36禍神アキノ
ドラゴンピープル達に乗って、一時間足らずで、俺達は戦場に辿り着いた。
アキノ王とヤスハラとユエ達とゴドーを合わせて、集結した兵力は約五千人。装甲車や機動車、ヘリなども何十機と集まっている。
だがその全てが、ミニチュアのように見えた。俺達が空に居るからというよりは全てを見下ろすある存在のせいだ。
『禍神』などというくらいだから、まともなものではないだろうと予想はしていた。
だが、なんなんだ、これは。
禍神。それらしきものは、森の木々をはるかに下に見る大きさで、体中から黒雲を吐きながら、じりじりと前に進んでいた。
一言で言える形をしていない。確かに形状は手足と胴体と頭がある60メートルくらいの巨人のように思える。だがそれは輪郭だけだ。
内部はというと、炎と稲妻と氷、樹木、土の塊がいくつもいくつもうごめき、渦を巻いている。
燃え盛る炎が氷の壁に阻まれ、稲妻がいつ果てるともなくまたたく隣で、焦げ跡一つない樹木がすくすくと育ち、朽ち果ててはそれが土となり、風で固まって岩石に変化する。お互いに影響を与え合うはずの物理的な現象が、互いに独立して、発生し続けている。しかもそれらは、巨人を思わせる輪郭を少しもはみ出していないのだ。
まるで、長い長い現象魔法があの巨人の体内で発動し続けているかのようだ。生き物というより、魔力の塊に近いのか。だがその魔力の塊は少しずつだが俺達の方角、恐らくは崖の上の王国の首都イスマの方角に向かって移動を続けている。
俺達の足元で、ゴドー指揮下とぼしき兵士が、巨人に向かって尖ったバズーカのようなものを構えている。
RPG7。当たればあのアパッチをも仕留める対戦車ロケットランチャーだ。
「放て!」
指揮官らしい兵士の号令で、一斉射撃が行われた。
十以上の成形炸薬弾が禍神の頭部と胴体に向かって殺到する。
木や岩、炎や稲妻の部分に命中したのが、砲弾は爆発し、次々と黒い煙を上げる。
だがそれだけだ。禍神に効いた様子はない。というか、そもそもこいつにはダメージなどという概念が存在するのか。
目も鼻も口もない禍神は、頭の部分を傾けて、撃ってきた兵士の方を向く。
てき弾銃や、M2重機関銃で反撃する兵士たちだが、相変わらず効果はない。薬莢がむなしく転がるだけだ。禍神は右腕を兵士達の頭上にゆっくりとかざす。
夕暮れの陽を、岩石と炎と稲妻と樹木の腕が遮り、大きな影が差した。
その直後、銃撃していた兵士の一人がいきなり倒れた。
全身が発光している。不気味な事に、光は赤や青、緑、黄色とイルミネーションのごとく何度か切り替わる。そして点滅が終わると、その体は軍服を残して砂のように崩れ去ってしまった。
ほかの兵士も同じだった。禍神の腕の影に入った奴から、触れられても居ないのに発光現象を起こして砂になっていく。十数人いた小隊はあっという間に砂に還ってしまった。
スレインの背に乗ったクオンが、俺達全員に向けて叫ぶ。
「これ以上近づくな、あの兵士は魔力が枯渇したんだ! 父様は、いや、禍神は人から魔力を吸い取っている!」
俺はマロホシの講義を思い出した。魔力もまた人間を形作るための基礎をなしているという。バンギア人に種族間で大きな差が存在するのは、魔力の分布のせいだとも言ってた。
クオンの言うように、禍神が魔力を枯渇するまで吸い取るというのなら、生き物は形が維持できなくなるのだろう。銀の弾丸にやられた悪魔や吸血鬼のように。
「ま、待ってください。そんなことあり得ません。人やエルフや悪魔や、生きているものの魔力だけは、現象魔法では操れないはずなんです。しかも吸収して枯渇させるなんて、操身魔法や蝕心魔法にだってできませんよ!」
フリスベルの反論はもっともだ。300年以上生きてきて、こんな事象には出会ったことがないのだろう。レグリムの奴でも同じことを言いそうだが。
「そのあり得ないことをやらかすから、禍神なんて大層な名前が付いてるんだろ。ガドゥ、あいつは魔道具らしいが、何か分かるか?」
「おれも初めて見るけどよ。あいつは、現象魔法みたいなもんだって読んだことがあるぜ」
さすが博識だ。ゴブリンのイメージと合わないが、もう慣れた。スレインが首を回して尋ねる。
「詳しく分かるか、ガドゥ」
「ああ、旦那。確か、禍神は冠の形をした魔道具で、人間にしか使えねえんだ。持ってる奴の魔力の制御を外して、現象魔法の発動と魔力の操作をいつまでもやりっ放しにする」
長い現象魔法と思えたのは、あながちはずれでもないということか。そして冠ってのは、多分王に継がれる王冠のことだろうな。
「発動したやつの魔力が尽きるまで、現象魔法が発動しまくって誰も近づけねえって話だ。ギニョルから聞いてないか。何千年、何万年も前から、あれが発動するたびに人間の王国が滅んで、バンギアがめちゃくちゃになったって」
確かに聞いている。今までの人間の国は、禍神の発動で滅んできたと。だから悪魔や吸血鬼やエルフ達にも、人間を追い詰めないという暗黙のルールがあると。ガドゥが解説した通りの能力なら、全種族の多大な被害をもたらすというのも分かる。
「魔力の吸収は文献にありませんでしたの?」
「そうは書いてなかった。けど止めようとしたどんな種族の奴も、砂になって崩れちまって誰も近づけなかったらしいぜ」
フリスベルが腕組みをして、禍神の方を見下ろす。
「……それなら、つじつまは合います。いくらアキノ十二世のような魔力の持ち主でも、あんな規模の現象魔法を発動し続けていては、一日も持ちません。他人や自然の魔力を奪い続けていなければとても。いいえ、そうしたとしても、ひと月は持たないと思います」
それもギニョルの情報と一致する。
「じゃあ、近づかずにひと月くらい放っておけば問題ないってことですよねー。無理に戦おうとするから、今の人達みたいになるっていうー」
ニノがものすごい正論を言った。確かに今のところ禍神の動きは遅い。ひと月もこの世にいれば、凄まじい環境破壊はもたらすのだろうが、逃げさえすれば人命は助かるともいえる。
戦う気で来たのが間違いだったか。俺達は今すぐ下に飛んで、自衛軍にも反乱軍にもゴドーの軍にも禍神の正体を伝え、停戦と避難を呼びかけた方がいい。
飛んで帰ってイスマの住人も避難させれば、人的被害は圧倒的に減少させられるだろう。命あってこそ、破壊された国土や首都の復興もなせる。
そう都合よく行くはずもなかった。フリスベルが顔を上げる。
「皆さん、四時の方角です。防御を!」
クオン、マヤ、デオが杖を掲げる。俺とガドゥの乗ったドラゴンピープルも、そちらを向き直り、腕をかざす。
次の瞬間、爆発が俺達の眼前を包んだ。
黒煙と炎が混じり合ったものが、フリスベルやクオン達の発生させた突風の壁に吹き飛ばされていく。
「高度を下げるぞ! つかまれ!」
スレインの声に、俺は乗っているドラゴンピープルにしがみついた。
急降下する視界の中、森が近づいてくる。
銃声と砲撃音が聞こえるが、禍神の方角じゃない。狙っているのは俺達だ。
竜鱗で銃弾を弾こうが、ドラゴンピープルは生物だ。レーダーなんぞ搭載することはできない。フリスベルが兵器の気配を感じ取ってくれなかったら、虫けらのように撃ち落とされていただろう。
しかし、禍神が暴れてる状況で、わざわざ俺達を狙うってのは、ゴドーやアキノ王まして、反乱軍の軍勢でもないに違いない。
「着陸するぞ、いつまでも空中に居ては狙い撃ちにされる」
言うまでもない。禍神にやられても火砲にやられても等しく死ぬ。
森に入ると、砲撃は止んだ。木々で俺達の位置を見失っているのだろう。射線もある程度さえぎられているひとまず安全だろうか。
だが60メートル近い禍神は相変わらず森の上によく見える。かなり遠くに迫撃砲でもあるのか、その体では次々と爆発が起こっているが、やはりまったく効いた様子はない。
マヤがドラゴンピープルの背中で息を吐き、フリスベルを見やる。
「ギニョルとの連絡は取れませんか?」
「まだ使い魔が動いていません。来ていても私達とは逆側です」
「では二手に分かれましょう。断罪者は砲撃してきた者達の迎撃に向かってください。私達はドラゴンピープルとゴドー兄さまを探します。説得できたら首都まで撤退させます。あなた方も続いて合流してください」
テーブルの議員代表、つまり俺達の上司だけあって、命令が的確だ。
ただ、ゴドーに説得が通じるか、そもそも生きているかどうかは判然としない。
砲撃にもびくともせず、禍神は少しずつ前進していく。もはや敵というより、災害と呼んだほうがいいのかも知れない。
「父さま……なんとか止める方法はないのか」
「残酷なようですけど、多分無理ですよー。今は考えてる時間がありませんー」
ニノに言われて、拳を握るクオン。アキノ王を、父を救いたいのだろう。すっかり熱い奴になった。
砲声が轟き、そばの木々が焼け落ちる。ドラゴンピープルやスレインは、傍に居る奴を砲弾の破片や小石からかばった。俺もドーリグに守ってもらった。
赤い鱗でクオンとニノをかばったスレインが、灰喰らいをかついで立ち上がる。
「早く動かねば、そのうちに、狙い撃ちにされそうだな。王子よ、姉上の命に従え。騎士、フリスベル、ガドゥ、我らも行くぞ」
状況はめまぐるしく動いている。のんきに合流を待つ手は使えそうもない。俺達は顔を見合わせると、うなずいて出発した。
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