42蘇るイスマ

 集中する視線。ユエは涙もぬぐわない。


「ちゃんとよく見てよ。飛んでるのはギニョルとクレールだよ。私が断罪者として島で一緒に戦ってきた仲間なんだ。悪魔だけど、吸血鬼だけど、みんなのこと、助けに来てくれたんだから」


 ざわつきながら、再びギニョル達の方を振り向く群衆。


「荷物を、持ってるぞ」


「鎧や杖を着けていない……」


「子供が居るけど、拘束されてないな」


「無防備過ぎる。戦争のときはもっと狡猾に襲ってきたのに」


 全体的に目が良いらしい。それ置いといて、ようやく話を聞いてくれそうな雰囲気になった。


 マヤとクオンの現象魔法はまだ続いている。ユエの声は明瞭に響く。


「私は、紛争が終わってから2年、島で戦ってきた。どの種族とか関係なかったよ。悪魔も、吸血鬼も、エルフも、ゴブリンも、ドラゴンピープルまで悪い人といい人がいた。戦ってきた歴史は分かるけど、今目の前にいる人をちゃんと見て」


 まあその通りで、この2年、断罪者としてどの種族の悪人とも戦ったのは確かだ。


「禍神はこの世界の魔力を乱すの。生きているみんなの敵なんだ。私達特務騎士団が解放した人達や、お父様やゴドー兄さまの軍勢の人も巻き込まれて死んじゃってる。でも、だからこそ、ギニョル達悪魔の中にも協力してくれる人が居るんだよ。ここを生き残るためには、残ったみんなで団結して」


「しかし、我々はアキノ家の方々の命令や動員なしに戦ったことなどありません。この800年ずっとです。強大な敵を前にして、そんな我々にできることなどあるのでしょうか」


 歯がゆくなったが、勢いづいた群衆から声が上がる。


「そんな考えだからこそ、ヤスハラ伯に言われた事態が起こるのかも知れません。私達はそうして生きてきたんです。どうか、誰かが先陣に立って」


「そうやって追い詰めたから、父さまは無理をしたんじゃない! すごく気にしてたんだ、紛争のときに何もできなかった事。だから、ヤスハラなんかを呼び込んで。兄さまは兄さまで、全部背負い込んで父さまを倒そうとして、こんなことに……」


 声を詰まらせるユエ。アキノ王が冠を使って禍神になってしまった経緯を知っているのだろう。禍神と化した王は、ゴドーを必要以上に憎悪していた。あの二人は鏡写しだ。民のため、覇王にならなければならないという脅迫観念に取り付かれていた。


「ユエ様……」


 アキノ家で最も末っ子の悲痛な表情に、群衆のざわめきが鎮まる。

 ユエは涙を乱暴にぬぐった。笑顔を作る。


「ごめんなさい。でも、そんなに卑下しないで。私も、ニノも、特務騎士団は皆覚えてるの。任を解かれた私達を、みんながどうやって迎えてくれたか。みんな、私達を色んな仕事に受け入れてくれた。アキノ家の誰も、出ていく私のはなむけなんてしてくれなかったけど、みんなだけは、みんなだけは、このイスマの大通りで、私にたくさんの花を送ってくれたじゃない」


 アキノ家からの扱いを見ていると、ユエはいかにも国から追放されたようだった。だがこのイスマの民は、2年前にこの街を出るユエを、硝煙の末姫として送り出していたというのか。


 誰の命令もないのに、イスマの民は硝煙の末姫を慕っていた。

 それこそ、王やアキノ家のほかの兄妹が危険を感じるほどに。

 

 ユエが顔を上げる。ぬぐってもなおこぼれる涙。

 綺麗な珠となって、朝日に輝く。


「2年前私が出ていったとき、きっとみんなもっと強かった。ヤスハラなんかの言葉信じなかった。得意なことだってあるでしょ! この国で、二年、生き抜いてきたんでしょ。きっとこれからも生きていける。誰の指示なんかなくても、日ノ本の人なんか居なくても、みんなはきっと大丈夫だよ。だから、だから私は、騎士団の解散を呑んで島に行ったんだ……もう戦争を、しなくていいと思ったから」


 震える声に、俺はいつか三呂のベンチでこいつの過去を聞いたときを思い出した。

 ここまでの強さを持っていながら、ユエは自分の運命を喜んではいない。


 助かるために殺して、皆のために殺し続けてきた運命を。


 群衆は、誰一人としてユエの言葉を聞き逃さない。

 老人から子供までが、壇上に視線を集中させている。


「みんなは、私を硝煙の末姫と呼んでくれた。私は、恥じない戦いはするし、断罪者の仲間だって頼れるよ。兄さまや姉さまも居る。でも禍神は強い。私達だけじゃみんなを守れない。逃げるにしても戦うにしても、みんなが一緒にならなきゃ、ヤスハラの言った通り、イスマはめちゃくちゃになっちゃう。だからどうか、私達に協力して。これから、みんなで、生きていくためにも」


 言い切ったユエは顔を伏せた。それは頭を下げて頼み込むようだった。アキノ王のような威圧とも、ゴドーのような策謀とも違う。およそ上に立つ者が下々に呼びかける態度ではなかった。


 それもそのはずで、ユエには誰かを支配しようなんて考えはないのだ。

 平民であったディレを慕い、ニノを含めた特務騎士団の娘たちから慕われる奴が、居丈高な貴族主義など振りかざすはずがなかった。


 だからこそ、硝煙の末姫として、イスマの民から慕われたのだ。


 しばらくの沈黙が場を支配する。


 やがて、一人の国民が叫んだ。


「……こうしていても始まらない。悪魔たちが味方なら、とにかく連れてきた奴らに手当てをしてやろう! せっかく生き残ったんだ!」


 またたく間に賛同の声が上がる。今できることをやるくらいには冷静さを取り戻したか。


「みんな……」


 崩れるようにしゃがみ込んだユエ。俺はSAAを拾うと、しゃがみ込んでその背中を叩いた。


「これから忙しくなるぜ、硝煙の末姫様」


 微笑みかけると、ユエは顔を上げた。しばらく見つめた後、俺の手の中のSAAを握りしめる。


 土を払うと、断罪文言のときのように、大切そうに額につける。


「分かってる。分かってる……これからだよ、この国も私達も」


 凛々しく変わった横顔は、800年の歴史を背負うアキノ家の血と矜持を背負っていた。



 それからの動きは極端なほど早かった。これが同じイスマの民かと思うほどに。


 ユエの訴えを聞いた住民たちは、すぐに行動に移った。まずギニョル達や避難してきた者たちを迎え、水や食事を振る舞い、手当てを行った。


 その最中にも、森からは次々に避難者が現れた。妙に多いと思ったら、禍神の出現に伴い、兵士達が製錬所や鉱山を放棄してしまったらしい。奴隷や売り物扱いだった労働者たちが解放されて逃げ出したのだ。どうやら、ヤスハラのやつは崖の上の王国の崩壊を完全に見越して、この国から一旦手を引くつもりらしい。


 人知れずさらわれていた者の数はかなり多く、避難民は一気に数千人にも膨れ上がっていた。


 それでも、首都イスマは揺るがなかった。いつかクオンが言った通り、辿り着いた者を決して飢えさせず温かく迎えて守りきるのだ。


 非常用の穀物庫が解放され、数千人もの避難者に対して温かい食事や手当てが施された。城下町の建物も、商人ギルドや職人ギルド、教会組織に、一応は非公式の存在である盗賊ギルドまでが協力して解放された。避難民は雨風をしのげる建物で、残らずベッドやカーペットの上で休むことができた。


 避難者の手助けと並行して、住人の代表ともいえるギルドや教会からの代表者がクリフトップに集まった。


 生き残ったアキノ家である、マヤ、クオン、ユエ、それに住民の意見を集約し、禍神との戦いか逃走かを選ぶためだ。


 ギニョルや悪魔達が、使い魔の斥候を放って確かめた所によると、禍神と落とし子がイスマに到着するのは、明日の午後以降というところらしい。


 前に進むのは相当遅い奴だった。禍神が現れた戦場が、イスマと離れていたのも幸いした。


 とはいえ一週間とか一か月も間があるわけじゃない。

 戦いでも逃走でも、できるだけ迅速に決断し、準備を進めなければならない。


 議論は紛糾するだろう。そう思った俺の予想は裏切られた。


 会議開始から十分ほどで、メンバーは会議室を出てきた。

 再び広場に群衆を呼び集める。


 動ける避難民を足して、さらに膨れ上がったイスマの民。

 視界一杯に広がる数万の顔に向かって、メンバーが告げたのは徹底抗戦だった。


 まさかと思ったが、民も同意して、城下町が割れんばかりの歓声で返した。


 勝算はあるのか、分からぬまでも俺達断罪者もまた、禍神との最後の戦いに参戦することとなった。


 


 


 






 

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