49悪夢が終わる

 俺はもう後ろを見なかった。やることは決まっているからだ。


 このうえは、一秒でも早くあの化け物を破壊するしかない。


 スレインはすぐにクリフトップへと到着した。


 惨状だった。籠城用のテントはバラバラに破壊され、中に居た者達は、破片に当たって物言わぬ屍となり、あるいは直撃して破片そのものとなって散っていた。ざっと見た感じ、数十人は死ぬか重傷だろう。


 負傷して逃げまどっている者を、兵士が必死に鼓舞して、焼け残った貴族の屋敷やマヤの屋敷まで導こうとしている。


 だがその傍らでは、乗る者が居なくなった機動兵器の類に、なんと火の落とし子が近づいていた。どうやら禍神はあの質量弾に落とし子をくっつけて放り投げていたらしい。命ある兵士を従えていては、とても取れない恐ろしい侵攻方法だ。


 スレインが羽ばたきを縮めて地上に向かって近づく。

 俺とクレールはクリフトップに飛び降りた。


「騎士、クレール、兵器類を守れ。それがしは負傷者を運んで部隊をまとめる」


「次の質量弾が来る前にだな」


「まだ大丈夫だ。禍神はギニョル達に目を向けている」


 振り向くと、確かにそうらしい。落とし子が思ったほど市民を食えないのに苛立っているのか、城壁のあたりを飛ぶ大からすに向かって、拳を振り上げている。


 レイズ・デッドもまだ続いている。今のところは不死者が壁になって市民への被害が防げているらしい。見張塔の重機関銃やてき弾の砲火も少しずつ回復し始めた。


 後はこっちか。俺は装甲車に近づこうとする炎の落とし子めがけて、散弾をぶちかました。散弾は通り抜けて向こう側のがれきに当たったらしいが、落とし子は風圧でかき消える。


「……騎士、弾の無駄だよ。フレンドファイアも用心しろ」


 クレールはレイピアを抜き、目にも止まらない斬撃を放ち、火の落とし子をかき消していた。


 俺は側に落ちていたM1897を拾いつつ答えた。


「確かにそうだけど、俺の銃剣じゃだめだ。弾はそこら中にあるぜ」


 俺達断罪者の使う銃は、フリスベルの物を除いて、王がクリフトップに買い込んでいた。ザルアもそうだが、騎士階級の連中は接近戦で強いショットガンの訓練を受けていたらしい。


「物相手には、銃の効果が薄いのは分かるけど……とにかく、フレンドファイアだけは避けるんだ」


 クレールはM1ガーランドを使って、迫撃砲を襲う木の落とし子に固め打ちを見舞う。ライフル弾で幹を傷つけられた木に、そばの兵士が大きな斧で一撃を入れると、一気に倒れてしまう。


 俺とクレールは逃げまどう者達を建物の方へ誘導しつつ、やってきた落とし子を見つけて倒していった。


 スレインも避難路を確保し、動けない者は飛んで運んでいる。

 砲火も復活してきた。禍神の体に迫撃砲弾やてき弾の爆発が浴びせかけられていく。


 俺達が到着して五分ほど、台地上の落とし子は片付いているらしい。

 非戦闘員や負傷者も、大方手当てがなされ、マヤの屋敷や無事な建物の方に逃げたようだ。


 これでいい。いや、待てよ。


「そうだ、ユエ達が爆弾を仕掛けるって話だろ。それこそフレンドファイアになっちまう!」


「騎士、その心配はないよ。お前の目じゃ見えないかも知れないが、禍神のまわりの城壁や建物に、お嬢さん達が集まってる。まるで影だ。禍神も気づいてない」


「本当かよ」


「僕が信じられないか?」


 赤い瞳を細めたクレール。確かに妖しく美しい少女と見まごうが、散々っぱらユエと見つめ合った俺にとってはどこか男の雰囲気があるのは分かった。


 それだけに気が立っているのも分かった。


「そんなわけじゃねえが……じゃあ大丈夫なんだな」


「ギニョルは爆破の方法を任せると言った。あのユエも、騎士団のレディ達も、援護の砲撃があることは百も承知なんだよ。その合間を縫って禍神に仕掛ける気なのさ。その方が禍神にもこちらの作戦が気付かれにくい」


 確かに、魔力が辿れないことに加えて、同士討ちの危険を冒しながら接近してくるとは思わないだろう。


 俺達の当初の戦略はクリフトップの国民達に一切被害を出さないで戦いを終える形だった。その甘さを読んでいた王は、イスマを先に攻撃する手段に出たのだ。


 砲火に交じって、羽音が聞こえる。人の頭ほどあるとんぼが、俺とクレールの間に降りてきた。

 驚いて身をすくめたが、クレールはM1ガーランドをかざしてその先端に止まらせる。とんぼの目が紫色に光った。

 

『もうすぐこちらの準備ができる。騎士、クレール、機械時計で19時から一分だけ砲火を止めるよう伝えよ。しかる後一斉射撃じゃ。その周囲六つでいい。本営にも伝えたが、無線が壊された可能性がある』


 ギニョルの声だった。俺はクレールに夜光式の腕時計を差し出す。今18時53分だ。質量弾でやられたこのへんのトーチカだけならなんとかなるか。


『いいか、絶対にタイミングを外すな。たとえ何があっても、確実に禍神に向けて撃たせろ。スレインと城内の者達、それに城下の主な火砲には伝えておる』


 何があっても撃たせろ、か。


 特務騎士団は信頼できる。仕掛ける所まではミスすることもないだろう。

 だが問題は退避行動だ。爆発の余波を受けないところまで逃がそうとすれば、禍神に気づかれる可能性は極端に上がる。


 ギニョルは特務騎士団に死兵になってもらうと言った。爆弾を仕掛けるあいつらの安全が確保されていなくても、撃たせろということだ。


 あのしつこい禍神を確実に破壊し、王を露出させるにはそれしかないだろう。

 ユエがどこに潜んでいるか分からないが、瞬間さえ作れれば絶対に見逃さない。


『必ずじゃぞ。巻き込まれて死ぬものがあっても、このギニョル・オグ・ゴドウィを、悪魔という種族を恨めと言っておけ』


 悲壮な覚悟だった。契約の元、悪魔であるはずのギニョルは、人間の法と正義に馴染み過ぎた。レイズ・デッドを使うにも、あれほどためらったギニョル。そもそも人間を救い、犠牲を減らすために操身魔法を行使すること事体が異常なのに。


 クレールが赤い瞳でとんぼの複眼を見つめた。


「いいだろう。けれど間違えるな。この僕も吸血鬼、ヘイトリッド家を代表して、お前の悪名背負ってやる。共に嫌われようじゃないか」


『クレール……』


 声に感慨がこもっている。もしかしたら、あのギニョルが『お嬢さん』らしく、涙をこぼしているのかも知れない。まあ、そんなことはないだろう。


「話してる暇も惜しいだろ。行くぜ!」


「ギニョル、フォローは頼んだ」


 トンボがM1ガーランドを離れる。俺とクレールは半分潰れたトーチカへ急いだ。


 命令は意外とすんなり聞き入れられた。砲手が志願兵や市民でなく、軍人としての訓練を受けたバンギア人だったせいだ。


 ゴドーの元部下と、王の裏切りで殺されかかった者達で、一通りの行動は叩き込まれていた。


 指揮命令系統も整っており、本部からの無線が無い場合、各勢力の指導者級の命令が成されるというのも予め約束されていた。


 そして18時58分。無線が壊されたと思しきトーチカを六ケ所回り終え、俺とクレールはクリフトップで禍神に最も近いトーチカに居た。


 ここからならクレールは肉眼で禍神の様子を観察することができる。時折上がる炎や砲火で明るくはなるものの、俺の目では全ては分からない。


「射撃用意!」


 小隊長の騎士が叫ぶと、男の兵士が砲弾の信管を確認、装填手の少年に手渡す。照準手の役目はなんと女性だが、真剣な目で照準器を覗きこんでいる。


 トーチカが破壊されたあたりでは、同じ構成の騎士達が同じプロセスを行っている。自衛軍の方針では、本部からの射撃命令があるらしいが、今そんな悠長なことはしていられない。


「放て!」

 

 騎士の叫びに、装填手は砲弾を迫撃砲内に落とした。俺もクレールも、ほかの全員も、耳をふさぎ、口を開けて砲撃音に備えた。


 ぼ、と音がして、飛び出した砲弾は、見事に禍神の頭に相当する場所に着弾。炸裂した。


 18時59分までの間に、同じプロセスが十回ほども繰り返された。一発ごとに砲身の掃除まで行い、これだけ的確に撃つとは。よほど訓練したと見える。


 そして問題の59分が来た。

 果たして、はかったようにクリフトップからも見張塔からも、しんと砲火が止む。


 その直後だった。クレールが唇を噛む。


「誰も撃たない。見事だが……まずいな、レイズ・デッドがもう持たない」


 クレールに言われなくても分かった。城下町を取り巻いていた紫色の魔力がすっかり消え去ってしまっている。フリスベルが居ても、禍神の無尽蔵の魔力には敵わなかったのだ。


 落とし子が走り出す気配。禍神がここぞとばかりに軍勢を追加している。


 照準手の女性は、照準器を調整しながらも、唇を噛んでいる。装填手の少年、指揮官の騎士も無言だが表情が少し歪む。


 もう次は無い。失敗したら今度こそ下の全員が蹂躙される。

 クレールがつぶやいた。


「来た。特務騎士団だ。ロープを使って、死角からうまく禍神に取り付いている」


 俺も、部隊員も、クレールの声だけが頼り。

 時計を見る。後45秒。


 たったそれだけの間に、あのばけものの体中に爆弾を仕込まなければならない。

 そこまでで最低限だ。後は、脱出までの時間がどれほど残るか。


「すごいな。肩や頭に仕掛けた。足にもだ。後は王の前だ。それで狙撃の隙間が作れるぞ」


 興奮した口調のクレール。俺は時計を見た。まだ三十秒以上ある。このぶんなら


「あ……!」


 誰の声だか分からなかった。だが確かに俺達全員が衝撃的な光景を見た。


 禍神が突然、大きく身をよじった。


 クレールが口をつぐんだ。事態は分かる。もう少しの所で、気づかれてしまった。


 振り回した腕が、城壁や建物を次々に叩き壊す。禍神はでかい。特務騎士団員もしょせん人間だ。羽虫を追い払い、潰すように、ゆっくりとだが執拗に暴れている。


 時計、もう十五秒しかない。クレールが双眼鏡を下ろした。

 もはや見る必要のない惨状なのだ。


 もう十秒。部隊長が禍神を見すえた。照準手も照準器を調整する。運搬手も、装填手も既定の位置に戻る。


 ギニョルからの命令はない。レイズ・デッドで魔力を使い切ったか、使い魔も飛んでいない。


 だが、一斉射撃は実行されるのだ。そう命令が下ったがゆえに。


 ギニョルは何があっても撃てと言った。だから実行する。


 果たして、バンギア人は軍隊としての基本を身に着けていた。


 特務騎士団は戦闘を継続できないだろう。

 これが最後の攻勢になる。後は野となるか山となるか。


「断罪者はできるだけ多く生きて逃れろ。我らは我らの責任であの怪物とともに果てよう。できればユエ様を頼む」


 騎士が小さく言った。周囲の兵士も黙って同意する。

 俺は拳を握り、唇を噛み締めた。


 無念だ。クレールに背中を叩かれ、俺は対ショックの準備をした。


 弔砲のような砲声が、クリフトップに響き渡る。

 ほかの砲台も命令を守った。


 イスマは、この国は負けなかった。文字通り国を貪るかつての王に、覚悟を決めて軍隊となり、最後まで一糸乱れぬ統制を守って、誇り高く戦い続けた。


 賭けには負けたが、誰一人として怯懦も見せず、戦士として死んでいく。


 ――そう、誰もが覚悟を決めていたはずだった。


 砲撃が届くより先に、禍神の前身を爆発が覆い尽くすまでは。


 何が起こったか分からなかった。だが爆発は容赦なくその手足に裂け目を作り、一気に広がっていく。そこに迫撃砲も着弾する。結果がどうあろうと、勇気をもって命令を忠実に遂行した兵士達の思いが、王の専横に矢となって届いた。


 禍神の全身が砕け、ぼろぼろと零れ落ち始める。だがまだ胸元、アキノ王の居る胸元には爆発が届かない。


 そう思ったときだった。ひときわ大きな爆発が、まさにその胸元で轟いた。


 台地が、城下が、びりびりと揺れる。錯覚か、俺の目には確かに露出した王が一瞬見えた。


 そして聞いた。爆音の最中に、たった一発、気高く響いた銃声を。


 ここからでも分かる。炎が禍神を覆い尽くしている。


 どういう手段によってか知らんが、爆破は実行されたのだ。ギニョルの命令が功を奏して、迫撃砲弾と爆弾による禍神への攻撃、王の露出は成功した。


 だがどうなった。まだ結果は分からない。


 クレールが双眼鏡を下ろした。

 

「……騎士、どうやら喜んで良さそうだ。みんなも見えるだろう、分かるだろう。禍神の魔力が失われいくぞ。あのおぞましい檻を作った魔力もだ」


 檻、打って出た戦力を閉じ込めて戦わせているいまいましい二体の禍神。目を凝らすと、確かに闇の中の魔力の輝きが消えていた。


 布石はもう無い。あの銃声、やったのだ。


 きっと、ユエがやったのだ。


 硝煙の末姫は、禍神と化した王を倒し、とうとうこの国を救ったのだ。

 そんな俺の確信は、次の瞬間事実に変わる。


『……こちら悪魔の司令、ギニョルじゃ。悪魔の契約に誓って、嘘はつかぬ。王は硝煙の末姫が捕らえた。禍神の悪夢は終わったのじゃ』


 使い魔から降ってきた声が、次の瞬間かき消される。


 クリフトップを、イスマ全土を貫く、歓喜の叫び声によって。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る