60誘いの綱

 ミーナス・スワンプ。『沼』という恥ずべき姓をもつ吸血鬼ながら、紛争の混沌の中で身を起こし、莫大なイェンを稼いで成り上がった成功者。


 それが、島の一般的な理解だった。裏側のことをなんとなく察してはいても、島で生きていたければ手を出してはならない。


 その、はずだったのだ。それを、キズアトは自分からばらしやがった。


『驚いただろうか、それとも、やはりと思っただろうか。どちらであろうと問題ではない。二つとも私の顔だからな。二つの顔を持つことは、この島で生きる者に珍しくあるまい』


 ビル内の暗闇から望む外に、キズアトの声が響いている。恐らく現象魔法か、どこかに仕込んだ魔道具で拡散しているのだろう。大音量。ポート・キャンプまで含めた、数平方キロのこの島全てに聞こえているに違いない。


『ところで私は、ついさきほど、島に四百匹のなりそこないを解き放った。様々な手段で私と私の妻が作り上げた者たちだ。なりそこないは不定形な魔力によって、あらゆるヒトを捕食せねば自壊して果てる。だから諸君らを食らいにいく。五分もすれば、最初の犠牲者が出るだろう』


 ギニョルの『しまった』の意味が分かった。石薔薇を崩したのは、そのためだったのか。これでは、キズアトとマロホシの断罪どころではない。今、島に居る戦力は、このノイキンドゥの断罪に加わっている者たちだけだ。


 守らなければと思ったが、キズアトの言葉はまだ続く。


『だが心配はいらない。私の味方をすればいい。魔力を感じてみろ』


 頭の中がかき回されるような感覚がした。何度か食らった蝕心魔法だ。だがあの糸のような魔力が見えない。なんなんだ。


 ギニョルも闇の中でうずくまっている。一体どうなってる。


 ぱしぃん、と弾けたような感覚。平常に戻った。クレールがため息をつく。


「騎士、大丈夫か。ギニョルも」


「すまぬ、クレール」


 手を取られて立ち上がるギニョル。俺もなんとか立ち上がった。


「なんなんだ一体……」


「島全てを覆うほどの、巨大な蝕心魔法だよ。心を覗くだけの、ごく一般的なものだけど、とにかく範囲が広い。恐らく、その対象も広いはずだ」


 ずうん、と床が震える。真っ赤な手が入口のドアをちぎり飛ばし、長い首が入ってきた。スレインだ。


「クレール、この違和感はやはり蝕心魔法なのか」


「スレイン、君にもかかったのか。ドラゴンピープルまでかかるなら、今島に居るすべての人種は逃げられないはずだ」


 そんな馬鹿なことがあるか。吸血鬼は心や記憶を操作する蝕心魔法が使えるが、それはせいぜい十数メートルが射程で、対象だって一回に一人のはずだ。しかも、ドラゴンピープルには効きにくい。


「スレイン、どうしちゃったの? キズアトがなんか言ってるのは分かるけど」


 ユエが隣に飛び降りた。魔力不能者には全く効かんか。だがガドゥは緑色の頭をつるつるとかいている。


「くっそ……頭の中が気持ち悪くて仕方がねえぜ。おれ、どうなっちまったんだよ」


「ちょっと待ってくれ」


 クレールの視線を銀色の魔力が走る。ガドゥの頭上でぱあんと弾けた。


「……おお、ありがとよクレール。こりゃ多分、魔道具のせいだぜ。島のあっちこっちに、簡単な蝕心魔法を中継する魔道具が仕込んであるんだ」


「なりそこないに仕掛けられたものと同種なのか?」


 ギニョルに聞かれて、ガドゥは腕組みをした。


「ううん。微妙に違うんだろうけどな。失われたバンギアの古代文明に、よく似たのがあるんだ。蝕心魔法の範囲と数を広げて、数万人の国民全員の考えを定期的に読み取って支配した吸血鬼ってのが居た。その魔道具も失われてるはずなんだが」


 ガドゥの知識が本当なら、GSUMが発掘なり、解析なりしてそれに近い魔道具を作り上げていてもおかしくはない。


『魔道具は起動しなければ魔力を出しません。紛争の後、島中で行われた工事で仕込んでいたんでしょう』


 フリスベルの推理通りだろう。俺たちの誰も気付かなかった。キズアトたちは、追い詰められたときか、島の全てを掌握したくなったときのために、布石を打っていたのだ。


 再びキズアトの声が響く。魔法を脱した俺たちだが、声そのものは拡散されている。


『どうだろう。私からの蝕心魔法は心地いいかね。諸君のすべてを見ているよ。操ることはできんが。今この島に居る、魔力不能者を除いた、六万一千百十三名。この問いかけに嘘はつけない。ひとつだけ聞こう』


 ギニョルが見積もった人口に近い数字。はったりの嘘かと思ったが、クレールが悔し気に首を振った。本当に全員にかかっているのだ。


『私に、従ってはどうかね?』


 悪鬼が囁くような声。あの紛争から、俺が出会ったどんな悪魔や吸血鬼より、危険で甘くおぞましい声。


『今放ったなりそこないには、たったひとつ攻撃の条件を付けてある。私の味方は攻撃しない。分かるだろう、カジモドどころではない呪われた者たちに、食い散らかされて悲惨な死を迎えたくなければ、私に従うしかない』


 分かりやすい踏み絵だ。キズアトの狙いは島の住人を殺すことじゃない。すべてGSUMの仲間にすることだ。


『私が約束を破ると思うかね。ふふふ。私には諸君の心が分かるのだよ。それに、自分の言葉も守れぬような悪は三流以下だ。メリットもあるぞ。秩序の擁護者を慰み者にできる』


 俺はこぶしを握り締めた。紛争の始まった日、目の前で人が殺され、流煌が変えられていった光景が蘇る。


 キズアトの声があざけるように響く。


『断罪者、テーブルズの議員、弱々しいくせに良識ぶって我々の手を振り払おうとするバンギアの犬ども。たった今、このとき、彼らのごとき害虫が私の庭を荒らし、少々難儀しているのだ。ノイキンドゥで駆除を手伝ってくれるなら、彼らを諸君に与えよう』


 自らの言葉と声に高ぶり、おぞましい演説は続く。


『硝煙の末姫も居るぞ、噂に名高きアキノ家の王子王女たちもいるぞ、麗しいエルフどもも皆の手の中だ。心配も躊躇もいらん。幾年の寿命を持とうと、正義だ美だ天秤だと吹こうと、しょせんヒトの本性は善悪なき獣だ。諸君が弱者でないゆえに、この島を求めたと私は知っている。紛争中を思い出してほしい、血と肉と快楽と怒りと欲を、全身でむさぼった思い出を、今一度蘇らせてみてはどうだね』


 言葉を切る。マントをひるがえし、両手を広げる自信に満ちたツラが目の前に現れるようだ。


『諸君は、強者だ! 最高の宴を始めようではないか。月と星を手にしよう、GSUMの下へ集え。ポート・ノゾミは求める者に全てを与える、強者の島となるのだ! この私に答えを聞かせてほしい!』


 帝王のような言葉だった。六万人がキズアトに応え、五百のなりそこないが襲えば、俺たちは一人も生き残れない。


 獣性を解放した住人たちと、俺たちを恨むキズアト達によって、悲惨の末に死に果てるだろう。


 追い詰めたはずのキズアトに、逆に追い詰められてしまったのか。

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