31マヤ・アキノは夢想家

 俺達と共に歩くゴドーに、マヤが声をかけた。


「ゴドー兄さま。無事にこの国を得たあかつきには、あの島の者たちを助けていただけるのでしょうか」


 マヤがゴドーに従ってたのは、そういうわけか。


「島? ああ、ポート・ノゾミのことですか。あそこにも一応バンギア人が居ましたね」


 足を止めたゴドー。マヤと向かい合い、俺達と兵士が取り巻く。兵士達に色めき立つ気配はない。


「お約束通り、私はお父様の命令に応じましたわ。お兄さまもそれによってクリフトップを手に入れ、民の心をつかむこともできたはずです。断罪者の妨害はあったものの、筋書に狂いはないのでしょう」


「そうですね。確かに、ヤスハラの言う通り、あの老いぼれは、君が戻らなきゃ軍を起こしてくれなかったでしょう。ええ、あの島の占領は諦めましょう」


 そういう筋書きだったのか。マヤはただアキノ12世の招集に応じたわけではなかった。自分が行けばヤスハラへの爵位の授与が進み、それを頼りにアキノ王が編成した軍を動かす、つまりクリフトップを離れることを期待してやって来たのだ。


 恐らくは、ヤスハラによって、アキノ王の計略はゴドーに漏らされていたのだろう。国盗りを考えていたゴドーは、王の進軍に応じて、クリフトップを突くことを画策し、実行したわけだ。


 その見返りの実行を、マヤは求めているのだろう。喜色をみなぎらせ、魔錠がかかったままの白い手を、胸元でぎゅっと合わせた。


「では、かの島にさらわれたり、奴隷や実験体として囚われたりしている我らの同胞の救出に手を貸してくださるのですね。本意でなく帰れない者や、紛争後の混乱の中でカジモドを抱えて、苦しい生活を強いられている者もたくさんおります。この大陸から誘拐を行う者たちも取り締まって」


 ゴドーが首をかしげる。眼鏡の奥で目を細め、マヤを見下ろし遮った。


「待ってください、勘違いが過ぎますよ。私は王国を救うため、あなたの協力を仰いだのです。大体、そんなことをすれば、GSUMと事を構えることになります。自衛軍の連中だって怒ります。あんな便利な奴ら、最大限に利用しない手はない。国の復興には時間がかかるし、連中の妨害を軽く見ることはできません」


「そんな! でも自衛軍やGSUMが、島に流された我が国の民に何をしているかご存知なのでしょう!? バンギア・グラの折、我が国は兵士や植民者として、二万もの臣民を国中から呼び寄せ、送り込んだではないですか」


 マヤがほとんど懇願するような調子で叫ぶ。


  バンギアに入った異世界を占領するバンギア・グラ。そこに居る異世界人を倒すための軍隊以外に、領土にするための植民者も必要だ。

 当たり前だが、崖の上の王国はそこに自国民を送り込んだのだろう。ポート・ノゾミにバンギア人が溢れている理由でもある。


 ゴドーには一言あるらしい。


「送り込んだ、ですか。マヤ、言葉は正確に使ってください。王国は、行きたければ手段を用意してやると言ったまでです。自分の意志でそれに応じたのは彼らじゃないですか。大体、軍役ではなく、植民目的で参加した者は、魔力不能者や、こちらの大陸で食い詰めるようなどうしようもない者達です。はなはだしきは我らの統治が気に入らず、新たな国を作るなどと息巻いて、出て行った連中まで居る。アグロスには自己責任という便利な言葉があるでしょう」


 マヤがゴドーの胸元につかみかかる。ほとんど泣き出さんばかりに瞳を潤ませている。


「では見捨てるとおっしゃるのですか! 兄様が私におっしゃった、どんな手段を使ってでも、お父様を討ってでも、この国を復興させねば臣民が苦しむばかりだというのは嘘なのですか! わたしは、私はあの島で苦しむ臣民たちを間近に見て、少しでも私にできることを」


「マヤ。臣民とは、自らすすんで我々アキノ家に従い、その役に立とうとする者達のことなのです。我々に従わず、役にも立たない者たちなどはその限りではありませんよ」


 マヤは表情を失う。ゴドーの言いそうなことではある。だがマヤはゴドーの言葉を都合よく信じてしまっていたのだ。


 二年一緒に仕事をしてきて思うが、あのザルアから信頼されることといい、恐らくマヤの本心はかなりの部分優しさに振れている。島に来たのも、ユエや残された崖の上の王国の民のことを心配してだろう。


 なるほど、居丈高な仮面が崩れる瞬間を、俺は何度か目にしたことがある。


 そしてゴドーも、そのくらいは分かっていてこのマヤを利用したのだ。

 胸元に顔を伏せるマヤを見下ろしながら、苦笑する。


「もっとも、我らの尖兵として紛争に参加し、行方不明扱いの者たちはべつですね。今回の件でGSUMや自衛軍とのパイプもできますから、交渉してしっかり取り戻すことにしましょう。彼らは立派に、アグロスと戦ったのです。悪魔や吸血鬼の下僕にされていなければの話ですが」


 本音を言えば、捨て駒の死に兵だったのだ。ララ、ゴドー、アキノ王とそれに従う貴族たちが王国の旧領土に居座っているのが証拠だ。


 マヤが目を見開いた。きっとにらみすえると、魔錠のされた拳を強く握る。


「……そんな者たちならば、そんなもの達ならば、救うことは不要ですわ! 兄様はあの島を知らないからそんな悠長な口が利けるのです! 戦える者たちがどのような手段で自らを利しているか! 戦えぬ者たちをどれほど虐げているかご存知ないからそのような口が利けるのです!」


 最近だと、ディレが最も大きい例だ。銃と魔法を狡猾に扱うバンギアの人間による犯罪。大抵はマヤが指揮権を使って俺達の断罪をうやむやにしており、俺達もそういうものかと思っていた。


 マヤはゴドーの襟元に握った拳を叩き付ける。


「私は見て来ました、断罪者と共に。誇りある我が王国の騎士が、鉄と火を手にしてどれほど醜く変わっていったかを。自衛軍の蛮行ですって。私達にそれを笑う権利などありません! 私は父様の命令を受けて、王国の行動を握りつぶしてきたんです。全て島に暮らす臣民のためなのですのよ。王国の行為が明らかになれば、自衛軍に臣民を弾圧させる口実を与えてしまいます! 他種族による迫害も招いて……」


 ほとんど泣き声でまくし立てる。可憐な顔が怒りと悲しみに歪んでいく。

 フリスベルが口元を抑え、辛そうな目で見守っている。クオンが『マヤ姉さま……』と呟いた。


 俺は取調室で仮面を崩したマヤを思い出していた。精一杯に気を張って、その細腕に政治という重荷を背負い、臣民のために汚れ役をやり続ける孤独で哀れなお姫様を。


 とうとう嗚咽を上げるマヤの肩を、ゴドーがそっとつかんだ。

 涙に濡れた瞳で、眼鏡の奥を覗き込むマヤ。

 ゴドーは穏やかにほほ笑んだ。


「マヤ。君は少々疲れている様ですね。まあゆっくり休みなさい。君はもうすぐ、ヤスハラ伯爵夫人になるのです。もう汚い仕事なんていりませんよ」


 そいつは、アキノ王が持ちかけた策略じゃなかったのか。マヤは言葉を失っている。代わりにというわけでもないが、俺はたずねた。


「どういうことだ、フェンディ伯爵さん」


「簡単なことです。ヤスハラは我々の協力者。その地位を保障してやるのですよ」


 なるほど。まあ、王が軍備を整えていることや、今回軍を起こそうとしていたことなども、ヤスハラを通じて知ったらしいことは分かっていた。つまりヤスハラは王の信頼を得る一方、ゴドーにもいい顔をしていたことになる。


 今度は、クオンが叫んだ。


「まさか王と同じように、ヤスハラを貴族に迎えるというのか! それでは結局、マヤ姉様は解放されないではないか! 同じ世界の人間を、あなたに売るような奴だぞ! 姉さまが幸福になるはずがない!」


「クオン、あなたも分からないものですね。マヤはアキノ家の女ですよ。政略結婚など当然でしょう。あなたの母君とてあなたを産んだ後、再婚されたではありませんか。それだけのことです。皆さんをお連れしてください。幸い、マヤの城館は焼け残っていますからね」


 精一杯勇気を振り絞った叫びは、無情にもゴドーに封じられて。失望に染まるクオンの背を、兵士が銃剣の先で突く。ニノがにらみつけるが、武器もなく、負傷もしていてはどうにもならない。


 吸血鬼の下僕にされたとはいえ、自衛軍の兵士が持っている技能は、記憶を失う前と変化がない。魔法と銃なしで戦って勝てる相手じゃない。


「さあマヤ。ヤスハラは無事に取り戻します。ゆっくり休んで、我が王国一の貴族の妻として、ホストレディーとなる準備を整えてください。期待していますよ」


 ゴドーが微笑み、マヤをそっと引き離した。手つきは優しく、肉親としての愛情をしっかりと持っているのだと言わんばかりだ。


 浅はかな策謀が全て打ち砕かれたマヤは、呆然としながらこちらに戻ってくる。


「断罪者の方々は島に帰しましょう。反乱を起こしたユエの奴も、生きていれば救出して戻してやりますからご安心を。あなた方も含めて、この国の英雄に祭り上げた以上は、王国を荒らしてくれた罪も、不問にします。我が国でこんなふざけた真似は二度と許しませんがね」


 吐き捨てるように言って、眼鏡の奥の瞳を細めるゴドー。今起こっている歓声とは全く違った印象の怜悧で狡猾な君主の顔だ。


「マヤはテーブルズとやらの職務は遂行できなくなりますが、こちらが落ち着いたら適当な者をお送りしますからご安心ください。我が妹と同じほど甘く、外れた義侠心を持ったはみだしものを、見繕っておきますよ」


 当てこすりにおびえるマヤを、ニノが抱き締め慰める。


 背中の歓声はまだ収まっていない。一言も反論できないまま、俺達は来たときと同じ機動車に押し込まれた。

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