40わら人形たちの首都

 撤退は難行軍となった。

 イスマまでは六十キロ。野戦に慣れているスレインや、ユエ達特務騎士団は平気だろう。だが進軍素人の俺やフリスベル、ガドゥにとっては簡単じゃない。


 そして、俺達がどうにか気を吐いても、子供たちの存在がネックだ。人数は約30人、12歳が最年長で、下は5歳。60キロもの行軍は乗り切れるはずもない。


 さらにザベルの所の子供と違って、生活の環境も悪かった。数日前に助け出されるまで、ぼろぼろの恰好でろくな食事も摂らされず、農場や製錬所や鉱山の労働をさせられていたのだ。しかも囮になった家族と分かれて精神的なショックを受けている。


 小さい子供はスレインが背負ったが、いくら広い背中でも30人全員は無理だ。

 子供たちに合わせて適時休憩を取ったので、行軍ペースは遅かった。


 歩き始めて一晩を過ぎた頃には、禍神が復活しやがった。山一つ越えていたが、フリスベルが魔力を感知して分かった。すぐに落とし子の襲撃があり、断罪者も特務騎士団も、行軍のほかに見張りや戦闘をこなすことになった。


 一晩と一日を歩き通し、攻撃をくぐって、マヤとクオンとニノ、それにデオとも途中で合流、なんとかイスマに辿り着いた夕暮れ。全員無事ではあるものの、平等に疲れ切っていた。


 ボロボロの俺達だったが、首都に残ったイスマの民は理由も聞かずに快く迎え入れてくれた。ゴドーが残した演説のおかげで、英雄として認識されているのだ。

 クリフトップに迎え入れられ、子供たちも休ませてやることができた。


 前進が遅いとはいえ、禍神の動きは気になる。だがもう全員に限界が来ており、一晩を寝て過ごしてしまった。


 そして、次の日の朝。最悪な声に叩き起こされることになる。



 パンやら干し肉、ドライフルーツで適当に腹を満たし、飛び込んだマヤの屋敷のベッドの中。まだ外の薄暗い中、叩き付けるようなバタバタという音で目が覚める。


「うん……なんだ……」


 つぶやきながら目をこすり、窓を開けてみる。東の空は白んできたが、まだ冷たい夜気が残っていた。


 このうるさい反響音は聞き覚えがある。自衛軍が使うヘリコプター、UH-1Jのローター音だ。


 西の方向、目立たせるためか、灯火を付けたヘリがこちらに向かって飛んで来る。


 誰が乗っているのかは、考えなくても予想がつく。王が禍神となり、ゴドーが死んだ。考えられるのは、ヤスハラ一人だ。恐らく禍神からもうまく逃げている。


 俺は慌ててコートをはおって、部屋を飛び出した。


 ガドゥやフリスベル、スレイン、クリフトップに招かれたマヤやニノ、クオン、ユエの率いる特務騎士団も先に外へ出て、崖の西端の見張り台に集まっていた。


 疲れ果てて寝起きの雰囲気が抜けないのは俺くらいか。情けない。


 さておいて、こちらに近づくヘリには、スピーカーが装備されているらしい。

 大音響で耳障りな演説が降ってきやがる。


『私は神州日ノ本を守護する”報国ノ防人”首領、豊田とよだ血煙けつえん。諸君らに馴染みあるもう一つの名を名乗らせていただくならば、崖の上の王国、ヤスハラ伯爵だ』


 俺達は思わず顔を見合わせた。あの場を脱出したヤスハラが、何の目的で戻ったというのだろう。


『欲得と保身にまみれた諸君の王、アキノ12世は、自らの血を分けた子供たちとの闘争の果てに、おぞましき禍神アキノとなった。その狙いは諸君らの魔力だ。これより一両日中には、国中のあらゆる場所で落とし子に追われた者たちが、この首都に大量に押し寄せるだろう。すぐに落とし子と禍神も来る』


 事態の予想はできていた。今日中には民にそれを伝えて、禍神に供えて防備を固めるというのが、ぼろぼろの俺達が何とか打ち立てた方針だった。


 だがそれを、ヤスハラに先に言われてしまうとは。


『禍神はおぞましいほどに強い。諸君の英雄、フェンディ伯ことゴドー・アキノも灰となって死んだ。これより三十日、諸君らは地獄の何たるかを知るだろう。だがそれは、諸君らの自業自得というものなのだ。諸君らは近代国家の何たるかも知らず、人権という概念すら持たぬ土人同然だ。いやしくも人間に生まれながら、800年も他者の支配に身を任せて何をしていた。我々神州の自衛軍の防衛活動に際してもそうだ。諸君は一人一人が自ら判断して危機に対処することを放棄し、祭り上げた英雄に全てを委ねてきた。だからこそ、我々の蹂躙を許し、追い詰められた王を禍神にしたことを忘れないでもらおう』


 てめーが王やゴドーを煽って戦わせておいて、むちゃくちゃを言いやがる。


 ただ、王が命令すれば王に従い、ゴドーが演説すればゴドーを応援し始めたイスマの民に主体性がないというのも当たっている気がする。殺しをやってる裏稼業の奴らすら、王から言われて仲間のクオンを国に売るくらいだ。ポート・ノゾミの悪党どもなら、権力に盾ついてでも、悪党の決まりを守ろうとするだろう。


 実際、国民には効いたらしい。クリフトップから見下ろす城下。建物の屋根や窓から顔を出している奴がたくさん居た。


 王がこの街を屠ると決めたら、素直に従ってしまうのかもしれない。ヤスハラも気づいているのだろう。

 羊の群れに呼びかけるように、ヤスハラの口調が柔らかくなる。


『だが安心してもらおう。阿鼻叫喚の果てに生き残った者は、我が祖国、アグロスの日ノ本が命を拾ってやる。全てにおいてバンギア人より優れた我々神州の民が、このバンギアに降り立ち、お前達を一人前の文明人にしてやろうというのだ。おぞましい悪魔や吸血鬼、鼻持ちならんエルフ共を駆逐して、共に新たな人間の国を興そうではないか。さしあたっては、王に無駄な抵抗などするな。自らの怠慢を呪い、裁きに身を委ねていろ。家畜同然の精神には、良い聖別になるだろう』


 とうとう尻尾を出しやがった。ヤスハラは最初から狙っていたのだ。アキノ家を内輪もめさせて、絶望的になった民を日ノ本へと取り込むことを。


 果たして狙いは的中している。


 ここまで言われようと、民の顔には怒りどころか、生気も浮かんだ様子がない。王と共にこの国を支配してきたヤスハラ。その言葉を信じ込み、望みを捨てているかのように見えた。


 バンギアの人間をまとめてきたのは、古来より禍神の冠を手にした一族だ。他の者はその支配に服していれば国が続いた。


 頭のもげた生き物は死ぬ。たとえその他がどれだけ健康であろうと。


 ポート・ノゾミから大陸に渡り、この国で戦ってきた俺は、痛いほどよく分かっている。


 黙り込み、生気のない民の顔に引きずられそうになった俺達。イスマは、崖の上の王国は滅ぶのか。ギニョルの言うように、『ノゾミの断罪者』である俺達には、もうできることがないのか。


 夕焼け空を銃声が切り裂いた。


 炸裂音はイスマを囲む木々や岩ににはね返り、城下の全てに反響した。


 町中の民が黒色火薬の破裂する音を聞いただろう。


 テンガロンハットにポンチョ。断罪者としての正装をしたユエが、白煙の立ち上るSAAを高々と頭上に掲げている。剣を取った乙女のように。


 ホルスターに銃を納めると、帽子のつばを上げる。澄んだ青い瞳が射抜くようにヘリを見すえる。


「勝手なこと言わないでよ! まだ私達、戦える! 騎士団のみんなも断罪者のみんなも、兄さまや姉さまだって居る! 私達がどうするかは、私達で決めるんだ!」


 スレインの咆哮にも等しい、凛々しくも力強い声。

 こいつもまた、アキノ家に連なる者なのだ。


 俺から見える範囲だが、民の顔に生気が戻った。ふざけるなという怒号や、ユエの名を呼ぶ声も聞こえる。


 だがヘリからは冷笑が降ってくる。


『……ほほう、少し盛り返したか。さすがは硝煙の末姫様だ。新しい英雄の素質があると見える。クオンにマヤ、ザルアという貴族の青年もなかなかだった。新しい頭が見つかれば、なるほど態勢も立て直せる希望が出るか……ふふふ』


「何がおかしいの!」


『いや。そうやって、全てを委ねるべき相手を待ち望んでいる間は、この先また今のような事態が起こりうることが予想できてな。滑稽だと思わないか。家畜並みの群衆の元、次はだれが禍神を受け継ぎ、扇動されて暴走するのだろうな?』


 怒号が止んだ。声もなくなった。民衆の気勢が削がれていく。


 国の危機といいつつ、命ぜられるままの暮らしを続けていたことに思い当たったのだろう。紛争から七年、崖の上の王国の民は、自衛軍に多大な被害を受けた。それなのに、王の命令一下、自衛軍のヤスハラを伯爵とすることを祝った。ゴドーが出てきて演説すればその王とヤスハラを憎むし。ゴドーが死んで途方に暮れ、硝煙の末姫が帰れば、今度はそこに英雄を見出す。


『いい加減に変わりたいなら、我が日ノ本に恭順しろ。個を自覚し、民主制を学べ。狂った王と国家を、お前達の血と共に処分し、残った者で新たに始めるのだ。それ以外に無残な繰り返しを止める術はないぞ。違うと思うなら答えてみろ、国民よ、アキノ家の子女よ、断罪者よ!』


 畳みかけるような調子の演説。

 ユエが言葉を失っている。再び悪寒が背中に差した。東の空、後にしてきた凄惨な戦場の方に再び黒い雲が見える。


「また、またこの魔力……禍神が動いています」


 フリスベルが両腕を抱える。城下の民も慄然として雲を見つめた。

 動悸がする。禍神がイスマに近づいてきやがる。


 魔法を使わないヤスハラも、気が付いたらしい。


『禍神が来るようだな。どのみちここは滅ぶだろう。お前達がどう振る舞おうと、ひと月が経ち全てが終わったら、我が日ノ本がここを領土とする。生き残りが居れば我が国の民として受け入れよう。これは裁きだ、甘んじて受けろ』


 誰一人答える者は居ない。ヘリが旋回を始める。


 日の落ちていく空に向かい、引き返していくヘリコプター。

 ユエがきっと見据えたまま、ただ唇を噛んでいる。


 東の空を覆う宵闇には、禍神の気配が色濃く漂っていた。


 


 


 


 

 

 

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