8常闇渦巻く地へ


 向かいの席には、クレールが座っている。俺と同じく景色を見下ろすが、その赤い瞳は物憂げだ。隣に座るギニョルは、澄ました顔で両足を揃えている。


 断罪者達と分かれてから、俺達三人はゲーツタウンのヘリポートに向かった。


 特に地位の高い吸血鬼と悪魔向けの、ヘリがあるのだ。


 機体は紛争時に侵攻してきた自衛軍の使用していたCH-47、通称チヌーク。操縦士はチャームによって吸血鬼に完全に隷属した、元自衛軍の兵士が務めている。こいつなら、夜明けごろには、ダークランドに到着できる。


 かつてクレールの家令だったルトランドが批判していたヘリの運用だったが、利便性には勝てなかったらしい。自衛軍の勢力が大幅に削がれて一旦は廃止になったが、結局ダークランドとこのゲーツタウンを結ぶルートで正式化された。


 ただし今の所本数は少ない。ほかの乗客は、いずれも下僕を連れた高級そうな身なりの吸血鬼や悪魔連中だ。ダークランドには無数の家系があるが、ヘイトリッド家やゴドウィ家くらいでないと乗れない。

 

 俺はというと、旧主がクレールとギニョルの知り合いだからという理由で、ようやく乗ることを許された哀れな下僕半だ。


 ギニョルが事務的な笑みを向けてくる。


「騎士、先の見通しは立っているのか?」


「はい、お陰様で森番の口がございました。旧主を殺された私めには、もったいないお仕事です」


 口から出まかせの敬語だが、これも理由がある。


 断罪者の存在は、ダークランドではほとんど知られていない。俺がギニョルやクレールの同僚として、ため口でしゃべったら目立っちまう。


 ヘリポートの時点から、俺達は断罪者などではなく、ヘイトリッド家の御曹司とゴドウィ家の令嬢、二人の慈悲にすがる下僕半だ。


 あらゆる種族が気ままに暮らすポート・ノゾミならいざ知らず。これから行くのは、一万年にも迫る歴史を誇る、二種族の名家だらけのダークランドなのだ。


 二人が会うのは、二種族の動向を握る大物たち。


 たった三日の間に真相を探り出そうと思えば、いっそ元の立場を利用したほうがやりやすい。

 

 クレールが顔を上げ、俺に冷たい目を向ける。


「下僕半、足元の銃はしまっておけ。鉄と火の魔力が不快だ」


 断罪者になったばかりの頃のような態度だが、ヘリの乗客に配慮しているのだろう。ステンレスパイプに暗緑色のシートを渡した簡素な席には、エルフや人間、ゴブリンなどの下僕を連れた悪魔や吸血鬼が座っていた。


「申し訳ありません」


 丁寧に会釈をすると、俺は二本のライフルケースから飛び出したM1897と、M1ガーランドに封をした。周囲の悪魔や吸血鬼の無言の視線がようやく和らいでいる。


 ついでに、リュックの中身を少しだけ確認する。


 12ゲージショットシェルに、スラッグ弾と銃剣、それからギニョルのS&WM37エアウェイトとその実弾38スペシャルが入っている。包んでいるのは、クレールのマントとギニョルのローブと俺のコートだ。


 断罪者としての三人の全ては、俺の手もとにある。

 暗殺の真相が探り出せた段階で、ギニョルとクレールにこいつを手渡して行動を起こす。


 ちょいと気分がいいが、責任は重大だ。


 ヘリは飛び続ける。朝日が、東の果ての山際に昇ってきた。


 俺は目を細める程度だったが、外を見ていた吸血鬼も悪魔も一斉に顔をしかめて、粗雑なカーテンを閉め切ってしまった。島に居ると分からなくなるが、基本的に日光は忌み嫌われているらしい。


 朝日のお陰で景色が良く見える。下は一面の沼沢地と森林地帯、野原がえんえんと続いている。バンギア大陸の北東部は、大体こんな雰囲気だ。ところどころに、打ち捨てられたキャンプのようなものがあるが、恐らくユエの兄のゴドーの魔法騎士団が駐留した痕跡だろう。


 ダークランドとかつての崖の上の王国の境界では、かなりの年月に渡って戦争が繰り広げられていた。そのゴドーも、妹であるユエの目の前で、禍神となった実の父親のアキノ十二世により、魔力を全て奪われて灰となっている。


 景色は早送りのように過ぎ去り、太陽の気配が消える。周囲を紫色の雲が覆い尽くしていく。視界が全く利かない。俺はびびったが、ギニョルとクレールを含めて、他の連中は平然としている。むしろ朝日が入り込んできたときより、安心したような表情だ。


 それも当然で、いよいよダークランドの領域に入ったのだ。


 バンギア大陸の北東部に広がる沼沢地と森林地帯。そのほとんどを覆う紫色の妖雲。この妖雲の下が、いわゆるダークランドと呼ばれている。


 雲は、ダークランドの北端にそびえる、マウントサースティのふもとに、一年を通じて現れて太陽を遮り、真昼でも宵闇のような薄暗さを保つ。


 バンギアにおける悪魔と吸血鬼は、この妖雲の下の地域を二分し、さらにそれぞれ家ごとの領地に分かれて暮らしている。


 彼らの領地は、下僕や奴隷などで成る領民が手入れをする。


 森の木々を切っては植え、畑を耕し、コウモリをはじめとした家畜を飼い、糸を紡いで衣服を作り――。


 要は、領主の悪魔や吸血鬼が、自らの興味の赴くままに暮らせるよう、必要な全てを、ほぼ一切行っているのだ。


 でっちあげられた俺のストーリーは、主人を失いそんな領民としての立場を離れた後、生活が立ち行かず、再び森番として戻ってきたということになっている。


 操縦席の下僕が、通信を行い始めた。


「双頭の蛇より地上へ。誘導願う」


「こちら管制塔。蛇のコース、高度確認。問題なし、ダルフィン様のつま先、三番へ入れ」


「双頭の蛇は獲物を追う」


 通信を切ると、操縦士がチヌークの機首を旋回させた。

 前後不覚の毒々しい紫の雲の中を、ヘリの巨体が駆けていく。


 視界は相変わらずのゼロ。気分が悪くなってきた。

 高度もコースも俺からじゃ全く分からない。


 大木か、山でもあって引っかかったら、ヘリが落ちる。チヌークの巡航速度は時速二百キロを軽く超えている。こんな雲の中を飛ぶなんて狂気の沙汰だ。


 あまりにびびる俺を案じたか、クレールが冷笑する。


「下僕半、案ずるな。お前と違って、バンギアの人間どもの操縦技術は腹立たしいほど優秀なんだ。そいつらを下僕にした僕たち吸血鬼のチャームの効果は、よもや疑うまいな?」


「は、はい。申し訳ございません……」


 俺は、主人が死んで紛争の中にさ迷い出て、どうにか戻ってきた田舎者の下僕半ということになっている。失笑が聞こえて腹が立つが、クレールのやつ、本気で言ってんじゃないだろうな。


 やがてヘリがスピードを落とし始めた。操縦士が機内に向けてアナウンスを行う。


「紳士淑女の皆様方、只今より降下に入ります。異世界の人間のように野蛮な振動が襲いますゆえ、どうぞベルトをなさいますよう」


 冗談には忍び笑いが答えた。


 野蛮、か。いくら侵略も受けたとはいえ、兵士から人格の全てを奪い、技術まで収奪して利用し尽くしている連中が、まだ罵倒の言葉を吐く。


 俺の視線を感じたのか、クレールとギニョルだけは、機内の空気に同調していない。


 さすがに、身内の恥くらいは分かるのだろう。


 といって、家格の高いヘイトリッド家の御曹司と、ゴドウィ家のご令嬢が、ダークランドの常識に異を唱えるわけにもいかない。


 M97に12ゲージを突っ込んで静かにさせてやりたいところだが、どうしようもない。


 俺はアナウンスの伝えるまま、席にそなえつけの降下用ベルトで体を固定した。他の連中も大人しく従う。下僕たちが主人のベルトを締め、次いで自分たちのベルトを留めた。


 紫の霧の中をチヌークが降下に入っていく。


 高度が下がると、雲の層を出た。窓の外に、ダークランドの景色が見える。


 すなわち、西洋風の豪奢な洋館に、赤、青、黄色、緑、黒などのどぎつい原色をペイントした悪魔や貴族の屋敷。


 周囲に広がる真っ黒い森と小さな川。両脇をポプラのような木で彩られた細い運河もある。畑や牧草地、いずれも植わっているのは、黒や赤紫色の作物や牧草。


 点々とあるのは、土や黒いわらを組み合わせた粗末な小屋、多分あれが領民たちの住居だろう。


 そして、朝日が昇っているというのに、宵のように薄暗い。コクピット以外には、機内灯が存在しないため、闇が入ってくるようだ。


 この地に特有の魔力により、発生し続ける妖雲が太陽を隠しているせいだ。


「着陸いたします。衝撃に備えてください」


 アナウンスの後、車輪を機外に出す音が響いた。

 結構な振動と共に、チヌークが森の中に巨体を沈めていく。


 やがて、ずず、と下から軽く突き上げる衝撃が三度続いた後、体が沈み込むような感覚があった。着陸が完了したのか、ローターが回転数を落としていく。音の変化で分かる。


「お待たせいたしました。ベルトをお取りください」


 言われるままに拘束を外す。乗り心地はお世辞にもいいとは言えなかったな。


 まあ、旅客機なんぞじゃなくて、兵員や物資の運搬用のものを無理やり使っているのだから当然だが。


 後方ハッチが開いた。ローターの回転の残りが、強い風を吹き入れてくる中、乗客たちは次々に外へと出ていく。


 人の視界しか持たない俺には、うすぼんやりとして分からないが、各領地から迎えの馬車が来ているらしい。吸血鬼も悪魔も、下僕を伴いさっさと乗り込んでいく。


 ギニョルとクレールがこちらに近づく。小声でささやきかける。


「馬車が来たら、必ず平伏せい。屋敷にだけは近づくな」


 絶対に守らなければならないのだろう。気が引き締まる。

 クレールは何を言うのかと思ったら、俺を見上げて、赤い瞳を細めた。


「お前をここに来させたくなかった。同僚として、この地のことを先に謝っておくよ」


 俺の反応も聞かずに、クレールとギニョルはさっさと行ってしまった。


「まだ残っているのか! どこへでも行け、下僕半!」


「は、はい今すぐ」


 操縦士に怒鳴りつけられ、俺は慌てて荷物を持って席を立った。


 チヌークを降りると、冷たい空気が肌に触れる。太陽があまり差さないせいか、ポート・ノゾミとは違う冷涼さを感じる。


 モミを黒く塗りつぶしたような巨大な木が、わずかな明かりの灯るヘリポートを押しつぶすように囲んでいる。


 悪魔と吸血鬼の馬車は去った。ギニョルとクレールにも頼れない。

 目の前にあるのは、薄暗い先に向かう小道だけ。


 背中が、ぞくぞくとする。

 ここは本当に、この世なのだろうか


 宵と、夜しか、ときはなく。

 住むのは、人の心を奪い、体を壊して楽しむ吸血鬼と悪魔。

 そして、その犠牲者の下僕や奴隷ばかり。


 ダークランド。

 バンギアの民の多くが恐れる、呪われた闇の地に、俺は来てしまった。


「……行くか」


 立ち止まってはいられない。俺はライフルケースとリュックをかつぐと、小路に向かって足を踏み出した。

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