19境界を目指して

 ロットン・スカッシュの復讐対象は、子を捨てた親たちだ。


 ハーフ達が生活に苦労し、ギャングや闇組織の下っ端に使われている一方で。


 日ノ本政府の庇護下のもと、検診まで受けて安穏と暮らしているのは親の方だ。紛争の犠牲者であり、あまり楽しい人生は送っていないだろうが、復讐したくなる思いも分かる。


 そうかといって、見過ごせない。やっちまったら、取り返しがつかないからだ。


「くそっ……」


 悪態をついて、海を殴りつけることしかできない。怒りでわなわなと拳が震える。今さらながら、イェリサはとんでもない奴だ。保護したハーフを自分の手先に使い、自らの復讐という目的を成そうとしているのだから。


「う……っ」


 痛え。逃走に必死で忘れてたが、俺の右手親指はフェイロンドの奴に棍棒で叩き潰されていたのだ。


「……おいおい、頭に血が上ったときこそ、冷静に、だろ」


 弾丸の傷跡を付けたまま、むっくりと起き上がった細身の体。


「ザベル!」


 痛みが吹っ飛んだ。生き残ったのは嬉しい誤算だが、まさか意識まで戻すとは。


「やー、あいつら案外甘かったなあ。銃なんか使ってるから、撃ったら死ぬと思ってやがる」


 アグロスの銃に操身魔法など、あらゆる便利なタブーをためらいなく使う奴らだからこそ。隙が生じたとでもいうのか。


「先生、大丈夫なの?」


「まだちょっとくらくらだな。骨もやられた感じだし、ひと月くらい店休むことになっちまいそうだ」


 弾丸の突き刺さった体を見回し、ため息をつくザベル。えらく平然としてるように見える。痛くないはずがないのだが。


「ま、大丈夫だろ。死なねえよ」


 心配する子供たちの頭をなで、抱き締めるザベル。


 なんにせよ、助かって良かった。

 子供たちも無事だし、どうにか最低限は果たしたのかも知れない。


 確かに、イェリサ達を取り逃がしたのは残念だが。

 日和見になった俺を見抜いたか、ザベルが鋭い目を向ける。


「で、追うんだろ、断罪者さん。正念場はこっからだぜ」


「ええ。でも、フェイロンドの奴に指を潰されたし」


「手、出せよ」


 言われるままに右手を差し出す。ザベルは感触だけで骨折を確かめ、握り込む。


「痛っ……」


 うめく俺に構わず、革鎧の一部を千切ると、巻き付けて包み込む。くくって固定するひもは、懐の種から生やしたツタだ。


 断罪者になる前、自衛軍やごろつきと乱闘を繰り返してた頃を思い出す。


「厄介だな、半不死の体なんてのは、よし完成」


「ありがとうございます」


「治りは早いんだ。心配いらねえさ。んで、次は向こう行く手段だが」


 ザベルは指を口に当て、ひゅーっと甲高い音を鳴らした。


 たちまち、ボートの下に大きな影が浮かび上がってくる。


 海を割ってぬっとあらわれたのは、黒と白のつるつるとした体、つぶらな瞳に鋭い歯を持った海のハンター、シャチだった。


 くっくっと鳴きながら、シャチが頭を寄せて来る。


「わわっ、先生」


「大丈夫だよ。こいつも使い魔だから。普段は、ちょっと遠い海に居させてるんだ。島の近くだと、とっ捕まって市場に持っていかれちまうからな」


 確かに、マーケット・ノゾミでは、アグロスではあまり食べなくなったくじらやいるかの類いを容赦なく売り買いしている。こいつも例外ではないわけだ。


「騎士、お前はこいつにしがみついて行け。十分あれば警察署の前まで送ってくれるよ」


 それなら、ギニョル達の警護に間に合うかも知れない。俺が直接無事を伝え、イェリサとロットゥン・スカッシュの計画をばらせば、アグロスでの虐殺は防ぐことができる。


 服が濡れるとかはこの際どうでもいい。俺は海に飛び降りるとシャチのひれにしがみ付いた。生まれて初めてシャチに乗るが、意外と安定している。つるつるかと思ったひれもつかみやすい。


「お前泳げるか? 一分ぐらいは息止めてられるか」


「まあ、それくらいなら」


 紛争前は水泳が得意じゃなかったが、島が混とんとしてからは、そうも言ってられなくなった。というか、断罪者の試験に水泳があった。


「よし、じゃあ遠慮しなくていいぞ、連れてってやれ」


「ごぼっ」


 シャチが急に水面に潜った。海水が襲い掛かる中、必死につかまり、どうにかしがみつく。


 眼を開けていられないが、頭はこの先を考える。


 まずは警察署に戻って、M97を装備して、バイクに入るだけ弾を詰める。相手はM2やてき弾銃など、奪い取った自衛軍の武器を使ってくるだろう。ショットガンでは火力不足だが、ギニョル達もそれは見越して、ありったけの強力な武器を持っていっているはずだ。


 恐らく三呂で戦うことになるだろう。暗黙の了解として、島の争いは向こうに持ち込まないはずだったが、新参であるロットゥン・スカッシュの連中は、そのへんの空気を全く読まない。


 考えているとシャチが水面に飛び上がった。

 朝日が照らす中、穏やかな海面を泳ぎ続ける。


 潮風が心地いい。紛争前、テレビでイルカに乗るのが夢だと話す若者を見たが、なるほどこれは悪くない。


 使い魔でもなければ、人を乗せるシャチなんていないだろうしな。


 ザベルの言う通り、体感で十分ほどで、警察署前の船溜まりへ近づく。俺は礼を言ってシャチを降りると、そのまま泳いで岩壁のはしごにつかまった。


 朝も遅くなったため、人けは少ない。親指をかばいながらどうにか上がって、水を切る暇もなく、警察署目指して駆ける。


 そこで、頭上を大きな影が覆ったことに気が付く。嫌な予感がして、横に飛びのいた。


 炎の塊が俺の居た部分を焼き尽くしていく。


 転がりながら体を起こすと、頭上には飛び去ったはずの真っ白な竜の姿がある。


「せっかく見逃してあげたのに。断罪者はそれほど死にたいのですね」


 イェリサだ。見張ってやがった。何が何でも、ハーフ達に復讐を行わせたいというのだろう。断罪者の俺を殺してでも。


 性格からして、ザベルや子供たちにとどめを刺しに向かうことはなさそうだ。


 それは安心なのだが。


「無垢で小さい人間を潰すのは可哀想で嫌ですわ。いえ、あなたは悪魔の眷属だったかしら。殺しても天秤の傾きは大したことは、ないのかも知れません……」 


 なるほど、俺の上司は悪魔だし、年は16で止まってる。


 ほっといてくれ。


 イェリサは牙を剥き出し、口の中に火をためている。火炎放射がマッチに見えるほどの猛烈なやつが来る。俺などひとたまりもない。悪魔の下僕らしく焼き尽くされてしまうことだろう。


 どうする。銃は無いし、たとえあってもドラゴンピープル相手じゃどうにもならん。警察署に飛び込めばうまく逃げられるかも知れんが、さっきの炎を避けたとき、玄関からずれた。


 このうえは、仕方がない。


 俺はイェリサに背を向けると、一目散に駆け出した。

 炎が芝生を焼き尽くし、足元をもなめようとするが、どうにか燃え移らない。


 全身にたっぷり海水を含ませたおかげだ。


 駐輪場と駐車場を目指す。やはりハイエースはない。みんなはアグロスへ向かって出発したのだ。


「お待ちなさい!」


 三発目が来る前に、駐輪場の屋根をくぐった。

 バイクにたどりつくと、キーを差し込みエンジンを起動させる。


 昨日整備は済ませた。ガソリンも満タン。面倒だったがやっておいてよかった。


「大人しくすれば命は取りませんよ……」


 金属製の屋根を引き裂き、巨大なあごがのぞく。焼き殺そうとしといて何を言ってやがる。俺はスタンドを蹴り上げ、バイクにまたがった。


 クラッチをつないで、発進させる。ギアをあげつつ、警察署を回り込んで、目指すのは一般道だ。


 車列をかわしながら、アグロスへ続く三呂大橋を目指す。

 俺の脇に炎が降り注ぐ。


「おのれ、行かせはしない!」


 紛争中、自衛軍や警官を薙ぎ払っていたドラゴンピープルの姿を思い出す。


 俺だけを狙うからまだましなのか。とにかく急がなければ。

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