44開戦

 俺はマロホシに体を狂わされた。

 病気への耐性、怪我の治癒の早さ、そして恐らく寿命の長さもだ。


 実年齢23歳のはずが、姿は16のまま。

 もしかしたら、クレールやギニョル、フリスベル達のように長く生きることになるのかも知れない。


 仮にそうなったとして、見張塔の夜を忘れることは生涯ないだろう。


 ユエは凄まじかった。繁殖期の雌虎と格闘した感じだった。


 無論、良い悪いで言えば、確実に良かったのだ。

 天国がこの世にあるなら、恐らくそこだというくらい。


 ただ、喰う喰われるでいえば、喰われる方になったのは確実な気がした。

 この先も、お姫様と騎士とはとてもいかないだろう。


 23才と19才とも、とてもいかない気がする。


 朝日が昇ってくる。前にクリフトップに来た時と同じ、涼やかな霧が辺りを満たしている。


 俺は体を起こすと、開け始めた空の下、俺の腰にしがみついて幸せそうに眠るユエの髪の毛をなでた。


「死ねなくなっちまったな……」


 木の枠の向こう。

 朝日と共に、禍神の気配が大きくなっている。

 だが陽の光も強くなる。思いがけず、過去から救われた俺の心を照らし出すかのように。


 煙草を一服やりたかったが、ユエを見下ろして懐に入れた。

 いい年だし、ラッキーストライクはそろそろ卒業にしようか。



 夜が明けきる前に、ユエとは口づけをかわして別れた。軽く済まそうかと思ったら、首の骨が折れるかと思うほど抱き締められてびびった。


 だが、今生の別れになるかも知れなかったのだ。


 ユエと再会するには、お互いがこの戦いを生き延びなければならない。


 クリフトップには一万を超える兵力が集結している。軍勢の力をより確実に発揮するには、部隊を編成したほうがいい。ギルド長や王子たちを交えた軍議の結果に誰も反対する者は居なかった。


 ユエ率いる特務騎士団はそのままで強いので残された。


 だが、俺達断罪者は編成上特別扱いされなかった。


 ギニョルは悪魔および巨大な使い魔を率いる部隊長。

 クレールは吸血鬼の剣士や下僕を率いる部隊長。

 フリスベルは、同族のエルフや強力な現象魔法を扱う魔術師の部隊長となった。


 ガドゥは工兵隊として罠や爆薬の設置を買って出た。ほぼ自分の意志のない悪魔や吸血鬼達の下僕を除くと、街で唯一のゴブリンだが、迎撃準備での手際といい、うまくやっている。


 俺は幸運なことに、スレインが率いるドラゴンピープルの部隊に入った。

 

 ここにはザルアのほか、島でマヤを支えてきた騎士出身の屈強な男たちも集まっている。フルオート射撃ができるSPAS12、重たいM2重機関銃と弾薬、それに破片式の手榴弾。俺を含めた全員が強力な火力で落とし子の群れを切り開く役割の部隊だ。俺は対物に優れるショットガンの扱いに長けていたのが評価されたのと、スレインを知っているので部隊に組み入れられた。


 とどめの狙撃を担当するユエとの再会は、禍神が倒れた後になる。



 現在時刻は午後十三時三十分過ぎ。相変わらずの秋晴れ晴天。木々で遮られた日差しの下、俺は近づいてくる禍神の気配を感じていた。


 森の中、木々に溶け込む様に息を潜めているのは、ボディアーマーを身に着けたザルア達バンギア人の騎士が十人。それに俺と、上空で羽ばたいている真っ赤な鱗のスレイン。


 木々でお互いを見ることはできないが、部隊は俺達を先頭に矢のように配置されていた。


 スレイン、ザルア、俺の居る先端。少し離れた両隣に、ドーリグをはじめとしたドラゴンピープルが分隊長となった二十人ほどの兵士が点々と配置されていた。その後ろには、ライフルと剣や戦槌で武装したかつての崖の上の王国、王国騎士団が数千控えている。


 ギニョルの偵察によれば、禍神は前方を落とし子の軍勢で壁のように覆っていた。現象魔法をぶち当てるには、歩兵でその中に魔術師たちを呼び入れるスペースを確保しなければならない。


 そのために俺達が居る。古代でいう錐形で突入し、戦線を左右に押し広げ、後方のフリスベル達を接近させる。要は鉄砲玉と壁になるのだ。


 スレインの羽ばたきだけが聞こえる。

 堂々としたものだ。俺などどうしても灰になって吹き飛ぶイメージがぬぐえないというのに。


「……騎士、聞こえるか」


「ああ。聞いてるよ」


 近くの茂みから、ザルアが呼びかけてくる。世間話なんて珍しい。

 そういや、マヤは昨日の夜こいつの所に行ったんだったか。どこに惚れたんだろうか。


「終わったら、断罪者として、私を監獄につないでほしいんだ」


「はあ? あ、そういや、警察署でぶっ放してたな。気にすんなよ、誰も怪我ひとつしてねえんだし」


 真面目の塊かこいつ。詳しくは聞いてないが、あれは俺達をおびき寄せるための芝居だったんだろうに。大体、あれに関わった連中は、最初この島に着いたときに、自衛軍の爆撃で死んじまってる。禍神がここまでヤバい存在だった以上、本音でいえば断罪法どうこうなって次元じゃない。


 山本あたりがこの件を追求するようなら、指揮権でもなんでも使ってしまえばいい。なんせバンギアそのものの危機だったのだから。


 だがザルアはまだ気にしているらしい。


「それで許されるものだろうか……私は、マヤ様にお仕えする騎士でありながら、法を潜脱したのだぞ。島からすれば外国にも等しいこの国に、お前達を呼ぶために警察署で銃撃を行ったのだ」


 それは重大なことだろうが、そう言ったら断罪を盾にこんなところまで来て戦争に参加している俺達断罪者はどうなるんだって話だ。というか、テーブルズの役職を放り出して母国の戦争に介入しているマヤとかも。


 ザルアはとうとうと語り続ける。もしかして、こいつ。


「禍神が現れ、栄光あるアキノ家の子供たちと偉大なる王は殺し合い、もう王国は終わったも同然だ。しかし私は、この国の騎士であったことを忘れたくはない。この私が自らの罪と堂々と向き合ったことを、これからを生きる者達に伝えて」


「マヤを抱いたのか?」


 俺がたずねた瞬間、ザルアが茂みから立ち上がった。


「なっ、なにを不埒なことを。あれは最後を前にした今生の別れであって! マヤ様とてお辛いのだ。私ごときを慰めにする気の迷いもあるだろう」


 やっぱりか。そういやユエが言ってたな。こうやって女の口から色んなことがばれるんだろうか。潜んでいる騎士達が、ぼそぼそと囁いている。考えてみれば島でマヤと共に戦ってきた者同士だ。抜け駆け者に厳しいのも分かる。


 今やザルアは狼狽し、俺の肩をつかんで次々とまくしたてた。


「貴族の位階すら持たないこの私が、あの方の伴侶、ましてや生まれるかも知れぬ子の父となれるはずはない。いっそ遠く監獄にでも居る方が」 


 俺もたくましい肩に手を置く。でかいため息が出る。


「ほんっとに分かってねえなあ。お前、モテた経験ないのか。まあ、昔の基準から言えば、アキノ家の姫とただの騎士のお前がなんて、むちゃくちゃではあるんだろうけど。そのへんは、どうなんだスレイン?」


 上に向かって呼びかけると、返答が来た。


「……そこで、それがしに来るのか。騎士よ、禍神が迫っているぞ、十分後には確実に出撃命令だろう。それがしには落とし子の姿も分かる。驚いて飛ぶ鳥すらも、殺して禍神に持って行っている」


 そりゃあそうだろう。だが俺だって、逃げるつもりの奴と一緒に戦いたくはない。


「まあまあ、頼むよ、俺達の中で、娘居るのお前だけだろ」

 

 火のため息を吐くと、スレインは地面を揺らして巨体を下ろした。禍神と比べれば小動物のようでも、人間から見ればでかい。地面が揺れた気がする。


 ザルアは呆然としている。長い首をすぼめると、瞳を細め、ザルアの目の前に顔を突き出すスレイン。


 雰囲気が一気に緊張する。ドラゴンピープルはバンギアの中でも特別な種族だ。


「良いか若い騎士よ。お前の懸念も分かる。もはやなし崩しになっているが、それがしとて、厳格な身分のことは知っておる。ほんの七年前まで、姫と騎士がむつみ合うなど笑い草を通りこして。ゆえにか、それがしも、天秤を歪めることを恐れて、朱里と娘をアグロスに返してしまった」


 そうだったな。しかし、朱里たちはアグロスでやっていけず、結局島にくることになった。本人の努力どうこうより、ポート・ノゾミを除けば、まだ日ノ本とバンギアは溶け合って暮らすような環境が整っていない。


「だが、それがしは結局二人を手放せなかった。会えなくなったことを後悔さえしたのだ。半端な形で守ろうとして、危うく二人を失いかけた所を、仲間に助けてもらって、ようやく家族を愛せた。そういうものかも知れないが、遠回りをし過ぎたとも思う」


「スレイン……」


 思った以上に色々考えていたんだな。


「マヤは向こう見ずでも愚かでもあるまい。お前自身には選ばれた理由があるのだ。自信を持て、若き騎士よ。くだらぬ罪にかかずらって、愛する者を孤独にするな」


「竜の人よ、私は本当に」


「それは何よりお前が知ってるだろ。マヤはどうだった?」


 俺がたずねると、ザルアは天を仰いだ。日差しの元、青い瞳が感涙に濡れる。


「名にしおう、天上の神のようだった……美しすぎて形容することもおこがましい。この私に命が複数あれば、何度でもあのお方のために死ぬことができよう」


 狂信者のようだが、ザルアの方が入れ込んでいるのは分かった。


「それでいいんじゃねえのか。好きだった奴に死なれるのは本当にきついから、それだけは止めろってとこだが。要は俺達、これからってことだよ」


 俺の言葉に、ザルアが振り向く。


「お前と共通する何かを知った覚えはないが……まさか貴様マヤ様を!」


 SPASを撃たんばかりの形相。俺は全力で両手を振った。


「誤解だよ! 妹の方だ! 俺をめちゃくちゃにしたのはユエの方だから!」


 他の騎士の目線も集中する。空気が完全に凍った。


 スレインが、短く火の息を吐く。


 どうしようか思っていると、ザルアのボディアーマーの胸元、無線が鳴った。


『作戦開始時刻です。敵の位置、数ともに予測範囲。戦端を開いてください』


 当初の作戦通りか。行くしかない。


「ま、まあそういうことだから、頑張って生き残ってくれ。な」


 スレインが再び飛び上がる。ザルアも他の兵士ももう俺の言葉は聞いていなかった。さすがにプロだ。俺も愛銃の散弾を確認した。


「お前と義理の兄弟なぞ虫唾が走るが」


 クレールみたいなこと言いやがる。どう反応していいか分からん俺を無視して、ザルアは無線に応じた。


「こちら先行部隊ザルア。攻撃にかかる。戦況は追って連絡する。魔術師隊の後詰を頼む」


 無線を切り、ハンドサインを送るザルア。スレインが前進する。恐らく他のドラゴンピープル達も。


 ザルアも兵士も早いが、俺は必死に追いすがった。


 物音ひとつない、鳥の飛ばぬ死の森の先。うごめく落とし子、禍神の気配が伝わる様だった。


 数分と経たずに木はまばらになる。足元は茂みから草地が目立ってくる。土地の性質だけなら、クリフトップの周囲の畑を連想させる穏やかな平原に出た。


 魔術師隊の攻撃予定地だ。平原を挟んだ向こう側には、散々に見た落とし子の群れがうごめく。


 歩く炎、岩の塊、苗木、水塊。壁にも等しい無数の落とし子。


 そして、その向こう側、ぱきぱきと木の幹を倒しながら、全身を現象魔法と化した禍神がゆっくりと近づいている。


 今から、あれと戦うってのか。しり込みしそうな俺を無視して、ザルアは腰から騎士剣を抜いた。


 無言で迫る落とし子の群れに向かい、青空に剣を突き上げ、朗々と叫ぶ。


「我が名は崖の上の王国騎士、ザルア・ノウゼン! 祖国のため、愛する者のため、我ら剣となり、乱心の王に刃を届かせよう! 準備はいいか!」


 凛々しい声が脳天からつま先までを通り抜けた。

 俺は腹に力を込めた。他の兵士、他の騎士も同じだろう。


「突撃せよ!」


 ザルアが振るった剣。

 轟くほどの咆哮を発して、足が勝手に駆け始める。


 スレインの吐き出した火球に、兵士の一人が投げつけた手榴弾が反応。爆発して吹っ飛んだ落とし子の群れめがけて、俺達は一斉に踊り込んだ。


 ユエの祖国にして、バンギア唯一の人間の国。

 その運命を決する戦端が、とうとう開かれた。

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