75悪魔と光のはしご
断罪は終わった。老犬は牙の一部を失いながら、見事に最後の獲物を仕留めた。
失われた牙。クレールと、フリスベル。そして、ギニョル。
残った牙。俺と、俺を助けてくれたスレインとユエ、ガドゥ。
俺の傷はワジグル達ハイエルフの薬草によって手当され、無事動けるようになった。島に戻り、キズアト達がばらまいたがれきや、なりそこないの被害の救助に当たるべきだったのだが。
思いがけず、ある男の使い魔に呼ばれ、残りの牙はポート・ノゾミを後にした。
ルーベ。見事な医術を持ちながら、マロホシに使われていた悪魔の男。その医術でユエとギニョルを立ち上がらせ、無茶な断罪をこなさせた名医といえる。マロホシが消えてなくなった今、両世界のあらゆるヒトの体を元もよく知っているやつだ。
空気がよどんでいる。カーテンの隙間から差し込む光に、ほこりが舞い上がることもない。処置用の無菌室だから当然なのだが。
ここはアグロス。三呂市の港湾施設にある倉庫に隠された病院施設。
この強引な断罪のスタートで、アグロスに来て奇襲された俺たちが治療を施された場所。
窓から長い首を突っ込んだスレイン。
作業帽を取り、握り締めて黙り込むガドゥ。
俺は黙って口元を結んだ。
「ギニョル……」
ユエの痛ましいつぶやき。撃たれていない方の手を伸ばす。細い指で、そっとベッドの女性の前髪を分ける。
清潔なベッドに、赤い髪の女性が横たわっている。手術着の下、包帯に血がにじみ、息を荒げている。人工呼吸器などの類は装着されていないが、下僕半の体を持つ俺には分かる。
「……目、開けてよ。行けそうにないから、別の体で断罪に来たって言ってたじゃない。共に命を賭けられなくてすまないって、私に言ったじゃない。別の体が死ぬだけじゃなかったの」
ギニョルの負傷は、ユエより大きかった。強大な悪魔の姿とはいえ、車両の衝突を受けていた。ルーベの腕前をもってしても、一命を取り留めるのがやっとのはずだった。
断罪になど、来られる体ではなかったのだ。ルーベが言うには、島に居たギニョルは、キズアト達が残していった魔道具を使い、死体を自分の姿に変形させて動かしていたのだという。
そういえば、フリスベルやクレールがギニョルを見たときの反応が違っていた気がする。魔力に敏感なあの二人は気付けていたのだ。
それなら、ユエの言う通り動かしていたギニョル本人は生きているはずなのだが。
ユエが医者の胸倉をつかんだ。
「ルーベ、なんで人工呼吸器とか、つけてないの。蘇生処置だってなんだって、あるでしょ。アグロスの医学は分かるんでしょ」
「申し訳ありません。もう、ギニョルさんに魔力が……」
詰め寄られて、目をそらすルーベ。ユエには分からないのだろう。
俺には分かる。魔力がほとんど感じられない。あれほどの使い手であったギニョルから。
つまり、今わの際にあるということだ。
「魔力がないって、どうにかならないの。ほら、分けるとか」
「魔力を他者に与える魔法は、存在しません。マロホシも、作れませんでした。私にも、恐らくまだ、両世界の誰にも」
バン、と入口のドアが開いた。駆け込んできたのは、断罪に協力してくれた梨亜。それに。
「紅村、狭山……」
境界管理課として、俺たちを追い回した梨亜の養父。それに、すべてを投げうち、公安を襲撃してくれた元自衛軍の空てい部隊長。
「ギニョル、どういうことなの。別の体に行かせたのに、なんでこんな……」
「梨亜。騒がしくしてはいけない」
「でも、親父!」
「……よせ」
ギニョルが目を開けた。かすれた声。キズアトにいたぶられている俺を、支えたときのような。
俺には分かってしまった。ギニョルは死ぬ。
ドラゴンピープルであるスレイン。ゴブリンであるガドゥ。そして魔力不能者であるユエ。魔力の分からない三人でさえも、感じ取ったらしい。
ユエがうろたえる態度を改めた。俺はその肩を支える。震えていた。
断罪者の長であった『お嬢さん』の、最後の言葉を聞かなければならない。
「紅村、二人の処置は」
「……襲撃による公安の死傷者は、GSUMによるところが大きいと判明しています。それに、キズアトとマロホシが突然断罪され、断罪者が負けると思い込んでGSUMと癒着していた警察官僚たちが、逃げ腰になっている。GSUMの存在を明かしたくない日ノ本が、二人を裁くことはありません」
ならば、狭山も梨亜も咎めなし、か。さすがに一億二千万人の国の最上層。えぐい権力ゲームだな。二人が射殺したり負傷させた公安は一人や二人じゃなかったんだが。
「よかった……梨亜、狭山も、ここへ」
「なに、ギニョル」
梨亜に続いて、狭山が歩み出る。歩み出るというか、杖を使ってどうにかこうにかたどりついた。あの戦闘の負傷で、梨亜は腕を失い、狭山も腕と足が麻痺してしまったのだ。
のぞきこむ二人に、ギニョルが顔を傾ける。その瞳が紅く染まり、銀色の魔力が放たれた。一瞬にして二人の意識が駆られる。体を変えた蝕心魔法。
やはりか。ガドゥと俺は黙って二人の体を支える。息を呑む紅村。
「ギニョルさん、一体何を」
色めき立つ紅村を、俺たち四人が目で抑える。
「悪いが、外してくれねえか。梨亜に危害が及ぶことは、絶対にないから」
しばらく俺とにらみ合っていたが、やがて紅村が折れた。
「分かりました。私も、かつてこの人と共に戦った身です」
紅村が出ていった。今この場で俺たちを魔法の不正行使で引っ張れる権限も持った、境界課の課長が席を外してくれたのだ。
「……ありがとう、騎士。ルーベ、できるな?」
「お任せください。準備に入ります」
扉があき、ストレッチャーを押した看護師が二人。意識を失った二人を運んで行った。ルーベも同行した。
部屋は、断罪者だけになった。
これから、ギニョルが使う最後の魔法。その仕上げには、外科手術が必要なのだ。
部屋は静かだった。三呂には珍しい澄んだ日の光が、窓からギニョルに降り注いでいる。
残り少ない魔力が、おぼろげに形を取り始めている。ギニョルのつま先から、灰化が始まっていた。
「よし。断罪は、戦争ではない。断罪者でもない者が、払う犠牲は、少ない方がよい」
その言葉の意味を理解していない者は居ない。俺たちは、同じ老犬の、しなびた顎にはさまった牙だったのだから。
「さて、ガドゥよ」
「ギニョル、おれ……」
「よくやってくれた。もう存分に、優しいお前でよいのじゃぞ」
涙をこらえているガドゥ。答えられない。拳で目をぬぐう。
真っ赤な長い首が、ベッドめがけて進む。硬い鱗に細い手が触れる。
「スレイン。よく戦ったぞ」
「そう見つめるな。竜の涙が、珍しいからといってな」
まぶたのないとかげの目から、透明なしずくが、陽の光に照らされる。
「ユエ。お前の銃には、頼ってばかりじゃった。悪の血で、傷は癒せぬというのに」
「いいよ。……私、ギニョルだったから、頑張ったんだもん」
しゃがみこみ、手を取るユエ。頬を寄せる。祈るように閉じた目から、感情のかけらがこぼれておちる。
俺はコートからレイピアと木片を取り出した。ギニョルはまぶたをふるわせながら、死んでいった仲間に語り掛ける。
「クレール、フリスベル。疲れてしまったな。長い命の中で、最も、疲れただろう……立派、だったな」
島の住民を守り、俺たちを守り、長い寿命を全て捧げた二人の仲間。
俺は泣かなかった。ユエの震える背中にそっと手を当て、ギニョルの視線を受け止める。
「騎士よ、すまぬ。巻き込んだお前の、寿命は治せなかった」
吸血鬼のクレール、ローエルフのフリスベル、そして悪魔のギニョル。三人は本来、八百年の寿命を生きる種族だった。
断罪者で長い寿命を持て余すことになるのは、これで俺だけになる。
だがギニョルに悔いを残したくない。俺は言った。
「……正解だよ。だから俺は、キズアトを断罪して、生きて戻れた」
自分の体を誇らしく思うことは、初めてかも知れない。
広がる真っ赤な髪が、毛先から色を失っていく。それどころか、形さえも失い、灰に還っていく。いよいよ魔力が枯渇している。
「……ふ、ふ、怖いな。死、とは。さんざん、人に、与えたというのに」
「ギニョル! やだ、やだよ……」
泣き出すユエだが、俺はまっすぐにギニョルを見据える。
「後悔はないだろ」
ふふ、と鼻で笑うギニョル。
「まあ、な。島に、戻って、良かった。喜銃、契約は、これ、で……」
ギニョルは最後まで言えなかった。紫色の魔力が全身を取り巻き、灰化が一気に加速した。
ユエとスレインが体から離れる。美しかったギニョルの体は、手足だけを残して完全に灰となった。
手足。右腕と左腕、左脚。それは魔力に取り巻かれ、変化していく。左腕と左脚は、ごつごつとした男のものに。右腕は、ふっくらとしたまま、わずかだけ形を変える。こちらは女の腕。
ガドゥが外めがけて駆け出した。
「ルーベ! 成功したぞ! 手術だ!」
ルーベと二人の助手が部屋に入ってきた。変化したギニョルの手足を無菌のラップで包み、駆け出していく。手術室へ向かうのだ。
梨亜と狭山。断罪に巻き込まれた二人に手足を作り、移植する。
それが、ギニョルが死を賭した最後の操身魔法だった。
スレインと、ガドゥとユエは手足の出ていった先を見つめている。
俺はベッドに重なる灰をつかんだ。さらさらと指の間をこぼれ落ちていく。窓からの光の中に、清らかな心だけが昇っていったかのようだ。
「お嬢さん。本当に、疲れちまったな……」
人を操り、ねじ曲げ、食らうはずの悪魔が。
ただ、人のためだけに生きて、死んでいった。
法と正義によって、キズアトとマロホシは断罪され、GSUMは倒れた。
ギニョルは喜銃との契約を果たしたのだ。
「騎士くん、泣いてるの……?」
「しかた、ねえだろ。一人くらい、笑って、送ってやらないと」
やばい。ギニョル居ないと思うと、止まらん。だめだ。
ユエが立ち上がり、俺を抱きしめる。細い腕と温かく柔らかい胸の感触。
「いいんだよ、もう泣いても。えらかったね」
「っ、めろよ……おれ、俺は……」
そこから先は言葉にならなかった。
流煌のときより、涙はとめどなかった。
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