43姫と騎士
教会が取ってた帳簿によると、登録されたイスマの人口は4万2000人。ここに避難民や帳簿に乗らない連中を加え入れるとざっと五万人近くになる。
今のポート・ノゾミに迫るほどだ。さすがに人間の国の首都。半端じゃない。
それだけの人数が籠城の準備をするとなれば、上へ下への大騒ぎとなるのは当然だった。
戦略目標は早々に決まった。
禍神の消滅だ。
方法もある。確かに恐ろしいが、こちらには結構な情報が揃っている。
俺達が遭遇して戦った経験と、ギニョル達悪魔が知る伝承、それにガドゥの知る魔道具としての禍神を総合すれば、色々と分かることがある。
まず禍神は、小さく単純な現象魔法を合計した、長大な現象魔法だ。
魔法だが現象である以上、物理的な攻撃が通じる。でかすぎて迫撃砲が効いた様子はなかったが、アパッチが全弾ぶつけたときは巨体が大きく損傷した。中身の王さえ露出させれば、狙撃なりなんなりで停止させる可能性が出る。
実際、現時点での戦略もそれだ。
まずクリフトップ及び、ヤスハラが手を引いた自衛軍のねぐらから使える兵器の類をかき集め、撃ち尽くすまで全力で叩き込む。
しかる後、マヤ、クオン、ザルア、デオなどが率いる魔術師たちと悪魔や吸血鬼で接近して現象魔法を撃ち込む。
とどめはゴドーが残したフル装備のアパッチ・ロングボウで、機関砲全弾及び全ロケット弾、ヘルファイアミサイルだ。
これでも王本人が残った場合は、あらかじめ禍神の侵攻ルート上に潜んだ、ユエ達、特務騎士団で狙撃を行う。
ゴドーとの戦いを見るに、ここまでの打撃を与えれば、禍神は倒せるだろう。
この作戦だとイスマの民は直接戦闘に参加しないように思えるが、とんでもない。
禍神が黙って、されるがままに、なるはずがないのだ。
巨大な現象魔法を使おうとするだろう。落とし子を放ってイスマを狙うだろう。
首都は守りを固めて、少しでも犠牲を減らし、糧になることを防ぐ必要がある。
イスマは十分危険なのだ。
それに魔力の回復というと、禍神に接近するマヤやクオンこそ狙われる。ゴドーに匹敵する強い魔力を持った実子を、禍神は見逃さない。ゴドーのときから考えると、強い魔術師がやられたら大幅に回復されてしまう。
倒すとすれば相当難儀だ。
一方、魔法ゆえに魔力切れを狙う方法も考えられる。伝承においてはこの方法でしか禍神は止まっていない。こちらを狙うなら、このイスマでひと月の持久戦をやるか、逃走を選ぶことになる。
ただ、現実的ではない。食糧の貯えが十分とはいえ、平時より膨れ上がった5万という人員を、戦闘しながらひと月も食わせるほどの余裕はないのだ。
戦闘中の補給も難しいだろう。禍神がアキノ王の意識を保っている以上、イスマの構造は熟知しているはずだ。補給や食料の調達に出た部隊はまず無事に戻ってこられない。王は補給部隊を断ちつつ、悠々と待っていればいいわけだ。
逃走もまずい。5万人の移動は簡単ではないし、守る方が、とても追いつかない。大体、こちらを選ぶなら、会議でそう決めている。
そもそも、全生命や地形さえも魔力として糧にする禍神が、本当に消えるのか疑問なのだ。文献はどうだか知らんが、あの禍神だ。バンギアのあらゆる魔力を食いながら、何百年もかけて大陸全てを更地にしてしまうとしても、不思議ではない。
結局、イスマに集った5万人は、退路を断って自分たちの明日を戦い取ることを選んだに等しい。
アキノ家に従うだけだった全ての民が、一つしかない命と魔力を自分の意志で賭けたのだ。
夜半。俺はクリフトップのへりにある見張塔、その頂上に居た。
一人だ。戦闘に向けて必要なことは大量にあるが、俺に限ってはほとんどない。
あれからギニョル、クレールと合流し、とうとう断罪者全員が揃った。島を出て一週間も経っていないが、感慨深かった。
しかしすぐに二人は、悪魔と吸血鬼の軍団を連れて、ギルド長や貴族への挨拶回りに行ってしまった。さすがに今まで人間と戦い続けてきた種族だけに、気配りは欠かせないらしい。
スレインは物資輸送の警護に行った。
フリスベルは魔法による樹木の加工が忙しい。
ガドゥは戦略会議に出ている。
そしてユエは特務騎士団との狙撃訓練。
俺はというと、しっかり休むように言われたのだが。
たばこの煙が夜空に浮かんでいく。フィルターにせまった火をもみ消すと、携帯灰皿にしまう。大陸に来て一本目だ。
「明日の月は、ちゃんと拝めるのかね」
相棒のショットガン、M97を肩にかけ、ぼんやりとつぶやいた。
明日の午後、禍神はこのイスマの眼前に迫る。その夜には恐らく決着が着いている。俺達が勝つか、首都ごとあいつの糧となるか。
勝利を引き寄せるべく、準備は夜通し行われている。
まず俺の北側に広がるクリフトップの台地だ。
霧の中、王城や領主の館を包んでいた森。だが今や俺達とゴドーの軍勢に焼き払われてほぼ原型はない。
そのうえ、岩でできた無骨な小屋のようなものが無数につき出ている。現象魔法で岩を操ってつくられたトーチカだ。セットされた迫撃砲は二十門ある。ほかには、残った木をフリスベルが操って作った即席の防御陣地に、M2重機関銃を備え付けたものが十ほど。その他には、岩や木々を組み合わせたこちらも即席のテント状の住居が百近くあり、傍にはかがり火がこうこうと焚かれていた。
焼け残ったマヤの屋敷や、その他少数の貴族の館には、傷病者や年少、年長などで戦いに参加できない者が滞在している。テントには彼らの家族、いずれも戦闘に耐えられない者たちだ。
落とし子に空を飛ぶ奴はいない。ここは基本的に戦場にならないと踏んで、弱い者達を上にあげたのだ。平民が入ったら百叩きで、魔力不能者が入ったら死刑などという馬鹿げた法律は廃止されたに等しい。
クリフトップは城下町が駄目だった場合の拠点にもなる。
城下。俺は逆側を振り向く。崖下に広がる、煌々と明かりがたかれた城下では、崖の裏も表もなく準備が進んでいる。
高い建物のほぼ全てには、ウィンチェスターライフルを持った物見が配置。中でもひときわ高い教会の鐘楼、商館や職人ギルドの建物のてっぺんには、RPGとM2重機関銃、てき弾銃手が控える。
迷路のように入り組んだ城下町では、あらゆる建物の扉が補強され、岩石や油を落とす罠の類も準備されている。
職人通りで上がる煙は鉄砲鍛冶のものだ。イスマだけでなく、奴隷のごとく働かされていた鉱山や製錬所の奴らが気を吐いてのフル稼働で、SAAのロングコルト弾、ウィンチェスターライフルの44-40.弾などを作れる限り作っている。ここらへんの古い弾薬は、バンギア人でも製造技術がある。
南西に目をやれば、汽車がフル稼働。積み荷は鉱山や製錬所跡に残された食糧や鉱石、武器弾薬だ。ヤスハラが放棄してくれたおかげで、やっとバンギア人が自分たちの手で作ったものを消費できる。警護のスレインが一緒に帰ったのも見えた。
荷といえば乱暴だが、ユエと共に立ち上がった労働者や彼らを守るべく残っていた特務騎士団の残りのメンバーも、最初の便でイスマに着いていた。
ここにいる誰もが、自分の街と国を守るため、覚悟を決めたのだ。
初めて感じる大規模な戦争前の高揚感。
俺達断罪者もまた、そこに手を貸す。禍神の中に王が生きている以上、断罪法違反は揺るぎない。
そう。気合が入るせいか、せっかく俺だけが暇をもらい、部屋に居ることを許されたのに、全く寝付けないのだ。
「……いつもと違うのかね」
断罪活動だって、帰って来られる保証はないんだが。
夜を徹して行われるであろう作業を前に、俺はため息を吐いて目を細めた。
すると、突然、はしごを登る音がした。
何事かと思っていると、見慣れた奴がひょっこり顔を出した。
「やっほー騎士くん」
「ユエ、お前……」
にこにこしながら、ひらひらと手を振る。
訓練してたんじゃなかったのか。
俺が何かを言う前に、ユエはするすると見張塔に上ってしまった。
改めて見てみると、この塔は随分と簡素な造りだった。木を組んではしごをかけ、屋根は木の板をふいただけのもの。一応M2重機関銃が備え付けられてはいたが、今は外されて、城下に持っていかれている。
迎撃用にはフリスベルが残った森を操って作った矢倉があるし、今や無用の長物なのだ。暇な俺が勝手に昇って辺りを見下ろせる程度には。
「うっわー、ここ全部見えちゃうんだねー。みんな頑張ってるなあ」
手すりにへばりつき、城下町を見下ろすユエ。テンガロンもポンチョもない。ジーンズにブラウス。ホルスターの銃だけ。
見張塔の暗闇の中、街の明かりにぼんやりと照らし出されて、きゃしゃな上半身が
ぼんやりと浮かび上がっていた。
横顔も美しい。真白い肌に青い瞳、小さな唇、ゆるく渦を巻いた長い金色の髪。
意識するとまずい気がする。質問でごまかす。
「お前の方はどうしたんだよ。訓練って話じゃなかったのか」
ユエが俺に向き直る。だが視線は伏し目がちにそらす。銃を抜けば一瞬で何人もの命を撃ち抜く両手を、豊満な胸の前でもじもじやっている。
「……そうなんだけどさ。相手、禍神だよ。いつもの断罪とは違うもん。生きて過ごせる夜は、もう最後かもしれないんだから。みんな自由にさせてあげたんだ」
すこしずつ、にじりよってくるユエ。
街の音が遠くなる。目が離せなくなってきた。
詰め寄られて後ろに下がるが、すぐに壁。四人も立てば精一杯なほど狭い。
ユエが距離を詰めてくる。焦った俺は冗談めかして言った。
「ずいぶん弱気だな。硝煙の末姫様だろ」
瞬間、ユエの表情に浮かんだ失望と痛み。
ガラスの破片のように、俺の胸を突き刺してくる。
「もういいよ!」
悲鳴のような拒絶の声。はしごに向かうユエを、後ろから抱きすくめた。
身体が動いちまった。こいつをこのままにはしておけない。ただ、それだけ。
ユエが俺の腕を取る。十六歳の体をした俺よりも、細い指。
「……やめてよ、いらないよ、騎士くん。そんな、可哀想とか、そういうの」
声が震えている。
俺は黙って抱き締め続ける。俺の何倍も人を撃っていながら、か細いその体を。
間違ったのは俺の方だ。
うつむいたユエが涙声で続ける。
「私、私、本当は、普通でよかったんだもん……たくさん、たくさん、人を殺しちゃったけど。もう最後かも知れないって思ったら、それだけ浮かんできたんだ。騎士君に、会いたくなったの……」
血と傷にまみれた手が、俺の手の甲に重なる。
お姫様でありながら、硝煙なんぞに包まれちまったユエ。
煙たく、臭く、冷たく、固い場所に一人だけで――。
「ニノは、クオンさんの所に居るの。姉さまはザルアの所。だから、私も」
「その先は俺に言わせてくれ」
抱き締めながら頬を寄せる。ひげをそっといて良かった。
ユエは逃げる気配がない。だがぽつりと言った。
「……嬉しいけど、いいの、流煌さんのこと」
いつもなら、影を落とす喪失。
ぽっかりとした、俺の気持ちにも寄り添うように。
腕に力を込めた。ユエの髪の中で囁く。
「人の思い出に自分の気持ちを譲るな。今夜俺はお前の騎士だ」
横目でうかがうと、ユエは涙を指先でぬぐった。
「……ふふっ。キザとか似合わないよ」
「うるせえ」
痛みに手を当てることぐらいはできたか。
言っちまって恥ずかしくなってきた。ついでにこの体勢も。
というか、これは、もうそういうことだよな。
「ありがと、騎士くん。じゃ、失礼しまーす」
「うおっ!?」
一気に押されて頭をぶつけた。軍隊格闘の応用か、背後から抱きすくめていたはずの俺が、気が付くと見張塔の床に押し倒されちまってる。
ついきょろきょろと見回す。確かにここは塀で見えないが、下じゃ何万人もが戦の準備の最中だ。
「お、おい。まさか、ここでか……」
ユエは俺の腹に乗ったまま、にこにこしながらこちらを見下ろす。
唇を人差し指がなぞっていく。背中までぞくぞくする。
「うっわー、その顔いいなあ。やっぱり私年下好きかもー」
にやにやしながら、ブラウスのボタンを外していくユエ。ここぞとばかりに黒のブラジャーなんかしてやがる。しかも外したぞ。こぼれた乳房、ちょっと綺麗すぎないか。
真っ白な胸を細い腕で覆いながら、硝煙の末姫が艶然と微笑む。
「そういうわけだから、お姫様の騎士よろしくねー。騎士くん?」
「……どうにでもしろよ」
言った以上責任はとる。
女神のようなユエの肢体が、覆いかぶさってくるに任せた。
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