41ロング・ショット
ヤスハラの発言は的中した。
国民達は禍神の魔力を感じ取ってしまった。英雄と期待したゴドーの死と、自分たちの破滅を直感すると、たちまちクリフトップの門前に集まってきた。
それぞれの叫び声が、巨大なざわめきとなって、イスマ中に反響している。
ユエをはじめ、ギニョルとクレールを除いた俺達断罪者。それにクオン、マヤ、デオ、ニノに数人の特務騎士団員という王国の関係者。
ゴドーが演説をした演壇で、押し寄せた群衆と向き合うことになった。
「ゴドー様は本当に死んだのですか!?」
「あのおぞましい魔力は本当に王のものか?」
「王はなぜ我々を狙うんだ!」
「アキノ家はあんな恐ろしい魔道具を隠していたのか、800年も私達を騙していたのか!」
「殺されるのでしょうか」
「アキノ家の方々、誰でもいいから守ってください、死にたくありません! イスマを離れるのは嫌だ!」
「日ノ本はどうです、アグロスの保護は頼めないのですか」
拾える発言だけでも、ひたすら勝手と臆病の極みだ。
いや、今まで外交や軍事の全てをアキノ家に投げ出してきた国民達だ。いきなり滅亡の危機を面前にしたらこうもなるだろう。
しかも、さらに悪いことには。
「団長、森の方から! 避難民の人達ですよ!」
「分かってるよニノ……」
群衆の叫び声にかき消されそうなやりとりだった。
俺も目を凝らしてみたが、何か白いものが木の間にちらちらと見えるだけ。
しかし、狙撃をこなすニノと、ここにいるメンバーで最も銃の腕がいいユエの言うことに間違いはないのだろう。
他の奴らも確認したらしい。首を伸ばしたスレインが、腕を組んで炎のため息を吐く。
「百人は居るぞ。なんとか皆を落ち着けて受け入れ、避難か戦闘か選ばなければ」
「でもこんなになっちまって、どうすんだよ。簡単には収まらないぜ。まさか発砲するわけにも、いかないだろうし」
ガドゥが頭をかいて首をひねった。ギニョルなら良い作戦が思いつくのかも知れないが、生憎とどうしようもない。
「落ち着いて! どうかお話を聞いてください。傷ついた同胞の姿が見えます! 今後のことは、まず彼らを助けてから……」
マヤが必死に声を振り絞る。ゴドーの部下がやったように、クオンが杖をかかげてその声を増幅している。
演説のときより大きいくらいなのだが、かき消すように怒号が上がる。
「本当だ、来たぞ! 禍神に狙われてるかも知れない!」
「食糧の貯えなんかほとんどないわよ、もう荷物の列車も止まってるし、ヤスハラ伯も出ていったから、どうにもできない」
「追い出せよ、飢え死には嫌だ!」
止められない。聞こえているはずなのに、聞く気が全くない。
「こんな、これが、同じイスマの民なのか……」
飛び交う怒号と罵声の中、クオンが顔を伏せる。
政治に敗れ、暗殺稼業に堕しても、首都と民を誇りに思っていたクオン・アキノがだ。
ヤスハラの奴の言葉は、イスマの民の自尊心を徹底的に砕いた。今ここにいるのは、人語を喋るが、羊同然の弱い獣の群れに過ぎない。
事態は、さらに悪化した。
『おお、ようやく繋がったな。無事か、皆』
フリスベルの肩でねずみが喋った。ギニョルの使い魔か。イスマに行けと言ったっきり連絡が取れなかった。
「ギニョルか。俺達は無事だぜ。マヤもザルアも、クオンもニノもデオも、こっちで戦ってくれる奴らはクリフトップまで退いた」
『それは良かった。では、イスマには籠城の準備が出来ておるのじゃな。少し手間取ったが、ダークランドから、禍神に対抗する援軍の目途をつけた。もう着くから待っておれ』
まとまってなんぞいない。だがギニョルは一方的に魔法を終えた。使い魔はただのネズミに戻っている。
「た、大変です……この魔力、たくさん来ますよ。援軍ですけど、今は」
「フリスベル、まさかさっきの通信は」
俺が聞くより先に、北東からヘリのローター音が聞こえてきた。
ザルアが指を指して叫ぶ。
「あそこだ! アパッチが来るぞ!」
言葉通り、まだ霧の残る午前の青空を背景に、アパッチ・ロングボウがこちらへ向かって機首を傾けている。
「あ、あれは」
「よりによって、今……」
クオンとマヤが頭を抱えた。アパッチの向こうに浮かぶ集団の魔力を、感じているのだ。
集団。それは真っ黒い大きなカラスと、ローブを羽織り、翼の生えた人型の大山羊から成る。
どう見ても、悪魔達と使い魔だ。
さらに、カラスの背中には赤と黒のマントを付けた、灰色髪の連中も見える。
こっちは吸血鬼か。ダークランドからはるばる来やがった。
使い魔の大ガラスは、その足に木箱を抱え、背中には痩せこけた人間の子供や大人を乗せていた。道中、禍神や落とし子から救ったのだろう。
なるほど、ダークランドの住人らしからぬこの人道主義。軍紀に関しても、クレールやギニョルが相当に頑張ってくれたのか。マロホシやキズアトのような野心家が島に行ってるのも大きいのかも知れない。
禍神はバンギアの全てを脅かす危険な大敵だ。人間を餌のように使う悪魔や吸血鬼とて、敵の前では協調できるというわけか。
それは素晴らしい。素晴らしいが、残念ながら。
「悪魔だ! 悪魔と吸血鬼が来た!」
「ゴドー様が死んで、辺境伯領が素通りされたんだ! 人もさらってる!」
「だめだ、もうだめだ、みんな殺される、イスマは終わりだ……」
七年前まで、純然たる人間の敵だった二つの種族。恐慌状態のイスマの住人には、状況を顧みる余裕などない。禍神に乗じて、首都に攻め寄せたようにしか思えないのだろう。
首都に近づき、ギニョルの方も、剣呑なざわめきを感じ取ったらしい。
再びねずみの目が紫色に光る。
『……どうしたことじゃこれは。騎士、フリスベル。ユエやマヤや、クオンがおるのであろう。まともなアキノ家の兄妹がこれだけ並んで、なぜ首都を掌握できぬ』
滅多に聞けない驚きの口調。それだけの事態なのだろう。
俺は無言で歯噛みをした。ギニョルの働きは見事なのだ。よくこれだけの悪魔や吸血鬼を味方として集めてくれた。
だが、読み違いをしていた。人間を信じすぎたのだ。禍神相手に覚悟を決めて籠城戦をやれると思ってやがった。
誰も何も言わない。俺はため息を吐くと、ねずみに向かって言った。
「……ギニョル、だめだ。ヤスハラの奴が、逃げる前に禍神についてばらしやがった。ここの住民は戦う気力を失くしてる。ましてお前達を受け入れるなんて、冷静な判断ができるはずがない」
ねずみがかっと口を開く。ギニョルの秀麗な顔が驚きに染まるのが想像できる。
『馬鹿な! そんなことがあるものか! 七夕紛争の前の百年、わしら悪魔や吸血鬼は、人間に三度も戦争を仕掛けて、本気で国を滅ぼそうとしたこともあるのじゃ。イスマとそこに住む民は、その全てに耐え、ときに大きく押し返してきた。その民が』
たあん、という銃声が全てを切り裂く。
群衆の間から、糸のような細い煙が立ち上っていた。
赤い髪の若い男だった。アグロスから来たであろうジーンズにシャツと、麦わら帽子をかぶっている。恐らく農夫だ。
農夫は、白煙の立ち上るウィンチェスターライフルを両腕で抱えている。
「く、来るな、来るな悪魔め! 帰れ、俺達は、せめて人間の手で死ぬ!」
酔っぱらったような震え声。尻尾を腹に巻き付けて吠える犬。
怯えが伝染する。銃を持った住人達が、次々俺達に背を向けてギニョル達に撃ちかけ始めた。
「奴隷になんかならないぞ!」
「おぞましい実験をやりに来たのか! どういう罠を張ったつもりだ!」
「あなた達に捕まるなら、王様の魔力になるわ! 禍神に身を捧げる!」
もう止められない。銃弾と罵声が次々と叩き付けられる。
群衆からギニョル達までの距離はまだ1キロ近くある。連中が持ってるのは、ウィンチェスターライフルにSAA。旧式の銃で、しかも素人じゃ命中は難しい。
悪魔達は動きを止め、ホバリングにかかった。ああしていれば当たらない。
不意に使い魔の目が光った。
『ユエ。これが、あのイスマの民なのか。わしは、わしは間違っておったのか。島で知ったのじゃ、人間もまた、信じられることがあると。わしらに劣らぬ気高き心と力があって、それを発揮すればきっと……』
呆然とした声が聞こえる。人間を信じ、契約して断罪者となったギニョル。俺のことやユエのことも断罪者の仲間として受け入れてくれる。
そんな奴が人間を助けるため、仲間を説得してこうして来てくれたのだ。なのに、銃弾と罵声を浴びせられることになるなんて。
断罪者は黙るしかなかった。2年以上一緒に戦ってきて、ギニョルのことは知っている。何をされれば最も苦しいのか。
「こんなの、ないです……せっかく、せっかくギニョルさんやクレールさん……」
背中を震わせるフリスベル。スレインの尾がそっと支える。その肩を抱くマヤの瞳にも、小さな涙が光っていた。
崖の上の王国は、瓦解するのだろうか。アキノ家の者たちも、俺達断罪者も。民のため民のためと、全てを背負い込み過ぎたというのか。
しょせんイスマで安穏と暮らしてきた民は、ララやヤスハラの言う通り、裁かれるべき怠慢な連中に過ぎないのか。
崩れ落ちそうな雰囲気の中、ユエが二歩、歩み出た。
真っ黒なテンガロンハットが、口から上を隠している。
無言のまま、右手をゆっくりと左脇のホルスターに伸ばす。
そこから先を止める暇はなかった。
銀色の銃身が引き抜かれる。腰だめに構えたかと思うと、ユエは群衆めがけて引き金を引いた。
例のファニングショットだ。リボルバーは一瞬で一回転し、5発のロングコルト弾が銃を飛び出す。
弾切れのSAAを叩き付けると、ユエは左手で右のホルスターから、オートマチックハンドガンを抜く。
シグザウアーP220。紛争初期、ユエが兵士から奪った無骨な愛銃。
ユエはそれもスライドを引いて群衆に向け、弾倉の9ミリルガー、9発を全て撃ち込んだ。
落ちた空薬莢が、湯気を立てている。
「あ、だ、団長!」
続いてニノからひったくったウィンチェスターライフル。
それもまた構えて、群衆目がけて次々に撃つ。
一発、レバーアクションで排莢、装填。
二発、再びレバーアクション。
三発――。
「よせ! 口惜しかろうが、無辜の者を殺すな!」
スレインが前に出て射線を遮る。つかみ殺さんばかりににらみつける首に向かい、ユエはテンガロンハットを叩き付けた。
「むっ……ユエ」
口ごもるスレイン。その場の全員が息をのんだ。
ユエは泣いていた。凛々しくも力強い表情で唇をかみしめ、青い瞳から、ただとめどなく涙を流して。
俺には分かった。いや、その場の誰にでも分かった。
ギニョルよりも、この場の王族の誰よりも、状況を口惜しがっているのは。
最も王国から遠ざかっていた、アキノ家の末っ子なのだ。
「……兄さま、姉さま、デオでも誰でもいい。私の声を思いっきり広げて」
マヤが無言で杖をかかげる。緑色の魔力がうずまく。ゴドーの従者なんかよりよほど上等の現象魔法なのだろう。
ユエは息を吸い込むと、体をよじって全身から声を上げた。
「いい加減にしてよ!」
俺は思わず耳をふさいだ。きんきんしやがる。なんつーシャウトだ。
声はイスマの町中に響き、無論群衆の間も貫いた。
群衆。ユエに十六発の弾丸を撃ち込まれた群衆は、誰一人倒れていなかった。
血の一滴流している奴も居ない。
弾丸は、ギニョル達を撃っていた者の手から、銃だけを弾き飛ばしたのだ。
距離約200メートル。6秒にも満たぬ正確な早撃ちだった。
群衆は一様に血の気が引いていた。誰もかれも黙り込んでユエをじっと見つめている。
かつて、硝煙の末姫と呼ばれたユエ・アキノは、肩で息をしながら、美しくも悲痛な目でそんな群衆をにらみつけた。
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