20線引きは崩れて

 三呂大橋をバイクで走るのはこれで二度目だ。タンデムシートにギニョルを乗せて、マロホシの部下を追った。あのときは境界を超えるなり、騒動を察知した特殊急襲部隊に殺されそうになった。


 一方、今は俺が追われる立場。境界を目前にしても、イェリサに追跡をやめる気配はない。


「いい加減、観念なさい!」


 何度目かになる炎が来る。俺はハンドルを切ると、転倒に用心しつつ、対向車線にはみ出してどうにかかわした。クラクションを盛大にならしながら突っ込んでくるトラックを避け、再び元の車線へ戻る。


 このままだと境界を超える。切り返してここで待つか。警察署を出発してるってことは、ギニョル達は予定通りにアグロス側からこの橋を通ってくるはずだ。


 いや、だめだ。橋まで来る間に、連中が襲ったら俺が来た意味がない。


 もっとも、このまま俺が境界をくぐったとしても、予定にない訪問者はまずいだろう。ましてや今の状況、検問を強行突破するほかない。


 だがパニックというなら、ハーフ達が強奪した重火器を使い、アグロス側で暴れたときも酷いことになるだろう。


 いずれが、ましか。

 ――やはり境界を越えよう。叱りは後で受ける。


「来てみやがれ、竜のお嬢さんよ……!」


 スロットルを回して加速。橋梁中央の歪みに向かって突き進む。


 心なしか、イェリサの影が後ろへ離れたように思えた。


 次の瞬間、俺は顔にぶつかる空気の変化を感じた。

 わずかだが、いがらっぽく、絡みつくような臭気。


 天候は同じ晴れ。しかし、百五十万もの人口と、大量の自家用車や製鉄工場、製油所などを持つ三呂市の大気は、人口の少ないポート・ノゾミより汚染されているらしい。


 高校生までは、慣れてたはずなんだが、長くバンギアに居過ぎたせいか。


 正面は、こちらへ向かうトラックや、先を走る自動車以外ない。

 特殊急襲部隊が飛び出して来ないのは、今回の作戦に動員されているからだろう。


 検問所が見える所まで進むと、路側帯に寄ってバイクをアイドリングさせる。


 トラックが通行証を示して、向こうに抜けている。この分だと断罪者はやはり境界を越えたらしい。


 行く先は、ハーフの両親が集められたもうひとつの人工島、アイランド・サンロだろう。ポート・ノゾミより前に三呂市に造成された場所だ。あそこは、いわゆる隔離区になっている。異世界バンギアを封鎖するため、架空の伝染病をでっちあげた日ノ本政府が、そのつじつま合わせのため、バンギア帰りの人間達を暮らさせているのだ。


 ここから向かうには、検問を通ってから、港湾沿いの幹線道路に上がって、いくつかのふ頭や工場、倉庫を越えなければならない。バイクをぶっ飛ばしても最低二十分くらいかかる。


「行くしかねえけど……」


 検問所をどうするかだ。俺には武器もコートもない。さすがに顔パスじゃ通してくれないだろうし、最悪、事情を知らない警察官にとっ捕まるかも知れない。ならどうやって、あちらに渡るか。


 一分足らず思案していたときだ。羽ばたきの大きな音と共に、俺の後ろに巨大な影が現れた。


「おや。このような場所でぐずぐずしていましたか」


「お前……!」


 イェリサ。ここまで出て来やがった。想定してなかったわけじゃないが、こうも簡単に境界を越えやがったとは。

 改めて考えると、日ノ本は国内向けにバンギアの影響など存在しないかのごとき政治的態度を取っているのだ。それは、色々なところにバンギアの影響があるこの三呂の街とて例外ではない。


 そこへ、体長約四メートルを誇る立派な白いドラゴンピープルが乱入すればどうなるか。全てがばれたら、大きく島の政治状況が変わる。


 止めないと大変なことになる。詰め所にはエルフか悪魔か、ドラゴンピープルに効く現象魔法が使える奴が居るはずだ。俺が撃ち殺されても、あっちに誘導しなければならない。


「来やがれ!」


 スロットルを回して、詰め所の方へ突っ込む。俺が異常な侵入者であるのは伝わったらしく、見張塔から慌てた様子で吸血鬼が駆け下り、検問所のドアが開いて杖を携えた女のハイエルフと男のローエルフが出てきた。


「停止しろ! 断罪者といえど通せない!」


 MP5A5の9ミリ弾が、バイクのタイヤ脇をなぞる。見張塔からだ。ヘルメットにコンバットスーツの特殊急襲部隊員が俺に向かって威嚇射撃をした。まだ残ってやがったか。


 増援も来るだろう。俺は撃ち殺されるかも知れないが、イェリサは止められる。異常を察知したギニョル達がアイランド・サンロへ戻ってくれれば御の字だ。


 ユエは俺を行かせたことを後悔するかも知れない。

 だが俺は断罪者だ。覚悟はできている。


 イェリサも俺に追随するだろう。

 そう思って振り返った俺は、自分のうかつを呪った。


「ふむ……目と鼻の先ですね。やはり私も行きましょう。さようなら、断罪者」


 俺に追随することなく、羽ばたいて橋上を後にしたイェリサ。自在に空を飛べるその巨体は、なんと東の海上にあるもうひとつの人工島、アイランド・サンロを目指している。


 なんてこった。俺を殺して、断罪者を予定通りおびき出させるのを諦めたのか。

 一度は遠ざかったロットン・スカッシュのハーフ達と一緒に、集まった親達を殺戮することを選んだのだ。


「うふふふ。私達の顎は、あらゆるものを屠るのです。欲望のままに天秤を歪めた者達に、血肉の雨を降らせましょう」


 いかれた嘲笑と共に、白い巨体が海上を行く。


 何が天秤だ。スレインの類縁だろうと関係ない。

 いくら紛争の犠牲者だろうと、てめえの恨みを種族の理屈で正当化する犯罪者。


 恐らく、史上初めて闇に堕ちたドラゴンピープルだ。


 時間はない。道路で回り込む俺と違って、あいつの翼なら十分で到着する。

 すると、どうなるだろうか。


 警官のM37エアウェイトから射出される38スペシャル弾。

 特殊急襲部隊のMP5A5から放たれる9ミリルガー。


 日ノ本の犯罪者を制圧するための武器が全く効かない巨大な怪物は、恨みと怒りのまま殺戮の限りを尽くすだろう。


「くそったれが……」


 俺は悪態のままに正面を見据える。見張塔も検閲所も、侵入してくる俺のほかに、境界から突然現れて海を越えていくドラゴンピープルに戸惑っているらしい。


 そりゃそうだ。俺が見張でもわけが分からん。

 ただ、これはチャンスでもある。


 スロットルを吹かすと、一気に加速した。

 エンジンが轟きを上げ、マフラーが叫ぶようにうなる。


「く、来るぞ、射殺」


『コーム・』


 銃口、かかげられた杖。目前で叫ぶ。


「ひき殺すぞ、どきやがれ!」


「きゃあっ」


「うお」


 詠唱中のハイエルフ、ローエルフの二人が逃げた。見張塔から降る銃弾が検閲所の屋根で弾けた。


 百メートルほど先。一般道への下り道と、アイランド・サンロへ続く高速。


 背後の銃声に肝を冷やしつつ、俺は高速の方にバイクの前輪を向けた。

 後ろでは覆面パトカーが発進しているらしい。こちらもエンジンを喘がせて一気に加速、追ってくる。


 分岐点が迫る。俺は息を呑み込みながら、ブレーキをかけ、ハンドルを操って車体を傾けた。転倒しないぎりぎりの角度、ズボンの膝頭が分離帯の壁面にこすれるくらいの位置どりでカーブする。


 なんとか曲がり切った。高速を目指したのはダミーだ。


 目前に迫るガードレールをかわし、一般道が近づく。


 俺はルートを覚えている。


 明日の検診本番と違い、ダミーはただの観光バスとして、一般道で島へ向かうのだ。


 片側三車線同士が交錯する出口の交差点は、おあつらえ向きの青信号。

 交差点に進入すると、アスファルトにタイヤ痕をつけながら再び急カーブ。上り線ではなく、逆方向の下り線、信号待ちの車列の間に突っ込む。完全な逆走だ。


 黒塗りのベンツに乗ったやくざっぽい男が、目を剥いて驚いているのを抜け、信号待ちに連なった車の脇をすりぬける。


 島には少ない新車や高級車の群れを抜けると、クラクションを乱打しながら向かってくるマイクロバス。


 その正面にバイクを停車させた。


 バスも急ブレーキで迎える。止まるかと思ったら、ちょっと勢いが強い。やばいと思った次の瞬間、激突を防ぐべく、バスは頭を回頭させる。


 慣性が容赦なく働き、車体が一気に横転した。


 金属を叩き付けるすさまじい音と共に、巨体は路面とボディの摩擦で俺の目前で停止する。

 その後続の車両が数台、車体に接触している。


 俺の背後の交差点には、信号待ちにはばまれた検閲所の覆面パトカーが停車。血相を変えた様子で、銃を持ったバンギア人とアグロス人が出て来やがった。


 横転したバス、操身魔法でアグロス人に偽装した断罪者が乗り込んでいるバスは、ぴくりとも動かない。


 奇跡的に俺は無傷だが、警護の連中が先に駄目になっているかも知れない。


「やっちまったな……」


 後ろの連中に撃ち殺されないよう両手を上げ、俺は横転したバスを見つめた。

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