30歯車はどこまで回る


 クリフトップという場所は、アキノ家が君臨するために、自然が造り上げたのだろうか。


 地上まで200メートル。断崖に刻まれた階段を隔てて、正門より見下ろすイスマの街は、まるでミニチュアのようだ。


 もちろん、正面の大通り、路地という路地、建物の窓という窓、あるいは街の外の田畑のあぜに至るまで、あらゆる場所に人が満ちている。恐らく観光客も混ざっているがゆえの人手。誰もかれも、未明から続くクリフトップの騒乱が気になっているに違いない。


 この場所から眺めると、その人々までが、ミニチュアに暮らす小人と見まごう。


 入り込んだ魔力不能者は死刑で、平民は百叩きというのも、この高い場所から見下ろせば直感的に納得できる。ララやゴドーの様な奴が育つのも納得だ。


 この場所に生まれ、臣民たちを見降ろしながら暮らしていれば、意識も違ってくるに違いない。


 クリフトップの正門前にある巨大な広場。担え銃で綺麗に勢ぞろいした十個中隊を背負い、フェンディ伯ゴドー・アキノは堂々たる威容でたたずんでいた。


 すでに朝日が昇りつつある。山の端をかすって降り注ぐ蜜色の日差しは、真っ白なローブを着たゴドーと、その軍団を神々しく彩っている。


 俺とフリスベルをはじめ、マヤ、クオン、ニノ、のクリフトップを攻めたメンバーは全員がその横に並んでいた。


 どういう狙いか分からない。とりあえず罪人扱いでもなさそうだが。


 激しい戦闘で負傷し、衣服もひどく傷ついた俺達をそのままに、ゴドーは両手を広げて呼びかけた。


「イスマに住まう親愛なる臣民の方々に申し上げます! 私はアキノ十二世が長子、フェンディ辺境伯ゴドー・アキノです!」


 城門裏、聴衆から見えない場所で魔術師がかかげた杖が光っている。風の現象魔法で声を拡大しているのだ。集まった奴らは、余すところなくゴドーの肉声を聴いているだろう。アキノ王のマイクと違って、温かみを感じさせる演出だ。


「800年の歴史を持つ偉大なるこのクリフトップ。その頂きに起こった事体に、皆様方はさぞ心を痛められたでしょう! 申し上げます、この惨状は私と私の忠実な手足たる魔法騎士団が引き起こしたものです!」


 小さな人民が一斉にざわつく。あるいは、王とフェンディ伯の確執を思い浮かべているのかも知れない。


「しかし私を罰する前に、どうかお聞きいただきたい。私には理由があったのです。卑劣にも、主なきクリフトップの間隙を突いた理由! 過去800年のアキノの先祖に恥じぬ理由が!」


 それは何なのか。否が応でも関心は高まる。まるで聴衆一人一人の心を覗きこむかのように、ゴドーは俺達を指し示す。


「この、ここにいる勇気ある者たちをご覧ください。彼らこそ私の怯懦きょうだを拭い、国のために立ち上がらせてくれた勇士たちです!」


 どういうことだ。こいつは漁夫の利をさらったことを隠して、自分の手柄を言うんじゃなかったのか。ゴドーは俺達の反応を待たずに話を進める。


「彼らは、偉大であったアキノ12世が、あろうことか、鉄と火をまとう憎きアグロスの者たちと密かに手を握ってあなた方を苦しめているのを知り、いち早く立ち上がった者たちなのです!」


 確かにアキノ12世はヤスハラと協調して民を苦しめている。あの製錬所の光景とこの国の国土でなされていることは許しがたい。だが、ゴドーはそんな義憤で動く奴じゃないことは分かり切っている。


 問題なのは、今目の前にいる数万という聴衆たちは、そのことをを全く知らないということだ。


「風の噂に耳にしたことはございませんか。南部の森林や辺境の地でアグロスから来た者たちが我らやエルフの方々をどう扱っているか。あるいは皆様方の中にも、大切な方を奪われて苦しみに泣き伏しながら、王の武力にその涙を呑んだ方が少なからずいらっしゃるでしょう。王は否定したかも知れませんが、ご存知でしょう。それらは全て真実なのです!」


 王が隠し、ララも隠していた苦い事実。ゴドーはそれを見事にぶちまけた。これで真実を暴いた勇気ある誠実な伯爵いっちょうあがりだ。狙いが分かってきた。


 畳みかけるように、次々と言葉を放つゴドー。


「かつての慈愛と威厳に満ちた名君、偉大なる我が父は、忌まわしい紛争から変わってしまいました。自らの力を取り戻すために、皆さま方臣民を生贄にしてアグロスの技術を得るという悪魔のごとき策謀を選んでしまったのです! 口に出すのもおぞましい所業は、仮初めに過ぎぬ紛争の終結から2年もの間、一日と絶えたことはありません。私は怒りに震えていました。しかし自らの無力も分かっていました。絶対的な王への恐怖を前に、卑劣にもこの身を領地に縮めるばかりでした。そんな現状を、立ち上がったこの者たちが変えたのです!」


 兵隊が一斉に俺達を向き、敬意を示す捧げ銃を行う。このために俺達を引き出してきたのか。


「聡明なる我が妹マヤ・アキノ、勇気あるクオン・アキノと忠臣たる魔術師デオ、そして魔力不能者でありながら、自分たちを迫害した我々のために王国騎士団に立ち向かった勇敢なる特務騎士ニノ。さらに、島の法を守らんがために無法なる王を断罪するべく送り込まれた断罪者の二人。あなた方は信じられないかも知れませんが、彼らはこれほどささやかな勢力で、このクリフトップに挑み、あの火災と混乱を巻き起こしたのです!」


 ざわめきがどよめきになった。人波が巨大な生き物のように俺達を注視する。なるほど、あえて正装させず、激しい戦いの痕跡が分かる格好でここに連れてきたのは正解だ。真実味が違う。


 ゴドーはかっと目を見開くと、豪奢な杖で南側を指した。聴衆の昂揚が乗り移ったかのように、力強く叫ぶ。


「しかも、しかもです! この首都より王の軍勢を引き離すために、我が妹、かの硝煙の末姫であるユエ・アキノは特務騎士団と共に反乱軍となって王の軍勢と対峙しているのです。王とアグロス人により、奴隷とされた我々の同胞を率いて!」


 つい昨日王が言った私利私欲の反乱軍のイメージが聴衆から消えて行くのが分かる。同時に誠実なゴドーへの信頼が育まれていくのも。


「いくら臆病な私とて、彼らの勇気を見過ごすことができませんでした。幸いにも、私にはわが身可愛さのためにアグロスより奪った鉄と火の軍勢はあります。それを使って、私は王に弓を引きました。義憤のために、たった六人でこのクリフトップに挑んだ彼らを見捨てるわけにはいかなかった! そして今こうして彼らを救い出し、ことの次第を皆さまに述べている次第です!」


 群衆が叫び声を上げる。万歳の声が怒涛となって町中を包んでいく。英雄とはいつの時代も上の都合で作られるものだ。だが今俺達の誰も、目の前のゴドー・アキノ以上に群衆を操る術を知らない。


 ゴドーは今や一流の指揮者のように、身振りで群衆の興奮を抑え込んだ。口を開くと、今度はトーンを落として語る。


「しかし、どんな理由があったとて、実の子たる私が父王を弑するなど、悪逆のそしりは決して免れないでしょう。ことに、アキノ家800年の歴史の中、けっしてあり得なかった身内の争いを目の前にした皆様のご心痛と不安はいかばかりか。皆様方には、この悪辣で臆病な私を今すぐにでも誅する権利があると断言できます」


 殊勝なことだ。カスほどもそんなことは思っていないだろうに。

 だがここまでの演説から、群衆は誠実で繊細な王の長男を頭に描いている。ゴドーの言葉は、見事にそんな群衆の心をとらえ続ける。


「ですが……申し上げます! どうか、どうか今少し待っていただきたい。取るに足らぬ私の力が、かのアキノ十二世、いえ、暴君ガラム・アキノを打ち払い、我が妹と立ち上がった者たちを救い出すときまで。皆様方の手の中にある、私と我が軍団の命の火を消さずに握り続けてもらいたいのです!」


 果たして、群衆は再び歓声を上げて答えた。クリフトップを揺るがすような、歓喜の叫びが首都の全てを押し包んでいる。


 城門裏の魔術師が一瞬魔法を途絶えさせた。眼鏡を軽く上げ、ゴドーは俺達に目配せをする。


「いやあ、凄い人気ですよね。まいったな、これでは次の王になってしまうかも知れません」


 恐らくそうなるだろう。この演説で首都の住人に暴君と認識された、アキノ王を倒してしまえば。しかも王位の簒奪さんだつではなく、国民の推挙という理想的な形でだ。


 ゴドー・アキノ。こいつの計略は、もはや鬼謀と呼んでいい。


 恐らくは最初から準備万端だったアキノ王の討伐。俺達をダシにして演説を行うことによって、首都の全住人から、直接的にそのお墨付きを取ってしまった。


「あのバケモノを倒すのに、十年以上待ちました。アグロスの技術も役に立ったし、辺境で悪魔や吸血鬼どもと散々戦ってきた甲斐がありましたよ」


 こいつはとんでもない食わせ物だ。全てを利用して、自分を清廉な君主へと押し上げようとしている。


 あるいは、こいつがずっと首都に居れば、本性に気づく首都の住人も現れたかも知れない。しかし長く悪魔や吸血鬼との最前線に居て、その後フェンディ辺境伯となったゴドーを良く知る者は、弟や妹たちを置いて存在しないに違いない。


 魔術師たちが再び魔法を使った。ゴドーはゆうゆうと演説に戻る。


「願わくば、この街を出る我が軍勢に、皆様の祝福があらんことを。そして、暴君を討ち取ったあかつきには、我らアキノの兄妹が、皆様のお役に立たんことを。私だけのためでなく、果敢に戦い、民を守る弟や妹たちのために、申し上げます!」


『万歳! フェンディ伯万歳! アキノ家に繁栄あれ!』


 怒声と区別もつかないほどの大歓声。一万を超えるイスマの群衆が、新たな王の誕生を承認した瞬間だった。


 もうアキノ12世は終わりだ。仮にゴドー・アキノを倒したところで、遅い。国民は、アキノ王に従いながらも、真実を隠したその治世を本気では望んでいなかったことに気づいてしまった。ゴドーは演説によって抑え込まれた民の鬱屈を開放し、それを王に向けたのだ。


 力強く手を振ると、ゴドーは最後に叫んだ。


「約束しましょう。アキノ家が必ず平和と安心をもたらすと。我がアキノ家が統治する崖の上の王国は、必ずや次なる800年を繁栄のうちに過ごすでしょう! 我々は出撃します。願わくば、皆様の勇気をお貸しください! そして戦いに疲れた戦士たちを、どうか十分に休ませてくださいますよう、お願い申し上げます!」


 俺達のことか。今度の勝利は、完全に自分の手柄にするつもりだな。


 臆病だった長男が、勇気ある者たちの戦いに感化されて成長を遂げ、暴君と化した父王に戦いを挑んで勝利する、か。


 素晴らしいストーリーだ。王の誕生に申し分ない。


 魔術師たちが現象魔法を終わらせた。ひと際強く群衆に手を振った後、俺達とゴドーは城下町に背を向けた。


「さあて、出撃準備にかからなければなりませんね。君たちはここで見ていてください。後は私がまとめておきます。あの老いぼれに引導を渡して、あらためてこの国を頂きますよ。それをみんな、望んでいますからね」


 アキノ12世の長男にして、国盗りを周到に計画していたゴドー。


 こいつが王となれば、分かりやすい善政は敷くだろう。民は高い支持を持って迎える。その陰で、意にそぐわぬ者、その狡猾な正体に気づきそうなものは容赦しないに違いない。いい感じのディストピアができる。


 自衛軍の兵士を吸血鬼に下僕化させて使役するがごとく。こいつは崖の上の王国全てを徹底的にわが物にするのだ。今の王とどちらがましだろうか。


 島との関連でいうなら、GSUMとの結びつきは活発になるに違いない。人間とエルフを売り飛ばして、アパッチを買うのと同じような真似は、何のてらいもなく実行し続けるだろう。


 事態はもはや、俺達の断罪を大きく離れて、はるか遠くをさまよっているかのようだ。


 歓声に背中を押され、俺もフリスベルも押し黙って、兵士と共に歩くほかはなかった。

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