10言葉のない下僕

 馬車を見送って進んでいくと、道は再び暗い森に差し掛かった。ペンキをぶちまけたような、どぎつい青色の葉の木々をくぐると、周囲の薄暗さが弱まる。


 驚いて足を速めると、森が途切れ、キファイグに言われた場所にたどり着いた。


 そこは、ダークランドからかけ離れていた。林から見た通り、太陽が降り注いでいるのだ。どうやらこのくぼ地の様な場所の上だけ、妖雲が途切れているらしい。


 諦めていた青い空と、太陽が見える。黄金色の麦、まともな緑色の草木。黄色がかったわら屋根に、白い土壁の家々。数時間ぶりの、見慣れた景色だった。


「あるじゃねえかよ、普通の場所」


 ため息が出る。ただ空があり、太陽が出るだけのひなびた農村が、これほど尊く思えるとは。いくら俺がマロホシの奴に体を変えられたとはいっても、身に着いた人間としての感覚からは、離れられるもんじゃない。


 マロホシの周囲に侍らされていた男性看護師だった下僕や、死んでいった瀬名のような医者連中も同じだったのだろうか。


 今までは、断罪者として連中と出会い、悪人の部下くらいのつもりでしか接してなかった。だが一人一人、今の俺のような人間としての感情を保ったまま悪魔や吸血鬼のものになってしまったというなら――。


 キズアトに心を奪われ、フィクスとなって裏仕事に使われ、最後は俺との記憶を戻した上に、俺との殺し合いをさせられた流煌。紛争の中では同じ様な運命を辿った人間が、何百、何千。バンギアの長い歴史の中では、さらに多くが。


 感傷を飲み込んで、目的地を探す。


「森番の小屋ってのは……」


 見回すと、普通の畑の隣に、森がある。カシやナラなどの色づき始めた落葉樹、それにマツの葉が変形したような樹が混ざっている。入口には、丸太小屋があり、黒髪の男が、犬をなでているのが見えた。


 地味な作業用のつなぎに、ガドゥが普段かぶっているような作業帽姿。


 丘を下ってそちらへ行くと、男が立ち上がって俺を見つめた。男にしては、小柄な気がする。それに帽子からはみ出た髪も長い。


 灰毛の縮れ毛の犬が、ぐるる、と唸り声を上げる。気付いてやがるのか。

 小屋の前のリードで首が張ってるが、噛みつかれそうだ。


 できるだけ快活な表情を作ると、ポケットから手紙を取り出す。


「ギニョル様から紹介を頂いたナイトと申します。こちらが紹介状です」


 恐る恐る言ったせいか。男が口元に指をあて、犬に命令する。


「シッ」


 漏らした息で気が付く。こいつは女だ。


「あの、紹介状を」


 差し出した手紙をひったくるように取ると、さっさと小屋に消えてしまった。


 戸惑っていると扉が開いた。無言でうながしてくる。

 仕方ないから続いて扉をくぐった。イニスと言われた猟犬は、うなるのを止めたが、にらむのは止めなかった。


 小屋の中は外見通り簡素なものだった。板張りの床、無骨で装飾のない窓、吊るされた鳥とうさぎ、魚のくん製。れんがでできた、暖炉と煙突。そのわりに、ベッドとクローゼットは、ポート・ノゾミのどこかの部屋からの略奪品らしい。毛布や掛布団もだ。この二つだけが、ずいぶんと浮いてる。


 いや、テーブルと椅子もか。かなり丁寧な彫刻がされた見事な逸品だ。


 女が椅子に座った。俺も座れということらしい。無口なやつだ。

 演技か本気か分からない恐縮をしながら、俺が椅子を引いたが、向こうはこっちの肩を見つめる。背負って来た荷物、リュックとケースの銃やコート。


「や、これは失礼を……」


 礼と共に入口に置き、テーブルに着くと、相手はようやく帽子を取った。


 やはり女だった。瞳の色はフリスベルやユエと同じ青。鼻筋が通り、目の形は少し鋭い切れ長、二十歳過ぎくらいに見える。


 髪の色はまだらで、プリンの逆というか、えりくびまでは見事な金色なのが、そこから先が俺達アグロスの、日ノ本の人間のような黒になっている。


 染めているのかと思ったが、バンギアには、アグロスのように髪をうまく染める文化も技術もないはずだ。とすると操身魔法で体を変えられたのか。瞳が赤くないから、チャームでやられたんじゃないんだろうが。


 女は胸ポケットから鉛筆とメモ帳を出すと、走り書きをして俺に渡した。アグロスの言葉で書かれている。


『私はゴドウィ家当主、ロンヅ・オド・ゴドウィ様の下僕、ハプサアラ。人間だった頃は、波多野はたの亜沙香あさかと呼ばれていた』


 俺は歯を食いしばった。ロンヅ・オド・ゴドウィってのは、あのギニョルの父親にして、ゴドウィ家の当主。ダークランドを吸血鬼と悪魔に二分したとき、悪魔の側を統べる存在だ。堂々たる大悪魔と言っても過言ではない。


 二年前、ギニョルが断罪者の制度を作るにあたって、裏で相当サポートしてくれたというのだが。断罪法の理解者かと思ったら、日ノ本の人間を奴隷にしていたのか。


「声は、どうなさったのですか」


 俺が気づかうと、ハプサアラは再び走り書きをして俺に渡した。


『ここではあなた自身でいい、丹沢騎士。使い魔でご覧になっているロンヅ様も、あなた自身を見たがっている』


 ばれている。俺は背筋が冷たくなった。


 将軍たちの説得と武装解除に赴いた、統合幕僚長の御厨を、吸血鬼が殺した。果たして、ダークランドの総意で、バンギアの意志で送り込まれたか否か。


 それを確かめるべく、ギニョルとクレールは二人に相応しい吸血鬼や悪魔の下に戻り、俺ははぐれた下僕として潜り込む。その筋書きが察知されていた。


 俺の油断だ。目の前の女、ハプサアラがいくら元日ノ本の人間とはいえ、今は悪魔ロンヅの下僕なのだ。銃は入口のドアの脇。しかもケースの中だ。

 

 相手が作業帽のポケットから、ベスト・ポケットでも取り出して撃ってきたら、俺は終わりだ。


『銃は持っていない』


 そう書かれても信用できるか。俺は迷った。こんな展開になったら、ギニョルならなにか連絡してきそうなものだが。


 ハプサアラは無表情だが、わずかに口の端を釣り上げている。こっちを値踏みしているのだろう。試すような目に、俺の腹は決まった。


「そういうことなら、遠慮はいらねえな」


 深く背もたれに身を預けて、威圧するように見下ろす。十六歳のいきがるガキの振る舞い。断罪者としての俺の一番自然な態度だ。


 ハプサアラが冷笑を見せる。腹立ちのままに、俺は言葉を吐いた。


「あんた俺が銃を持ってるのに気づいてたんだろう。入口のケースがそうさ。バレてるなら、銃口向けてでも、こっちの質問をしとくんだった」


 いっそ、演技なく聞いた方が集中できそうだ。こいつから探ってやる。


「あんたの主人は真相を知ってるのか。日ノ本から来た自衛軍の幕僚長が、吸血鬼に殺されたんだ。将軍の奴が知ったら、大喜びで紛争をまた始めるぞ。なぜこんな馬鹿をやった」


 手持ちのカードを全部切った俺だが、ハプサアラは涼しい顔でメモを書いてしまった。


『同じことは、ギニョル様がロンヅ様にお尋ねしている。ロンヅ様は、私とあなたを見て答えを決めるつもり』


「なんだと……!」


 椅子を蹴るように立ち上がる俺だが、ハプサアラも立った。突き付けられたメモには、あらかじめ書いたとおぼしき、丁寧な字がある。


『今日は狩りの日。銃を置いてついてきて』


 これだけは、言うことに決めていたのか。

 探るつもりが、相手の手の平の上か。


 答えを決めるってことは、ギニョルの親父は、事の真相を知っているのだろうか。

 いや、悪魔だけに、ふりをしているだけかもしれない。


 他に方法はないか。大体、ハプサアラに協力しなくては、俺の偽装もばらされる恐れがある。そうなったら、ギニョルやクレールが、仲間の吸血鬼や悪魔達から白眼視されるだろう。


 応じるしか、ない。少し戸惑ったが、俺は銃を置いたまま、小屋を出ていくハプサアラの後ろについた。

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