36盤面を見つめる者
ギニョルの姿は詳述するに忍びない。妙齢の悪魔らしい真っ白い肌と髪はあちこちがれきの破片以外に汚され、嫌な臭いを放っている。
将軍は戦いに臨む兵士達の慰み者として、ギニョルを与えたのだ。
あれほど執着していたから特別扱いされるかと思ったのに。
「おお、騎士か……すまぬな、こんな姿で」
魔力を振り絞りながらだが、力のないほほ笑みを返す。俺は駆け寄ると断罪者のコートを脱いでギニョルの肌を覆った。
「すまねえ。すまねえ、俺たちが情けないからこんな……」
涙があふれてくる。一番辛いのはこんな目に遭ったギニョルのはずなのに、悔しさと悲しさが止まらない。
「あの将軍に捕われたのじゃ、こうなる覚悟はしておった。それよりお前が来たということは、この地の戦いは我らの勝ちじゃな。亜沙香も無事か」
「ああ。亜沙香は大丈夫だ。守備隊の奴らなら、操身魔法と蝕心魔法でやられて仲間と共食いしてる。最高に苦しい死に様をさらしてるんだ。お前らを酷い目に遭わせた奴らなんて残らず殺してやれるぜ……」
憎悪が湧いて出る。こんなことをする奴らなんて、誰だろうとはらわたをぶちまけて、お互いに殺し合って地獄に落ちやがれ。
「ではいい加減で止めねばな。降伏を呑まぬ相手ではあるまい」
「お前、憎くねえのかあいつら」
「戦争に強姦は付きものじゃ。女だったからわしは命を取られなかった。それに、兵士達は元々お前と同じ国の者たちであろう。しかもお前達を守りに来た」
「でもよ!」
もっと撃ち殺しておくんだった。
俺達が戦っていた中にあの部屋の光景を作った奴らが居た。恐怖を逃れるために、女達を痛めつけて苦しめた奴らが混じっていた。そう思うと怒りが止まらない。てめえらの恐怖のために、どうして平気で女を欲望の犠牲にできる。
ギニョルが俺を見下ろす。平静な視線だ。まるで全ての痛みと苦しみを、俺が引き受けているみたいだ。
「……騎士よ。お前の気持ちは分かった。このコートも感謝して受け取る。じゃがここからは争いの収め方を考えねばならん、断罪者としてな」
「ギニョル……分かったよ」
俺が考える以上に断罪者の長は強かだった。だがその痛みを思うと、改めて拳を握るしかない。
魔力をたどったのか、暗闇の中から後続の部隊が現れた。
「ギニョル、騎士!」
クレールと数人の悪魔だった。
「おお、クレール。そなたらも無事じゃったか」
平然と部下の無事を喜ぶ上司としての顔を保つギニョル。だがクレールもまた察した。
「……ギニョル、これは」
憎々しげに、銃声の続く守備隊の方を振り返る。こいつもまた兵士達の記憶を探して、あの部屋に参加した奴らを全員汚辱刑にでもしかねない雰囲気だ。
もっとも、それをやれば紛争の終息はさらにややこしくなるだろう。ギニョルは冷静に命令する。
「言うな。そなたら二人が無事でここに来たということは、この山の戦いは終わったのじゃな」
ギニョルの口調から機敏に思いを感じ取ったか。クレールもまた断罪者としての平静を取り戻す。
「……ああ。もう捕虜を取り始めたよ。火薬庫も僕達が制圧した。それが妖雲の宝玉だね」
ギニョルが右手で握った真っ赤な宝玉。相変わらずギニョルから魔力を吸収し、赤黒い煙のようなものが出し続けている。
「この宝玉単体で、魔力を吸収し、増幅して妖雲として放つ効果がある。祭壇の装置で周囲の魔力を集めて稼働しておったが、侠志のやつが破壊して止まってしもうた。こちらの強襲に、出撃を早めて対応するとは思わなかったわ」
ギニョルをこんな目に遭わせながらも、ただの色ぼけではない。将軍の座を長く保つだけあって臨機応変、なかなかのやり手だ。
「知っているよ。今は君が魔力を肩代わりしているんだな」
「そうじゃ。普通の悪魔か吸血鬼一人もおれば、もう数十分は保てるじゃろう」
祭壇の装置に不具合があった場合には、悪魔なり吸血鬼なりが代替できるのか。ダークランドの根幹をなす魔道具だけに、ゴブリンでない住人達も扱いを良く分かっている。
「誰か! 代わってやってくれないか」
クレールの申し出に、若い悪魔や吸血鬼達が殺到する。ギニョルを思いやることに加えて、聖地にひとしいこの宝玉に身をささげることは大変な名誉なのだろう。
結局俺達と来たレギンに宝玉を預けると、ギニョルは集まってきたハイエルフの奴隷に命じて現象魔法で小さな茂みを作らせた。泉も作らせて体を洗い終えると、いつもの紫色のローブをはおり、俺からはS&Wのエアウェイトと弾薬を受け取る。
まるで何事もなかったかのように、断罪者であるギニョル・オグ・ゴドウィが完成した。
状況もまた、その数分で大きく動いていた。
マウント・サースティの戦場はダークランド側の勝利で決着が付いた。
俺達が南斜面の守備隊を突破すると北西斜面の守備隊も崩壊。こちらはクレール達に白兵戦に持ち込まれたうえに、俺達南斜面の攻撃部隊も加わって攻撃されて成す術もなかったらしい。
火薬庫も制圧し、大量の火器がこちらのものとなった。
守備隊二百のうち、六十名が生存して降伏。八十名が戦死して残りの六十名が戦闘中に奴隷や下僕となって従属した。実質死んだのと同じだ。
崩壊した祭壇前に椅子を円形にならべた即席の会議場。俺達断罪者とギニョル、それに悪魔を率いてきた使い魔姿のロンヅと吸血鬼を率いてきたニュミエ、反乱した奴隷や下僕を率いた亜沙香がそろっている。
勝利したはいいが、一様に表情は浮かない。それもそうで、救出したギニョルは辱めを受けてしまったし、何より敵はまだ将軍達と中央即応集団を合わせて一千以上居る。
ギニョルは戦闘が終わったていで振るまっているが、俺もクレールもどうしたものか分からない。
『では改めて軍議を行おう。しばらくしたら僕は消えると思うけど、その後は僕の権利を全て娘のギニョルに譲るよ』
ロンヅの使い魔からは銃声が聞こえている。下りて行った将軍たちはロンヅの屋敷を襲っているのだ。いくらか奴隷が残っているようだが、陥落は時間の問題だろう。使い魔を使役する本人が負傷で地下室を出られないロンヅの命も時間の問題というわけだ。
「ここは完全に制圧できたし、損害は大きかったけど武器と武器を使える下僕も多く手に入れたわ。後は、この後にどう出るかよね」
脚を組みかえたニュミエだがその左の足首から先がない。銀の弾丸で足の甲を撃ち抜かれ、下僕に命じて切り落とさせたという。銀を受けて灰になった部分は、操身魔法でも再形成は不可能だそうだ。
「中央即応集団は無傷で一千。将軍たちも四百は居る。兵力の削り合いをすれば、僕達は一人残らず潰される」
クレールの声には悲嘆がこもっている。ギニョルを救出できたのはよかったが、マウント・サースティを俺達が取ろうと取るまいと、すでに敵の兵力は膨れ上がっている。
亜沙香は冷静だ。戦闘で失った腕は痛々しいが、ギニョルを見つめる。
「捕虜交換の道もあるわ。六十人を生かして眠らせてあるのはそのつもりなのでしょう、ギニョル」
ギニョルは妖雲に覆われた空を見つめていたが、亜沙香を振り向く。
「……消極的な理由ではない。すぐ分かる。父様、屋敷の戦闘はいかがですか」
ねずみのロンヅはギニョルの声に反応しない。その眼から魔力の光が消えている。
とうとうやられてしまったのかと思ったが、やがて紫色の光が現れる。
『一体どうした、何が起こったんだ』
「どうしたのロンヅ」
「ロンヅ様」
ニュミエとクレールに問われ、ロンヅは夢でも見ているような調子で語る。
『攻撃がやんだ。いや、僕達への攻撃がか。信じられない、アグロス人がアグロス人同士で争い始めた……』
馬鹿な。将軍達は俺達を突破した。それに魔力が見える奴も居る。内輪もめをさせる下僕など紛れ込みようがない。
たとえ居たとして、兵数一千四百のうちのわずかに過ぎない。屋敷への攻撃の手が止まるなんてありえない。
一切の羽音もなくギニョルの肩に一羽の鳥が止まる。
真っ白い翼に丸い頭と鋭いくちばしに、鍵爪。賢くも恐ろしい闇夜の狩人、ふくろうだ。
そいつの目が紫色に光る。これは操身魔法の光。誰の使い魔だ。
『皆さん、よく戦われましたね。私達の説得通り、中央即応集団は日ノ本政府が命令した本来の任務に復帰しました。将軍こと剣侠志に掌握された自衛軍の制圧と武装解除です』
フリスベルの声だ。中央即応集団に囚われていたはずの。
そういえば伝えてきた。国境に迫った軍については心配しなくていいと。俺達はそれを信じ戦力の全てを捧げてこのマウント・サースティに攻め上がったのだ。
誰もが虚を突かれていた。ただ一人ギニョルだけが、大きくため息を吐く。
あんな目に遭いながら、強かにもこれほど鮮やかに盤面を掌握していたのか。
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