35黒雲を追え

 墨を流したような黒い雲なんて初めて見た。

 闇の塊みたいなものが、東の空に渦巻いている。


 アキノ王とゴドーとユエが対峙している方角だ。

 青い顔で身震いするフリスベルの肩を抱きながら、俺は使い魔のねずみに話しかけた。


「ギニョル、連中の位置は分かるか」


『わしらも斥候は出しておる。そうじゃな、イスマから距離にして60キロメートル。徒歩で二日ほどのところでにらみ合っていた』


 意外と近いな。道路が整備されていなくとも、車なら半日あればついちまう。アパッチの巡航速度なんぞ270キロもあるから、空を行けば20分もあれば到達して奇襲できる。チヌークだってすぐに追いつく。


 装甲車が動きを止めた。クオンがこちらを見上げる。


「悪魔よ。恐らくこれが父さまの中の禍神の復活だな。断罪者はどう動くのだ」


『むう……』


 ギニョルには珍しくうなっている。それもそうで、懸念してたことがいっぺんに起こった。当初の予定は、禍神復活までのメンバー全員の無事回収と撤退だった。


 だがここまで復活が早まるとは。ユエを説得するどころか、まだ再会してすらいない。島からこちらを目指すガドゥとスレインもその姿は確認できない。


「ギニョル。俺は行くぜ」


「騎士さん」


 腕の中のフリスベルが俺を見上げる。ねずみの目が紫色に光った。


『貴様、命令に逆らうのか』


「ユエを死なせられない。お前も感じただろう。あれは危険だ。助けに行くべきだ」


 禍神の気配は、本能的に訴えるものがある。断罪者の仲間として、というより俺個人としてユエが心配だった。送り出したきり、会えなくなってしまうしまうことだけは、許せない。


 単独捜査は俺のおはこだが、ここまで明確に命令に逆らうのは、初めてだった。反応が悪くても俺はここで車を降りる。適当な車両を奪ってでも、たどりつかなければならない。


『僕もユエを助けに行くべきだと思う』


 使い魔がマイクのように拾ったのは、クレールの声だった。ほんの数日会ってないだけだが、ずいぶんと久しぶりに聞こえちまった。色々あったせいか。


『つまり断罪者は全員で禍神と戦うんだ。禍神はアキノ王なんだろう、僕たちの暗殺の命を下し、テーブルズの人間代表議員、マヤ・アキノを脅迫して城にくるように仕向けた断罪法違反者だ。ここまで来た僕たちが断罪しないでどうする』


『正論ではあるが、被害はどこまで広がるか分からぬぞ。老人どもの言うことを信じるならば、禍神は先祖の全てがさじを投げてきた存在じゃ』


 悪魔や吸血鬼、エルフの持つ力をさんざん見てきた以上、連中が戦うことを諦める存在というのは、確かに考えたくない。


『だが連中は銃を持っていなかった。僕の父さまを殺せた銃をな。違うか』


 クレールの言うことはもっともだ。なるほど、魔道具を作る発想はあっても、銃までは辿り着けなかったのが、バンギアの古代人だ。


 使い魔の先で沈黙が続く。やがて、ギニョルの声がした。


『……分かった。お主も出てこられるのじゃろうな』


『必ず行くさ。騎士、フリスベル、現場で合流しよう』


「クレールさん、ありがとうございます」


「……礼を言っとく」


『素直になれ下僕半。僕もユエが見られなくなるのは残念だからな』


 俺は答えなかったが、もしかしたらクレールはキズアトが俺と流煌にしたことを気にしているのかも知れない。


「お前が死んでも意味ないからな」


『その通りじゃな。騎士とフリスベルはイスマで待て。スレインたちがもうすぐ到着する。合流したらアキノ王の下へ向かってくれ!』


 使い魔の通信が切れた。ただのねずみは、フリスベルの背中に回り込んだ。マントのポケットに入り込んだらしい。


「きゃあ! な、なんですかもう……」


 フリスベルは身をよじって逃げようとするも、ネズミはそのままローブのポケットに潜り込む。巨乳好きかと思っていたが、もはや女なら誰でもいいのかも知れん。


 わだちを下り、城門を出て、城下町を過ぎた町はずれ。周囲は田畑や森が目立つ。黒雲はいよいよ膨れ上がって、山向こうを覆い尽くそうとしている。車から降りたフリスベルや、ララ、マヤの顔色がよくない。クオンとデオも不快そうだ。


 マヤは黒雲の沸いてくる森の向こうを見上げる。ザルアを心配しているのだろうか。金色の髪をかきあげる姿は神経質で繊細な印象だ。振り向いたのは、以前魔錠で拘束されたララの方。


「姉さまはどうなさるのですか?」


「兵をまとめて、イスマを引き上げます。ここにいると禍神との戦いに巻き込まれる。あの恐ろしさは、魔法を使う者なら、誰でも分かるでしょう」


 その通りで、けろりとしているのは、魔力不能者のニノだけだ。半分下僕にされた俺も、はっきり言って今すぐ島に帰りたい。


「クオン、この錠前を外しなさい」


「ですが」


「今さらあなたがたを害そうとは思いません。何の得もありませんからね。禍神は数十日で消えるそうですわ。ゴドー兄さまの軍勢もですが、あなたたちが禍神と交戦すれば、時間稼ぎになるでしょう」


 確かにそりゃそうだ。だがこいつは根に持つタイプかも知れん。


「じゃあついて来てる兵隊どもには俺達への攻撃を」


「止めさせるわよ」


「……そうらしいが、どうするギニョル。ギニョル?」


 ねずみは反応しない。どうやら戦うと決まって使い魔の通信をやるどころじゃないらしい。


 クオンが全員を見つめて言った。


「では魔錠を解くぞ。ニノも、いいな?」


「どうぞ」


 あまり歓迎してなさそうだが、いいだろう。


 クオンの手で鍵が開けられ、錠前が外れた。

 その途端、ララはスカートのポケットに手を入れる。


「おい!」


 俺がショットガンを構えると同時に、マヤの手の中で緑の魔力が輝き、茶色い棒のようなものが育っていく。


「騎士さん、ニノさん、いいんですよ!」


 フリスベルが俺達の銃口からララをかばう。そうか、これは。


「……まったく。丹沢騎士、その外見に騙されたわ。血の気の多いあなたを、もう坊やとは思わないし言わないわよ」


 手の中で育った三本の杖。ヤドリギ、トネリコ、樫。小さな若葉を茂らせているのは、ローエルフであるフリスベルが褒め称えた杖だった。


 俺は銃を下ろした。ニノもしぶしぶ、ライフルを下ろした。

 ララはマヤに近づくと、ヤドリギの杖を渡す。


「マヤ。これくらいは持っていきなさい」


「姉、さま……」


 杖を渡され、握りしめたマヤが涙ぐむ。


 ララは立ち尽くす三男坊の前にも歩み出た。


「クオン。あなたの魔法と選んだ生に自信を持ちなさい。後、そこの魔力不能者を残して死なないように。後家は、寂しいものよ」


「ララ姉様」


 ニノは顔をそむけているが、クオンは涙を見せない。渡された杖を静かに握り締めている。

 最後にララは、跪いた年かさの魔術師の下にもかがみこんだ。


「デオ。私の弟たちを良く支えてくれたわ。若い部下にも作ってあげたかった」


「もったいのうございます……」


「いいのよ」


 背中をたたかれ、声を振るわせているその手に、三本目の杖を握らせるララ。


 もらい泣きするフリスベルに対して、ララの狡猾さを知る俺は、いまいち賛同できない気がした。


 そんな俺を見抜いたのか、立ち上がったララは茶目っ気を含んだ笑みを見せる。


「そういうわけだから、この後もエルフロック伯爵領とは仲良くしましょう。間違っても首都に手を出したなんて言って仕掛けてこないでね」


 マヤ、クオン、フリスベルの表情が凍り付く。ララの右手に砂が集まり、柔らかそうな毛皮をあしらった見事な桃色の扇となった。


 おかしそうに口元を抑え、ララは俺達を見下ろした。


「……ふふ。王族ならいつでも自領のことを考えておきなさい。私は私で、主人の土地を守り切るわ。あなた方もせいぜい頑張ることね」


 地面から取り巻いた砂は、通りで見たのと同じ、従者と四頭の馬つきの見事な馬車だった。


 馬車に乗り込み去っていくララ。周囲で俺達を警戒していた兵士が、包囲を解いて俺達を離れていく。


「どうやら我々は、この首都を任されたようだな」


 クオンはそう言ってるが、体よく押し付けられただけのような気もする。


 ただ、ララが亡くなった領主に惚れ抜いているのは事実だとも思う。そうでもなかったら、エルフロック辺境伯の領地を守り抜こうとしないはずだ。


 ララが兵士と共に去ると、森の向こうの嫌な気配が一層強まった。黒雲がどろどろと広がっていく。


 城下町では、建物からアグロス人達が外に出てきている。だが見ているのは南の空。俺達や禍神の気配に注目しているのかと思ったが。


「竜人さんじゃないですかー。しかも赤鱗が居る。ほかにも、たくさん……」


 さすがというか、目の良いニノにはよく分かったようだ。言う通り、それぞれコンテナや木箱を手に持ったドラゴンピープルがこちらへ近づいてくる所だった。


 島に慣れている俺達とマヤはそうでもないが、クオンやデオも驚いている。やはりドラゴンピープルはバンギアでは希少な種族なのだろう。


 大きな注目を集めながらも、ドラゴンピープル達はスレインを先頭にして、俺達の前に降り立つ。

 スレインを含めて合計7人。ドラゴンピープルの議員代表を任されたドーリグも居た。連中らしいというのか、また義侠心を出してくれたのか。


 スレインの背中から、ゴブリンが一人、ぴょんと飛び降りて駆けてくる。束帯でAKをつるしているのは、断罪者のガドゥだった。


「騎士、フリスベル、よく無事だったな!」


「よう、ガドゥ。来てくれたんだな」


「ガドゥさん、また会えて良かったです!」


 フリスベルに手を取られ、戸惑っているガドゥを見下ろすのは、体長6メートル、巨大な戦斧”灰喰らい”を肩にかついだ赤鱗の竜。 


「禍神と戦うならば、それがしの力が必要であろうと思ってな。しかし、お前達まで来ることはなかったのだぞ」


「何をおっしゃられるスレイン殿。我々はこの世界の天秤を守る存在です。なればこそこちらに馳せ参じたのです」


 ドーリグとのやり取りは、マロホシの病院以来だが、俺の知らんところでは何度もあるのかも知れない。戦車に勝利したことさえある機動兵器のような断罪者。


「スレイン、ありがとうな。お前が来れば本当に百人力だ」


「そうですよ! なにが相手でも負ける気がしません」


「自信過剰はいかんがな。ここに居る者は味方と考えていいのか」


 見下ろしたスレインに、クオン以下、王国組が身を縮める。ドラゴンピープルがバンギアで幻の種族と呼ばれるのは十分に分かったが。


 クオンが咳ばらいをする。


「……頼む、竜の人よ。みまかった我が兄に代わって、改めて非礼を詫びよう。島では家族を狙ってすまなかった」


 丁寧に頭を下げるクオン。デオも続いた。

 スレインが口の端を釣り上げ、牙を覗かせる。分かりにくいが微笑んだのだ。 


 俺達を襲ったジン、リカ、クオンの断罪を主張していたスレイン。バンギアにおける正義の象徴の竜が、こいつを認めた。


「それがしの背に乗れ、崖の上の王国の王子よ。我ら断罪者、そなたの妹とこの国の助けとなろう」


「恩に着るぞ」


 スレインの背はクオンに譲るか。俺は青いドラゴンピープルの背に乗った。デオやニノ、マヤにフリスベル、ガドゥもそれぞれ、木箱の銃を装備してから、ほかの者の背中に乗った。


 装甲車を捨てた俺達は、黒い雲に向かって飛び立った。


 仲間が集結し、心強いはずなのに。


 渦巻く黒雲は相変わらず不気味だった。


 


 

 


 



 

 


 


 

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