50かつての王は

 歓喜に沸く民衆をかきわけ、俺もクレールも、城下へと急いだ。


 ギニョルを信用しないわけじゃないが、状況は本当か、自分の目で確かめておきたい。


 崖の道を下ると、広場から城下町へ。

 道々は惨状が支配していた。この街に着いたときや、国王の騎士団の出発時に見た美しい風景はほぼない。


 煉瓦の建物は砕け、焦げ付いている。落とし子の残骸と、こと切れた死体も転がっている。禍神に魔力を食われ、レイズ・デッドの効果が切れたのも影響したのか。積み重なった灰の塊は、人が燃えたのか、ものが燃えたのか区別が付かない。


 禍神が崩れて消えた城壁の近くは、さらにひどかった。ガドゥが作った爆発する魔道具や、禍神が暴れた影響で、見張塔や建物が派手に崩れ、城壁も砕けて外が覗いていた。


 ぱっと見は、投石機で巨岩を何十発と叩き付けられたような様相だ。あるいはここにだけ天変地異でも襲ったかのようだ。禍神が天変地異だといえばそうなのだが。


 外で戦っていた連中は、まだ戻っていない。


 だがユエとニノ含めた特務騎士団数人、それに落とし子を防いで戦っていた民兵などが銃を突きつける輪の中に、かつての支配者は囚われていた。


 年老いたぼろぼろの乞食というのが第一印象だ。しゃがみこみ、かかげた両手には、魔錠がしっかりとはめ込まれている。


 灰色がかった髪は伸び放題のぼさぼさで、体は空気でも抜いたようにやせ細っていた。青い瞳は濁っており、立派だったひげも髪の毛と交じって区別はつかない。


 これがあの威厳あるアキノ王かと思うほどに、禍神を失った様はみじめだった。 

 尋常じゃない無理に無理を重ねていたのだろう。

 王冠を失っているが、恐らくユエはあれだけを撃ち抜いたのだ。


 そのユエだけは、背を向けていて表情をうかがうことはできない。


 だが、銃を突き付けている誰の顔も、厳しく冷たい。

 侵略者を、災害の根源を、この世の悪を見つめる視線だった。


 うつむいたまま、しわがれた声で、王が語る。


「……殺すがいい、不能者共め、反乱者共め。余は負けたのだ。お前達の手で、王国を終わらせろ」


「お言葉に甘えましょう。ここまでのことをやって、無事で済むとは思いませんよね」


 ニノがピースメーカーの撃鉄を起こす。憎悪丸出しだが、最初に俺達を迎えたときより団員の数が減っているのに気が付く。二十人ほどいたのが、ユエとニノを合わせても八人だけになっている。


 残りは単なる戦闘不能か、あるいは――。


 爆弾の設置を見ていたクレールなら分かるに違いない。禍神の巨体によって助かりようのない目に遭わされた団員達を。様子をうかがうと、黙って唇を噛んでいた。


 自衛軍との地獄のような戦争をくぐりぬけた特務騎士団員が、最後の最後で自国の王と戦って命を失う。あまりの結末だった。


 この国に着いた頃、ユエと冗談を言い合い、抱き合って再会を喜んでいた女たちの姿もない。結婚した者も、仕事に着いて平穏に暮らしている者も居たのだ。


 みな、ギニョルの言った通り、死兵となってしまったのだ。

 

「待ってくれ!」


 城門から声が響く。クオンとマヤだった。お互いを支えながら、必死に駆けてきたらしい。二人とも戦に当たって新調したローブはぼろぼろ、お互いの右手と左手に火傷まで負っている。


 後ろからはザルアや悪魔、吸血鬼達もぞくぞくと到着する。だが大体負傷しているらしい。動けない者をかついでいる奴も居る。分割されたとはいえ、禍神二つ分の大量の落とし子と戦っていたのだ。無事ではなかったのだろう。


 ニノが振り向く。砲弾の破片でやられたらしい、灰色になった瞳が、貫くように鋭い。


「クオン、私を止めるのですか」


 もしそうなら、容赦なく撃ち抜かんばかりだ。本当に昨夜よろしくやったのだろうか。王子様から呼び捨てになってるあたり、関係は深まってはいるのだろうが。 


 ちゃかす余地もない。クオンは崩れるように膝をつき、頭を下げた。


「……頼む。その男の、いや、父の処遇は一旦持ち返らせてくれ。君の気持ちは分かるが、この戦果は皆でつかんだものだ」


 この状況で、アキノ王をなお、父と呼ぶか。


 既に死んだジンとリカと、クオンの兄妹は、王に対して頭が上がらなかった。長兄のゴドーや、長女のララのように独立して王に刃向かうこともできず、ずるずると使われて俺達と出会った。


 そういう怯えや恐れで、王を父と呼んだのではないのだろう。


 マヤは黙って王の隣にしゃがみ込み、懇願するように膝を付いて衆目を見上げている。王には散々この国を痛めつけた罪はあるし、密輸ほか、自衛軍と結びついて手を出してきた悪事は相当数だろう。


 だが、俺は銃を握る手の力が緩むのを感じた。二人の子が、親を守ろうとする光景を目の前に見てしまったせいだ。


 あるいはこんな風に互いを守ろうとした親子を、一体何組王が殺してきたか、それを考えても。


 俺には、撃てない。


 王族と崇めてきた者達が、すがりつくような目でひたすら頭を下げている様は、敵意や怨念すら払い落としていくらしい。少しずつ、銃をかかげた手が下がる。


 冷めていく周囲に対して、ニノの反応は逆だった。


「そんなものを聞くまでもないでしょう! この男が自衛軍を引き入れなければ、己の力にこだわらなければ、こんなことにはならなかった。この男自身が禍神として重ねた殺戮のほかにも、自衛軍を引き入れてやってきたことを、私は絶対に許せない。この男を殺さねば、戦後も何もありません!」


 ニノには、やって来た自衛軍に家族を殺され、自らも辱められた過去がある。

 命令を下した自衛軍の幹部は、王と結託して貴族の位を得ていたという。


「自分のエゴで散々周囲を振り回した者は、罰されるべきです。この国のために戦ってきた団長は見捨てるし、みんなのことも手にかけて。情などで済まされてはいけません」


 ニノの言っていることは、正当だ。

 だが、子として必死に父を守ろうとする二人もまた――。


 答えが出せない。


 どうするべきか考えていると、これまで黙っていたユエが、王の目の前に歩み寄った。


 黒のテンガロンハットに火竜の紋が刻まれた黒のポンチョ、断罪者としての姿のまま、静かな口調で、語り掛ける。


「断罪者、ユエ・アキノの名において。崖の上の王国国王、アキノ12世ことガラム・アキノ。断罪法1条殺人の未遂により、あなたを断罪します。明朝を待って、監獄への移送を行います」


 断罪文言か。そうだった、アキノ王はクオン達への命令を通じて、俺達への殺人未遂を犯している。断罪を行うのは予定通りだ。


「そんな! 団長、正気でおっしゃっているのですか!」


「ニノ。私は特務騎士団の団長として戦ってきたけど、本当はノゾミの断罪者として来たんだ。兄さまたちを駒に使って、アキノ王は私達を殺害しようとした。だから私達が追いかけてきたんだ」


「理屈ですよそんなの! 戦場で通じるものじゃありません! 負けた者は死ぬんです、ただそれだけなんですよ!」


 ニノが叫びながらSAAを王に向ける。


 速い。追いつかない。


 銃声。手から弾かれ転がったシングル・アクション・アーミー。

 ユエのポンチョの中からは、同じSAAが白煙を上げている。


 特務騎士の早撃ちに対抗できるのは、やはり同じ特務騎士だけか。


「団長、どうして……私達、撃ってきたのに……」 


 崩れ落ち、膝を付いたニノ。

 周囲の奴らも銃を下ろしていく。硝煙の末姫が、王を仕留めた者が銃を抜いている以上、失敗するのは分かっているのだ。


 ユエがうつむく。テンガロンハットが目元を隠した。


「……ごめんなさい。でも、王をどうするかは、私達だけでも、あなただけでも決めちゃいけないことなんだ」


 俺はまだ何も言えない。ニノの言っていることは本当だ。少なくない死人が出たし殺して初めてケジメと言うのはもっともな理屈ではある。


 ただ、今は戦争中ではない。たった一人の元凶が、こうして捕らえらえてしまった以上、任侠のような理屈は通じない。


「そうしてくれると、助かるな……」


 クリフトップの方から、ギニョルが歩み出る。気絶したフリスベルを背負ってはいるが、自身もかなり消耗したらしい。ローブはぼろぼろ、美しい脚や腕にも生傷ができて手当てもまだ成されていなかった。回復の操身魔法も使えないのだろう。


「わしら断罪者としての要求は、ユエが見事に伝えてくれた。だがそれがすんなり通るとも思っておらん。とにかくまずは、ギルド長や軍団長で話し合いを持たなければなるまい。皆が血を流したのじゃ」


 俺達断罪者は一人も死んでいないが、それは結果論だ。

 誰が死んでもおかしくなかった。


 果たして、その場は収まった。クオンはニノをその胸に抱き、悔しさの涙を受け止めていた。


 ギニョルもユエも無茶を言っているわけではなかった。

 実のところ、王を活かして捕縛できた場合、すなわちこの戦いに勝利した場合の扱いは、事前に定まっていた。


 ギニョルの言うように、ギルド長や悪魔と吸血鬼の軍団長、それに断罪者も交えた話し合いを行うのだ。確かに王が負けた以上、やったことは罪だが、崖の上の王国の法律では、王が裁かれたことなどかつて一度も無い。


 もっといえば、王を裁く法そのものが存在しなかった。


 だから私刑にしてはどうか。すなわち民衆による純粋な復讐だ。

 これは神のご意思でもある。


 そう言って、イスマの教会の長にあたる、教区長が着席した。


 禍神との戦いをも乗り越え、クリフトップに残ったマヤの屋敷。恐らくこれから合議政治の場として使われる会議室に、俺達は集まっていた。


 さきほど発言した、教区長の白髪の男。人のよさそうな太っちょだ。


 ほかに、職能に応じて民兵をまとめてくれた十人のギルド長達。後は俺達断罪者に悪魔と吸血鬼の軍団長としてギニョルとクレール。ユエは断罪者と特務騎士団の代表としてこの場に居る。


 近親者ということで、マヤとクオンは会議の場に参加できていない。

 王族や貴族が居ないということが、この国と街の進む方向を示している気がする。


 さておいて。会議の本筋だ。


 教区長についてだ。銃が一般的でなかった昔なら、教会は荘園を背景に絶大な権力を持ち、異端認定や破門を使って国王さえも支配下に置くことがあった。


 ただこのバンギアでは、崖の上の王国では違う。一応一神教があるのだが、ほとんど形だけに過ぎない。長年、本当に長年、王の下で戸籍管理や冠婚葬祭、過ぎ越しの祭りの司会ばかりやらされてきたのが教会なのだ。


 王が失脚し、自衛軍も出て行った今、権力の次を狙っているのは丸わかりだ。


 そういや紛争初期には日ノ本の宗教の連中も結構来たみたいだが、島の惨状に耐えかねて逃げ帰ってしまった。仕方のないことではある。祈りは基本的に暴力となじまない。


 これに対して、イスマの職人や農民を束ねるギルド長が立ち上がる。


「教区長さまのおっしゃることはもっともです。しかし我ら庶民には生活があります。ポート・ノゾミやアグロスの者達は法を優先するといいます。人の作ったものは不完全ではありますが、この先の我らの暮らしを考えるうえで、連中の法を守っておくのはいかがでしょう。これを他山の石とし、指導者を縛る法を作り直すことにしては。それでこそ、他国との関係も安定するでしょう」


「異教の者達との利害を優先するというのか!」


 ここぞとばかりに教区長が叫ぶが、宗教云々を言うなら、悪魔や吸血鬼と共に戦った時点で、言い訳できない。立ち上がったのは歓楽街を仕切る盗賊ギルドの長だ。


「まあそう言葉を荒げるものでもないでしょう。産業や経済の無いところに平和は来ませんよ。神は仕事を作るわけではありませんからな。それに、王を異端として儀式を行うのなら、それなりの準備をして盛大に行わねばなりません。今のイスマにそんな余裕があるとは思えませんな。禍神や自衛軍が暴れたことによって国土がどうなっているかも分かりませんし」


「ではこの不正義を放置するのか! 暴虐な王は、必ず神の下に断罪せねばならんのだ! 民衆もきっとそれを望んでおるぞ!」


 感情論でいえば、確かに教区長の言う通りだ。それゆえに二人とも黙るしかない。

 発言したのはクレールだった。


「だが民に尋ねて回るわけにもいかないだろう。復興や治療に当たっているし、余裕がないのは確かだ」


「黙れ吸血鬼! 一度味方をしたからとて調子に乗りおって。貴様らが我ら人間を何千年虐げたか分かっておるまい! 神はお前達に呪いをくれるであろうな!」


 取り付くしまもない。大体、こいつ戦略会議のときは大人しかったくせに、王がやられて安全になったと見たら急に口数が多くなりやがった。


 腹は立ったようだが、クレールは大人しく引っ込んだ。

 

 沈黙が気まずい。


 同意が得られそうにないと見た教区長は、ユエの方を見つめた。


「ユエ様。硝煙の末姫と呼ばれた、あなたなら、分かってくださるでしょう。悪には際限のない罰を与え続けるべきです! 死の女神として苛烈な振る舞いを行ってきたあなたは、腰抜け共と同じとはおっしゃいますまい! あの王への、民の怒りが分かるはずです! 神も同意しておられます! 狡い者どもに惑わされますな」


 強くまくし立てるが、ユエはすっと立ち上がる。


「……私は、この国を追われた身です。断罪者として、戻ったまでのことです。繰り返しますが、アキノ12世の身柄の引き渡し及び断罪が、私達ノゾミの断罪者の共通意見です」


 話し合った通りのことを述べる。感情を殺しているのか、あるいは断罪者としての立場ゆえか。


 よく見ると、テーブルに置いた手が小さく震えている。


「教区長様が、皆のことを想っているのは分かります。悪を罰してこそ、前に進めるという者達もきっと居るでしょう。ただ、今よりもこれから先に、争いでみんなが負った傷の痛みがきっと出てきます。それは悪の血で癒せないんです。ほんの十二歳の頃、私は私を襲った悪を撃ちました。それから百や二百では足りない悪を、ただ悪であるというだけで撃ってきました」


 紛争中のことだろう。救国の英雄扱いされるようになるまで、ユエの手はいくつの血を浴びてしまったのだろう。


 震えていた手を目の前にかかげる。いたわるように左手で手首を握った。


「それでもなお、この手は乾くばかりです……硝煙の中では、心の休まるときもありません。教区長様はどうか、私のようなものを増やさぬよう、皆に寄り添ってあげてください」


 今すぐにでも傍に駆け寄ってやりたかったが、会議の手前、そこは抑えた。


「……」


 教区長は着席する。ハンカチを取り出すと、目元をぬぐう。ユエの気持ちが分かるか。あるいは、ただ純粋な奴だったのか。


 ザルアが立ち上がった。


「ではどうするかだが、幽閉するのも、正直私は気が進まない。これは何もアキノ家をかばおうというのではない。国内にはまだ、王を担ぎたい貴族も相当に生き残っているし、彼らが復興活動を妨げることもありうる。下手をすればもう一度王を頂こうとするかも知れない。内乱は、アグロスの者達の好むところだ」


 全員の表情が引き締まる。ヤスハラは、バンギアに対する野心を持ったあいつは、うまく逃げおおせたままなのだ。


 殺せないし、国内にも置いておけない。農民たちのギルド長がいらだたしげに足を投げ出した。


「……ああもう面倒くせえな。じゃあもう、断罪者に預けて国外追放ってことにしたらいいんじゃねえのか。後は知らねえよ。うちの貴族も王党派も監獄の島にはやすやすと行けねえし、牢破りなんてしようとしたら断罪されるだろ」


 追随するのは盗賊ギルドの長だ。


「なるほど、ポート・ノゾミに貸しひとつで、アグロスの連中にも、ちゃんと法を守ったって言えるな」


 乱暴な物言いだが、確かにそれが一番いい気がする。


 強硬に王の処罰を訴えていた教区長も引っ込み、ほかにいい案は出せなかった。


 不可能にさえ思えた、超大物、崖の上の王国の王の断罪。


 それが、見事に実現した。

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