21指揮権と決断

 上向きになったバスの窓が一気に吹っ飛ぶ。


 アメフトの選手のような、黒髪のごつい男が体を引きずり出した。身長は2メートル、体重は百キロ近くあるだろう。全身筋肉の塊、相撲取りやレスラーとも戦えそうだが、これでもこの男の正体にとっては不足なのだ。


 停車した車からドライバーが出てきて、事故現場に携帯電話を向けている。当然の反応だ。三呂のレイブンビルでユエと一緒に撮影されたときの比じゃない。


 男は俺と周囲を見回した。人間らしく舌打ちをして、腕を組む。


「おい騎士、無事だったのはいいが、こんな馬鹿な再会があるか。こちらで、目立つ行為はよせと、くぎを刺されていただろうが」


 見知った口を利くのは当然だ。


 こいつは、元々ドラゴンピープルの断罪者、スレイン。ギニョルによって操身魔法で人間の姿に変えられているのだ。


 それにしても、背中が縮こまりそうになる。元の姿と比べれば相当に小柄だが、人間としてはずばぬけた筋肉塊なのだ。


 つい謝ってしまう。


「すまん。ただ、やばいんだ。ロットン・スカッシュは、シクル・クナイブと協力して俺達の計画を知ってた。俺達が離れた隙に、島を襲うつもりだ。みんなで、すぐに行かなきゃだめなんだ」


 俺をさらい、断罪者に予定通りの出発をさせた要因はそこにある。


「そうだったか。だが馬鹿なことをしたかも知れん。あちらの警護は、日ノ本が威信にかけて自衛軍を投入しているんだ。紛争はくぐってないが、相当の精鋭だぞ。ハーフ達だけでは無理だろう」


 だからギニョルは、警察署に使い魔のひとつも残していなかったのか。恐らく、襲ってきた奴らを殲滅した後、シクル・クナイブを相手にする方に意識を向けていたのだろう。


 スレインの言うように、ハーフ達だけならそれでいいかも知れない。


「イェリサの奴が襲撃に来てるんだ!」


「……なんだと」


 驚愕と、悔恨。苦い歪みが、人間の男の姿をしたスレインの唇に浮かび上がる。

 やっぱり気にしてたのか。幼馴染とはいっていたが、紛争さえ起こらなければ婚約者のような存在だったのかも知れない。


 スレインを思いやってやりたいところだが、事態は切羽詰まってる。俺は矢継ぎ早に叫んだ。


「子供を煽ったのはあいつだったんだ! あいつの中じゃ、子供を捨てた親が滅ぶのが天秤なんだ! いくら精鋭でも、ドラゴンピープルを殺せる火器があるのかよ!?」


 がごん、とバスの外壁がへこんだ。叩き付けられたスレインの腕が震えている。


「ギニョル、それがしはッ……どうすれば、いいんだ」


 苦渋が人間姿のスレインを覆っている。清廉だったはずの同族、それも幼馴染を断罪することになる。


 バスの中から、つる植物が次々に伸びてきた。ドライバーたちがシャッターを切る中、全ての窓が押し上げられて強引に開かれた。


 出てきたのは、日ノ本の人間に偽装した断罪者達だ。


 すなわち、角を隠して黒髪に染めたギニョル。こちらも金髪と青い目を日ノ本の人間風に黒髪と黒の瞳に変えたユエ。耳をひっこめ、黒髪にしたフリスベルと、目と髪を黒にしたクレール。


 身長百五十センチくらい、二十歳過ぎの小柄な若者に見えるのはゴブリンであるガドゥの変化した姿だった。


 全員かすり傷しか負っていない。さすがというべきか、俺が事故らせた責任も薄まって見える。


 後続の車から出て、バスに駆けてくるのは、色とりどりの髪の毛や瞳を魔法で黒く染めたアグロス人の警護隊だ。共にロットン・スカッシュの襲撃を迎撃する予定だった。テーブルズの議員であるマヤや、俺の義理の兄予定のザルアも居る。


「ギニョル、どうするの?」


「ギニョルさん……」


 ユエとフリスベルが声をかけた。


「やるというなら、僕はやれるぞ」


 クレールが腰のレイピアに手をやる。


「日ノ本が何とかするならそれもいいけど、無理だよな」


 ガドゥが心配そうに、はるか向こうのアイランド・サンロを仰ぎ見る。


 黙ったまま、ため息をひとつ吐いたギニョル。スーツのほこりを払い、擦りむいた額にかかる髪の毛を分ける。


 判断に迷うのも当然だ。当初、アグロスで戦う予定などなかった。


 日ノ本は紛争の真実をアグロス中に隠している。連中いわく、ポート・ノゾミは平和そのもので、その秩序はあの自衛軍によって守られているのだ。


 日ノ本側に残る人工島、アイランド・サンロにはマスコミがここぞとばかりに入っている。バンギアから来た俺達断罪者が、連中の前で戦えば、間違いなく中継されるだろう。


 世論は紛糾。政府は説明に窮する。


 あの紛争の内実は白日の下にさらされ、下手をすれば自衛軍の再派遣、紛争の再燃までありうるのだ。


 ただ、俺達がこのまま手をこまねいていても、イェリサとハーフ達はアイランド・サンロに集まったハーフ達の親や自衛軍をめちゃくちゃに蹂躙するに違いない。


 バンギアの魔法とアグロスの銃。両方を扱う連中に対しては、ポート・ノゾミで様々な荒事をやってきた闇の勢力か、俺達断罪者が最も適任なのだ。


「ギニョル、これはどういうことです。騎士は誘拐されたのではなかったのですか」


「マヤ姉様。難しい場面なの……」


 テーブルズの議員然としてやってきたマヤに、ユエが状況を耳打ちする。ザルアもマヤから聞かされていた。


 状況を把握したマヤは、考え込むギニョルの肩に手を置いた。


「時間がありません。行くか、ポート・ノゾミに戻るか、断罪者の長たるあなたが決断なさってください。この場に私が居るのは幸いなことですわ。あなたがどちらを取ったとしても、私はテーブルズの議員代表として、指揮権を発動し、責任を持ちます」


 テーブルズの議員たちの中で、各種族の代表だけが持つ断罪者への指揮権。


 今までは、俺達断罪者の活動を止めることにしか使われていないが、特定の事件を指定して断罪者の活動を促すこともできる。


 今、ギニョルが行くと言えば、マヤはテーブルズの代表として、俺達をアグロスでの断罪に動かしたという責任を被ってくれる。またその逆でも。


 断罪に行くも島に戻るも、ポート・ノゾミの決断として正式に追認してくれるということなのだ。


 ただならぬ雰囲気を察したか、全く俺達の事情を知らぬはずの運転手たちも、撮影の手を止めてこちらを見守っている。


 重い決断だ。最初に日ノ本の人間の目に触れる異世界バンギアの真実の姿。

 その形が決まろうというのだから。


 ため息を一つ吐くと、ギニョルが口を開いた。


「……行けば、紛糾の種になる。じゃが、相手はバンギアが、紛争が、島が育んだ復讐鬼。わしら断罪者は、法に基づき秩序をもたらす、ポート・ノゾミの正義の象徴。退くわけには、ゆかぬ」


「ギニョル……」


 見上げるスレインに向かい、ギニョルは取り出した小さな杖を向けた。

 紫色の魔力が降り注ぐ。


「スレインよ。このわし、断罪者の長たるギニョルが命ずる。そなたの赤鱗に賭けて、堂々と戦い天秤を守れ!」


 立ち上がるスレインの背が巨大化していく。丸太のような腕。たくましい銅、広がる翼、らんらんと光る眼に鋭い牙、銃弾を軽く弾く深紅の鱗。


 人間の範疇を軽く超える、その体長六メートル。


 窮屈な体から解放されたドラゴンピープル、スレインが、アスファルトの上に堂々と降り立った。

 バスの底から引きはがしたのは、3メートルの柄に1メートルの刃を持つ戦斧、”灰喰らい”。


 大きく掲げると、自らの迷いを振り切るように叫んだ。


「それがしは断罪者スレイン。種族と断罪者の誇りにかけて、今よりこの異界の地で歪んだ天秤を正そう!」


 びりびりと空気が震える。開かれた竜の顎、叩き付ける咆哮の前に、ドライバーたちが尻餅をつき、息を呑んだ。何人かは失禁したらしい。


 魔力の光はスレインだけではない。断罪者全員に降り注いでいる。


 フリスベルの耳が尖り、髪の毛が淡い金色に戻った。スーツはいつもの緑色のローブに戻る。


 クレールの白い髪に、紅い瞳が妖しく輝く。ズボンは細みに、シャツは吸血鬼を象徴するいけ好かないフリル付きだ。


 ガドゥの肌は緑に染まって、長い耳の間には人懐っこい子鬼の笑みが浮かぶ。着慣れないスーツがつなぎに変わった。


 そして、ギニョル自身の髪も燃えたつ赤に染まり、悪魔の証たる二本の曲がった角が現れた。パンツスーツも似合っていたが、いつものスリット入りのローブだ。


 ポート・ノゾミに法と秩序をもたらす苛烈な七人。


 断罪者が、初めてこのアグロスの地に全員揃ったのだ。


 頭がい骨の付いた杖を振りかざし、”お嬢さん”が命令を下した。


「騎士、ユエ、フリスベルは銃火器を装備、スレインと共にアイランド・サンロへ先行しろ! 連中の手に一人の命も渡すな! ガドゥ、クレール、わしらはマヤ様達と共に街中の魔力を探りながら島へ向かうぞ! ロットゥン・スカッシュは自衛軍の火器を強奪しておる。必ず、別動隊で砲火を行う。そやつらを止めるのじゃ!」


 俺など思いつかないところまで想像し、的確な命令を出すギニョル。


 ここまで来た甲斐があった。


 奥歯にものがはさまったような活動は止めだ。

 法と秩序の下に、俺達はこの日ノ本で断罪を行うのだ。


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