10フィクスとユエ
扉を蹴り開け、現れたのは、黒い外套に同じ色のテンガロンハットをかぶった、金髪の少女。断罪者、ユエ・アキノだ。
なぜここにと思う間もなく、吸血鬼たちが一斉に銃を取りだす。
先に吠えたのは、ユエが腰だめに構えた銀色のリボルバー。シングル・アクション・アーミー・キャバルリーだ。
ファニングショットで発射された五発のロングコルト弾は、銃を握る吸血鬼たちの利き手を、一瞬の間に撃ち抜いていた。
距離十メートル以内とはいえ。発射音が同時に聞こえるほど早撃ちで、五つものターゲットを撃ち抜くとは。
ロングコルト弾には黒色火薬が使われている。そのため、銃口から白煙が上がる。唇を寄せて吹き消しながら、ユエがこちらに近づいてくる。
「……騎士くん、頑張り過ぎだよ。相手が銃持ってるの分かってたでしょ」
指が飛ぶか、手に大穴を開け、うめく吸血鬼たちを無視して、ユエが俺に近づいてくる。
さんざんぼこぼこにしてくれた吸血鬼が、我先に裏口から逃げ出してしまった。
「待ちなさい! 偉大なる主を馬鹿にしたことは……」
フィクスが後を追おうとするが、ユエが左手でP220を構えて制した。
「待って。たかが喧嘩で相手を殺すなら、あなたを断罪することになるよ」
振り向いたフィクスが、拳を強く握りしめる。今にもユエに飛びかからんばかりだ。
俺は口の中の血を吐き出すと、かろうじてまわる舌を必死に動かした。
「よせ……命令、だ。前の主の無念を、晴らせないことが、お前の、望む責め苦だ……今日は、嫌な思いをさせて、ごめんな……」
それだけ口にすると、俺は眠る様に意識を飛ばしてしまった。
相当、殴られ過ぎたのと。やはり、モヒートが効き過ぎていた。
風が涼しい。尻の下が揺れる。なにか柔らかく細いものに顔を埋めている。石鹸を薄めたような、さらさらした匂いがする。
「……それでは、私を監視するためにですか」
フィクスの声だった。目が徐々に開いてきた。柔らかく細いのは、フィクスの髪の毛。俺は傷の手当てを受けて、フィクスに背負われて歩いているらしい。
「うん。ギニョルがね、それを条件にあなたへの刑の執行を伸ばしてくれたの」
ユエの声だ。テンガロンにポンチョの出で立ちのまま、俺を背負ったフィクスの隣を歩いている。
ついでに、隣を車のヘッドライトが走っていることから、ここはマーケット・ノゾミから俺の家に帰り着く途中なのだろう。吸血鬼連中とのもろもろは、片付いたと思っておくか。バイクはどうなったんだろうか。あそこに放置じゃ分解されて盗まれる。
さておいて、フィクスは鋭く質問した。
「本来ならどうするのです?」
二人とも、無言で歩き続ける。俺は寝たふりをしながら、唾を飲み込んだ。
「ギニョル自身が確認した二件の殺人は、百年ほどの禁固刑になる。あなたに殺害の記憶がないことを、どう考慮するか判断に困ってる。そもそも、撃ち殺される以外の方向で、ハーレムズが断罪されることの方が珍しい。扱いが分からないんだよ」
ユエの言う通り、ハーレムズを断罪することは射殺とほぼ同義だ。
ましてやフィクスのように、殺人の記憶まで消されたまま、キズアトから放り出されるなんてことは、この二年で初めてだった。
「ギニョルは、キズアトに何か狙いがあると思ってる。だから、私を監視につけた。あなたが契約通り騎士くんの奴隷になるなんていう、提案を飲んだの」
うつむき加減のユエの顔は、テンガロンハットで隠れて見えない。気持ちの方は分からないが、声は冷たい。
「ギニョルは悪魔だけど、結構優しいから、騎士くんが心配だっていうのもあるかも。けど、一番は、蝕心魔法の効きにくい私が、何かあったとき、あなたを確実に撃てるようにだよ」
ひゅ、と風を切る音がして、撃鉄の上がったシングル・アクション・アーミーが突き出される。俺からじゃ分からないが、フィクスはおそらくその銃口を見つめているに違いない。
いつの間にか、銃がホルスターに収まっている。
「……今のあなたは、銃を握れない。私はずっと見てる。ま、今日はたまたまそれがいい結果になったんだけどさ」
そう言って、歩き出したユエ。フィクスも追随した。
二人はそれから無言になった。俺も目をつぶったまま、黙って背負われ続けた。
ついつい、やりとりの重さに押されて、口を利くことができなかった。が、この体勢は情けない。もう目を覚ましたと言って、降りるべきだろう。
「もうひとつ、聞いておきたいことがあるのですが」
「なに?」
発言しようとした瞬間の、フィクスの質問。俺は言葉を飲み込んだ。
「……あなたはご主人様の、騎士さんのことはどう思われているのでしょうか?」
「え、それ聞いちゃうんだ……」
ユエは意表を突かれたような声を出す。鈴を鳴らすようなフィクスの笑い声が、俺のすぐそばで漏れる。
「ふふ。記憶はありませんが、偉大なる主に寵愛していただいた私ですもの。嗅ぎとることは簡単ですよ」
魔性というのか、流煌から最も遠かったものが、フィクスには備わっているのだろう。記憶はなくとも、あのキズアトに愛された奴だということが分かる。
「まいったなあ。うーん、好きとかはまた違う気がするんだけど、なんか気になるんだよねー」
二人は立ち止まったらしい。俺の髪の毛の中に、ユエの指が入ってくる。あれだけの腕を持ってるとは思えないほど、細く柔らかい。
「見ての通り、見た目私より子供だし、腕も私より悪いし、全然甘いし、なのに上から目線で、ときどきスケベだし。っていうか、紛争のとき戦った自衛軍とか、貴族の人の方が、もっと全然カッコいいし……」
むに、と頬をがつままれる。こんちくしょう、好き勝手言いやがって。
お前俺より五つ下だろうが。だが腕が劣っていることも否定はできないし、甘いということも、ユエに上から目線ということも、ギニョルやユエにスケベ心が出ることも否定はできない。
「でも、放っておけない。多分、私にないものがあるから。うーん、なんか温かい感じがするの。兵士になって人を撃ったら、普通はなくなる感じなんだけどね。ずっと持ってる人は珍しい。騎士くんは、それが表に出てるんだ。枯れない花が、飾ってあるみたいな気がする」
再び、俺の髪の毛がなでられる。まるで子猫か子犬になった気分だ。
「フィクスか、騎士くんのために、流煌って呼んだ方がいいのかも知れないけど。多分、騎士くんから責め苦を受けるなんて無理だよ」
思った以上に、俺のことをユエは知っている。
「ギニョルの使い魔と一緒に尾行してたけどさ。騎士君、あなたを喜ばせようとしたんでしょ。そういう人が、奴隷だからって理由で、ひどいことなんかできると思う?」
俺は、フィクスに流煌を演じさせるつもりはない。命令すればそうするだろうが、同じくこいつの意志を無視して、俺が欲望を満たすこともないと思う。
やや間を置いて、フィクスが小さく言った。
「……分かっていますよ」
今度はユエの明るい笑い声が響く。
「うふふふ。だよねー。あなたの前のご主人様とは正反対なんじゃない。結局あなたは惹かれてる。前のご主人様に引きずられながら。責め苦っていうなら、それがそうか。ふふん、せいぜい苦しみなさい」
悪意と優しさがないまぜになった言い方だ。フィクスは苦笑しているのだろうか。
またしばらく会話が途切れた。いよいよ聞いていたなんて言い出しづらくなった。
コンテナの扉を開く音がした。とうとう家に着いたのだろう。
足音が少ししたところで、フィクスの声がした。
「もし」
「なに?」
「もし、私に何かが仕掛けられていたとき。あなたならば、騎士を傷つけずに納められますか」
二人とも、言葉を失くした。
車や風、ホープレス・ストリートの銃声が時折聞こえる。
「……約束は、できないよ。でもやれることは、全部やる。騎士くんに代わって、あなたを撃つことだってできる」
「では、もしものとき、そうしてください」
俺は唇を噛みしめた。フィクスの言葉は、そのまま自身に何かが仕掛けられていることの証拠ともなる。
「何かあるの?」
「分かりません。分かりませんが、偉大なる主は、慈愛を振り捨て、一度愛した者が最も苦しむ手段すら平然と行える方だということです」
キズアトの策略。フィクス本人は記憶にない、クレールの奴も読めない蝕心魔法。
ユエはなにも言わなかった。フィクスは俺をコンテナへ運びこむと、ベッドに降ろして去って行った。俺を投げ落とすでもなく、靴を脱がせてそっと下ろし、シーツをかけて上がっていった。
フィクス。流煌の似姿すら、俺はそばに留め置けないのだろうか。
眼を閉じて、うつらうつらとし始めた俺の頭を、ユエの手が一度だけなでた。
それがその夜の記憶の最後だった。
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