15し烈なる戦士


 轟くような竜の咆哮が、格納庫を満たした。

 炎をくぐって俺達を殺そうとする兵士、岩山を崩す銃架の奴らまで動きを止めた。


 煙の向こうに、真っ赤な鱗がそびえ立っている。4メートルの巨体を持つスレインが、とうとう立ち上がったのだ。


 普段とは様子が違う。目はらんらんと輝き、さっきの叫び声といい、バンギア中で恐れられた火竜そのものだ。


 本能的な恐怖ゆえか、自衛軍の兵士達は、命令を無視してスレインを撃ち始めた。無論鱗は健在で、小銃弾では貫けない。しかし銃架にはM2重機関銃がある。大口径の弾丸は鱗を砕いてダメージを与える。腹や胸など、鱗の無い部分、顔を覆った腕にも、弾痕が刻まれていく。


 全身に弾丸を浴びながらも、スレインが息を吸い込み始めた。

 岩塊の様な胸元が、みるみる膨らんでいく。これは、まずい。


「フリスベル!」


 俺が呼びかけるまでも無く、起き上がると、杖を縦にかざす。

 ドロテアも何かを察したのか、珠里を抱き留め、しっかりと両腕で覆った。


 一瞬の後、スレインの口から吐き出された炎が、眼前のすべてを包み込んだ。

 中学の頃、昔の戦争の資料映像でメリゴンの火炎放射器を見たのを思い出す。だが、スレインの炎の息と比べると、あんなものライターかマッチ以下だ。


 鍋底をコンロの火が這う様に、スレインの吐き出す火柱は格納庫の床をなめ尽くした。銃剣突撃を試みた兵士は、次々に薙ぎ払われ、たちまち全身火だるまになって崩れ落ちた。

 首を回し、銃架にも火炎を吐きかけるスレイン。銃弾が暴発し、乗っていた兵士ごと辺りを吹き飛ばしていく。


 炎の音でかき消されたが、フリスベルはとっさに周囲の空気をかき集める魔法を使ったらしい。俺達とドロテアの居る空間だけは、清浄な空気の渦が覆い、熱や煙から守られている。

 だが格納庫は、文字通りの灼熱地獄に変わった。銃架はことごとく暴発し、どこの誰かも分からぬような焼死体が転がり、屋根からは、がれきが落ち始めた。高温のせいで柱がゆがんでいるのだろう。

 体を引きずって、外に逃げていく兵士の生き残りが見える。


 これがドラゴンピープルの力。彼らが天秤を重く見るのは、自分たちだけのために力を振るえば、こんな災厄をあらゆる場所で巻き起こしてしまうからだろう。


 炎の途切れたスレインの口から、苦しげな喘ぎ声が漏れる。よだれと共に、赤い血が口の端からこぼれている。腹や胸の傷にも、血がにじんでいた。銃弾は貫通しなかったのだろうが、それだけに内部の損傷は激しいに違いない。


「親父!」


 それでも、ドロテアの声が、意識を戻したのだろう。

 かろうじて踏みとどまると、目を見開く。普段の光が戻っている。


「それがし、は、天秤を忘れたようだ……が、今は、お前たちを生かすことを、考えよう」


 歯を食いしばると、残った左腕で、足元の巨大なパイプを握りしめる。

 パイプ、いや、これは戦斧の“灰喰らい”だ。鉄材と一緒に格納庫に収容されていたのが、コンテナが燃えて転がり出たらしい。


「ぬう、おおおおおっ!」


 掛け声と共に、体を起こすと、長大な灰喰らいが持ち上がった。石突は床をこすり、体を支える様な状態だが、片腕で持ち上げただけでも、十分な剛腕ぶりだ。


 ふう、ふう、と息を吐きながら、スレインが歩き出す。俺達の方、シャッターへと向かっている。血を流しながらも、戦斧を振りかぶった。コンテナが焼け落ち、振り下ろす高さも十分にある。


「う、ぐ……」


 左手が震え、傷口から血が流れた。


「あなた、止めて。こんな傷では」


「そうだ旦那、無理だ。そんな体で力なんか込めたら、傷口に響くぜ」


 珠里の言葉も、ガドゥの言葉も、聞いてはいても届いていない。

 スレインは覚悟を決めている。命がけで、俺達の脱出の経路を作るつもりだ。

 ドロテアはそれを察しているらしい。唇を結んで、ただ父親の背中を見つめていた。


「どおおああああああっ!」


 掛け声と共に、灰喰らいがうなりを上げた。

 巨大な斧は、バルゴ・ブルヌスを屠ったときと寸分たがわぬ加速を付けて、格納庫の熱い空気を切り開く。

 シャッターにめりこんだ先端は、バターの塊でも切る様に、分厚いセラミックを根元まで断ち切った。あのときの比じゃない威力だ。


「ふぐ、おおおおおっ!」


 めりめりと音を立て、巨大なシャッターが横にひしゃげていく。

 灰喰らいでできた裂け目に、片腕を突っ込み。腕力だけでシャッターをこじ開けているのだ。


 人一人分どころじゃない。車の一台は通せそうな、巨大な裂け目が出来た。

 裂け目の向こうには、地獄の様な格納庫と比べて、冷たく快適な夜気が満ちている。

 だがサイレンと非常ベルが鳴り響き、遠くの宿舎には次々と明かりが増えていた。消火や負傷者の救助用の車両も、エンジンがかかっているらしい。


 もたもたしてると、まだ敵が増える。スレインが振り向いた。


「……みな、行け、今ならまだ、橋頭保は混乱している。うまく逃げられよう」


「待ってください。スレインさん、あなたはどうするんです」


 フリスベルの問いに、スレインは牙を見せた。


「敵を、引きつける。それがしは手負いだ。それに、この体ではお前達の邪魔になろう」


「そんな。せっかく、また会えたのに、これからまた」


「珠里、すまん。ドロテア、君もだ。愛しているぞ……」


「……知ってるよ、親父」


 ドロテアが涙をこらえている。感触を焼き付けておこうとするかのように、スレインの手を握り、赤い鱗にしがみついていた。


 スレインの視線は、兵舎に向けられていた。今しも、装輪走行車や、軽装甲機動車に、兵士たちが搭乗する所だ。事態を全く知らなくても、この格納庫を目指すに違いない。


「くたばれ、化け物どもがああっ!」


 背後で発射音を響かせた、てき弾銃。

 スレインの背中に爆発が巻き起こった。


 俺とガドゥ、フリスベル、それに珠里は熱風を受けて外へ弾かれた。

 ドロテアは、格納庫の中だ。


 すぐさま立ち上がり、M97をたずさえて戻ると。

 スレインの背中越しに、炎の向こうで銃架にしがみつく亡霊の様な兵士が見えた。


 あれは、真壁か。かろうじて顔は判別できるが、酷い火傷で、ボディアーマーや迷彩服が燃え、左腕が服と一体化している。まるで地獄をさまよう亡者だ。

 てき弾銃を捨てると、相当熱されているであろう、銃架のM2に片手で弾を込めていく。もう感覚もあやふやなのだろう。


 俺もガドゥも、フリスベルも撃ったが。コンテナの陰、こぼれてくるがれき、そして銃架の鉄のカバーが、弾丸を妨げる。


「まただ。また、その炎で、私の兵士を殺したな。我が軍を侮辱し、珠里を汚したな。待っていろ、今殺してやる、トカゲが、鱗ごと、ハチの巣にしてやる……!」


 これ以上はダメだ。撃ち殺さなければ、スレインが――。

 ガドゥの弾が切れた。俺の弾も切れた。フリスベルの弾も、リロードは間に合わない。

 真壁は、熱くなった銃身をものともしない。ずるずるの右手で、銃身を固定し、覆いかぶさる様にして、左腕でトリガーを押し込む。


「っざけんなあああああああっ!」


 竜と化した、人語の雄たけび。ただ一人、格納庫に弾き飛ばされたドロテアが、灰喰らいを振り上げて、真壁に突進していく。


 真壁は慌てて狙いを変えた。炎にあぶられ、高温にさらされ、使用者の身を焦がしたM2だが、トリガーに応えて銃弾を吐き出す。


 人間をミンチにする12.7ミリの弾丸。ドロテアの体をかするが、ことごとく赤い鱗で火花を散らした。


「どおああああああっ!」


 4メートルの灰喰らいを掲げて、ドロテアの体が中空に踊る。

 爆炎を写したまま、巨大な刃が銃架に向かって振り下ろされた。


「が、あ……ぐぅ」


 俺達の銃弾を弾いた、鋼鉄のカバーをも超え。

 灰喰らいが、真壁の肩口を両断している。


 同時に、装填された銃弾を砕き、中の火薬にショックを与えたらしい。


「ドロテア!」


 珠里の悲痛な叫びを吸い込み、格納庫に最後の爆発が巻き起こった。

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