9管轄外



 バンギアだろうとアグロスだろうと、朝には太陽が昇り、夕方には沈んで夜が来る。

 魔法を使う寿命八百年の種族が居ようが、空を飛び銃弾を弾いて火を吐く種族が居ようが、それだけは共通だと思っていた。


 それが、このダークランドは違う。闇夜が来るのは同じだが、昼間は日没直後のような薄暗がりがえんえんと続く。


 アグロスにも、陽がぎりぎり沈まない白夜という現象はあるが、あれは俺の暮らした日ノ本から、遥かに遠い外国の話だ。実際にそこで過ごしたこともない。


 薄暗い森というのは、なんとも神経にくる。歩いていると、ときおり奥の方で鳥とも獣とも得体の知れない何かが鳴くのが聞こえるのだ。茂みが動くのも、赤い猪のようなのが動くのもうっすらと見えた。


 ついつい銃をぶっ放してしまいそうになるな。


 これからの行動をどうするのか。俺は歩きながら考えた。


 とにかく、ダークランドとそこに暮らす者達については情報が少ない。

 分かっているのは、ポート・ノゾミという小さな島において、最初から断罪者を支持し、テーブルズに議員を送ってくれているということ。


 そして、GSUMや自衛軍、かつてあったバルゴ・ブルヌスやシクル・クナイブなどとは一線を画し、二年間の間、島で起こった事件にはほとんど一切かかわっていないことだ。だから俺は断罪者として捜査に訪れたことがない。


 島で暴れた吸血鬼や悪魔、下僕たちの身元の詳しい情報が欲しいときはある。それもギニョルかクレールが戻って調べてきてくれていた。


 こうして考えると、俺はもう何も知らないと言っていいんじゃないか。


「ある程度自由にしていいって言ってたが、どういうわけなんだろうな」


 撃つなとは言われなかったから、発砲自体が目に付くこともないのだろうか。


「それに、クレールの奴が先に謝っとくってのも、うーん……」


 プライドの高いあいつが、下僕半である俺に向かって謝るなんてのは、同族が醜態をさらしたときくらいだ。


 つまり俺は、確実に同族の醜態を見るということか。

 変な騒ぎを起こすことだけはないと、信頼されてはいるようだが。


 こんな森や、得体の知れない動物など、気にすることもないのだろう。

 小道の先に、森の出口が見えた。少し足を早めて歩き続けると、両側を覆った森が消える。


「うわ……」


 広がっているのは、まさに中世のファンタジー世界だ。道に沿って、わら屋根に土壁の粗末な小屋や、レンガ造りの鍛冶屋、パン焼きかまど、尖塔造りの教会らしき建物などが立ち並ぶ。畑の土を、牛や馬らしき生き物に犂をつけたのが耕していたり、果樹園でせん定をしていたりなど一見のどかに見える。


 だが俺が声を出したのは、異常なその色彩だった。

 このダークランドでは、日照量と魔力の関係で植物や土壌が非常に独特のものとなっている。つまり、畑に実っている小麦の穂は、黄金色でなく真っ黒。にんじんや、かぶが植わっている畑の土は白く、作物の葉が桃色だ。

 運河の水こそ、少し淀んだ透明だが、その縁に植わったポプラのような樹は、緑色の幹に、墨ほど黒い葉をたくさんつけている。


 さらに、作業に励んでいる領民たちは、茶色やこげ茶の地味なズボンにブーツ、くすんだ白のポロシャツ、あるいは地味なドレスくらいだから、余計に感覚がおかしくなる。


 塗り色の選択を間違えた絵のような光景だ。おまけに低く垂れこめた妖しい雲は紫色で、それを通る日光は常に歪んだ紫に彩られ、弱まって薄暗い。鳥の代わりにコウモリがぱたぱた飛んでるのも見える。


「クレールは百年、ギニョルは三百年近く、こんなところで暮らしてたのか……」


 歩いてるだけで、頭がどうにかなりそうだ。というか、ここに慣れていたなら、気持ちいい青空が多いポート・ノゾミこそ嫌な場所だろう。よく昼勤になんぞ耐えられるな、あの二人は。


 元エルフらしい耳のとがった男の農夫が、牛を追いながら俺を盗み見た。どう見ても人間と違わない下僕半が、ヘリポートから出てきたのだ。


 俺はなるべく不審にならないように、適当に歩きながら、紹介状を取りだした。

 一応森番の職は世話したのだろう。地図が添えてある。


「無主地、シェイムレスヒル、隠れ森の番小屋か」


 しかし現在地もどこか分からないのに、どうやって行けばいいんだろうか。


「おいあんた! はぐれだろう」


 ふらふらしていると、声をかけられた。

 見上げると、元ハイエルフと元バンギアの人間らしい二人が、荷車で飼い葉を運んでいる所だった。声をかけたのは、男のハイエルフの方か。


「俺はスミレリア家、吸血鬼ハサラ様の下僕のキファイグだ。こっちはカイア。あの有名な、ゴドウィ家のはぐれでな、ハサラ様からいただいた、俺の女房みたいなもんさ」


 キファイグは、ハイエルフとしては特徴のない、細面の美形の男だ。ただその瞳はチャームにやられたことを示す真っ赤な色だ。

 鍛えられてシャープな印象があるのは、肉体労働を行っているせいだろう。その辺の農夫と同じような格好に、黒い麦わら帽子をしている。


 一方の目礼したカイアは、青い髪を後ろ手にくくった、こちらも二十歳過ぎくらいの女性だ。大人しそうな青い眼は伏し目がちで、きゃしゃな印象だが、わりと抑揚のある体つきをしている。


 警戒した方がいいな。俺は役を演じることにした。


「これは、ご丁寧にありがとうございます。私も、紛争で主の吸血鬼を失ったはぐれでして、ギニョル様とクレール様に、こちらの仕事を紹介いただきまして」


「あのお二人か。旧主の縁が深かったんだな。ああ? こりゃアグロスの文字か。カイア頼むぜ」


「まかせて」


 渡されたカイアは、静かな調子で読み上げる。


「親愛なるロンズ家への敬意により、豊かなるゴドウィ領にかの者、ナイトを森番として迎えん。血と恐怖の叫びにより、無主の地に美しき悪徳と混沌あらんことを」


 しかし、声に出されると改めて歯の浮く文句だ。ロンズ家ってのは聞いたことがない。


「地図はゴドウィ領の無主地よ。署名と押印はギニョル・オグ・ゴドウィ様と、クレール・ビー・ボルン・フォン・ヘイトリッド様のもので間違いはない……」


 このカイアって女、なんでそんなことが分かるんだろう。貴族の印鑑や文字の種類が分かるなんてのは、ただの下僕じゃなく秘書的な仕事をしていた奴じゃなければおかしい。


 元ゴドウィ家の下僕ってことは、ギニョルが知ってる奴かも知れない。


 ついじろじろと眺めていると、カイアはキファイグの背中に隠れるように引っこんだ。キファイグが俺の肩をつかむ。


「おい、あんたナイトっつったな……」


「な、なんでしょうか」


 やばい、ザベルも祐樹先輩に絡む奴には容赦しない。エルフはパートナーへのささいなちょっかいも許さないらしいが、こいつは下僕にされても――。


「うらやましい限りだぜ! ギニョル様と、クレール様のコネがあるなんてな! ロンズ家なんてのは、ゴドウィやヘイトリッドと付き合いなんぞあるわけねえ家系だ。この手紙はあんたを安楽に暮らさせるための方便だよ。あのお二人と、どう知り合ったんだ?」


 急に距離を縮めてきた。というか、ハイエルフにこんな気さくな奴は居ない。ダークエルフならともかく、主人になった吸血鬼の好みで人格を変えられたのだろうか。


 さておいて、共に断罪者として色々な奴らと銃撃戦をやらかす仲だとも言えない。


「……あ、あまり大きな声はご勘弁願えませんか」


「そうよ、キファイグ。無主地に行くなら、詳しいことは、酒場で聞けるわ」


「あ、そうだったな。あんた、シェイムレスヒルは、この小道を、南にずっと歩いてったら昼までに着く。おれ達下僕や奴隷が、肩の力を抜ける場所さ。酒場があるから、来てくれ。今夜、おれはご主人にゃ呼ばれてねえから、一杯おごってやる」


「ありがとうございます……」


 演技というか、素で戸惑ってしまう。情報が引き出せそうなのはいいが。


 ずいぶん、ざっくばらんな印象の連中だった。二人を見送ると、おれは再び歩き始めた。

 言われた通り、道をずっと南に進んでいく。


 風景は、それほど変わらない。色彩の狂った中世の農村そのものといった感じだ。ただ働いているのが、ほとんどエルフと人間に限られている。


 ゴブリンも奴隷にされているらしいが、どこに居るのだろう。


 キファイグは昼までに着くと言ったが、一時間ほど歩いていると、道の向こうの森から蹄の音が聞こえてきた。


 四頭立ての馬車がこっちに来る。御者席には、血走った眼の人間の男が座り、激しく鞭をくれている。俺はあわてて道の端に下がり、ギニョルに言われた通り平伏した。


 いななきと蹄が近くに迫り、木製の車輪の激しい震動も伝わってくる。銃は隠した方がいいか。いや間に合わない。


 見とがめられないことを祈りながら、ひたすらに頭を下げていると、音が遠ざかっていった。


 ある程度安全そうになってから、ゆっくりと顔を上げてみる。

 道はほぼ直線、馬車の後ろが見えた。


「あれは……」


 声を殺せなかった。四頭立てにしては、サイズが小さいと思ったら、ワゴンは二つ連結されていた。前のやつは悪魔か吸血鬼の乗る標準のもの。だが、後ろに連結されているのは。


 みすぼらしい板に車輪を付けて、周囲をいばらで覆った檻だ。そこには、鉄の檻に入れられたゴブリンが三人入っている。そして表情がうつろで、乳房も露わな女たちが四人、首輪と手かせを付けられて乗せられていた。金色の髪に尖った耳、それに、黒髪に黒い瞳の、日ノ本の人間の特徴をもった女も居た。


 奴隷を運ぶ、おぞましい馬車に、領民たちはひたすら平伏し続けている。


 これが、ダークランドの当たり前の光景なのだ。

 悪魔か吸血鬼かは知らんが、これが連中の当たり前なのだ。


 ここには、断罪法などない。気分の悪いのを押し殺すように、俺は改めて袋に入った銃をかついだ。


 ここでぶっ放すほどガキじゃないし、俺には任務がある。今かかずらってはいられない。


「くそったれが」


 煙草を一服やりたいが、ライターもねえな。

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