6毒刃は赤鱗を裂いて
”灰喰らい”は、スレインやドロテアのような規格外の力を持つドラゴンピープルの類にしか扱えない長大な戦斧だ。全長はスレインと同じ約4メートル。先端の両刃部分だけでも、立っている俺の胸元くらいまである。
それが眼前に突き刺さっている。もはやコンクリートを砕くぐらいは珍しいことじゃない。軽トラックなら、エンジンごと叩き割ることができるのだ。
スレインが羽ばたきながら、俺と男の間に降り立つ。灰喰らいが引き抜かれた壁面は、中を走る鉄骨まで切断されていた。下の階まで貫通していたのかも知れない。
鉄筋コンクリートを貫く斧と、巨大なドラゴンピープルを前に、男はにいと唇を開く。人間よりもトカゲや竜と同じ、耳まで裂けた口だ。
「……あんたがスレインか。正義の象徴にして、てめえの妹も守れない、腰抜けの赤鱗だな」
どういうことなのだろうか。スレインが一瞬だけ、戸惑ったように見えた。
その瞬間だった。
「ひゃはああっ!」
スレインの身長、4メートルを軽く超えるほど飛び上がった男。首をしならせ、鞭のように振り下ろした顔、口の中に真っ赤な炎が見えた。
ごう、と勢いをつけて、飛び出した火球がスレインを襲った。俺はかばわれた形だが、スレインの腕で散り、振ってきた火の粉に触れると、叫びたいほど熱い。
これは本物の火。この男は、スレインのようなドラゴンピープルと同じで、炎まで吐き出すというのか。
「頭ががら空きだぜ!」
いつの間にか両手に一本ずつ握られている、内側に反った真っ白な剣。よく見ると腰の後ろに鞘が見える。暗闇のせいで気づかなかった。
スレインの動きが悪い。体重の乗った振り下ろしを、灰喰らいの柄で受け止めたがほんの少し遅れた。
「ぐっ……」
くぐもったうめき声。男の剣の切っ先は、9ミリルガーやライフル弾すら通さない真っ赤な鱗を裂き、切り傷を作った。
まさかと思ったがスレインはすぐに調子を戻した。
「うぬおおおおっ!」
「おおっ!?」
真っ向から男の一撃を受けながらも、灰喰らいを強引に振り抜き、弾き飛ばす。
空中に投げ出された男だったが、尻尾を振るって体勢を整え、剣も納めて屋上の端に着地した。ドラゴンハーフでありながら、猫のように俊敏な動きだ。
がしがしと黒い髪の毛を乱暴になでながら、男が俺とスレインを見比べる。縦に割れた冷たい目がカメラのように俺達を確かめた。
「けっ……玉無しのわりに、腕っぷしが強え。浅かったがまあいいや。お前らはまだ目標じゃねえし。あばよ、断罪者さん! これからよろしくな!」
男が屋上からひょいと飛び降りた。落差はスレインの背丈ほどだ。あのでなくとも、大した高低差ではない。
「ちくしょう、スレイン追うぜ! スレイン……?」
様子がおかしい。膝を付き、灰喰らいの柄でどうにか体を支えているばかりだ。
右肩の傷口、男にあの妙な剣で斬られた鱗の隙間が、じゅうじゅうと音を立てている。なんなんだこれは。
大体、スレインの体に傷を付ける刃物からしておかしい。
「分かっている、それがし、の、背に乗れ……」
ぜいぜいと息をしながら、スレインがつぶやくように言う。とても乗れる状態じゃない。むしろあいつが逃げてくれてよかった。
手当てをしなければ。だがこれは、通常の傷ではない。
恐らく猛毒の類だ。あの一撃と同時に入れられてしまったのだ。
非常階段を駆け上ってくる足音。振り向くと、ありがたいことにフリスベルだった。
「騎士さん、スレインさん! 大丈夫ですか!」
杖もマントも完備か。非番だから帰ってるかと思ったが。
「ありがてえ、フリスベル。スレインがやられたんだ。黒い鱗の見慣れないドラゴンハーフだった。真っ白な剣で肩をちょっと斬られたと思ったらこれだ」
フリスベルはためらいなくスレインに飛び乗ると、肩の傷口を見つめた。
「また、マロホシの奴の世話になった方がいいのか。ギニョルの奴を呼ぶか」
「いいえ。……これは、あの人では治せません。騎士さん、この袋の中身を下の地面に撒いてください」
「え」
「早く! これは龍喰いの毒胞子です。放っておくと、スレインさんでも、傷口からただれて死にますよ!」
そんな毒がありうるのか。いや、アグロスの常識で判断しちゃいけない。ここはバンギア、魔法のまかり通る世界だ。禍神のような化け物も居た。
俺は急いで階段を降りようとしたが、フリスベルに一喝されて、屋上に戻った。下りている時間すら勿体ないらしい。
渡された袋の中身を地面にぶちまけると、フリスベルがすぐさま杖を振りかざした。
「イ・ムース・ジド・グロウ!」
魔力が杖の先から降り注ぎ、種は見る見る発芽、十秒も立たぬうちに事務所の壁にとりつき、屋上まで登ってきた。ツルの中には、ほおづきのような実がたくさんなっている。
「ありったけかき集めて持ってきてください」
フリスベルに言われるまま、俺は両手いっぱいに緑色のほおづきのような実をかき集めて手渡す。
フリスベルは小さな手でほおづきのたばを思いっきり握り締めた。潰れた実から緑色の汁がしたたる。
「騎士さん、私を支えてください。振り落とされたらこの続きができません」
言うが早いか、フリスベルはほおづき汁でまみれた手で、べったりとスレインの傷口に触れた。
「ぐうぅおおおおおおおおっ!」
苦痛にうめき、スレインが激しく羽ばたく。俺はフリスベルの肩を支え、鱗にしがみついて必死に押さえた。
フリスベルはそれでも、汁まみれの手で傷口をなで続ける。心なしか、焼けるような臭いが収まってきている。効果はあるらしい。
スレインは苦しんでいるが、これで適切な手当てなのだろう。しかし、こんなに暴れられてはどうにもならん。
また階段から音がする。出てきたのはドロテアだった。
「何やってんだよ、親父はどうしたんだ!」
「ドロテアさん、スレインさんが龍喰いの胞子にやられました! ツタになった実をを集めてください」
ドロテアにはそれだけで通じたらしい。一面になったほおづきを、腕一杯に集めてスレインの背に駆け上ってきた。
「代わってくれよ、断罪者さん。龍喰いってことは、その傷ごと腐らして切り取るんだろう。それはあたしの方が適任だ!」
確かに、灰喰らいを振り回す力を持つドロテアなら、もがくスレインの背でも治療に集中できるだろう。俺とフリスベルは顔を見合わせると、飛び降りて実を集めにかかった。
それから十数分。潰したほおづきを押し付けられるたび、もがき苦しんだスレインだったが、とうとうドロテアが、その手で傷口をえぐり取った。フリスベルが今度は薬草の種を育てて、潰した葉と回復術で出血を止めている所に、ギニョル達の乗ったハイエースが現れ、ようやく騒動は終息へと向かった。
当たり前だが、あのドラゴンハーフの行方は知れない。
事実関係を調べると、思いのほか色々なことが分かっちまった。
事件はいよいよ、厄介さを増すことになる。
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