11奴隷と下僕と主人

 狩りと言うから、てっきり森の方へ行くのかと思った。だが、ハプサアラはイニスのチェーンを外すと、小路の方へ歩き出した。


 森番ってのは、封建領主のために領地の森の環境を整えておく職業のはずだ。たとえば領主の一族とかが狩りに来るときのために、木を切って道を整えたり、事前に獲物を放つなどしておく。

 イニスは猟犬だろうし、小屋の近くには、ほかにもケージがあった。てっきり動物や鳥を森に放って、弓かなにかで捕るのかと思ったが。


 ハプサアラは声が出せない。紙と鉛筆を使わせるのも悪いし、あれこれ聞くのはためらわれる。銃も置いてきてしまった。大型犬サイズのイニスをけしかけられたら、命を取られるかも知れない。不安になりながらも、俺は続いて歩くしかなかった。


「しかし、平和そのものだな……」


 つぶやきながら、周囲を見回す。ダークランド独特の妖雲こそ見えるが、この村だけは青空と太陽が降り注いでいる。せせらぎには水車が回り、隣の小屋で挽いた小麦粉を袋詰めにして、煙突のあるパン焼きかまどへ運ぶ途中だ。


 小麦の刈り入れの隣では、休耕地で牛が草をはんでいて、ときどき低く長い声で鳴く。ぶどうの収穫をやっているやつも居る。


 紛争前、中学の授業でやった、中世農村の光景そのもの。ただ、ここは無主地と呼ばれるだけあり、領主である吸血鬼や悪魔の館らしきものがない。

 働いているのは、エルフの三種か、バンギアの人間ばかり。若く、見目も麗しい奴らばかりだから、桃源郷にでも迷い込んだような印象を受ける。表情も生き生きしていて、キファイグが言ったように、奴隷や下僕が自分たちの好きにできる唯一の場所なのだろう。


「ここは、ゴドウィ家の地所だったな?」


 ハプサアラが振り向かずにうなずく。読めてきたぞ。


「奴隷や下僕が、自由に住んでるんだろ、主人の干渉なしに」


 また首を縦に振る。やっぱりそうか。キファイグの快活そうな様子も合わせると、もう答えは見えた。


 俺より小柄なハプサアラの肩を、とんと叩いてやる。


「人が悪いぜ。ダークランドってのは気のふれた陰気な場所かと思ったが、こんなに、エルフや人間にいい環境があるなんて。奴隷だ下僕だっつっても、大切にする奴も居るってことだよな」


 その代表が、ギニョルの父のロンヅなのだろう。そして娘のギニョルもまた、悪魔のくせに、法を守って平和をもたらすなんて、らしくない誓いをやった。


 思えばクレールだって、親父の影響なのか代々の下僕たちをとても大切にしていた。父の仇の娘であるリナリアでさえも、苦痛を取り除くためにチャームをかけたくらいだ。

 歪んではいるが、あのキズアトの奴でさえ、下僕を壊されれば、烈火のように怒っていた。


 小路を進むと、建物が集まった広場のような場所に出る。収穫した野菜や肉、皮革や刃物、日用品などが持ち寄られ、ちょっとした市場の様な場所になっていた。通貨のやり取りもされているらしく、ほぼ完全に村だ。


 昼間からにぎやかな声もする。市場の隣にある、二階建ての大きな家があり、軒先には木製ジョッキへビールが注がれる看板がかかっていた。


 そのものずばり、酒場。妖雲で太陽が薄日になるとはいえ、吸血鬼や悪魔の活動は夜が本番。奴隷や下僕たちが休めるのは、昼間というわけだ。


 入口の木戸が開いて、見覚えのある顔が現れた。


「おっ、ナイトか。早いじゃねえか。入れよ!」


 ここへ来るとき、出会った、奴隷のハイエルフ、キファイグだ。酒場で会う約束をしていた。


 どうするかと思ったが、振り返ると、ハプサアラは来た道を戻ってしまっていた。メモがポケットにねじ込まれている。


『そこで、好きに待っていて』


 ただ一言だが、走り書きではない。俺が酒場に入るということが、予定通りだったのだ。


「……今行きます」


 今までを忘れると、俺はキファイグの招きに応じた。


 中はなるほど、まさに居酒屋だった。


 くぐるとホールのようになっていて、四人掛けくらいのテーブルが十もあり、それぞれに、人間、ハイエルフ、ローエルフ、ダークエルフが男女のべつなく座っている。

 カウンターの上は二階だが、手すりに肘をついてこっちを見下ろしている女達は、娼婦らしい。派手な化粧と胸元や脚を露出したドレスで、こっちに流し目を送っている。こちらも、バンギアの人間と、ハイ、ロー、ダークのエルフが三種だ。


 ホールの喧騒も、なかなか様になっている。


 肩を組んでなにやら歌っている奴、テーブルに足を乗っけて、アグロスのトランプに夢中になっている奴。乾杯と飲み比べがえんえんと続いている席もあれば、喧騒を彩るように、ホンキートンク調のオルガンがカウンターの脇で歌っている。


「まあまあ座れよ、ほれ、はぐれなら大歓迎さ」


 キファイグは気さくな微笑みを見せながら、ローエルフと、バンギアの人間が座るテーブルに俺を座らせた。


 明らかに中学生くらいの少年であるローエルフの瞳は赤。吸血鬼の下僕だ。緑の髪をした、バンギアの人間には、右手の袖に手がない。悪魔には声を奪ったり、人の体を変える趣味のあるやつが多いのか。


「こっちは、ローエルフのシャルーン、人間のゼニスさ。おれは違うが、二人ともはぐれだよ」


 シャルーンは温厚そうな微笑みを浮かべ、俺に手を差し出した。


「よろしく。話は聞いてます。私はご主人が死んで六十年ほどです」


 ゼニスも、グラスを置いた。


「ゴドウィ家と縁があるんだってな。こっちは六年前、あっちの連中に機銃でやられたよ。あんたと同じではぐれのなり立てだ」


 二人が差し出した手を握り返す。マロホシによって、もう人間の寿命ではなくなった俺にとっては、うまくやってる先輩に当たるのだ。


 ユエに子供ができて舞い上がっている俺だが、あいつは人間で俺は下僕半。

 俺はもしかしたら、生まれてくる子供より長く生きることになるのかも知れない。


 そのときは、ギニョルやクレールや、ザベル、あるいはこいつらが友人になるのかも知れない。


 キファイグが俺の肩に手を伸ばす。


「ナイト、お前が森番になって嬉しいぜ。このシェイムレスヒルじゃ、俺たち奴隷や下僕、主人の居ないはぐれも、好きに働いて金をかせげるんだ。結婚も、家も、酒も、女だって自由なんだよ」


 ということは、外で見た労働者たちは、農奴のように強制されているわけではないのか。上の娼婦たちもそうなのだろうか。

 シャルーンが、小さな口で豪快にビールを飲み干す。ローエルフだけに、年端も行かない子供が酒を飲んでいるように見える。


「ぷはっ。恥知らずたちの丘、シェイムレスヒルなんて悪魔や吸血鬼の方々から呼ばれていますが、関係ありませんよ。今を楽しめればいい」


「そうだな。人間だったころこそ覚えてないが、ハイエルフやローエルフと酒飲んで馬鹿な話ができるってのは、なかなか貴重だぜ。姉ちゃんたちも綺麗なもんだ、おーい、こっちのテーブル頼むぜ!」


 ゼニスが叫ぶと、給仕の女が、ビールのジョッキを盆にのせて運んできた。もう片方の手には、ザベルの店で見た、黒ちしゃや、カブとチーズが乗った、暗い色のサラダボウルもある。ダークランドに固有のメニューだろう。


 格好は、ロングスカートのエプロンドレスに白のブラウス。だが、首から胸元の露出が広めで煽情的だ。髪の毛は、バンギアの人間らしい真っ青だが、黒い翼の髪飾りがよく合っている。快活な印象すら受ける。


 いや、この女、一度会ったな。キファイグが料理と酒を受け取る。


「ありがとよ、やっぱ仕事で見るときが最高だな」


「……体を壊すほど、飲まないでね」


 少しだけのぞいた気遣いと、微妙な表情の変化。こいつは、キファイグが連れていた、カイアという女だ。ここで働いているのか。


 キファイグは、旦那らしい微笑みと共に、カイアの細い背を軽く叩いた。


「分かってるさ。俺も、一人じゃねえんだ」


「ひゃう……触れるときは言って。あなたの手、刺激が強い」


 隠す色気というのか、真っ白い頬に赤みが差した様は、なかなかにぐっとくるものがある。トレーを抱き締めている様なんかは、こう、ユエを思い出したりする。


 シャルーンとゼニスが、厳しい目で二人を見つめている。どうやら、こいつらには、伴侶が居ないらしいな。


「仕事明けはいつだ?」


「夕方」


「んじゃ、先に家で待ってるよ。夜中まで寝てようぜ」


「……馬鹿」


 カイアは小さな声でそう言って、うなずくと、早足でカウンターへ戻っていった。二階の娼婦たちから冷やかしの声が降ってくる。


 下品な言葉も交じっているが、からかい半分、祝福半分って感じだ。


 奴隷、下僕、なんてネガティブな言葉ではあるが。

 こういう、人生を楽しめる場所もまた、用意がされている。


 あのカイアも、ゴドウィ家の元奴隷だったか。ギニョルの親父だけあって、ロンヅってのは、話の分かる男なのだろう。


 となると、吸血鬼の幕僚長殺しが、ますます不可解になる。なぜわざわざ、こんな環境を乱すような真似をするのか。


 考えていると、大きな音を立てて、入口の扉が開いた。


 四人の男と、一人の女が入ってきた。


 男は悪魔だ。赤い髪は短く刈り込み、こめかみからは、山羊の角が出ている。一様に、着崩した黒のスーツに、ごてごてとくっつけられた金モール、趣味の悪いネクタイは、確か日ノ本の高級ブランド。時計に、革靴も同じだ。


 腰のホルスターには、自衛軍が使う9ミリ拳銃、シグザウアーP220か。


 一方、後ろに立っている女は、吸血鬼らしい。結い上げた銀色の髪の毛で分かる。レースで彩られた、膝丈の黒いスカートに、ハイヒールとストッキング。こちらもフリルのついたブラウスの胸元を、形のいい胸が押し上げている。


 ただ、多分、若くはないな。クレールはおろか、キズアトよりも年上だろう。寿命八百年のうち、五百の坂を超えたあたりだ。


 確かに表面は妖艶な美人なうえに、しわひとつない。だが、俺も、たいがい色々な吸血鬼と会って、雰囲気から年くらいは予想できるようになってきた。


 まあ年がどうとか以前に、この吸血鬼の女は、格好に似つかわしくない銃、散弾銃のウィンチェスターM1887を携えてやがる。


「どうしたの、私にひれ伏さないのかしら、奴隷も下僕もはぐれも」


 その一言で、ホールの全員が血相を変えた。

 酒も料理も雑談もピアノも消え、全員が床に這いつくばって、片膝をついて忠誠を示し、一言も口を利かない。


 自由は消えた。奴隷と下僕が主人にとれる態度は、恭順だけだ。


 ちゃっかり俺も従った。ここでトラブルを起こすのはまずいからな。


 が、黙っていられなくなったのは、悪魔と吸血鬼に続いて、ハプサアラが入ってきたからだ。


 猟犬のイニスを連れ、俺の前にやってくると、黙って手を取り、立たせる。


「森番の仕事か」


 イニスは声を出さずにうなずく。俺は居丈高な吸血鬼の前に引きずり出された。 

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