61剥がれたヴェールの向こうへ


 この島の住人の八割以上がバンギア人だ。人間、ハイエルフ、ローエルフ、ダークエルフ、悪魔、吸血鬼、ドラゴンピープルにゴブリン。


 彼らの多くは紛争中に兵士や入植者としてやって来た。バンギア・グラ。入り込んだ異世界の地を力で奪うという、長年の慣習に従ったのだ。


 連中にとってアグロスは、いわば純然たる敵だった。中近世ほどの倫理観をいかんなく発揮し、俺たち島の住人をさんざんに傷つけた。


 アグロスから渡った自衛軍は、そんなバンギア人に怒り、日ノ本の自衛を根拠に彼らと同じかそれを超えるほどの暴力と欲望をぶちまけた。


 終わらぬ暴力の螺旋をどうにか留め、弱い者が安心して過ごせるように。テーブルズができて、断罪法を承認し、俺たち断罪者が活動を始めたのだ。


 しかし、どうにか生まれた秩序も、汚れ切っていた。歪んだ秩序の元では人身売買を始めとした犯罪がはびこり、紛争の被害者だったアグロス人は、そこでバンギア人を犠牲にした。


 キズアトは、この世を弱者と強者に分けた。弱者は奪われ、強者が奪う。GSUMは強者として星と月を手に入れるまで奪い続ける。そのGSUMが、この島を吞み込む。


 六万人の部下と数百年を生きる二つの巨悪。ポート・ノゾミは彼らの根城となるだろう。島の中で血を流し続けながら、両世界のあらゆるものを奪い、食らい、傷つけ続けるだろう。


 止めなければならない。なにを投げうってでも。


 クレールが銃を背中に回した。部屋の暗がりを見つめると、両目に魔力を集中させる。


「ガドゥ、キズアトの演説に干渉したいんだ。魔道具の位置は分かるか」


「分かるかって、おれも本でしか読んだことないんだ。しかも同じやつかどうかも分からないし」


 まあ、そりゃそうだよな。だがキズアトの声は響く。


『ふうむ、答えあぐねる者が多いようだ。五分は少々長すぎたかな。ではこういうものはどうかね』


 瞬間、俺の頭に映像が浮かんだ。


 なりそこないが人を食っている。かぶとむしにへばりついた人の顔がにたにたと笑い、その口元に、千切れた女の乳房を加えている。虫の足元に犠牲者が転がる。骨が飛び出し、血が流れ、肉が引き裂かれた金髪の死体……ユエ。


「うっ、うわああああぁぁぁぁぁっ!」


 俺は悲鳴を上げた。ビルの中の暗闇になりそこないが現れた。殺さなければ、守らなければ。


 ショットガン、M1897を構える。


「よせ!」


 もぎとられた。なりそこないが消える。両手をつかむ赤い鱗の腕、スレインか。


「騎士くん、しっかりして! どうしたの一体」


 俺にしがみつく温かい体。金色の髪、死体じゃないユエ。なりそこないはどこにも居ない。血の臭いまで漂ってきたのに。


「な、なんださっきの」


「……映像、というか、アグロスでいうイメージかな。キズアトのやつ、つながったあらゆる人の心に、なりそこないがたいせつなものを壊す記憶を書き込もうとした。すまない、みんなを守ったから、君とギニョルはおろそかになった」


 クレールが苦しげにため息を吐く。瞳から魔力が失われている。相当な負担だろう。そういえばずいぶん前にキズアトと真っ向から蝕心魔法のぶつけ合いをしてえらい目に遭っていたな。


 あのときより確実に、強くなったクレールだが。それでもこれほどなのか。


「ギニョルさん、しっかりしてください。まだ、なにも起こっていません」


「すまぬ、フリスベル」


 枝と葉が細い腰を支えている。ギニョルの顔色が青白いのは、俺と同じく嫌なものを感じさせられたのだろう。断罪者全員が食い散らからされる様だろうか。


『……ほほう、まだ半分残るか。なるほど、諸君らも諸君らなりに、それなりの矜持をもって生き抜いてきたわけだ。では、実体験を始めてもらおう』


 キズアトの言葉が終わったそのときだった。


 ぱん、という銃声が、ノイキンドゥの外から聞こえた。


 そこに人の叫び声が重なる。男とも女とも子供ともつかない奇妙な声。


 だが悲鳴だった。


 銃声が重なる。悲鳴も重なる。始まったのだ。五分を待たず、キズアトの奴はなりそこないを島の住人にぶつけ始めた。


『ああ、骨の砕かれる音だ。肉の千切れる音だ。このもろさは子供だろうか、ローエルフだろうか!? 惨い死に方だな。紛争この方、必死に生き抜いた結果がこれだ。どうだね、早く決めたまえ、捕食者となれば被食者となるのを免れるのに! うむ? 一体倒されたな。さすが荒事に強い者たちだ。まだ四百体以上居るがな、はっははは、戦ってみるかね。相当の犠牲が出るだろうが、人口は六万、一万死んでもまだ五万残る! 軍事的に冷静な判断をするのもいいだろう。兵士の島らしくていいじゃないか!』


 くそったれが。なんて奴だ。

 巧妙に織り上げた嘘のヴェールを剥ぎ取ったら、今まで出会ったどの犯罪者にも劣るクズ野郎。これがキズアト、GSUMの首魁の真の姿。


 ギニョルが青白いまぶたをかっと開いた。


「クレール! まだ蝕心魔法は使えるか!?」


「待ってくれよギニョル。魔道具が分からなければキズアトに干渉はできないぜ」


 戸惑うガドゥ。大きく息を吐き、クレールが端正な顔を上げる。


「……違うんだ、ガドゥ。味方に伝えるんだな、ギニョル」


「そうじゃ。今ここにわしらの援護に来てくれた者達がおる。彼らの指導者に一言伝えるのじゃ。直ちに島の者を守りに向かえと」


 それはすなわち、俺たちの断罪に援護がなくなるということだ。


 アキノ家王族のララ、マヤ、クオン。そして元特務騎士団のニノを始めその部下たちという強大な戦力。さらに、ヤタガゥンやワジグルを始めとした議員たち、俺の義兄のザルアとショットガンで武装した騎士団。

 集まってきてくれたすべての断罪助手が、島の住人を一人でも多く守り、散らばったなりそこないと戦う。


「……私達だけで、断罪するんですね」


 フリスベルが静かに言った。


 彼らが退けばどうなるか。制圧されかけている全ての建物のGSUMのやつらが、俺たち七人めがけ殺到する。


 GSUM数百人、対、断罪者たった七人。


 老犬は降り注ぐ矢の雨の下で死ぬか。


 あるいは。老いた走狗の牙もまた、巨悪の喉に迫っている。

 だからこそ、キズアトはなりふり構わずヴェールを捨てた。


 俺は入口に背を向けた。電源が落ちた以上、階段で十七階を目指すしかない。


「いいじゃねえか。やってやろうぜ」


 外の喧騒は外に任せた。応えるように、お嬢さんの命令が飛んだ。


「ユエ、スレイン、わしと、フリスベルでこの入り口を守る! 騎士、クレール、ガドゥ。月と星など永遠につかめないことを、奴らに叩き込んでやれ!」


 了解だ。と答える代わりに、俺たちは階段へと走り出した。


 胸元に忍ばせてきた銀のナイフが、獲物を求めて鳴り始めた。

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