2渡りくる軍勢


 夕刻。予定通り、俺とユエは警察署に顔を出した。


 揃って現れた俺達に、帰りかけだったフリスベルとガドゥ、到着したクレールやスレインが無言の関心を寄せる中。


 俺とユエはギニョルのオフィスへと入った。


「……事情は、分かった」


 俺達二人を目の前に、オフィスで事情を聞き終わったギニョルは、椅子に背中を預けていた。


 今は人間の形態、赤い髪と角を揺らし、天井を仰いでため息を吐く。


「しかし、まさか、そなたら二人がのう……予想は、できておったが。この数日の忙しい頃に判明しておったら大事じゃが、まずはめでたいな」


 そう言いながらも、しげしげと眺められると、どうもユエとの色々が想像されてそうで居心地が悪い。


 一見、性に潔癖そうなギニョルだが、三百年近く生きてるやつだ。


 まあいろいろと、俺達の個人的な行為を想像してることだろう。


 自然と、ぶっきらぼうな口調になる。上司に性まで干渉されたくない。


「まあ、そういうことなんだ。産休とか育休とか、制度も全く決まってないだろ。ただ、配慮はしてほしいんだよ。旦那としてはな」


「分かっておるわ。助手たちの中には、そういう事情のある者も、少なくはない。で、何か月じゃ?」


 ユエが自分のお腹をさする。あんなに真っ白で美しく、鍛えられた腹が本当に膨らむんだろうか。


「二か月、半くらい」


「では、禍神との戦の夜か。死ぬかもしれんとなったら、誰も、やることはそれほど、変わらぬ。姫を抱いたら、騎士を名乗れぬかも知れんが、な」


「……おいギニョル、もういいじゃねえかよ。望んでやったことさ。俺は幸せだった」


「人間の妊娠や出産については、わしにも多少知識はある。マロホシの奴にも、相当あるじゃろう。あやつの病院は、妊婦の治療でも相当儲けておるらしい」


 ありそうだな。特に、不妊治療ってやつには、相当資金が必要とも聞く。

 子を授かるってのは、特別なことだから、必死さが違うだろうし。


「ではユエ、この先の、詳しい仕事のやり方を詰めるか。それとも、通常勤務の後にするか?」


「今やるよ。なにか、用事があるんでしょ」


 さすがというべきか、ユエはギニョルの机にある書類に目をつけていた。黒いファイルに入った見慣れないものだ。


 ギニョルはため息を吐いて、ファイルを広げた。


「日ノ本からのお達しでな。同時に断罪事件でも起これば、また、休暇が難しくなるところじゃ」


 橋頭保での話し合いから二か月。日ノ本からは、公式の音沙汰がなく、向こうの新聞もネットも、バンギアの歴史や文化、あるいは紛争について当たり障りのないことを書き立てているばかりだった。


「今日出てきている者には配った資料じゃ。お前達には明日渡すつもりじゃったが」


「見せてよ。いい、騎士くん」


「ああ」


 産休うんぬんのことはいいのか。そう思ったが、ユエの表情はもう、銃を取るときと変わっていない。俺も資料に目を落とした。


 十数ページの資料は、警備の段取りだった。


 三日後、日ノ本の日付では土曜日、ポート・ノゾミを日ノ本国自衛軍が通過する。


 司令官である、御厨統合幕僚長が指揮し、中央即応集団の一部までが混じった本格的な部隊だ。


 作戦目的は、自衛軍独立部隊の武装解除及び日ノ本本国への帰投を促すこと。


 また、やってくれたな。


「ギニョル、こんなの許すの。また、バンギアがめちゃくちゃになるよ!」


 机に両手を叩き付けたユエ。妊娠しようがすまいが、完全に断罪者であり、バンギア側として、紛争を戦って来た元兵士に戻っている。


「たしかに、めちゃくちゃだぜ。戦力規模も、特車隊に迫撃砲使う奴らや、施設部隊もいる。バンギア大陸なら、まだまだ、国一個作れる規模だ」


 あの厄介な戦闘ヘリ、アパッチが来てないのはいい。だが、約五十人もの兵員を輸送できるチヌークまで、トレーラーで運びこまれるというのだ。


 日ノ本は、また紛争を始めたいのか。この間の会議じゃ、いかにも、もう諦めるようなことを、言ってきていたというのに。


 だが、ギニョルだって俺達が思いつく程度のことは考えていたのだろう。渋面のまま絞り出す。


「拒否ができれば、しておるわ。しかし、まだ復興も板についたばかりではあるし、なにより、あの橋頭保が完全になくなって、今このポート・ノゾミは軍事的な空白に等しい」


 確かにそうだ。危険で勝手極まりない、将軍率いる自衛軍ではあったが、存在そのものが日ノ本への牽制になってはいた。


 普通の犯罪者なら、俺達断罪者がぶっ叩けば済むが、重火器や機動兵器を配備し、編成の済んだ軍隊となると、まともに戦うことはできない。


 通るなと言うにも、力づくで通行を妨げる武力がないのだ。


「幸いというか、連中に侵略の意図はない。というよりも、こちらの存在が知られた今、バンギアへの侵略、これ以上の戦争の悲惨は許さぬというのが、日ノ本の世論の動向じゃ。善兵衛のやつが、山本を通じて、言うて来おった」

 

 あの父子か。善兵衛のことだから、山本に嘘を付くぐらい何とも思っていないのかも知れない。信用していいか迷う所だ。


 ユエが資料を取り上げ、ぱらぱらとめくりながらつぶやく。


「まあ、本気で侵略する気なら、いきなり来ればいいからねー。わざわざ、ポート・ノゾミを国と認めて、私達断罪者に、国境での警護と監視を言って来てるんでしょ?」


「……それは、その通りなのじゃ。公会でも、山本のやつが同じことを言ってきおってな。つい昨日のこと、結局説得されてしもうた」


 強面のドーリグや、正論で押してくるワジグル、怜悧なギニョルに、バンギアを守ることに深い関心を持つマヤ。このあたりを、あのおっさんが説得するとはな。


「すでに、向こうから官僚も派遣されてきておる。段取りは整っておるようなのじゃ。操心魔法や、使い魔で探る真似もできなかったが、この間の事件での態度を考えても、わしは信用できると思うておる」


 難しい所だな。確かに、この間の紛糾を見ていると、もう首相は、ポート・ノゾミを取り返すという、領土的な野心は捨てたように思える。野心というか、日ノ本からすると、つい数年前奪われた土地なのだから当然だが。


 それに、防衛大臣と、あの幕僚長と総理の善兵衛は、紛争の頭から先まで理解している稀有な関係者だ。


 異世界との紛争の損がどれほどか、痛いくらいに知り抜いているはずだ。


「ギニョル、信用してみりゃ、いいんじゃねえか」


「騎士くん」


「お前が、そう言うとはな。根拠を聞こう」


 当然だよな。俺は首をひねった。


「……そうだな。まず、止められないってのが一番大きいだろ。島に軍事力がないこともあるけど、三呂には、島の奴らがある程度出かけてるんだ。身柄を押さえられちまったら、助けられもしねえ。橋を守れても、なにされるか、分からねえんだぜ」


 ロットゥン・スカッシュとシクル・クナイブの事件により、島の存在が国民に知られた。それ以来、日ノ本はポート・ノゾミの者であっても、許可された者に限って、三呂への往来を公式に許している。


 たとえば、ザベルと祐樹先輩は、三呂に居る先輩の親類を訪ねているところだ。


 三呂に様々な理由で滞在するバンギアの人間は増えた。この間まで拡散されてた、空を飛んでいるドラゴンピープルの動画が、伸びなくなるくらいには。


 それはいいことだが、日ノ本に渡った者は、日ノ本の権力の下にあるということだ。


 仮に、自衛軍が来るのを拒んで、一戦やらかすとなったら、ポート・ノゾミには助けようとも手立てがない。


「それと、こいつは個人的な理由だが、善兵衛達を信用したい。いや、違うな。俺はもう下僕半にされたが、元々日ノ本に居た人間として、そこまで姑息な真似を、俺の国がやらないって、信じたい」


「……それは、甘いな」


「甘いよ、騎士くん」


 二人の厳しい視線に、肩を落としかける。分かっていたことではあるが、現実が見えているのは、怜悧なギニョルと、実際に自衛軍と紛争を戦ったユエだ。


「じゃが、一理はある。日ノ本は、連中からすれば侵略者であるわしらの住む島を、国として認めはした。信頼に信頼を返さねば、国と国の関係など、とても成り立たぬ」


「そりゃあ、そうなんだよねー。なんか、今日の騎士くん、思ったより大人じゃない。生意気だけど」


 ユエに、肩を強く叩かれた。こいつ、元気じゃねえか。


 俺を下に見るのは、やめやがれ。まあ、いいが。


「種を明かすと、テーブルズでは色々と意見が出たが、やはり、騎士の言う方向でまとまった。断罪者は三日後、暫定的なポート・ノゾミの領海、つまりバンギア側のゲーツタウンまで自衛軍を警護、監視することになる」


 つまり、崖の上の王国が倒れ、始まった新しい国家、クリフトップ連合国まで、エスコートすることになるわけか。


「ユエ、騎士、我ら断罪者は、テーブルズの指揮権に従い、日ノ本国の自衛軍の警戒監視を全員で行う。よいな?」


「いいよ」


「それしかないよな」


 俺達の事情なんて、事態は待ってくれない。


 復興活動が落ち着いて以来、久々の重大な任務だった。

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