33ララは知っていた
どれくらい経っただろうか。
夕暮れが迫る中、仰向けで眠っていた俺は、ノックの音で目を覚ました。
使い魔を通して、ギニョルの言葉が響く。
『用心せい。ゴドーがお前達を処分する方に考えを変えたやも知れぬ。わしらはまだ合流できん。お前は自分で身を守れ』
銃もないのにか。しかし、贅沢は言っていられない。
ネクタイを解くと、両拳に軽く巻いて、ぐっと引く。手の間にピンと張れば、即席の首絞め縄の完成だ。
何者だろうが、不意を討ってまずこいつで締め上げてやる。一人なら倒して銃を奪って首都を脱出する。考えにくいが複数人の場合でも、捕まえた奴を人質と盾にして逃げる。汚い手だが、ゴドーや王やヤスハラと比べれば、まだ小悪党レベルだ。
『注意を引いてやる。しくじるなよ』
「ああ」
覚悟はできた。さあ来いと思いながら、ドアの死角に身を潜める。平静を装って開いてるぞと答えると、ドアがゆっくりと外側に開かれる。
放り込まれたときにも思ったが、この扉も、ちょうつがいを備えたポート・ノゾミにあるタイプの奴だ。
向こうに見える迷彩柄のズボン、ゴドーの所の兵士。そう思った瞬間、ギニョルが使い魔を動かす。ねずみは、足元を這い登り、首元にかみついた。
「うわっ……なんだ」
銃は構えても、こんな奇襲は想定していなかったか。
飛び出して兵士を捕まえ、首元にネクタイを巻き付け、羽交い絞めにする。
「ぐ、うっ……!」
「へへ、悪いな……!」
廊下に並ぶ部屋には、ほかの兵士が居ない。都合がいい。こいつを締め落として89式とシグザウアーを奪っちまうか。
締め上げられて苦しいのか、兵士は首元のネクタイをつかんで必死に喉をゆるめようとするが、まるで素人の動きだ。こういう場合は、首を放置して、締め落とされるまでに護身術の要領で肘うちで反撃するか、ナイフを抜いて逆手に持ち、襲ってきた俺の腹をつけばいい。
抵抗がゆるくなってきた。もう少しと思ったとき、いきなり首の感触が失われる。巻き付けたはずのネクタイがまっすぐに伸びきる。
首が飛んだわけじゃない。俺にそこまでの力はない。苦しんでいたはずの兵士が、さらさらの砂になって崩れたのだ。砂、これはまさか。
『コーム・ヴァイン』
階段の方から響いた呪文。廊下の柱から太いつたがのび、俺の足元を薙ぎ払う。
転んだところに、兵士だった砂が覆いかぶさってくる。あっという間に、頭だけ残して仰向けに廊下に封じられてしまった。固まるとまるで鉄の布団だ。まったく動かない。
階段の陰から、こつこつとヒールを響かせて、女が現れた。
「向こうの人も、魔力不能者も、みんな血の気が多いのねえ。砂人形を使って正解だったわ」
顔だけを横に向けて確かめる。黒のヒールに、下半身をぴったりと覆うローブ。わずかな微笑みは、意志を読めなくさせる。
「あんた、ララ・アキノか……」
こいつは、自領で自衛軍に反乱を起こされて、首都から出たんじゃなかったのか。いや、部下は屋敷に戻れと言ってただけだ。
ララはそのまま俺に近寄ってきた。しゃがみ込むと俺の方を見下ろしてくる。
真っ赤な長い髪が、照明にかかって影を作る。スカートの布地が俺の鼻先をくすぐった。
「はあい。案外早く会えたわ。そこの悪魔さんとも」
砂の一部がギニョルの操るねずみの使い魔を捕らえている。ほんの一握りでも、ねずみの力で逆らうのは不可能だ。ましてや鉄の布団なのだ。
『うぐぐ……エルフロック伯爵の後家か』
「あら使い魔。悪魔で断罪者ということは、ゴドウィ家の娘さんね。あんな島で御苦労なことですわ」
こいつギニョルを知ってるのか。ゴドーといい、アキノ王からある程度独立している奴らは独自の情報網を持っているのかも知れない。
『ふん。残念であったな、お前はヤスハラに選ばれなかった。国をひっくり返す相手としては、ゴドーの方が有利であったか』
「減らず口ね。まあでも、この事態は予測できていたわ。禍神の復活でしょう?」
ギニョルの言葉と矛盾する。ララは知っていたというのか。
驚いた俺の頬に、白く細長い指がそっと滑る。
「うふふ。長老会とは付き合いがあるのよ。ついでに反乱を起こした自衛軍から、ヤスハラ達の計画を教えてもらったわ。GSUMって便利よね。実験用の捕虜と麻薬の供給で、従順な吸血鬼を派遣してくれるのよ。蝕心魔法は見事なものだわ」
ララ・アキノにいくら魔力と素質があっても、人間だ。この砂のように見事な現象魔法は使えても、記憶を正確に読み取る蝕心魔法は吸血鬼の専売特許。それをこいつは、あのGSUMの手を借りることで利用してやがる。
必要な情報ではある。だが無性に腹が立つ。噛みつくつもりで口を開けると、さっと指を引っ込めやがった。
「あらあら。嫌われちゃったかしら、騎士くん」
俺は精一杯首を回し、覗き込んでくる美しい顔をにらみすえた。
「やっと分かったか。あんた頭良すぎて怖えんだよ。だいたい、ユエと同じ呼び方してんじゃねえ。まず離しやがれ」
マロホシの奴といい、なぜ俺はこういうバケモノじみた女に絡まれるのだろう。
ララはため息をついて、少しだけ力のない微笑みを浮かべる。
「あらまあ。だから、主人はすべてを委ねてくれたんだけどね。でもユエ、ユエか。ふうん、あの子の方がお姉さんに見えるものね」
しげしげと眺められると神経にくる。ありがたいことに、ねずみの目が紫に光ってくれた。
『お前の狙いはなんじゃ。なぜクリフトップに来た。ほかに捕まっていた者はどうした』
「私達が、エルフロック伯爵の勢力が捕らえたわ。余計なことをしてほしくないの。ここには一旦滅んでもらわなきゃ」
ここってのは、クリフトップか。
いや、こいつは、アキノ王が化身した禍神の存在を知っている。アパッチを含めた機動兵器や、重火器で武装した約五千名もの兵力をはじき返し、三十日間も暴れ回って、魔力の分布をめちゃくちゃにするであろう怪物の存在を知っているのだ。
そいつが言うここが、たかだかこの台地だけで終わるはずがない。
「お前、ここを、首都イスマを禍神に滅ぼさせるつもりか!?」
美しい田畑と、清濁が濁り合った巨大な城下町。そこに住むたくさんの人々。800年の歴史を持つ人間の砦が、人間の王に滅ぼされるというのか。
『なんじゃと! 何万人が死ぬと思うておる、仮にも同じ人間ではないか! きさまっ』
砂が動いた。締め上げられたねずみが、苦し気に、ぢぃ、ぢ、と鳴いた。ダメージによってギニョルの魔法が途切れかけている。
「ギニョル。悪魔らしくないことを言わないで。使い魔でも小動物を殺すと、エルフたちがうるさいのよ」
この目だ。自衛軍の被害を、自領の繁栄のため敢えて見逃していると言ったときの目。こいつとゴドーは、怜悧な指導者としての心を強く持っている。必要ならば残酷な行動も犠牲も全くいとわない。あたかも過酷な環境に適応して進化した凶暴な肉食動物のように。
「お前……」
「あなたがた悪魔から見れば、同じ人間でしょう。しかし人間は変わっていくのです。紛争が始まって七年。このバンギアの全ては変わりました。だから私達もそれに応じた。なのに、ここに居るのは、新しい国を作ろうとする私やゴドー兄さまの招きに応じず、歴史にすがり無能な王と貴族の元で縮こまっている者達なの。目を覚ますには痛みも必要でしょう」
紛争の爪痕は深刻だった。ララは、負傷者や紛争で村を追われた者たちを自領に受け入れて治療を施していると聞く。あるいはGSUMとの結びつきも、目指す新たな国に向けての準備なのだろう。
真剣に、新たな国の基礎を固めているのだ。
砂を緩めると、再びねずみの目が光った。
『王に裏切られ、首都を失い、打ちひしがれた民衆が、お前を求めると思うておるのか』
「ヤスハラの狙いもそこにあるのでしょうね。アキノ家を内輪もめで壊滅させれば、その後は自衛軍が、アグロスの日ノ本が両世界の人間をまとめられると思っているのです。確かに、全てを失った人間は、新しい支えを求めるものですからね」
ねずみの目が強く瞬く。あふれんばかりの魔力と共に、かっと開いた口からギニョルの凛々しい声が飛び出した。
『貴様もヤスハラも間違っておる! 短い命のくせに、あほうの様に危険に突っ込んで、ときにわしら長寿の者が目を見張るような何かを見出すのが人間じゃ! 大きな変化を前にして、お前達人間がお前達自身を信じなくてどうする!』
これだから、ギニョルの部下は辞められないのだ。俺は改めてララの方を見すえた。
その顔が、一瞬だけだが苦い後悔に染まった様に見えた。
しかしすぐに迷いは消える。ララが立ち上がり、俺とねずみを見下ろした。
「悪魔のくせに、人間の若者のようなことを言うのですね。そんなものが通じない状況というのをご存じありませんの?」
「あぐっ……!」
息と苦痛が漏れ出る。鉄の布団が押しつぶすように迫ってくる。壁にはさまれてるみたいだ、骨がきしんでやがる。
『よせララ! 騎士を殺して何になる!』
でかいはずのギニョルの声が遠くで聞こえる。激痛が首から下を覆い尽くしてやがる。息を吐くことすらできない。食いしばった歯が先に砕けそうだ。
こいつは俺を嬲り殺すつもりだろう。言葉が全く出ない。
「何とか言ったらどうですの? 人間の騎士さん。大好きな危険ですわよ、人間として、そこの悪魔が目を見張る成果を見せてくださいな!」
意識がかすんでくる。視界が歪んできた。指一本、少しも動かせない。
目を開けてるのに暗くなってきた。音も遠ざかっていく。
銃声。
身体から砂が離れた。
ぼやけた感覚の中、ララと逆側から足音が聞こえる。
「……王様といい、ゴドーさんといい、アキノ家って、年が上に行くほどおかしくなっちゃうんですかねー」
煙のくゆるSAAを腰だめに構え、姿を見せたのは、裂けたドレスに片目を包帯で覆ったニノ。
「おのれ、魔力不能者!」
ララの砂が礫となって通路を襲う。こぶし大の大きさに分かれて固まり、拡散して窓を割り、廊下をうがち、壁をえぐる。まるで1ゲージのショットガンだ。
だが、粉塵が一気に晴れ、その向こうに白いローブが翻る。金髪に青い目、魔力の集まる杖をかざした、秀麗な顔が現れた。
「マヤ姉さまは例外だろう。ニノ」
隣に歩み出たのは、そのアキノ家の三男坊であるクオン・アキノだ。
クオンの魔錠が外れている。
こいつら逃げ出してたのか。ララ自身ならともかく、兵士に任せていてはニノを完全に拘束するのは不可能に近い。
「今さら、あなた達が脱出した所で、なんだというのよ……!」
散ったはずの砂が集まってくる。大盾のようになってララの右側面をかばう。
ニノとクオンは応じなかった。ただ、銃と杖を向けて、ララを見すえるだけだ。
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