21銃と外套
暗くてよく見えないが、ツルの様なものが、側面の窓を覆っていく。
みしみしと嫌な音が鳴り、防弾樹脂の窓にひびが入り始めた。
兵士の一人が9ミリ拳銃を抜き、スライドを引く。
「くそっ!」
「よせ、跳弾で死ぬぞ」
「しかし!」
「個人の恐怖で部隊を危険にさらすな!」
狭山の一喝で、兵士は銃を下ろす。助かった。割れかけているとはいえ、窓も壁も防弾仕様。9ミリルガーならはね返る。
ひびが広がり、ガラスが割れる。割れ目からツルが入り込んできた。
緑色のツタみたいなものだ。ラッパの先端のような花が膨らみ、ほころぶ。
何かと思ったら、声が聞こえる。
『手荒な真似をして申し訳ありません、人間の皆さん』
フリスベルだ。この植物は音を伝えるのか。
俺達を、人間と呼ぶとは。
『海鳴のときはもう少しです。私は血を見たくありません。フェイロンド様も抵抗する者しか殺めておりません。しばらく待って、どうぞ森で穏やかな暮らしをなさってください』
正気で言ってるのか。俺は思わず花に向かって叫んだ。
「おい、フリスベル! ふざけたこと言ってんじゃねえぞ。断罪者として俺達と戦ってきたのを忘れたのか!」
俺の目の前で、フリスベルはレグリムを断罪した。崖の上の王国じゃ、フェイロンドにも銃を向け、俺の命も救ってくれた。土壇場では悪魔の操身魔法にまで手を出し、悲惨な結果を防いできたじゃないか。
時忘れが、吸血鬼の蝕心魔法と違うなんて嘘っぱちだったのか。
それならそれで、救いがある気もする。あのフリスベルは、毒によって失われたと、理解ができる。だが。
花が再びしゃべる。
『……騎士さん、忘れていません。あの厳しい闘いの日々。私は我慢して、歯を食いしばって戦ってきました。美しく穏やかな森を捨てて、喧騒と混とんの中に身を捧げて来ました。私の意志で、銃を取り、杖を振るってきました』
「だったら!」
『だから、疲れちゃったんです。法を守っても、いえ、守るからこそ人の営みは盛んになり、懐かしい森が変わっていきます。穏やかな魔力も、もう 戻らないのです。バンギアにあったエルフの森は、ララさんと協調して人間を受け入れつつあります。もしこの樹が完全に枯れれば、清浄な場所は、どこからも失われてしまう』
フェイロンドからそう聞かされたのだろう。この間のアキノ家の抗争を、無傷で生き残ったララ。エルフとのつながりはそこまで太くなっていたのか。百パーセント飲み込むわけにもいかないが。
「お前は、お前は本当にこんなことを正しいと思ってるのか。もう何人殺されてると思ってるんだ。向こうの世界じゃ、なにも知らない自衛軍の兵士に、ヤドリギが生えるんだぞ」
『だから、あなたたちだけでも生き残って欲しいんです。私は、断罪者の皆さんに、あなたにも死んでほしくはないんです』
車を囲むつるが増えていく。窓のひびが広がることはないが、どんどん重なって外が見えなくなる。
『巨海樹が植物を傷つけることはありません。この檻の中なら、海鳴のときからも生き残ることができるでしょう』
「馬鹿な、私を助けたあなたがなぜ! あなたが魔法を使わねば、私は焼け死んでいたんだぞ。あなたには、種族を超える力があるはずだ」
『狭山さん、ごめんなさい。でも、森の恵みがあれば、戦うことは必要なくなります。苦しみながら法を守ることも、法のために殺し合うこともなくなります』
レグリムの言った通りだってのか。俺は座席に拳を叩き付けた。
「無駄だ、人間。時忘れで素直になった末の行動だ。海鳴を恋しがりながら、こうして我々を殺させないのが、あの優しい娘の本質だとは思わないのか」
レグリムが得意げなのに腹が立つが、それが真実だということか。
「フリスベルさん、私達エルフは、自然の懐で穏やかに暮らすのが一番いいって言ってた。銃が入ってこなきゃ、大母様も死ななかったし、私達も密輸の手伝いなんてしなくてよかったって……」
ニヴィアノのつぶやきに応えるように、花がしおれて朽ちる。茎も崩れていく。
フリスベルはもう会話するつもりが無いのだろう。こんな一方的な別れなんてあり得ない。
ちくしょう、だがまだ俺は、あいつの顔を見ていない。こんな、できそこないの電話みたいなもので、別れが済まされてたまるか。
M97からバックショットを全部抜いてコートに戻す。代わりにありたけのスラッグ弾を取り出し、込めていく。シェルチューブに五発入れて、スライドを引いて一発を装填。減った一発をチューブに詰め、銃身とチューブで合計六発。
「騎士、何をする!」
「全員目いっぱい伏せてろ、死ぬのは俺だけでいい!」
腰だめに構えて狙うのは、ひび割れが入ったフロントガラス。
距離2メートル。跳弾でくたばってもいい。その覚悟でもって、俺はトリガーを引きっ放し、久しぶりのスラムファイアを放った。
スラッグ弾はもろくなった部分を辛うじて貫通。車を幾重にも囲んだ植物を貫き、外へと飛び出したらしい。俺が無事なのが証拠だ。
「くそっ、この、どきやがれ!」
運転席に身を乗り出し、銃剣を突っ込んで乱暴に植物を切り開く。切ったそばから新しいのが生えて覆い尽くそうとする。フロントガラスは破壊できたが、弾丸が飛び出した穴はふさがり、外には通じない。
『ヴィーゼル』
後ろから聞こえた声。魔力の光が眼前の緑の壁を茶色く変えて崩した。
「お前……」
レグリムの魔法だ。こいつが俺を助けるなんて。
「疑い深い断罪者。私が、法を犯すために魔錠を外させたわけではないと知れ」
何だっていい。俺は座席に置いたバッグから、ホルスターと銃、そして火竜の紋が付いたマントを取り出した。大きく前傾したハイエースの車内。狭山と兵士の間から身を乗り出す。
夜明けが近づき、薄明るくなってきた外は異様な雰囲気だった。ここは橋頭保に近いホープレス・ストリートの一角。だがマンションのあちこちからは、枝や根が貫通し、人の住処というより、変わり種の植木鉢に見える。しかも何十メートルもあるそれらを大きく超えた所に、巨海樹のばかでかいこずえが広がり、完全に頭上を覆っているのだ。
ハイエースは地上から五メートルほど浮きあがり、歩道を破壊した樹木に巻き付いたツタが、布の様にフロントガラス以外を覆い尽くしていた。
フリスベルの姿は――探すまでもない。
車から十メートルくらいの所で、ララからもらった杖を構えて立ち尽くしている。
その向こうには、ビルやマンションを数重も束ねたような、巨海樹の幹と、ぶら下がった実が見えた。
「騎士さん、なんで……」
フリスベルの顔は卑屈だった。媚びるような、許しを請うような。
「正義と美は、そんなツラで実行できるのかよ。そっちでも無理すんのか、お前は」
歯を食いしばるフリスベル。どっちに転んでもきつそうだ。
「言わないでくださいよ。嫌味を言うために」
「違うぜ!」
投げ渡した布の塊を、フリスベルは確かに受け取った。
「これは、断罪者の……」
マントとホルスター、そしてカスタムしたコルトベスト・ポケットと予備のマガジン。
断罪者としてのフリスベルの全てだ。
「時忘れは、本当にやりたいことを思い出させるんだったな。俺達を閉じ込めて、生かしておくだけで、海鳴のときをやり過ごすのが、お前の本当なのか?」
フリスベルが紋章の火竜を見つめる。バンギアで最も苛烈で、高潔な正義の象徴の印。法に対する断罪者の不退転の決意を示す紋章だ。
強く握った小さな手、見つめた目から涙がこぼれていく。
「そいつは返さなくていいぜ。吸血鬼にやられたんじゃないなら、お前はまだ断罪者だ」
震える瞳で俺を見つめ返すフリスベル。だが顔を伏せると、杖の魔力を一気に高めた。
「うわっ……!」
周囲のツタが一気にはびこる。俺は身体を絡め取られ、車内に再び押し込められた。
スラッグ弾でぶち抜いたフロントガラスが、あっという間に塞がっていった。
『どうか死なないでください。もう私には構わないで』
涙に濡れた声を最後に、ツタはいよいよ勢いを増して俺達を包み込んでしまった。
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