移動していたのだ。


「……よかっ、た」


 ここががれきに戻れば、当然ながら重力に従い落下する。上空一千メートル。切り分けたパーツですら被害が出たのだから、丸ごと落ちて島が無事なはずはない。


 その最悪の事態は免れた。キズアトとマロホシは、最後まで逃げようとしていたのだろう。あるいは、ギニョルがやってくれたのか。


 目のレンズから見える景色が、下降し始めた。いよいよ落下が始まったらしい。


 おおおおん。いななきのようなものが響く。死出の前の最後の息吹だろうか。マロホシは大したものだ。ただの物質のがれきから、本当に巨大な生物のようなものを作っていたのだ。


 魔法によって作られ、魔法が切れて自壊していくという運命は、哀れにも思えるが。


「心配、すんなよ、俺が、一緒だから……」


 なぜか安らかな気持ちになって、赤黒い床をなでた。


 苦痛はおぼろげだ。もう、マロホシもキズアトもおらず、GSUMは事実上壊滅した。フリスベル、クレール、仲間だった断罪者も死んでしまった。


 俺の体も、元には戻らなかった。紛争から始まったすべてが、ようやく終わっていくのだ。


『……と、ナイ、と』


 小さな声。目を見開く。ひとさしゆびにわずかな痛み。


『しっかり、せぬ、か』


 羽虫が噛んでる。血が、出ている。これだけの血だまりがあるのに、マロホシの最後の攻撃で、俺の体の血は出尽くして死んでいくはずなんじゃないのか。


『これが、さい、後、じゃ。お前、体、もどさない。代わり、に、伝、える』


 この声はギニョル。絞り出すような声。俺の体を戻す、人間


『生き、ろ……その、体、可、のう性……』


 そこまでで途切れた。羽虫がみるみる風化して、灰になって崩れていく。使い魔の維持も不可能、溶け込んだギニョルの意識は完全に消失したのだ。


「俺の、体……」


 まどろむような薄い感覚が、代わりに痛みになっていく。指先が導火線なら、腕を通じて胴体の傷口にまわっていくようだ。


「ッツ、グアアアァァァァッ!!」


 激痛。スレインに生きたまま引きちぎられているような。


「ああ、ああぁ、ぐあ、うっ……ち、く、しょう……」


 だが、体の感覚は戻った。俺は、生きている。生きようとしている。痛みは、手当をしろという叫びなのだ。


 触ってみると、驚いたことに、三か所の傷口は血が止まりかけていた。

 俺の体はマロホシによって悪魔や吸血鬼並みの寿命にされ、病気や怪我への耐性、さらにある程度の再生力まで付与されている。その力で耐え抜いた。


「そうだ、俺のコート」


 はいずって、キズアトに剥がれたコートまでたどりつく。内ポケットに応急キットが入っている。


 外科用の針と糸、ピンセットに消毒薬、小さいが代用血液もある。


 俺は処置を始めた。


「つっ、うぐ、うぅうぅ……」


 消毒後、麻酔なしで傷口を縫い尽くろう。揺れで手元が震えやがるが、やらないよりましだ。どうにか、代用血液の輸血までやった。


「ふう、くそ……丈夫なもんだな、俺は」


 止血を済ませ、包帯もまいてしまうと、ずいぶんと痛みがましになった。さっきまでの、『もう死ぬ』という感覚は消えうせた。


 ギニョルは、最後の魔力で俺の体を戻せたのだろう。よく考えれば最後はマロホシとほぼ同等まで魔法の次元が上がっていたのだ。俺を治せないと言ってた頃とは違う。


 それでも、そうせずに、使い魔を動かし、俺に生きろと言ってくれたのだ。銃で撃たれりゃ即死でも、人間を超える耐久力がある俺なら、まだ生き残るチャンスはあると踏んだのだ。


 振動は続いている。外の景色も、やはり下降している。水平線がずいぶん低くなった。もう数十秒で着水し、この場所はばらばらになるだろう。


 その後来るものは何か。水に石を投げ込むと波紋が起きるように、大質量の物体が海に突っ込むことで、不規則で巨大な渦と波が生じる。バラバラになったコンクリート塊が、巻き起こる波紋の中を暴れ狂いながら、水底を目指すのだ。


 首尾よくマロホシの最後の攻撃を生き残った俺は、その中に身を投げ出すことになる。わざわざ手当てする意味はあったかってことだが。


 今はそんなこと、顧みる余裕はない。生き残るためには、少しでも可能性の高いことをしなければ。


 そう思ったまさにその時、突き上げるような振動が来た。

 すぐ脇で床が割れた。血だまりが薄まる。そこらじゅうが砕けていく。水が来た。


 赤黒い変形は完全に戻った。冷たいコンクリート塊が降ってくる。

 激突だ。


 ざぶん、どぼ、天井からコンクリート塊が降る。あちこちが割れていく。


 着水の衝撃で怪我をしなかったのは幸運だ。俺はまだ動く腕にコートを巻くと、頭をかばった。水の中にしゃがみこむ。


 足元のコンクリが下に向かって離れていく。脚が浮いた。落下した破片が当たったか、腕に衝撃。だが頭は守られている。このコートはグレネードの高温にも一瞬耐える。


 乱暴な水流が体を巻き込む。胸や腹をさんざんに打ち付ける。目の前が真っ赤になった。俺の血。傷口がまた開いた。


 海水の味の中、歯を食いしばる。パニックはだめだ。酸素は使うな。せっかくまだ意識がある。まだ死んでいない。


 何度水流にもまれたか、何度がれきに打ち付けたか。頭上を見上げていたはずが、知らぬ間に視界が下がっている。


 ここは島の外の海。暗いはずの水底が明るく見える。もう楽になりたい、のだろうか。


 息が切れて来たのか。空の代用血液パックが流れてきた。少しだけ空気が入ってる。


 吸ってみる。頭がはっきりする。


 頭上が明るくなってきた。日光が注いでいる。見下ろすと、がれき塊は底の見えない水底の方へ沈んでいく。今なら浮き上がれる。


 貴重な空気を吐いた。体が沈む。なんだと思うと、包帯とシャツが裂け、沈むがれきに引っかかっていた。


 まずい。片手じゃ千切れない、ほどけない。苦しい。また目の前がぼやけてきた。


 目の前でなにかがきらりと輝く。差し込んだ光を反射している。細長い棒のような――これはクレールの剣だ。


 キズアトの遺骸のそばに落ちていたのが、俺の目の前に流れてきてくれた。


 つかんで振るう。紙を裂くように戒めが解けた。


 これでと思ったが、必死にかいても身体が浮かない。空気がもう俺の体に残っていない。


 もうがれきはないのに。あと、十メートルほど浮きさえすれば。ギニョルとクレールが、俺に生きろと言ってくれたのに。


 黒い闇が足元から追ってくるようだ。光が遠くなっていく。一メートルずつ沈んでいく。意識がぼやけてくる。急に、穏やかな気もちになってきた。


 あの紛争、そこから生まれたいくつもの事件。最後の断罪。多くの者が死んだ。


 俺の手もたくさんの死を作った。もう、その中に入ればいいんじゃないか。


 頭上の光が遠ざかっていく。これから、きっと島は平和になる。そうなるべく歩んでいく。殺し合いの螺旋は、あの場所につながっていなかった。死の荒野をいくらかき分けても、果てに待つのは暗い谷底。


 ユエの笑顔がぼんやりとにじむ。俺が戻らねば、とんでもない泣き顔になるだろうか。断罪者として共に戦い、フィクスを亡くした俺を支えてくれたユエ。


 思い出す。俺は、言ったのだ。

 一人にしない。居場所になる。俺が戻らなければ。


 にじんだ視界に、茶色いものが映る。浮き上がっていく。がれきとは違うなにか。コートを持った手を伸ばす。つかめない。指が潰れているのだ。


 渾身の力でレイピアを刺す。貫いたと思うと、体が沈まなくなった。


 光が少しずつ近づいていく。息の切れた俺の体が浮かび上がっていく。


 茶色いものを見つめて驚く。これは木片だ。塊の木片。ノイキンドゥにあった木片といえば、俺たちのために薬物を浴びて死んでいった断罪者の遺体に他ならない。


 樹化したフリスベルは、ノイキンドゥ全体に根と枝葉を伸ばしていた。マロホシとギニョルの魔法に巻き込まれ、魔法生物の一部になっていたのが、戻ったのだ。


 ざぷ、と音を立てて、俺は陽を浴びる海に浮かび上がった。


「……ぶはっ! はぁ、はあ……」


 きらきらと陽を浴びて真っ青に輝く海を背に、しこたま呼吸する。俺はつくづく、陸の生き物だ。


 遠くの方に、ポート・ノゾミらしきものがうっすらと見える。かなり離れていたらしい。あちこち痛むが、このままフリスベルとクレールに助けてもらえば、数時間は生存できる。その間に捜索してもらえれば。


 そう思ったが、頭上に影が差した。


 見上げると、真っ赤な竜の巨体が太陽を隠していた。背には涙でいっぱいの俺の妻が身を乗り出している。見覚えのある小柄なゴブリンも。


 スレイン、ユエ、ガドゥ。来てくれた。


「ありがとな、お前ら」


 海水か涙か。俺は仲間の遺骸と友の剣の柄に、塩辛い口づけをくれてやった。

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