59胞子のごとく散る悪意
ノイキンドゥ。それは通称だ。
本当のこの場所は、三呂学院大学と呼ばれる私立大学と、赤石医療福祉専門学校という専門学校だった。二つの学校は、取り扱い貨物の減少に伴い廃止になった、ポート・ノゾミのターミナルに三呂市内から移転してきたのだ。ここにノゾミ医療センターという病院もついた。
図書館に食堂、校舎、医療実験施設などなど。GSUMいや、マロホシとキズアトにとっては垂涎のアグロスの医療機器や実験器具、専門書がそろっているのだ。これで狙われないはずがない。
設備だけでなく、そこに居た学生や講師までが、操身魔法や蝕心魔法によって下僕や奴隷となっていった。
彼らは不幸な犠牲といっていい。だが、だからといって戻せない。
「おおおおおっ!」
スレインとフリスベルが、雄たけびを上げながら路面を割っていく。近づくほどに圧迫感が増す二十階建てのビルからは、銃弾が次々降ってくる。
撃ってくるのは、犠牲になった人間たちだ。
分厚い鱗と梢の間から、クレールのM1が吠えた。十数階に居た女性が、叫び声をあげながら落下していく。
ユエのP220の固め打ちを浴び、入口自動ドア脇に倒れたのは白衣の男性。手にはAKを持っていた。マロホシが作った元人間の下僕だ。医療のための下僕を、間に合わせに繰り出すのだから、連中の戦力は心もとなさそうだ。
六階の窓際で杖を振りかざし、詠唱に入ったハイエルフ。俺はM97からスラッグ弾を叩き込んだ。ボディアーマーを貫かれ、派手に窓を割って落下してくる。
自動ドアを押しのけ、カミキリムシのなりそこないが出てきた。
フリスベルが相手の脚を根で絡め取る。そこにスレインの火炎が襲う。へばりついた吸血鬼部分ともども、黒焦げになってくずれた。
受付やドアも焼け落ちている。奥から敵は出てこない。フリスベルとスレインは上階の窓から真下に入り、敵は攻撃できなくなった。
突入するなら今だろう。
ギニョルがフリスベルの梢から飛び降りた。空中で悪魔の形態に変化し、翼を使って地上に降り立つ。再び人間に戻って、俺たちを見上げる。
「騎士、クレール、わしと来い。一階から制圧する」
「任せろ」
「ついていくよ」
俺とクレールはフリスベルが地上に下ろしてくれた。二人とも武装を確認する。
スレインの背からユエがたずねる。
「私とガドゥはどうするの。はしごとかないけど」
「スレイン、頼めるな」
「任せておけ」
スレインは灰喰らいを口にくわえた。ユエとガドゥを背に乗せると、なんとビルの窓枠にしがみつき、垂直に上り始めた。
窓を割り、枠に手をかけ、のぼっていく。六メートルの巨体なら、それも可能だろう。ガラス片で手を切る心配もない。
『ギニョルさん、私、キズアトとマロホシの詳しい位置を探りますね』
言うが早いか、フリスベルの枝と根が伸び、みるみるビルを覆っていく。
「いかん! 敵が攻撃を」
ギニョルが言いかける。俺が振り向くと、裂け目のない幹めがけて、ほかのビルからRPGを構えた吸血鬼の男。狙っていたのだ。
石薔薇の隙間から風が吹きつける。瞬間、目のくらむ稲光が走った。男の胸元が大きく焦げ、よろめく。さらに古いライフルの発射音。
「妹のマヤからの頼みだ。今日だけ休みを取ってきた」
「私たちが防ぎますよー」
ジープに乗って駆け付けたのは、これまた懐かしい、ユエの兄で元崖の上の王国、第二王子のクオン・アキノ。稲妻はこいつの現象魔法だったのだ。
そして、その妻で元特務騎士のニノも居る。こちらははユエに勝るとも劣らぬ優秀な射手だ。
さらに後続のジープには、崖の上の王国で共に戦った、元特務騎士の生き残り達も続いていた。
「団長! 力を貸します!」
「兄様、ニノ、みんな……」
感極まりながらも、ユエは的確に各階で迎撃してくる敵を撃ち抜いていく。ガドゥのAKが激しく鳴り、小銃弾のマーチを添える。
元特務騎士団も、ほかの建物の議員たちの下へ展開、加勢する。実験棟やほかのビルでは、とうとう味方が内部へと突入を始めた。
明らかに有利だ。たまに出てくるなりそこないも、現象魔法や銃撃が封じ込めている。
「……マヤめ、クリフトップにこれほどのパイプを持っておったのか」
「この断罪で、うれしい誤算が起こるなんてね」
崖の上の王国が倒れてまだ数か月。クリフトップはポート・ノゾミに恩を売るつもりだろう。あるいは、GSUMが扇動するという、元貴族によるクーデターを防ぎたいのかもしれない。いずれにせよ、クレールの言う通りだ。
フリスベルの枝と根が、みるみるビルを覆い尽くしていく。その樹皮には魔力の光が走っている。感知の範囲と精度を大きく上げているのだ。
通常のエルフたちでも、樹化すれば魔法の適性が大幅に高まり、魔力も上昇する。まして、元の姿でもローエルフで指折りの魔術師のフリスベル。邪魔さえ入らなければ、これほどのビルを探索しきることもわけない。
『……十七階、エレベーターから向かって左、二つ目の部屋にそれらしき魔力があります』
もう分かったのか。まずはその部屋からだな。
ユエとガドゥを背負ったスレインは、敵を沈黙させながら十七階へと迫っている。俺たちもぐずぐずしてられない。
「行こうぜ、ギニョル」
「分かっておるわ」
ギニョルとクレールと共に、中へと踏み込む。
がれきと燃えかすを踏み越えると、直後に周囲が暗くなった。
電源を落とされたのだ。
俺はエレベーターに駆け寄った。扉はうんともすんともいわない。
『階段は使えます。左の突き当りに……え、一体なに?』
フリスベルが幹を外に向けた。時刻は昼前。日差しの向こうに見えるのは石薔薇。
その石薔薇が枯れ落ちていく。ララやスレインがやった比じゃない。ばらばらと崩れてそこら中に降りかかっている。
ノイキンドゥの上から下まで全て覆い尽くしていた石薔薇が、全て枯れてしまった。
代わりに、不気味な気配があたりに漂う。背中がぞくぞくする。
はあはあと、なにかの息遣いが頭上から――。
「危ない!」
クレールに飛びつかれた。俺の居た場所を、赤い塊が過ぎ去る。
「こやつめ!」
ぱんぱん、とギニョルが撃ったが、なにかは暗闇の天井をすばやく抜けた。俺たちを無視して、非常口の方に進む。ばりん、と窓を割って外に出ていった。
「逃がしたか。なりそこないだよ。まだ何十匹も居る」
「でも逃げちまったぜ」
さっきまでの奴らは、キズアトとマロホシを守るべく俺たちに向かってきたのに。
「そうか! ……これは、しまったな」
ギニョルが額に手を当てる。どういうことなんだろうか。
『島の者全てに告ぐ! 私はグラブ・スタール・ウント・ムーンズ首魁、“キズアト”こと、ミーナス・スワンプだ!』
あたりを埋め尽くす巨大な声。島中にキズアトの奴の声が響き渡った。
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