2為政者と断罪


 沈黙を破ったのは、長い首をもたげたドラゴンピープルの代表、緑の鱗のドーリグだった。


 思えばこいつが喋るのは今日初めてだな。普段の公会じゃ議長を任されているが、ドラゴンピープルだって利害がないわけではないだろう。


「では、法の天秤が、奴らにだけは屈するというのだな」


 全員が顔を上げる。ドーリグは続けた。


「ここまで、あらゆる邪悪と恐怖は、赤鱗を持つスレイン殿と、かの英雄に勝るとも劣らぬ勇気を持つ六人の断罪者によって法の前に次々と屈してきた。皆は全てを見届けてきたはずだ」


 竜の人の鋭い目が、席上の代表全てを見回す。スレインには及ばないとはいえ、四メートルの巨体から見下ろされると心が縮み上がる。


「ゴブリン達を引き入れ、バルゴの悪習の下におぞましい饗宴を催してきた、起爆する手りゅう弾の様なギーマを倒したのは、実の兄である断罪者のガドゥだった。奴の断罪は悪徳の巣窟であるホープレス・ストリートが崩壊する引き金となった。また、ギーマを失って悪徳をなす気力を失ったゴブリンを引き入れ、成長したのは誰の会社だったんだ、ジグン?」


 決断を二転三転させることもあるジグンが、はっと気づいたような表情をする。ギーマを殺したナイフの感触を思い出し、目を細めているガドゥを見つめる。


 紛争後の混沌に乗り、かつてあったバルゴの教えに引き込まれていく同族を、たった一人で止めたのがガドゥともいえる。


 ドーリグが首をもたげる。視線の先は若い身ながら種族をまとめるワジグルと、断罪者のフリスベルを見比べる。


「ローエルフの身でありながら、ハイエルフの、あまつさえ長老会の名を負ったレグリムや、あのフェイロンドと戦い、海鳴のときを留めるために自らの命さえ投げ出した断罪者がこの可憐なフリスベルだ。勇気を無碍にするというのか、ワジグル。指揮権を使うなら、それが同胞に対して正しい態度と断言してもらおう」


 数千年、あるいは数万年をハイエルフより不完全な存在とされてきたローエルフ。フリスベルはそのローエルフでありながら、シクル・クナイブの断罪では俺たちの誰より働いた。


 ひざの上の拳を握ったワジグル。新しい正義と美に思い当たったか。


 ドーリグはマヤを見下ろす。


「鉄と火で王族を脅かした硝煙の末姫が、断罪者としてどれほど成長したことか。傍で見てきた実の姉として、思うことはないのかね、マヤ」


 マヤはユエを見つめる。かつてのバンギアで犬畜生にも劣るといわれたユエだが、そんなユエを軽んじる考えは今のマヤにはないのだろう。


 紛争を生き残り、断罪者となってからもその銃の腕を使ってきたユエ。ほだされたように瞳が揺らぐが、マヤはきっと唇を結んだ。


「それとこれとは話が別ですわ。私の思いを優先すれば、ユエのためにも断罪を支持します。しかし私一人の感情で島に暮らすわが国民と祖国を危機にさらすことは」


 反ばくしようとして言葉が途切れる。唇を噛んで、床を見つめるマヤ。


「……あなたとて、アキノ家に生まれた方だ。自衛軍が倒れた今、もっとも、あなた方の国民を危機にさらしているのは誰か、思い当たらぬほど暗愚ではあるまい」


 GSUMの手を借りて復興してしまったクリフトップと旧王国の国土、そしてその手に生業を委ねた人間がどうなるかに、思い当たったのだろう。


 今でもGSUMとつながりをもち、そのまま行方不明になってしまった崖の上の王国出身の者は数え切れないのだ。


「これ以上手を借りたら、民の新たな出発にも影響が及びかねない……」


 噛み締めるようにつぶやいて、着席するマヤ。少なくとも実利のために連中を見逃すと、迷いなく言えるわけではないらしい。


 山本が立ち上がった。


「ドーリグ、お前ひとりが知ったような口を利かないでもらおう。ドラゴンピープルはいい。飛行能力といい、堅い外皮に力といい、およそ生活や仕事に困ることはあるまい。最悪、この島がどうなろうとも、元居たバンギアの奥地へ帰ればそこで暮らせよう! その強靭な肉体と生存能力を糧に、好きなだけ天秤の均衡を追及するがいい!」


 家ほどもある巨体を見上げて、山本は臆さず弁舌を振るう。


「だが我々は違うのだ。特に日ノ本から来た人間は、バンギアの人間のような魔法も使えず、長い寿命もなければ、お前たちのように並外れた強さもない。生活のための実利をもたらす組織を離れては、生存できない!」


 俺には反論が思い浮かばない。実際のところ、テーブルズの予算によってこの島の平均所得をかなり上回る給与が出る断罪者の俺には、山本を否定できない。


 コネと金と保身に執着していた姿は消える。今や、年の離れた父親の山本善兵衛をもほうふつとさせる勢いで、演説は続く。

 

「私には、テーブルズの議員として、独立によって日ノ本を離れざるを得なかった、この島のアグロス人を守る義務があるのだ! 今GSUMを断罪することには断固反対だ。奴らの非道な行為はせいぜい個人的なもの。島自体を森に変えようとしたエルフ達や、紛争の再現を狙った将軍どもとは明確に違う。断罪者は、今までのように特に重い事件だけを取り扱って連中をコントロールすればいいではないか。我が日ノ本の策略をすべて破綻させるほどに、断罪者は優秀なのだ。きっと戦えると信じる。致命的な事態だけは防げよう」


 山本なりに最も俺たちを買った言葉だ。腹の底の狙いが保身だとしても、ひとつの選択肢としてありだと思わせる。言葉は皮肉だが、俺たちを見つめる目に、以前の様な悪意も感じない。


 着席する山本。ドーリグの議論に場が傾きそうだったのが、一気に分からなくなった。一番政治家としての適性が低かったはずの山本が、これほどの説得力を持ち合わせるとは。


 俺たちはお互いに顔を見合わせる。さすがにギニョルは表情を変えないが、ガドゥとフリスベル、それにスレインは首をひねった。決戦を挑んで全てが解決するほど、事態は単純じゃないと気づかされる。


 吸血鬼のヤタガゥンが言った。


「これはどうも、答えを出しかねる問題の様だな。事態を振り返ろう。先日の事件で、自衛軍は島での影響力を完全に失い、断罪者はキズアトとマロホシを断罪できる証拠を握った。ここまではいい。山本議員の提案は、それをもって、GSUMの裏の動きをある程度支配し、表に専念してもらってはどうかということだ」


 落ち着いた口調だ。三百歳ちょっとという年齢も感じさせる。

 ドーリグが、長い首を回す。


「紛争で父を失い、まだ百と八歳の若齢で、あのキズアトと切り結び、身を着る覚悟で同族の断罪さえ着々とこなしてきたヘイトリッド家の若き当主の活躍を見て、吸血鬼がそれに応えないことが果たして名誉といえるのか」


 ヤタガゥンはクレールを見つめる。目が合って少しだけ眉間にしわを寄せたが、すぐにドーリグに向き直った。


「私とて吸血鬼だ。彼の父ライアルは私の知る吸血鬼の中で最高の男だった。断罪者としてのクレールもまた、すでに父とそん色のない誇りと能力、高潔さを兼ね備えているといえよう。だが名誉を重んじ、自衛軍に挑んだ我が父祖の地は、看過できぬほどの損害を得た。私とて本来ならばルフォン家の領地に戻り、領主となった年若い甥を補佐しなければならないところだ。我々吸血鬼と悪魔は、種族の価値観を優先しすぎることの欠点を、十分に学んだのだ……」


 ギニョルの代わりを務める悪魔の副代表もまた、ヤタガゥンの言葉に目を落とす。たった数日間のことだが、ダークランドは火の海になり、自衛軍と引き換えに多くの吸血鬼と悪魔が散っていった。


 誇りに殉ずると言えば聞こえはいいが、その選択はあまりに多くを失う。

 特に、今度は力を落とした自衛軍と違い相手がGSUMなのだ。奴らが断罪される場合、それと引き換えにどれほどの災禍と損害をまき散らすだろうか。


 ドーリグは歯を食いしばる。吠えるように言葉をしぼりだす。


「スレイン殿は、スレイン殿は血の涙を流して、我ら天秤を司る種族の汚点たるイェリサを討伐なさった。灰をも食らう強烈な正義を体現したかの戦斧の刃とて、子供たちと哀れなイェリサの境遇には涙も流そう。だが、決して許されぬことであったゆえに、スレイン殿は天秤に従ったのだ。それほどに天秤は、法は重いはずだ。我らとて、GSUMのあの二人に利害がないではない。だが、このドーリグ、種族の代表として画竜点睛の最後の点だけは見逃せぬ。ここを退けば、私を議員の代表として推してくれた我ら全ての意志に背こう。どうか、理解してはくれないか……!」


 恫喝ではなく、真摯な説得。考えに考えた末のぎりぎりの決断。


 だが黙っている議員たちの表情で分かる。キズアトとマロホシの断罪について、テーブルズの意見は割れている。


 ワジグルは同意しそうだし、ギーマもそっちか。

 山本はそれでも表情が揺るがないし、ヤタガゥンは反対だろう。悪魔の副代表もだ。

 マヤは深いため息を吐いて、ドーリグと山本たちを見比べている。


 俺たち断罪者も、お互いに顔を見合わせる。

 下手をしたら日ノ本からの独立のとき以上に、島に影響を及ぼす決断だ。


「……これでは、らちが明かぬな」


「ギニョル」


 議員たちが俺たちの長の名前を呼ぶ。ギニョルは赤い髪の毛を揺らして全員を見回した。


「わしに権限はないから、聞いてくれるだけでいい。ヤタガゥンの言った通り、断罪の証拠は我らが得た。これは明確なマロホシとキズアトへの攻撃材料になる」


 確かに、二人を断罪できるだけの証拠は得た。今日明日にでも断罪だと思ってはいたが、本来それは明確な成果だ。


「この場の意見を聞いていて、わしも少し迷いを覚えた。あやつらは本当に島でうまくやっている。今すぐの断罪が一切不可能なのか、それとも、何か方法があるのか。石橋を壊さぬ範囲で叩いてみねばなるまい。三日後に、再び秘密公会を開いて決を採ってはどうじゃ?」


 断罪者の長であるギニョルは、断罪者への任務を決めるこの公会の参加者ではない。だからその意見も議案ですらない。


 だが、この場の議員たちにとっては、有用だった。


「……私としたことが、冷静さを失っていた様だ」


 最初に山本がうなずく。


「せめて、代表の者達からGSUMの影響を聞き取ってからでも、決断は遅くないかもしれませんわね」


 マヤがため息を吐く。


 ドーリグが翼をたたんで、太い腕を組んだ。


「どうも、私も決めつけが過ぎたか。断罪の機さえ失さねば、確かに構わない。それに、テーブルズが一枚岩でなくては、断罪者は力を発揮できないだろう」


 戦士らしい意見だ。背中に憂いをかかえた俺たちが、あの二人に勝てるとも思えないか。


 断罪して島が乱れるならまだましで、最悪なのは俺たちが失敗して敗北することだ。そうなったらこのままよりさらに悲惨な状況になるだろう。


 ヤタガゥンが言った。


「では、ギニョルの意見を改めて私から提案しよう。今日の秘密公会はいったん解散、三日後に再び集まるということにしたい。賛成の者は挙手を頼む」


 代表者たちは全員が挙手で答える。


 なんとも現実と分別に満ちた秘密公会が、終わりを告げた。

 仕方ないのかもしれないが。俺は自然に自分の眉間がひきつるのを覚えた。

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