5黒いトカゲ

 自衛軍とドロテアというと、どうしてもかつての事件を思い出す。


 ドロテアの母、珠里は整備中隊に居た兵士だった。しかし紛争中に自衛軍を脱走して、特車隊の進軍路をスレイン達ドラゴンピープルに漏らした。それによってバンギア大陸に進軍した自衛軍の特車隊、つまり戦車隊は壊滅的な被害を受け、多大な犠牲を出した。


 これだけなら単なる裏切者だろう。実際、脱走兵の処罰ということで、朱里自身一度橋頭保に連れ去られたことがある。


 だが、異世界に入った自衛軍は非道の限りを尽くしていた。非戦闘員と戦闘員の区別もなく殺戮を行い、強姦や人身売買にも手を染めた。ついこの間、大陸を離れたヤスハラの配下がやってた所業は記憶にも新しい。


 珠里はそれに耐えられなかったのだ。ゆえに、バンギアの正義の象徴たるスレイン達ドラゴンピープルを頼った。いつしかそれは愛情に変わって、このドロテアが生まれたのだ。


 ざっと、こんな、いきさつゆえに、ドロテアの存在を快く思う自衛軍の兵士は皆無だ。


 ただ、この連中とは俺達断罪者が橋頭保に乗り込み、非公式ながら珠里達に手を出さない約束になってたはずだ。少なくとも、任務もないのに、銃剣付きの89式自動小銃を向けるような真似は、俺達断罪者を無視すると言っていい。


「おいお前ら、もういっぺん言ってみやがれ!」


 ドロテアが目を剥く。一見勝気な美人に見えるが、真っ赤な瞳孔は縦に割れたスレイン達ドラゴンピープルとそっくりだった。


 自衛軍の兵士もひるまない。


「何度でも言ってやる。貴様らカジモドはこの世に生まれたことが間違いだ。ドブネズミのごとく、仲間同士つるんでいるのだろう。黒い鱗のカジモドを知っているに違いない。我らの同胞を殺害し、銃器を奪った奴だ!」


 剣呑な奴だ。しかし、自衛軍を殺害し、銃器を奪ったとは。まさか、行方の知れない基地への襲撃犯だと疑われているのか。


「そんなのは知らねえ! あたしが知ってるのは、ザベルの所にいる奴らと、このゼイラムだけだ! 間違っても人を傷つけたりなんかするわけがねえ!」


 ゼイラムと呼ばれたドラゴンハーフは、両手で顔を覆って怯えている。シャツの袖からのぞいた鱗は、髪の毛と同じく青だ。


「話にならない。邪魔するならば、お前も任務として排除する」


 構えやがった。セレクターも起こした。群衆が姿勢を低くして逃げていく。


 まずいぞ。撃つつもりだ。


「そこまでだよ!」


 飛び出したユエがSAAを構えた。撃鉄がしっかりと起きている。


 兵士達は凍り付いたように動きを止めた。ユエは断罪者である前に、バンギア大陸ではこのSAAで百人を超える兵士を倒した存在だ。その腕前は分かっているのだろう。


「今日は非番だけど、断罪者ユエ・アキノの名において言わせてもらう。そのまま撃てば不正発砲。ドロテア達を傷つければ殺人未遂で断罪法違反だからね。緊急に断罪する。ロングコルト弾は、痛いよ」


 五人全員が固まって、脅すようにドロテアに銃口を向けていたのだ。互いを援護することはできない。SAAの装弾数は六発。ユエなら、一呼吸の間に五発で五人とも戦闘不能だろう。


 出て行ったユエに対して、俺は物陰に潜んで周囲を見回した。もしかしたら、伏兵が潜んでいるのかも知れない。ユエはボディアーマーを着ていないし、ドロテア達も鱗以外を撃たれれば致命傷だ。


 ほとんどの奴は、銃撃戦の気配と断罪者の存在に、逃げ出してしまっている。店主たちでさえ、店と品物を放り出してブロック塀などの丈夫な障害物に隠れているが。


「うん……?」


 小さな光の点が、ドロテアの後頭部に浮かんでいる。真っ赤な髪の中に緑色の点。


 たどっていく。この場を見下ろす、コンクリートの二階建ての屋上へ――。


 植えられた木立の中。誰かが狙撃用のライフルを構えている。


 俺は物陰に身を潜めながら近づく。距離十五メートルほど。乱闘になれば、狙いがつけにくくなる。鱗のない頭を撃てば、いくらドラゴンハーフでも死ぬ。


 伏せろと叫ぶか。いや、反応は一瞬遅れる。もう狙いはつけられている。先に撃たれれば殺されてしまう。


 幸い俺には気づかれていない。今は夜だ。俺が銃を持っていればいいのだが。


 そう思ったとき、露店の一角に積まれた木箱に大量のボルトが入っているのを見つけた。ぴんときた俺は靴を脱ぎ、靴下の中に中身を詰め込んで口を縛った。


 こぶし大の鉄の塊が完成した。裸足で革靴をはくのは嫌だが、仕方ない。


 予定外に浮足立っていたはずの兵士が、冷静な表情を取り戻す。


「我々第10小銃小隊は、命令を受けたのだ。基地を襲い、同胞を殺したカジモドを、捕獲が殺害する内容のな。これは作戦に必要な措置だ」


「それが本当だとして、引きさがる理由はない。ギニョルの命令も受けてない以上、断罪者としての職務を果たさせてもらう。略取誘拐も不正発砲も断罪法違反だよ」


 ユエは引かないが、相手に自信が戻った理由は分かる。やっぱり狙撃は想定されている。


 距離十五メートル、高低差二メートル。ほんの一瞬気を反らすことができれば御の字だが。


 俺はふりかぶると、靴下でくるんだボルトの塊を投げつけた。

 黒い靴下は、放物線を描いて、頭上の闇に消えて行く。最近銃よりこっちの方が得意な気がしてきたが、どうか。


 鈍い音が聞こえた。ドロテアの後頭部にあった光点が消える。


「くっ」


 失敗したとみた兵士が89式を構えるのを、ユエは見逃さなかった。


 腰だめに構えた銀色の銃身。

 先端からは、ロングコルト弾の黒色火薬の燃焼に伴う白煙。


 何発撃ったか。ユエのファニングショットは、兵士達の手からことごとく銃を奪い、無力化してしまった。


 銃を弾き飛ばされた一人の兵士が、片手でナイフを抜いてユエに襲い掛かる。弾は打ち尽くしてたのか。


「なめんなっつってんだろうが!」


 だがドロテアが飛びかかる。頑丈な腕で抑え込むかと思ったら、意表を突いて尻尾で足元を払った。倒れた兵士の喉元を抑えて地面に張り付ける。


 ユエはSAAのシリンダーを開放し、空薬莢を落としてガンベルトからロングコルト弾を補充。兵士達が9ミリ拳銃を抜く暇もない。


 約三秒ってところか。ほとんどオートマチックを使ってるのと変わりがない。リローダーも使わずに見事な手際だ。


 事態は収束しそうだが、まだ狙撃手が隠れていたはずだ。俺は一旦状況を置き、目星をつけた建物を目指した。


 建物はやはり、紛争前にあった検疫所のような場所だった。すでにその機能は破壊され、バンギア人に使われて久しい。


 目的はまず何よりも、さらなる狙撃を防ぐこと。できれば捕縛したい。ただ俺は丸腰、相手は銃持ちだ。接近戦用に9ミリ拳銃も持っているだろう。うまいこと気絶していればいいが、それは期待しすぎというものだ。


 施錠されていないが、建物内で待ち受けられれば厄介。仕方ないから足音を覚悟で鉄製の非常階段を使う。


 革靴が鉄板を踏む派手な音と共に、屋上めがけて駆け上がる。相手に俺の存在を知らせ、注意を向けるためでもある。そうすれば少なくともユエやドロテア達への狙撃が防げる。


 屋上に体を出す手前で立ち止まり、足踏みをして音を出す。


 果たして、銃声が聞こえた。


 音からすると、ライフルではなく、9ミリ拳銃。鉄柵や屋上の出っ張りにあたり、火花と破片が散る。狙いは正確だ。飛び出したらやられていただろう。


 投げつけたボルトナットの塊は、注意をそらせただけだったらしい。結構自信があったのだが、KOできたわけでもないか。


 とりあえず標的は俺に来た。ユエとドロテアが居れば、向こうは任せていいだろうが、援護にくるまでまだかかる。丸腰の俺が、どうやって相手を制するかだ。


 向こうにはナイフだってあるだろうし、ボルトナットは持ってきたが、こんなものを投げつけた所で不意を討てなきゃ効果は薄い。


 どうするか思案していたときだった。


「あ、ぎゃあああっ!」


 男の悲鳴が闇夜に轟く。ぶしっと何かが飛び散る音が聞こえた。


 演技という感じじゃない。事態を確かめなければ。 


 俺は覚悟を決めて、階段を出た。


 屋上は階段室と手すりのないコンクリの柵からなっている。市場の灯りがぼんやりと照らす中、そいつは兵士の喉元に食らいついていた。


 大きさは、人間を少々でかくした程度。真っ黒な髪、筋骨隆々とした、恐らく男だろう。

 上半身は裸なのだろうか。闇に溶けるような真っ黒い鱗が生えそろい、下半身には同じ色のズボンみたいなものをはいている。


 足元は裸足。だが、スレイン達ドラゴンピープルのように、鋭く大きな爪が生えた小さい盾のように頑丈な足だ。


 喉元を食い破られた兵士は、蒼白な顔でぐったりとしている。ああなったら、頸動脈もなにもなく死んでる。悲鳴は断末魔だったのか。


「見たな……」


 そいつは俺を認めるなり、兵士を放って近寄ってくる。四つん這いで恐ろしく速い。これはとかげの動きだ。


 ボルトナットの塊を投げたが、額に命中してもけろりとしている。

 やばい。とにかく非常階段に戻ろうと後ずさるが、一気にバランスを崩した。


「うぐっ」


 尾だ。距離二メートル近いが、真っ黒な尾で体重移動の瞬間を狙われた。


 尻もちをついた俺に、音もなく飛びかかる男。血で生々しく濡れた口元が俺の喉元めがけて開かれている。


 だめかと思ったまさにそのとき、轟音と共に目の前の床がぶち割れた。


 尻餅をついた俺と同じ大きさの鉄塊が、目の前を埋めている。


 飛びのいた男と俺の間に、深紅の鱗を持つ、竜人が降り立った。


「何者だ、貴様は……!」


 鉄の塊、四メートルに迫る戦斧”灰食らい”を投げつけたのはスレイン。この状況で何より頼りになる、俺達で随一の使い手だった。

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