32災いは王の中に

 ゴドーの言った通り、マヤの屋敷は焼け残っていた。ただあえて残したわけでもなく、単なる偶然ではあったらしい。


 屋敷はクリフトップの中央部、半壊した王城から東に少し行った場所にある。エルフの森の木々に彩られた静かな二階建てだ。上質の煉瓦で整然と積まれた壁に、装飾の付いた大きめの窓、前庭の芝生には、ツゲのような植物が植えられ、星の形に駆り込まれている。 


 もっとも今はというと、周囲は焼け、窓は煙で汚れ、尖塔や煉瓦の壁も煤けて真っ黒。芝生は焦げて、星型の愛らしい茂みは踏み荒らされへし折られていた。


 ただ中身は無事らしい。あんな物言いはしたが、ゴドーはマヤを死なせるつもりもないらしく、兵士を送って屋敷の安全性も確かめさせていた。


 ただ俺達に勝手な行動をされては面倒なのか、全員ばらばらにされて、一人ずつ別の部屋に入れられてしまった。ベッドに簡素な家具、窓とカーテン、アグロスの影響かユニットバスまであり、滞在自体は全く悪くない。


 しかし、これはもはや監禁だ。一つしかないドアには兵士の見張りが居る。


 もうどうにもならない。疲れ果てていた俺は、とりあえず、ネクタイをほどいてコートを椅子にかけた。


「あーあー、こんちくしょー……」


 腹立たしいほどきちんとメイキングされたベッドに、倒れ込む。


 誰も何も言ってくれない。聞き耳を立てても、安普請のアパートやコンテナと違い、隣の音は聞こえない。代わりに、窓の向こう、遠くの方でまだ群衆の歓声が聞こえる。相当喜んでいるが、やっぱり王の政治は悪かったのだろうか。


「ユエ、ザルア、無事なのかよ……」


 ひとりでつぶやいても、返事はない。


 もう戦闘に入ったのか。それともまだ睨み合いの段階か。アキノ王の軍隊もそれほど少ないわけではない。ゴドーにはアパッチもあるし、ほかにも戦力を用意してあるだろう。あいつらの勝ちで終わりだろうが、それまで生き残ってくれるだろうか。


『まったく、ゴドーめが、人間にしてはえらく頭の回る小僧じゃったが、まさかここまでやられるとはのう』


「本当だよ、クソ、せっかくここまで来たのに、これじゃあただの駒じゃねえか。これでユエまで死んじまったら何しに来たんだか分かりゃしねえ」


『全くじゃな。アグロスの自衛軍がこれほど強力だったのは想定外としても、やはり人間。アキノ王は老いたわ。ヤスハラなんぞの口車に乗りおって』


「どうするんだよこれから。ユエを待って帰るのか。あんなのが王になったら、GSUMも自衛軍も相当調子に乗るぜ」


『その心配はないわい。あやつはまだ正統継承者ではない。アキノ家の秘密は知らんはずじゃ。王は倒せんじゃろうが、問題は……』


 考え込んだ声。一体何だというのだろう。ここまで準備万端整えたゴドーが王に勝てないなどと、どうして言えるんだ。


 いや、というか――。


 俺は一気に体を起こした。


「ギニョル、何でお前が居るんだよ!」


 声のする方、コートをかけた椅子の上に、使い魔のネズミが腕を組んでいる。

 

 眼が紫色に光る。確かにギニョルが喋っている証拠だ。でもあいつは今、何百キロと離れたポート・ノゾミに居るはずだ。一定距離が離れると、使い魔を操ることはできない。


 このねずみ事体、途中から全く見なかった。あの激しい戦闘の最中、ずっと俺のコートに隠れていたらしい。


『昨日から近くにおるわ。ダークランドに里帰りさせられておってな。800年ぶりに禍神の復活があるかも知れん。というか恐らくあるじゃろうな。クレールに、他の断罪者も急いで向かっておるわ』


 話についていけない。つまり、スレインやガドゥ、クレールにギニョル、俺とフリスベルとユエ、断罪者全員が揃うってことか。


「どういうことだよ。かしんって何だ?」


『アキノ王に封印されておるものじゃ。王位の継承と同時に、次の王に移る。国土の中に魔力分布のおかしい場所は無かったか』


「そういえば、南の方の森でフリスベルでも方向が分からない場所があったな。魔力の分布が変で植物の生え方もおかしかったとか」


 よく考えたら、エルフに分からない森なんてのが、まず異常だ。


『それは800年前に、禍神が大暴れをした名残りじゃな。元々は戦略魔道具の一種じゃったというが、強い魔力を持つ人間の体に入り込んで保存される。このバンギアにおける人間の切り札じゃった。このバンギアにおいて、人間達の王になるとは、それを継ぐことなのじゃ』


 話についていけない。魔力の分布を狂わせる魔道具だと。確かに、残酷でネジの外れた魔道具には今まで何度か出会ってきた。だがローエルフのフリスベルでさえ読めないほどに魔力を狂わせる兵器なんて、こちらの住人には致命的じゃないのか。


「ちょっと待てよ、人間側の切り札って、じゃあ800年アキノが続いているのは」


『続いているのではない。その魔道具を手に入れた者が、人間の王になってきた。崖の上の王国では、古代の詳しい歴史は明らかにされておらんが、わしら悪魔も、吸血鬼も、エルフも一世代800年。それぞれの指導者に属する者は、人間達自身より、人間を知っておる。この崖の上の王国の以前に、400年続いた王朝も、200年続いた共和国も、300年続いた帝国も結局は主導者に当たる者が禍神を継いでおったのじゃ』


 アキノ家ひとつが、えらい無双してると思っていたが、そんなからくりがあったのか。滑稽なのは、そのことをこのバンギアの人間達自身が全く知らないということだ。ユエも、恐らくはあれだけの策略をもって王を追い込んでいるゴドーでさえ。


『このバンギアにおいて、わしらより能力に劣る人間を根絶やしにするような戦争が起こっていないのは、禍神のせいでもある。開放すれば、全ての種族と大陸の全土に広範な被害が及ぶからな。ハイエルフの長老会や、ダークランドの悪魔や吸血鬼の指導層では、そこまで人間を追い詰めないというのが暗黙の了解じゃったのじゃ。やり過ぎるとドラゴンピープルも現れるしな』


 普通に考えて、悪魔や吸血鬼に人間が滅ぼされないはずがない。そこは、スレインのようなドラゴンピープルやエルフ達が人間を保護しているからだと信じていたのだが。そう思っているのはバンギアの人間だけだったのか。


『弱ったのう、禍神は、放っておけば三十日ほど、昼夜を問わず暴れ回るし、有害な落とし子をそこら中に放つし……』


「何とか止める方法はねえのかよ」


『そのためのお前達の派遣だったのじゃ。ユエやマヤと共に何とか王を説得して、禍神の復活を阻止することが、わしや吸血鬼達の狙いだった。その線で説得根回しをして、この強引な断罪をようやく議員共にねじ込んだ。あのプライドの高い王のこと、実の子であるゴドーに追い詰められるとなれば、絶望して、十中八九自暴自棄になってしまうに違いないわ』


「ゴドーはそれを知ったら、出撃を中止すると思うか?」


『無理じゃ。お前も見ておったであろう。民衆の支持を得たということは、止まることができなくなるということでもある。あのゴドーめは、もはや王を殺すほかない』


 まあ、そうだろうな。ギニョルの声に呼応するように、窓の外、ヘリポートからチヌークが空に舞い上がっていく。ミサイル類を満載したアパッチも一緒だ。クリフトップを完全制圧した容赦ない鉄と火の軍隊だ。


「あいつら出ていくぞ。始まっちまうぜ。でも十個中隊にアパッチだろ、アキノ王の軍隊だって、禍神ってのが出たとなれば一応大陸を守るために戦うんじゃないのか」


 仮に集まった兵力がみんなでその禍神というのを相手にするなら、兵員数は単純に計算しても五千は超えるだろう。チヌーク、アパッチをはじめ、ナパームをばら撒くUH-1Jだってある。戦車や迫撃砲だってあるに違いない。ユエやザルア達が生き残っていれば、特務騎士団も加わる。戦略レベルの戦力だ。


 それで倒せないバケモノが、存在するとでもいうのだろうか。そんなのが居ないからこそ、紛争のときに攻め上った自衛軍にバンギア大陸がめちゃくちゃに荒らされたはずなんだが。


 俺の指摘に、しばらくねずみの目から光が消えた。やがて魔力が取り巻き、再びギニョルの声が聞こえた。


『集結する戦力が、紛争中最大の開戦規模さえはるかに超えていることは、わしも知っている。それに、わしとても直接禍神を見たわけではない。800年前、禍神を目の当たりにした世代が、やたらにうるさいというだけじゃ。わしらも吸血鬼も、長く生きた者ほど声と力が大きいからな』


 なるほど、アグロスの日ノ本でいう、メリゴンとの戦争を経験した世代のようなものか。そういえばハイエルフの長老会なんてモロにそんな感じだったな。


「なら、えーっと、ほら、なんか山がどうとか、ねずみがどうとか。見てみたら思ったよりしょぼかったっていう」


大山たいざん鳴動めいどうしてねずみ一匹か。アグロスのことわざじゃな。そうであればよいのじゃ。悪魔の情報網では、今現在、まだ王の軍と反乱軍は本格的な衝突をしておらず、ユエもザルアも特務騎士達も無事じゃ。わしら断罪者がそろえば、お前とユエとフリスベルの回収もできよう。ゴドーの奴が王になってからの対応は別途考えるが……』


 ギニョルが言葉を濁す。ユエやザルア達の無事も確認され、ゴドーの奴の乱入が間に合えば、とにかく無事に島へ帰れる。それは非常にいい知らせに違いない。


 なのに、俺は喜べなかった。嫌な予感がするからだ。


 マロホシがドマを成り損ないにしたときのことを思い出した。あれは殺人事件としては、俺達が扱った中で最悪の規模と残虐さだった。あのときも、ギニョルは悪い予感を覚えて、こういうあいまいな口調になった。こいつの勘は当たる。


 何とも言えない沈黙。目から光が消えたねずみが、口をもぐもぐやってるのさえも不気味に見えてしまう。


『最悪の場合は、想定しておいたほうが良かろうな』


「王国の滅亡か」


『そうじゃ。規模や被害が大きい場合は、無事の撤退を最優先に考える。わしらは、あくまでポート・ノゾミの法を守る断罪者じゃからな』


「そいつは……」


 ユエが許すだろうか。せっかく、この国を救おうと励んでいるのに。あいつには辛いことばかりだ。


『冷たい様じゃが、命令には従ってもらうぞ。こうなった以上、王の断罪は二の次になろう。スレインとガドゥもお前達の救出のため、こちらに来ておる。キズアトやマロホシがおらんとはいえ、そう長く島を空けてはいられん』


「分かってるけどよ」


 徒労感が凄まじい。せっかく断罪者が七人揃うというのに。


 もしゴドーが勝った場合でも、禍神とやらが暴れ出した場合でも。何もせずに帰るというのが、俺達の任務となるのだ。


 あるいは、しょせん単なる法の執行者に過ぎない俺達が、他国の紛争に関わり過ぎたということなのだろうか。


 二人の魔術師、ユエの姉のリカ。王国と戦って死んでいった者たちの顔が思い出される。断罪がいつも成功するわけではないとは分かっているが、こんな結末は予想していなかった。


 拳を叩き付け悪態をつきたいところだが、目の前の出来事が目まぐるしすぎて、怒りも沸かない。王国に入ってから、常に引きずり回されている。


 ただ茫然と、ベッドに座り込む。


「……ギニョル、無事に帰ったら、俺もユエも休暇をもらうぜ。フリスベルにもやれよ」


『ああ。後のことはわしらに任せろ。わしの見通しが甘かったわ。今回は本当にすまぬな』


「俺達にも責任が、ぜんぜんないってわけじゃねえだろ……俺は、ちょっと休むぜ」


 今からユエを説得するときのことが憂うつだ。

 だがそれも、ユエが戻ってくる見通しがあるからこそ思えること。


 そうだ。ユエは、無事だったのだ。


 そう思うと急に安心してしまった。

 横になると、すぐに眠気に襲われ始めた。

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