2生真面目な枝に結ぶ実

 かつて俺とユエは、ポート・ノゾミで起こった事件の解決のために、アグロス人の高校生として三呂に渡ったことがある。裕也とは、転入した教室で知り合った。


 が、この事件、蓋を開けてみると、俺達の担任と遊佐の義理の父が主犯という後味の悪いものだった。しかも俺のかつての恋人である流煌が、キズアトによって暗殺者にされ、主犯二人を殺害して逃走するという最悪の結末となった。


 裕也も、遊佐の実の娘であった海も、保護者の真の姿と、事件を招いたバンギアの真の姿を知って深く傷ついた。おまけに、国民の大多数が知らないバンギアの姿を知ってしまったことで、日ノ本から監視を受けることになった。


 こっちのことには手を出さないという話になっていたのだが。


『……こっちからお前らの声は聞こえねえからな。LANに潜り込むのも楽じゃねえんだよ。一方的に喋ることになるけど、とりあえずこいつを見てくれ。五分ほどだ』


 送られたのは、動画ファイルらしい。ガドゥが慣れた手つきで開く。プロジェクタに映像が展開される。


 背景に青い空と、巨大な幹。船上だ。しかもこの船は、シクル・クナイブのものだ。


 顔のある巨大な幹の上に、大量の葉がついた大樹。あれは帆になる役割の樹化したハイエルフに違いない。勢ぞろいしているのは、ハイエルフ、ダークエルフ、ローエルフ。


 列の前でこちらを見つめる秀麗な顔のハイエルフに、フリスベルがつぶやいた。


「フェイロンド……!」


 ハイエルフの暗殺組織、シクル・クナイブ。その指導者たるハイエルフ。

 正義と美にこだわり、島のあちこちで暗躍する厄介な奴だ。


 フェイロンドは一方的に喋り始めた。


『見えるか、アグロスの人間達よ。愚かな断罪者を除いては、お初にお目にかかる。私は“生真面目な枝”フェイロンド。ハイエルフという種族だ。早速だが、この映像をご覧になっている方々は、紛争の真実やバンギアの恐怖をご存知だろう。あの白竜がそちらに行けば、インターネットやテレビ、新聞、あらゆるマスメディアとかいう媒体上はこちらの話で、もちきりになったはずだからな』


 ゆうゆうと語るフェイロンド。やはり、イェリサとロットゥン・スカッシュに協力したのは、バンギアの恐怖を日ノ本中に知らしめるためでもあったのだ。血と硝煙と咆哮にまみれたアイランド・サンロの闘争は日ノ本中に知れ渡ったと考えていい。


『そちらの巨大な政府によって、隠されてきた種々雑多な事実が掘り起こされていることだろう。今を平和に暮らすあなた方としては、耳をふさぎ目も閉じてしまいたいことばかりに違いない。だが、私に言わせれば事実はより重いと言わざるを得ない。紛争のことを思い出せ。七年前、我々による最初の攻撃の苛烈さは知っているだろうが、それに恐怖した自衛軍による蛮行は言語に絶した。この私とて、あなた方が信頼を寄せる自衛軍によって、故郷を焼かれ、父と弟は89式自動小銃の的にされ、姉や母は連れ去られて戻らない。奴らはそれを、あなた方を守るために行ったそうだ』


 フェイロンドの言うことは、恐らく事実だ。かつてこいつを警護役として傍につけたララも似たことを言っていた。


『……もっとも、その報復として我々も相当に殺したがな。それに、バンギアには悪魔や吸血鬼といった、そもそも人間を獲物としか思っていない連中も居る。島を利用してあなた方の社会に牙を剥く悪も多い。数を正確に数えたわけではないが、我々はお互いに、十分過ぎるほど傷ついたというわけだ』


 えらく殊勝なことを言う。被害者意識を煽られた奴らは、ほっとしたかも知れない。


『そこで、ひとつ提案がある。もうこのあたりで、互いに不幸の増殖を止めようではないか。あの島をこの世から洗い流すことで』


 島を洗い流す。俺はガドゥと顔を見合わせた。


 かつてこいつらは、満ち潮の珠と呼ばれる魔道具を求めて、マフィア組織バルゴ・ブルヌスと激しい抗争を行ったことがある。それは、ポート・ノゾミの全てを巻き込む高潮を発生させるものだった。結局クレールの狙撃によって粉々に砕かれ、連中のたくらみは終わったが。


『ポート・ノゾミを知っているだろう。日ノ本政府からは、特別区とされ立ち入りを禁じられているが、あそこは両世界で最も醜悪な場所だ。流れ込む銃、汚らわしい麻薬、我らを含めてのさばる反社会的勢力に非合法な金。おまけに、今しがたあなたがたを脅かした、両世界の汚辱が産み落としたハーフ、カジモド達の巣窟でもある。百害あって一利なし、などという便利なことわざがそちらにあったな』


 悪意のある切り取り方だが、日ノ本で普通に暮らしていれば、あの島の現状はフェイロンドの言う通りに思えるだろう。


『我々はある手段で、その島を海に沈める。同時に、両世界の境をなす三呂大橋も破壊し、境界も閉じよう。海鳴と共に、汚れは洗われ、闇深き歴史は永遠に葬られるのだ。それをもって、両世界を永遠に隔絶しよう。あなた方がまだあの島を領土と呼ぶなら、これは領土を侵す行為であり、島に暮らすあなた方の同胞を害することになる。しかし、狂気と残虐を止める代償として、どうか受け入れてもらいたい。この通りだ』


 それだけ言って、深々と頭を下げたフェイロンド。

 これも考えられない行為だ。ハイエルフらしくないと思っていたがここまでとは。


 いや、馬鹿なことだ。島に何人暮らしてると思ってやがる。まだ正確な戸籍はないが、ギニョルの見立てじゃ、六万人は下らない。それだけじゃないんだ。俺にとってのザベルや子供たち、スレインにとっての朱里やドロテアなど、係累が居る。


 そいつらに、全員死ねということだ。

 フェイロンドは顔を上げる。反省や後悔の気配はない。


『あなた方の人口は、たった一国で、一億もの数を数えるのだったな。闇に染まったあなた方の同胞は、幸いにもまだ数千人ほどだ。最低限の損失で、大きな償いを図るのは賢い選択肢だと思われる。それにだ』


 フェイロンドが目配せをすると、ハイエルフとダークエルフが画面の端から、虚ろな目の男を連れてきた。迷彩ズボンにシャツ、後ろをツタで縛られている。


 自衛軍の兵士だろう。捕まってしまったらしい。


 ハイエルフとダークエルフがローブの懐から武器を取り出す。片方は短剣、もう片方はうごめく枝、あれは処刑樹か。


『やれ!』


 フェイロンドの号令で、短剣と枝が二人の男の胸に突き立てられた。


 俺は歯を食いしばった。短剣を刺された男の全身がみるみる苔に覆われ、後には干からびたミイラが倒れる。やはり吸血苔の胞子だ。


 一方、処刑樹を刺された男の方は、体の下がぐにぐにとうごめき、膨張が心臓と頭部に達した途端、血液と脳しょうをぶちまけて炸裂した。破片と血肉を吸い上げた苗木が、白骨に絡みついて、甲板に根付いている。


 いかれてやがる。文字通りの公開処刑をやらかすとは。

 断罪者も、自衛軍の狭山と駒野も、食い入るように犠牲を見つめる。


 おののく視聴者の顔を想像するように、フェイロンドは凄絶に微笑んでいた。飛散した血が頬に滴るのはそのままだ。


 ハイエルフの端麗な容姿が、鬼気迫る雰囲気を加速させる。


『……この程度のことを、平気で行う我々をわざわざ敵に回し、汚染された島を救おうとする道理もあるまい。あなた方の世界に残るバンギア人の例外は、好きに処分してくれ。それで不幸の連鎖は終わる。私からは、以上だ』


 映像が途切れた。

 誰も何も言わなかった。


 シクル・クナイブがとうとう動いた。

 連中のいう海鳴のときというのは、まさにこのこと。


 あの島を沈めて、両世界が混じり合ったことそのものを清算しようというのだ。


 バンギアはバンギアのあるように、アグロスはアグロスのあるように。

 すべてのものをあるべきところへ。


 それが、ハイエルフの言う正義と美に即した世界。


 かつて仕えたレグリムを老人と罵り、捨てたフェイロンドだが。

 結局、最終的にやることも信じることも変わらなかった。


 偏狭な正義と美を貫くために、島の全てを消し去るのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る