4証拠のゆくえ


 バンギアとアグロスが交錯した今も、朝のポート・ノゾミは慌ただしい。


 紛争は二年前に終わったのだ。いびつながら経済は動いている。

 アグロスでいう会社組織のようなものもあり、勤め人も少なくない。


 警察署前の四車線道路。通り過ぎる車両に乗っているのは、アグロスの人間だけじゃない。飛んでいるドラゴンピープルを除いたバンギアのあらゆる人種だ。悪魔、エルフ、ゴブリン、人間。


 バンギアの連中が平然とバスや自動車に乗っている光景は奇妙だが見慣れた。実の所クレールほど車が苦手な奴は、バンギア人でも少数だったりする。


 朝のラッシュを見下ろしながら、俺は机にたまった捜査の記録を仕上げていた。

断罪事件は全て、法で定まった記録を残さなきゃいけない。


 軽快にキーボードを叩くユエ。同じように書類を仕上げている、昨夜長旅から帰ったばかりのフリスベル。自由捜査のスレインとクレールがうらやましい。


 二人と違い、俺の手は止まっていた。ガドゥがとことこと近寄ってきて、コーヒーの入ったカップを置いてくれた。


「ほらよ。また見てるのか、報告書」


「……分からねえんだよなあ。これ」


 コーヒーはうまい。警察署の備品だったコーヒーメーカーの扱いは、ゴブリンのガドゥが一番すぐれている。


 さておいて、俺は改めてここまでの事件の経過をながめた。


 ホテルノゾミでの摘発で、事件の輪郭は見えてきた。


 フリスベルが調べたところ、木の化け物は娼婦で間違いなかった。やはり口づけで押し込まれた薬物のせいらしい。


 押収した麻薬は、化学合成されたアグロスの危険ドラッグと、エルフの暮らす森の一帯に生える、『命取り』という木の実の粉末を混ぜ合わせたものだそうだ。


 命取りは大人のひざくらいまでの丈の小さな木だ。常緑で、春先に茶の若葉みたいな柔らかい葉をつけ、初夏に白い花が咲き、夏に赤い実が鈴なりになる。果実は料理に使われることもあり、エルフの間だと栽培技術も確立されている。


 バンギア、アグロスの両人種にとって果実は基本的に食用だ。ただ、特殊な魔力を含んでおり、小動物が食べると寄生され、体を乗っ取られて同じ木にされてしまう。まさに命取りというわけだ。


 この種をすりつぶし、汁をドラッグと混ぜ合わせて摂取すると精神が高揚し、効果が高まる。実の魔力は強い依存性を生んで精神を歪め、許容量を超えて摂取すると、人でさえもあんな化け物に変えるのだ。


 関係者への聞き込みや、クレールの蝕心魔法で分かったのだが、あの娼婦は様々なドラッグに手を出していたという。アグロスとバンギアのものが混ざった、新しいドラッグの噂を聞きつけ、売人を呼んだのだろう。


「一応、変なドラッグが新しく出たってことでいいじゃねえか。これから注意していけば、あの女もまた網にかかるだろ」


 ガドゥの言っていることは、この二年扱った麻薬事件の典型的な経過だ。ギニョルが島に張りめぐらせた使い魔の網は優秀だ。それらしいところを張り続ければ、いずれ尻尾がつかめる。


 ただ、この事件が妙なのは、ドラッグの出どころが謎なことなのだ。


 フリスベルが里帰りして調べたのだが、エルフの森はドラッグを徹底的に排除しており、余程の権限のある者しか持ち込めない。ましてや、アグロスの危険ドラッグなんて大量に入れるのはまず不可能だ。


 ポート・ノゾミではどうか。


 ドラッグの方は手に入る。悔しいことだが、俺達の手に対して、取引の量が多すぎるのが現状だ。


 だが島では命取りの方が揃わない。断罪法に定めてある禁制品ではないから、法的には島に持ち込める。だがフリスベルの調べでは、この七年、エルフの住む森の周辺から出荷された記録はなかった。


 さらに不可解なのは、材料二つがそろっても、ただ混ぜるだけじゃドラッグにならないことだ。一定量をそろえて、何らかの施設で調合する必要がある。


 仮にGSUMか自衛軍か、ギャングのどれかが手を引いているとしよう。それならノイキンドゥか橋頭堡、あるいはポート・キャンプのどこかに施設が作られていることになる。

 しかし、そんなものが新しく建ったなら、まず間違いなく建設資材の搬入記録で知れる。無論そんな記録はない。


 バンギアでは材料がそろわない。そろっても調合施設がない。じゃあ売人はどこからドラッグを手に入れてこの島でさばいているのか。


「……あんまり、根詰めても分からないんじゃねえか。あれからもう十日経つけど、ぜんぜん動きがねえ。ほかに怪物になった奴もいないし、例のお姫さんもその報告である程度納得したみたいだぜ」


「そうなんだけどなあ……気になるんだよ」


 ガドゥの言う通り、売人の断罪もできていないのに、マヤが催促をぱったりと止めた。断罪者としては、現状でテーブルズからうるさく言われることがなくなったわけだが。


 小骨が喉に刺さったような気がする。本当にこの事件に裏はないのか。


 考え込んでいると、首のところがむずむずとした。


 右肩。襟元にごわごわした毛の塊の感触。

 瞬間、ガドゥの手が伸びた。


「なんだこいつ。ああ、ギニョルの使い魔か。締まりのねえ顔してるなあ……」


 ガドゥの手でじたばたしているのは、確かにあのときのねずみだった。

 男の手は最悪の場所らしく、不満そうにちゅうちゅういってる。

 今にも噛み付くかと思ったとき、目が紫色に光った。


『騎士、話がある。オフィスへ来い、ユエも呼べ』


 俺にか。ユエもとは珍しい。ガドゥは使い魔を置いた。


「おいどうした、またなんかやらかしたのか?」


「まさか。覚えがねえよ、おいユエ、ギニョルが呼んでるぜ」


「あ、うん」


 すりガラスのドアで仕切られた、ギニョルのオフィスへ向かった。


 断罪者の長であるギニョルは、実はテーブルズの議員も兼ねている。それも悪魔の代表だ。なんでも悪魔の間では、吸血鬼でいうクレールと同じか、それ以上の名家出身らしい。


 断罪者として現場に出る以外に、俺達の書類の決裁に加え、まっとうな売買の契約の仲介、トラブルの仲裁などもこなしている。


 来客が多くなり、密談の必要もあるので、ギニョルだけはこういう閉鎖されたオフィスで仕事をしているのだ。


 ちなみに、断罪者である俺がここに入るのは、たいてい叱責を受けるときだ。


 今日は身に覚えがないとはいえ、入るだけで緊張する。


 パソコンと書類に向かうギニョルには、シンプルな黒のパンツスーツが良く似あっている。真面目で知的な雰囲気だ。豊かな長い髪は髪飾りで結い上げてあった。


「……すまんな、報告書の山の中、呼び出して」


 そう言って手を止めたギニョルの周囲には、未決済の書類が恐ろしい量積み上がっていた。断罪者ができて二年になる。多少は信頼されてきたのか、仕事量はうなぎ上りだ。


「別にいいよ。でも一体なに?」


 ユエは好奇心丸出しといった雰囲気だ。今日の服装は、ブラウスにタイトスカート。腰と脇のホルスターには、SAAとP220が差さっている。


 一般的な就活生が上着を脱いで銃を持ってるって言えば分かりやすいか。銃の存在もあり、随分きまって見える。スタイルもいいし、PC用の眼鏡もにあっている。


「これを、見てもらいたい」


 ギニョルがスーツから白いハンカチを取り出し、引き出しの中身を包んで机に置いた。


 紫の布がへばりついた、ピン留めだ。

 表面に文字が掘ってある。俺は、これを見たことがある。


「……さん、ろ、ひがし。三呂東高校の、校章だな」


 ポート・ノゾミでなく、三呂大橋でつながったアグロス側にある私立高校。俺は受験しなかったが、中学の同級生は何人か進学したな。


 ユエもハンカチを取り出し、校章をつまんで顔を近づけた。


「どこでこんなの、手に入れたの?」


 言われてみれば、本来この島で見つかるものじゃない。


 物理的な行き来こそ自由だが、三呂大橋は日ノ本政府によって、ポートレールと物資搬入のトラック以外の通行が制限されている。普通の人間はアグロスからポート・ノゾミに来られない。まして、校章の持ち主であるただの高校生など。


 ギニョルが腕を組む。いかにも扱いかねているといった様子で、ユエが戻した校章を見つめる。


「恐らく、お前達が取り逃がした売人のものじゃ。下を調べたときに見つけた」


「うそ」


「本当かよ……」


 ユエも俺も驚いた。


 紫の布はあのとき女が着ていた服の切れ端か。あの女が向こうの高校生から手に入れたのか。それともあの女が、三呂の高校の関係者なのか。


「先日の事件、死体が出なかったことからも、女が無事逃げおおせたと見るのが妥当じゃ。あれだけのドラッグと現金を残して逃げたことからも、我らを誤信させる目的で、これを置いたとは考えられん。ということは、校章を元々つけていた、つまり三呂か、日ノ本のなにかが事件に関与していると考えられる」


 日ノ本、三呂。事態が大きくなってきた。いや、まだ日ノ本そのものが事件に深く関わってると決まったわけじゃないが。


「この事件はおかしい。お前たちも知っての通り、押収した大量のドラッグの材料は、バンギアだけでそろえることはまず不可能じゃ。なのに、GSUMやバルゴ・ブルヌス、自衛軍の関与さえ、まだ見えては来ぬ」


 特にバンギアとアグロスの行き来に関しては、GSUMや自衛軍を頼るしか抜け道がないはずのに。


「ただ、魔法や我らバンギア人について、詳しいことが隠されている日ノ本。特に、この島と近い三呂でなら、あるいはと思われる。アグロス人が魔法を知らぬだけで、アグロスにも魔力自体は豊富にあるから、命取りもどこぞで栽培できるかもしれん。ドラッグの方は、そもそもあちらから来たものじゃ」


 もっと言えば、調合用の施設だって、あっちの方が用意しやすい。


 こりゃあ、本当に向こうを調べる必要が出て来たってことか。


 ギニョルはため息を吐くと、机に肘をついた。組んだ手の上から、俺たちを見すえて、言った。


「無理を承知で願うのじゃが、お主ら二人に、十日ほどこの高校に潜り込んで、事件について探ってもらいたい」


 なるほどそれで俺とユエか。

 俺は年かっこうでいえば完全に16歳の高校生そのもの。

 ユエもまだ18歳だから、それなりに誤魔化せる年齢だ。


 ギニョルが深刻な様子で校章を見つめる。


「……あれから10日経つ。事件の動きはないが、それが逆に不気味なのじゃ。勘で悪いが、この事件、今叩いておかねば面倒なことになりそうでな」


 俺の感じていたものを、ギニョルも感じていたらしい。


 臭い、とでもいうのだろうか。たかが2年だが、大きな事件には独特の気配みたいなものがあるのを、感じるようになってきた。


 真剣な雰囲気の俺達のそばで。


 ユエがふるふると体を震わせている。金色の前髪が顔にかかって、その表情を隠している。武者震いってやつか。


「い……」


「い?」


「いやっほー! ねえギニョル、本当に向こう行っていいの。騎士くんと一緒に、高校生になっちゃっていいの? ねえ、ねえ」


 ぴょんぴょんと、はしゃぐユエ。ブラウスで跳ねるから、豊かな胸の動きがやばすぎる。ギニョルの手前、凝視できないのが辛いところだ。


 そういえばこいつ、日ノ本の漫画とか好きだったな。


 七年も読んでなくて俺も忘れていたが、あっちの漫画やアニメだと、高校や学園はよく作品の舞台になるのだ。ユエからすれば、任務付きとはいえ、夢見ていた日ノ本の高校生活を送れるのは、願ったり叶ったりに違いない。


「あー楽しみだなー。転校生ってことになるのかなー。男キャラの騎士くんと一緒だから、ラノベじゃなくて少女漫画になっちゃうかも。でも私達の任務からすると、シリアス系のラノベでもいけそうだよねー」


 ユエから宇宙の言語が漏れる。こいつ本当に分かってるのか。断罪者の活動に、10日も穴を開けることになるってのに。


 しかも、向こうで下手な事件を起こせば、日ノ本政府に影響を与え、ひいては島の情勢を変える恐れもあるのに。


「学園一の美少女とかいるんだろうなー。ハッカーとか不良とかも。あ、お金持ちの生徒会長とかも見てみたい。悪い先生脅したりするんだよね」


 分かってないからこそ、こうしてはしゃいでいるのだろうか。


 マヤの奴はいけ好かないが、といってユエに王女としての自覚があるとも思えない。崖の上の王国は、本当に大丈夫なのか。


 もっとも俺も、少し楽しみではある。ポート・ノゾミでは紛争で破壊された、七年前までの日常が、三呂では途切れることなく続いているのだ。


 日々銃声を聞くことなどなく。断罪事件を追う事もなく。平穏に過ごす時間が、わずかでも味わえるかも知れない。


 俺の顔にも喜びが出ていたのだろうか。


 ギニョルはたしなめるような事を言わず、説明を続ける。


「騎士は向こうを知っておるし、ユエは向こうに部屋を持っておるな。操身魔法で姿を変えれば、誰が行っても構わぬのじゃが、人間のお前たちが行くのが向こうの望みじゃ」


 なるほど、それでか。二人とも魔法が使えないしな。

 しかしギニョル、この数日境界のことで日ノ本とさぞタフな交渉をしてたな。

 よく見ると疲れの影が見える。おくれ毛が妙に色っぽい。


 引き出しを開けると、2枚のチケットを取り出す。


「いささか急じゃが、夕刻のポートレールを押さえた。早引けして、荷造りを済ませて今日のうちに発て。あちらでの暮らしと、調べて欲しいことは、このレジメにまとめてある」


 取り出したのは島では貴重な、日ノ本製のクリアファイル。A4の紙束が入っている。ラベルはにゃあと鳴く黒猫、ギニョルの趣味か。


 修学旅行のしおりみたいでほほえましい。

 久方ぶりに、日ノ本の土を踏むことになるらしい。


 はしゃぐユエを後目に、ギニョルからファイルを受け取った。

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